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本章では、戦前期東京 YWCA の職員とはどのような人々であり、どのように養成され、女 子青年教育においていかなる役割を担ったのかを明らかにする。当時の限られた資料から 職員全ての動向を読み取るのは厳しいが、東京 YWCA 創立から敗戦までの間在籍した職員は 320 名、外国人スタッフは 44 名と、元職員石橋宮子編纂責任下の年表 (1972 年作成) には 記されている。ただその数を裏付ける資料には行き当たらず、職員動向を東京 YWCA 機関誌

『地の塩』に求めた。機関誌の発行期間である 1926 年から 1939 年の「職員動静」欄には、

邦人職員 216 名(幹事 80、事務・講師他 136)、外国人スタッフ 25 名が掲載されていた。こ の職員たち全て女子青年教育を担う職員と言えなくもないが、本論では 80 名の幹事を分析 の対象とした。

なお、『地の塩』にて判明した職員 241 名を、幹事(80 名)、外国人幹事(25 名)、職員・

講師(136 名)の 3 分野に仕分けし、記事掲載日及びその内容を一覧表とした。その一覧 を巻末に掲載した。

第1節 1920 年代後半~1930 年代の東京 YWCA 幹事職員

YWCA は会員と職員の両輪で運営されると言われ、『基督教女子青年会指導者讀本』には 以下のように記されていた。

基督教女子青年会の採ってゐる組織の根本をなすのは会員制である。即会員が母体 となって事業が運ばれてゐる自治体であることを意味する。(略)自治体であることは 二様の意義を有する。即管理・計画・実行すべて一会の構成員の手によって為される 事と、財政の責任はすべて自会が負ふと云う事である。その結果として会員相互の委 員制度が採られる。之に加へて、女子青年会組織の特徴とする所は幹事と呼ばれる有 給の専門家をおいて、委員会で立案及決議された諸事業の実行にあつてその専門的技 能をもち得ることである

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ここで言われた「専門的技能をもち得る」と規定される幹事はどのような人たちであっ たのだろうか。前述の「職員動向」欄の記述を追うことで、邦人幹事 80 名中 57 名の出身 校が判明した(表 6-1)。その内 51 名はキリスト教主義又はその影響を受けた私立女子専 門学校である日本女子大学校、女子英学塾、東京女子大学などの出身者であった。その他 の 2 名は体育専門学校、4 名は海外の学校出身者であり、「幹事・幹事補」の大部分は、当 時の女子高等教育機関で学んだ者たちであった。表 6-1 から幹事たちの学んだ専攻を見る と、日本女子大学校は社会福祉系の専攻が多く、多くはその分野の仕事に就いている。東 京女子大学は英語専攻が多く、女子英学塾は専攻先の記入は無いが、高度な英語教育を施 し女性の英語教員の養成を掲げ設立された学校であることから英語専攻であると考える。

この 2 校の就任先は各部に散らばっている。各事業の基本的言語として英語の必要性の高 さが伺える。その他及び二世の専攻では、就任先の体育部と関連しての体育専攻が 4 名い た。先行研究には東京 YWCA 体育部研究や体育的諸活動研究がみられるが、『地の塩』復刻 版解説では、女子の先駆的な体育教育に注目し、学校教育とは異なる市民スポーツ分野

(健康保持、余暇を楽しむ)での普及事業を取り上げ、女性の健康、体力増強の取り組み が、駿河台女学院での体育部師範部新設(1936 年)へとつながっていったことの経緯を示 している。東京 YWCA の体育教育について本研究では言及していない。体育部事業を始め、

キャンプやレクリエーションの指導、そして健康診断や医務室の常設など、女子青年の身 体に目を向けた体育教育については今後の課題としたい。

1920 年から 1930 年は「急激な女子高等教育の拡大期」であり、彼女たちが学んだキリ スト教系の女子高等教育機関は、英語教育、教養教育に一定の役割を担い、自由な雰囲気 の中での学びであったと言われている。YWCA はそうした教育を受けた女性たちが職業を 得る新しい職場でもあったと言えよう。また、巻末掲載幹事一覧の日本人幹事 80 名の内 4 割弱の者が、留学や視察、国際会議出席などの海外経験を持つ者であった。外務省統計に よれば、日本女性の修学・研究渡航者数は 1919 年 34 名、1928 年 81 名、視察・遊歴にお いては、同じく 1919 年の 61 名から 1928 年の 717 名へと増加を見せているが、この数字と 比較しても、東京 YWCA における幹事たちの海外経験の割合は、非常に高いと言えよう。

121 表 6-1 YWCA 邦人幹事一覧(出身大学別)

①日本女子大学

就職年 氏名(就任先) 卒業年 専攻

1918 安斎(鈴木)とみえ(有職婦人部) 英文科 1926 渡邊松子(有職婦人部) 1926 女工保全科 1930 湯川晃子(労働部) 1930 女工保全科 1930 風戸秀(家政部) 1930 家政学部 1931 西村壽美(英語部) 1931 英文科

1933 岡田孝子(家庭婦人部) 師範家政科

1934 庄田さだ(実学部) 1930 女工保全科 1934 宮崎貞子(社会部) 1934 児童保全科 1935 山野井ゆき(社会部及有職婦人部) 1932 児童保全科 1935 石畑とめ(社会部) 1928 児童保全科

菊池ただ(家政部) 家政科

1937 二股みのり(家政部) 1937 家政科 1937 菊池ハツ(社会部) 1930 女工保全科

②東京女子大学

就職年 氏名(就任先) 卒業年 専攻

1928 由利郁子(体育部)

1928 竹内菊枝(体育部) 英語専攻部

1931 大森松代(体育部) 英語専攻部

1931 内海ちゑ(野尻キャンプ)

1933 高木淑(英語部) 英語専攻部

1933 千葉幽香(英語部) 英語専攻部

1934 小林文子(英語部) 英語専攻部

1934 牧野綏(商業部) 1934 大学部英文科 1934 仲山千代(体育部) 1934 英語専攻部

1935 櫻井恵美子(体育部) 国語専攻部

1936 高杉和江(英語部) 大学部英文科

1936 永井晃子(キャンプ部) 英語専攻部

1937 堀内信子(商業部) 1937 英語専攻部 1937 河野勝子(商業部) 1937 英語専攻部 1937 小出法子(体育師範部) 1937 英語専攻部

1937 矢島眞(体育師範部) 英語専攻部

1937 杉田薫(会員庶務) 英語専攻部

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(東京 YWCA『地の塩』№1~№113 より作成)*空欄は不明を表す。

③女子英学塾

就職年 氏名(就任先) 卒業年 専攻

1926 大石ふか子(英語部) 1926 1927 河西はつ子(体育部) 1926 1928 柳田元(英語部)

1930 岩井益恵(体育部)

1930 櫛田孝(商工部)

1931 弘瀬晴(商業部)

1931 片岡静(商業部)

1933 田山栄(英語部) 1933 1935 村田愛子(学院庶務)

1936 青野富美恵(少女部)

1936 堀芳枝(家政部)

1936 三谷松子(語学部)

1937 永島愛子(少女部)

④その他

就職年 氏名(就任先) 卒業年 卒業校及び専攻 1927 山田多嘉子(少女部) 1927 神戸女学院大学部 1930 田中婦美子(体育部) 日本体育会体操学

校女子部

1930 塩野幸子(少女部) 神戸女学院大学部 英語師範科 1931 蒲生文子(家政部) 活水女学校家政科 1933 原口佐典子(体育部) 二階堂先生の体育

専門学校

瀬川八重(宗教部) 明治学院神学部

1936 有岡美代子(食堂部) 青山学院家政部 1936 石川百合子(音楽部) 宮城女学校音楽部 1937 西川環(宗教事業部) 青山学院神学部女

子部

1937 清水有楽(商業部) 同志社(女子専門 学校)・英

⑤二世

就職年 氏名(就任先) 卒業年 卒業校及び専攻 1930 堂本菊子(体育部) 1930 カリフォルニア大

学体育専攻 1933 手塚雲(体育部)

NYナショナルレク リエーションス クール

1934 三宮都(家庭婦人部) 加洲大学

1935 水口百合子(国際友好部) 米国コロラド州実 学学校

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また、すでに第 2 章で述べたところであるが、1861 年から 1912 年の間、女性の公共機 関や企業以外の海外渡航者 7 名中に 2 名の、さらに自主渡航者 34 名中に 9 名の YWCA 関係 者が確認された。彼女たちは、河井道以外は、会長や委員、講師という役割を担う YWCA の指導者であった。彼女たちから伝えられる情報は、幹事の国際性を育む貴重な教育機会 としてあったと考えられる。

榑松・影山による機関誌復刻版への解説には、東京 YWCA の活動の特徴の一つに国際交 流を挙げられており、大きく発展はしなかったが中国人女性との交流、シベリア出兵に対 する兵隊への慰問袋やロシアの子ども支援、国際子ども祭り、米国西部 8 大学学長交流を 記し、国際友好部設置への経緯が示されている。

YWCA にとっての国際性とは、交流という一つの事業として展開される部分も含め、国際 団体であること、世界 YWCA を構成する一つの組織であることにその特徴があると考える。

先述した YWCA 幹事の留学や海外研修、また会員や講師による国際性の伝授など、それらは 日本の YWCA が国際団体として存在するための必要な教育であり、海外幹事も含め幹事たち は世界 YWCA ネットワークの一員としての働きを担う人としての養成が実施されていたと いえる。

第2節 職員の養成

日本 YWCA 初の日本人総幹事となる河井道(1877-1953)は、1904 年に米国 YWCA の幹事 養成校に入学し、YWCA 幹事としての教育を受けた。その後東京 YWCA 総幹事の加藤タカを 始め各ローカル YWCA の主たる職員も同校にて養成されてきた。その背景には、主要 6 都市 のローカル YWCA と学校 YWCA の拡がりがあり、組織としての意思決定を行うボランティア 会員へ各種情報を提供し、実行を助ける役割を担う幹事の育成が急務であったと考えられ る。

米国 YWCA 幹事養成校は、将来の YWCA 幹事を養成する学校である。1907 年の募集要項に は以下の条件が記されていた。