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戦前期の女子青年教育を代表する女子青年団体としては、処女会・女子青年団 が挙げら れる。日本の農山漁村では、義務教育終了後から結婚までの間、若い娘たちは各地域の処 女会・女子青年団に組織されていた。その規模は、後述する内務省社会局社会部『男女青 年団体事績一斑』調査では、団体数 14,008、正団員数 1,393,390 人(1926.7.1 現在)と記 されている。一方、同時代、都市における女子青年を組織した YWCA は、1925 年の第 1 回 全国総会時には、5 ローカル YWCA、28 学校 YWCA があり、会員数は 6,000 名、専任幹事は 日本人 45 名外国人 19 名という規模であった。同時代に共に女子青年教育に取り組む組 織としては、この二団体が存在する。しかし、この二つの女子青年会(団)は成立の背景、

その規模など大きく異なる組織であった。本章では、この二団体を比較検討することを通 し、YWCA の女子青年教育の特徴を明らかにしたいと考えている。

第1節 処女会・女子青年団の概要

1928 年、内務省社会局社会部は、「青年団の施設は、近時著しき発達を見たるも、未だ 之が集録の備はれるものあるを見ず。(略)将来各青年団体事業の参考に資せんことを目的 とする」として『男女青年団体事績一斑』を、各道府県の報告による優良団体の記述を基 に作成した。そこでは女子青年団体の概況について以下のように記されていた。

女子青年団体の沿革を理解するには、前提として婦人団体について述べなくてはならな い。日本の婦人団体は、明治中期以後に成立したが、それ以前にはほとんど集団らしいも のはなかった。明治維新後、婦人教育の前進と、女性の地位の向上や活動範囲の拡がりは、

「篤志婦人」や「先覚婦人」を輩出し、婦人たちが「時代に目覚め、乃ち同気相集まり、

同好相率ゐて、団体的活動を試みる」などの変化をもたらした。こうして、明治の中期頃 から宗教、教育、慈善、矯風、家事、娯楽などを目的とする各種の集団が、都市部を中心 に各地に組織され、次第にその活動が盛んになってきた。それらの団体で著名なものは、

「明治二十年前後の創立に関わる日本婦人矯風会、大日本婦人教育会、日本赤十字社篤志 看護婦会」が挙げられている。その後程なくして生じた日清・日露戦争に対して、「国民の

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義勇心は燃え、敵愾心は昂まり、婦人としても亦晏居するを許さず」、地域や年齢を超えて、

婦人は声を掛け合い「出征兵士の送迎」、「家族遺族の慰問」、「恤兵金品の募集」、「帰還負 傷兵の看護」など、男子青年団にも劣らない活動を展開した。こうした状況は、婦人が集 団として動く機会を増やし、各種の婦人会がさまざまな場所で創立されることになったと いわれている。そうした団体の中には青年女子を含むものもあった。その後「時勢は益々 進歩し」「国力の充実、社会の改善兩つながら女子の力に俟つべきもの多き」ことから、「婦 人の覚醒を促し、智徳の涵養を図る」必要に迫られ、その為には先ず「前途多望なる青年 女子」に対して、「合同の修養を奨め、団体的の活動を促す」ことが最も「妥当且つ捷径な り」と認識され、各地に女子青年団が設立されることになったといわれている。こうした 背景には、男子青年団活動がさかんとなり、その「真価を発揮しつつある」ことに女子青 年は刺激され、女子といえども「其の団結に依って必ずや実績を挙げ得べきの確信」を持 つに至ったことも、女子青年団体発達の動機となったと記されている。

この様にして、「有志の主唱」、「同志の糾合」、「既設婦人会の一部事業」、「「小学校同窓 会の模様替え」などによる、女子団体の創立が各地に相次ぎ、大正中期には全国各地に普 く存在するようになったといわれている。それらの多くは、「処女会」と称し、綱領を定め、

事業、行事を通して、「婦徳の修養、技能の修練、常識の涵養、趣味の向上」に努めた。た だその体制は様々で、青年団を男子部と女子部に、婦人会を主婦部と処女部に区分したも のや、婦人会の付属として設けたもの、実業補習学校と異身同体のものなど一様ではなか った。また、団員についても、義務教育修了後結婚までの女子のみで組織するものが最も 多いが、未婚者既婚者を問わず、20 歳、25 歳と年齢で限るものもあり一様ではなかった。

こうした状況の中、地方の「連絡統一機関」として連合女子青年団が各府県に設立され、

地方行政と共に「誘導奨励」されていた。1918 年には、「有志の主唱」に依って処女会中 央部が創立され、全国的な連絡提携と「指導誘掖が図られ」ることとなった。このように して、各地方とも「一村一郷を感化して、婦人に自覚を与え、自励を促し、趣味、情操を 養ひ、虚体虚飾を嬌め、勤倹貯蓄の風を起こす」など、男子青年団が「外面的成果」を現 すとするならば女子青年団は「専ら内面的の成績を挙げ、その真価を示し」つつあると評 価されていた

また、政府も女子青年団体の普及振興の必要性を痛感し、1926 年、内務、文部両大臣の 連署による訓令「女子青年団体の指導誘掖に関する件」により、女子青年団に対し初めて の政府の意向を公示し、同時に社会局長官、文部次官連名の通牒「女子青年団体に関する

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件」を各地方長官宛に発した。翌 1927 年には大日本連合女子青年団の成立が告げられ発団 式が執り行われた。それに伴い処女会中央部は解散し、「府県連合団体を的確に連絡し、統 制的体系を具ふ権威ある団体」として大日本連合女子青年団が組織されたのである。こう した動きの動機として男子青年団と同様に、「皇室の御奨励」として御大婚満 25 年祝典の 折の男女青年団体御奨励による「多額の御内帑金」を下賜されたことが挙げられている。

1926 年 7 月 1 日現在の調査では、団体総数 14,008、正団員総数 1,393,390 人に至っている。

以上処女会・女子青年団設立の概要を内務省の視点で見てきた。

処女会・女子青年団は、日本の近代化の振興の中で、機会を得た女性たちの社会的進出 から始まり、その動きに刺激を受け同調する女性たちによって社会的活動が組織的になる 過程で、青年期女子の存在が認識され、男子青年団を規範に政府の意向の下に組織設置さ れた団体であると言える。そこでは国家が願う公民としての育成が事業として展開された ていた。

青年期女子を組織した YWCA と処女会・女子青年団は、どちらも女子青年の修養を要に事 業を展開している。日本を網羅した国家事業としての女子青年団と西洋キリスト教を基と する一女性団体である YWCA とは、その組織運営に大きな違いがあることは明白である。し かし、女子青年という共通項から、類似した事業目的や方法が取られている部分も多くあ る。同時代に女子青年活動を展開し、女子青年への働きかけを行った二団体そのものの比 較研究は本論における主要目的ではないが、その時代を生きた青年期女子へ向け実施され た社会教育事業の比較は、YWCA の実施した女子青年教育の特徴を示すと同時に、その時代 の女子青年教育の実態を多面的に検証する一つの作業でもあると考える。

第2節 処女会・女子青年団と東京 YWCA の事業比較

処女会・女子青年団と東京 YWCA の 1921 年と 1928 年の実施事業を対比したのが表 7-1 である。

1921 年は、処女会中央部の設置と機関誌『処女の友』の創刊を終えた処女会が、組織の 整備と事業の充実を図った時期であり、第 1 回全国処女会指導者講習会なども開催された 年であった。一方、東京 YWCA は、創立以来試行錯誤を行ってきた、働く女子青年を対象と

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した取り組みにおいて、休養所の設置や職業教育としての英語や商業タイプクラスの設置 の他、職業婦人クラブの開始も見られ、事業が拡充を見せていた時期であったといえる。

1928 年は、その前年に処女会中央部の解散を受け「大日本連合女子青年団」の発足を見、

一方、東京 YWCA は財団法人格を持ち、名実共に市部組織として独立した年であり、共に新 たなる歩みを始めた充実期であった。

ではそのような時代に、この二つの女子青年団体はどのような事業を行っていたのだろ うか。組織形態が異なるため単純なる比較は出来かねるが、処女会・女子青年団会員は義 務教育修了 (14 歳) 後から結婚までの青年期女子とされている。東京 YWCA 事業では、主 に働く女子青年の関わる部分、即ち商工部と有職婦人部を中心に、他の部については 14・

5 歳以上の未婚女性が関わった事業を比較検討の材料とした。