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第 1 節 結論

1.YWCA 成立の背景

19 世紀前半、欧米でのキリスト教リバイバル運動から生み出されたエネルギーは、キリ スト教宣教活動の活性化と人道主義的な社会活動を生み出していた。宣教活動と人道的な 社会活動を実施する組織として各種の協会が設立され、そこでは女性たちの積極的な働き があった。19 世紀のリバイバル運動を背景として、欧米女性に求められていたのは、キリ スト教的価値観をベースとする母性であり、限られた領域の中での社会性であった。しか し、彼女たちの社会性は、家庭を超えた社会の要請に応えるための奉仕活動の中で培われ 成長した。それは困難を抱える人を訪ね、世話をやき教育的な働きかけをすることであり、

そのために必要な資金をつくることであった。自ら献金を捧げ、資金を生み出す様々な方 法を考え、奉仕活動の財政を担った。女性たちは奉仕活動を支え拡大し、職業人としての 女性を派遣するなど、その活動を人的にも財政的にも保障できるまでの社会的な位置づけ を確立した。欧米女性たちは自らに設定された社会的自律の領域枠を拡張してきた。この リバイバル運動を背景に YWCA の設立は促されていた。

19 世紀後半、世界へ拡張したキリスト教界は、教会再一致を目指すエキュメニカル運動 が推し進められていた。その流れの中で YMCA、YWCA、WSCF は、世界各国のキリスト教青年 を宗教的社会事業を通して接近させ、相互協力の機会を作る、世界的ネットワークとして 機能していた。そうした流れの中で、働く若い女性や女学生を対象に展開された YWCA 運動 は、直接的・間接的に社会改良や改革を自らの問題とする自律的女性の育成を目指した世 界運動となった。

1905 年、女子工場労働者の現状を憂いた在日婦人宣教師による世界 YWCA への要望をき っかけとして、日本 YWCA が設立された。女学生とミッションスクール卒業生、そして女子 工場労働者という女子青年層に向けた YWCA 事業は、学校 YWCA と東京を始めとする 6 都市 のローカル YWCA を日本に設立させる事となった。

欧米キリスト教のリバイバルを背景として成立した女性たちの奉仕活動(チャリティ)

は、活動の拡張と共に社会性を高め、女性の社会的位置付けの変化を促した。日本の YWCA

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は、リバイバルという背景とエキュメニカルの中で形成された YWCA ネットワークを通して、

社会的変化を遂げる欧米女性たちの奉仕活動の姿を学び、それを継承する運動であった。

2.YWCA 事業の実態

東京 YWCA が実施した女子青年事業の中から働く女子青年に焦点を当て、有職婦人部と女 子工場労働者を対象として実施された事業の実態を明らかにした。

20 世紀初頭、都市の若い女性の就業率は上昇し、職業や教養的な教育への需要は高まっ ていた。東京 YWCA は有職婦人に向けた各種の教育とクラブ活動を推進させた。彼女たちは 職業を持ち、自活するため、家計の補助や「嫁入り」のためなど、その必要に応じて働い ていた。そして職業上のキャリアアップや、教養や技術を身につけるために YWCA の門を叩 いた。彼女たちは、ビジネスガールとプロフェッショナルと労働婦人という年齢や職種な ど異なるグループ群の女子青年であったが、東京 YWCA 有職婦人部として同じ括りの中に位 置していた。各種の集会や講演会で顔を合わせ、共に YWCA メンバーとして一つの集団を形 成し、クラブに象徴される自治的活動と、職業や教養教育の場を共有していた。時代を共 に生き、生活する女子青年が集まり、集団として存在していたのである。東京 YWCA 有職婦 人部で実施されたクラブや知識と技能の教育の場は、限られた環境で暮らす彼女たちの視 野を拡げ、他者との関係や思考する力を育くむ社会教育実践の場であった。それは女子青 年たちの全人格へ影響を与え、個の確立、精神の自律への道筋をつける可能性をもつもの であった。こうした事業を支え、推進していく YWCA 幹事(職員)の育成には、海外をも含 む研修の機会が用意され、女性への職業教育としての質の高さがみられた。YWCA 幹事には 会員と共に YWCA 運動を推進してゆく専門職としての役割が求められていた。と同時に、自 律的な女性像を表すロールモデルとして存在する女子青年のリーダーとしての役割が意識 された教育が実施されていたのである。

文京区白山御殿町「私共の家」を拠点に、地域に住む、若い女工たちのクラブを組織し た「私共の家」は社会事業と同時に社会教育事業であった。女工たちの白百合クラブは、

少女や幼児へと広がり、最終的には母親たちのクラブが成立していった。クラブを通し彼 女たちは多くの女性や社会と、人的にも社会的にも交流し、経験を広げ、可能性を伸ばし、

社会性を拡げる事になった。こうした社会教育的な営みは、彼女たちの「人間形成」とも なり、地域からの信頼を得る事にもつながっていた。彼女たちへの信頼は、「私共の家」自 身の信頼を増し、林間学校やキャンプ、年末託児や各種相談事業など社会事業の充実とも

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つながっていた。少女たちは用意した花束で病人を慰め、女工たちは少女たちの良き指導 者となり、母たちは地域の相互扶助に力を発揮している。東京 YWCA が当初掲げた「労働に 従事する女子の人格を尊び、社会人として正しく起つことの出来る」女子労働者教育は、

その内容を「個」から社会へ、また社会から「個」へと、クラブや地域活動の有機的な関 係の中で拡大し、実施しされていたといえる。そうした意味で「私共の家」は、社会事業 と社会教育活動が統合された事業といえ、この事業を通して社会的存在としての「人間形 成」が育まれたといい得る事業であった。

こうした働く若い女性に対する事業は、その時代の女子労働者、広くは女子青年の置か れた状況を変革する取り組みとして、各国 YWCA の相互協力(YWCA ネットワーク)のもと に実施された。女子労働者の状況を変革するための「社会的自立」や「人間形成」といっ た目標は、個を尊重した、自由な要素が多く含まれるグループワークという方法で取り組 まれていた。時代は、「母」であり「労働力」である「臣民としての女子青年教育」を求め ていたが、YWCA が有職婦人部に集う女子青年たちに実施した事業の実態は、社会に向き合 う主体者としての青年期教育であったと考える。

3.日本の女子青年教育における YWCA の位置付け

1920~30 年代に女子青年に向けた教育に取り組む組織として存在した二つの女子青年 団体は、共に日常的事業の中で主体者としての女子青年教育を推進した。そこには①学習、

②精神的成長、③労働という共通項があった。

① それまで女子青年には実施されなかった新しい教育の機会の提供は、処女会・女子 青年団では、学校教育の補習と教養や生活改善のための教育として実施され、YWCA では、上級学校進学や就職にむけての学習と教養や生活改善のための教育が実施さ れていた。教養や生活改善に関する学習内容には二団体の特徴からくる違いはある が、大枠としての共通性があった。しかし、基礎学習補完のための補習と、進学・

職業のための補強的な学習とには、基本的な違いがある。国家的教育政策としての 意味を持つ学習の制度としての補習的学習と、その必要性を認識した個人が経済的 な負担も含み学ぼうとする補強的学習とには、公的教育と私的教育の違いを見るこ とができる。この時代の私的教育には、何を学ぶかの自由で自発的な選択があり、

制度として組み込まれていく公的教育に比して、選び取ることからくる学びの主体 者としての意識を培う要素を含み持つことができた。

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② 地域社会への奉仕を通して、道徳心や情操豊かな人間性を養うことを目指した処女 会・女子青年団と、社会の弱者への奉仕を通して、人格形成や人間的成長を目指し た YWCA は、共に宗教的な思想を基盤に奉仕事業を実施、経験する中で、精神的成長 を目指している。処女会・女子青年団の奉仕の対象は、家・村・地域、最終的には 国家へと広がった。そこには国家家族社会の中に存在し続けた意識が根付き継続さ れていることが見える。一方、YWCA は貧しい者、弱い者といった広く社会一般に存 在する個人への奉仕であった。この時代日本の YWCA が封建的社会意識から脱却して いるとは考えられないが、西洋キリスト教社会から伝えられる思想を世界に広げ根 ざす運動の中で、一人の人間に視点が定められ、そこには国家や人種、階級などが 前提として存在していなかったと考える。個の人格としての認識についての理解が、

充分に日本の YWCA に根付いていたかは、今後の研究課題であるが、少なくともそう した理想に向け事業が展開されていたといえよう。

③ 二つの女子青年団体は、学びを通し労働環境を整え、労働の質の向上を図る各種の 事業を実施していた。処女会・女子青年団の労働は、第 1 次産業での労働、YWCA は 第 2 次第 3 次産業へ勤務する労働であったが、両団体の女子青年は、共に家のため、

また自らのために働いていた。処女会・女子青年団の娘は、家として受け取る報酬 に暮らす一員であり、都市で働く娘は個々人に支払われる報酬を給与として受け取 る人であった。都市で働く女子青年がその給与で自立した生活を実現することは厳 しく、多くの女子青年は家族のための労働でもあったと推測するが、自らの収入の 有無は、女子青年の自立像の違いを生じさせる。内助者として主体性、個人として の主体性といった両団体の主体性の違いは、こうした経済環境によっても規定され ていたといえよう。

この時代日本の「青年」の背景には軍事、教育両面からの国家的意図があり、「女子青年」

においてもその意図は共通のものであった。処女会・女子青年団は国家の意図に沿った道 を歩むための事業が推し進められていた。YWCA は同じ時代環境の中にありながらも、民間 の一団体であり、その規模や社会的位置付けなどから国家的な関与がまだ十分に及んでい ない故の自由さがこの時期には内在していた。

日本においては国が設立する、認可するということは、種々雑多な民間によるものより 国家が選択したものとして優越性を有すると考えられている。女子青年団は国家的事業