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第1節 女性の労働者化の進行と、YWCA による職業教育の拡大

日露戦争(1904 年)、第 1 次世界大戦(1914 年)を経て、急速に発達する日本の産業界 は、女性の職場進出を拡大させていた。それは女性の職業分野の拡大と、女性の労働者化 の進行でもあった。東京市社会局『職業婦人に関する調査』(1924 年)序言では、「近来婦 人の職業を救むる者が続出したので」と調査の目的を述べ、「近来中流階級からこれらの 人々の続出したのは、云うまでもなく主として生活難が中流階級を襲った為であるがこれ は寧、産業革命の影響と之に伴う婦人の自覚(婦人解放運動)が與つて力あると云わねばな らぬ」と職業婦人の増加を経済上の圧迫と共に、独立自立の抑え難き欲求の発現であると分 析している。帯刀貞代は「資本主義の発展と共に急速に没落しつつある中産階級を背景と し、職業婦人問題はその労働条件の如き労働婦人と漸次その軌を一つにしつつあり」と、

比較的知的労働の性質を有し、間接に生産に参与する所の職業婦人の実情は、労働婦人の 置かれた状況に近づきつつあることを述べている。1920 年代の都市中間層に位置付く職業 婦人は、その数と職種を増し、総体としては労働者化されつつある状況であったと言える。

日本の YWCA は設立当初から女学生を対象とした事業への取組みと共に、労働婦人への 関心を持っていた。高等女学校を卒業し、会社、銀行、商店などで働く職業婦人を始め、

労働環境の厳しい看護婦や、女工などの労働婦人と、幅広く働く女性の為に活動しようと していた。こうした動きの背景には、世界 YWCA の方針があった。1910 年第四回世界 YWCA 大会では労働問題、職業婦人問題が議題とされ、1920 年代に入ると産業労働者への働きか けの強調と、加盟各国の訪問調査などが実施されていた。1925 年、日本 YWCA は第 1 回総 会で、婦人労働問題に関する研究及び調査部を設置する事を決め、1927 年労働調査部委員 会を発足させた。

日本 YWCA の方針に呼応しつつ、地域に拠点を置く東京 YWCA もまた 働く若い女性を対 象に各種の事業を行っていた。そうした東京 YWCA のうごきを、「職業教育」と「クラブ」

という特徴的な事業から見てみる。

66 1. 職業教育

前章で述べたように、東京 YWCA は 1912 年工女のための講話会を富士紡績会社の工場 で、また看護婦人会の開催を赤十字社、三井病院などの看護婦を集めて実施した。厳し い環境下で働く女性へのキリスト教を通しての精神修養的なプログラムであった。看護婦 人会は各病院内で集会や礼拝などを数年継続したが、工女講話会は工場側から「働く少女 たちがものを考えるようになり危険」との理由で禁止された。一方 YWCA 内部でも、全ての 労働を神聖視する基督教的解釈は、劣悪な労働条件の黙認につながると幹事の中から批判 が起こっていた。こうした労働婦人事業といえる取り組みは試行錯誤を重ねていたが、

東京 YWCA 会館では職業婦人への教育事業が徐々に拡大されていた。それは「職業婦人への 英語の組」を始めとして、外国人幹事によりもたらされた英語や欧米ビジネスのリソース を活用したものであった。東京 YWCA の職業教育は、女子計算員養成科、商業簿記、珠算、

実務などの実施(1916 年)、英語商業科、タイプ実務実習開始(1918 年)、商工部夜学科設 置、商業部に速記科、オフィーストレーニング科設置(1921 年)と続いた。東京 YWCA は財 団法人として認可を受けた翌年の 1928 年、従来の各クラスをまとめ、学校組織とし東京府 より「駿河台女学院」の許可を受けた。その時には、商業科(欧文タイプライティング、

速記科、商業英語科)、英語科(高等科、普通科、受験科、夜間普通科、別科会話専修科)、 家政科(料理科、生花科、裁縫科)が整っていた。東京 YWCA において実施された職業教育 は、前掲「職業婦人に関する調査」の分類によれば、「知力」「技術」を主とする職業への 教育であり、労働者化されつつあると言われる都市中間層の若い女性たちが、その受講者 であったと考えられる。

2. クラブ活動

1919 年、東京 YWCA は最初の職業婦人(BG:Business Girl)クラブである鉄道局勤務女 子のクラブを発足し、その後商工部スタークラブが発足(1921 年)した。「第一線に立つ 女性即ち職業婦人の幸福のために全力をささげる」商工部は、夜学科の設置や職業婦人のた めの休養所運営など多岐にわたるプログラムを展開したが、自治的に運営されるクラブは その活動の核であり、「有為にして信仰つよき女性を一人でも多くすることと、現代社会の 欠陥に直面して、弱きもの互いの協力と精神とによってより良き社会建設の一助ともなさ ん」とその決意を謳っている。1926 年にはクラブ数 6、人員百余名に達していた。クラブ の活動は、クラブ毎の活動と全クラブとしての活動から構成されている。各クラブの活動

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は、手芸や料理、文芸の講演会など、各クラブの興味や関心などによってプログラムが企 画される。クラブ全体としての活動は、聖書研究、社会学講座、社会見学などの他、東京 YWCA 全体で実施される活動写真の開催や、クリスマスの社会奉仕活動への助力のほか、夏 の修養会への代表派遣などがある。商工部が発足した時期は、既に横浜、大阪、京都の 各市にも YWCA が設置され、BG クラブが開始され始めていた。1926 年、商工部は有職婦人 部と改称され、翌年には米国 YWCA 有職婦人連盟からの呼びかけに応え、世界の YWCA で開 催されていた有職婦人国際晩餐会を同時開催するに至っている。

第 2 節 東京 YWCA における「有職婦人部」設立

東京 YWCA 機関誌『地の塩』第 5 号(1927 年)によると、「社会発達の要求と婦人自覚の 結果、職業婦人の数が激増し、此等の姉妹方の為に修養、教育、娯楽の目的を以って適当 なる機関を設け之が指導の任にあたらねばならぬといふ事に気付き」1919 年に商工部を設 置10、その後 1926 年には、単に女事務員のみならず広く一般の有職婦人をも網羅する考 えで有職婦人部と改称し、その主な活動はクラブにあると記述されている。一方、日本 YWCA の機関誌『女子青年界』第 26 巻第 3 号(1929 年)「全国商工部幹事会報告」において、東 京 YWCA 元商工部幹事の安齋富得は、「東京 YWCA では、商工部の名称は、インダストリヤル、

アンド、ビジネス(industrial and business) という事を直訳して附した。適当でない 様に思え、協議の結果、職業婦人では、ビジネスガール丈けに限られるからそれにプロフ ェッショナルといふ意味も含ませて有職婦人としては如何との事で、その後は有職婦人部 という名称にいたしました」と経緯を述べている。これは各ローカル YWCA 商工部と日本 YWCA 労働部との関係を協議する中での発言である。各ローカルの商工部幹事の意見交換の 後、日本 YWCA 労働調査部幹事正田淑子は「職業婦人部を総括した名称として、其の内容を 二つに分けて職業婦人部 (誤植:文の前後から判断すると「有職婦人部」と考えられる)

と労働婦人部としては如何」と発言、大阪 YWCA 商工部幹事ミス・マッキントシ(Miss Mcintosh 生没不明)の「現在のところ商工部を二つに分け有職婦人部と労働婦人部といた す事は資力の上から不可能。その二つの部の独立組織を希望として、現在の商工部を改め 有職婦人部としては如何」とのやり取りを受け「全会一致可決」を見、全国的にも「有職

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婦人部」と言う名称が確立したと記されている11。その後、『地の塩』においては、「私共 の意味する有職とは一切の職業を有する婦人を包含する。目下は一般に職業婦人と呼ばれ ているタイピスト、事務員、看護婦、教師等と労働婦人又は勤労婦人と云われている工場 婦人が有職婦人部の範囲内にある」と記述された12。これら資料から、YWCA においては、

「職業婦人」をビジネスガール(business girl) とプロフェッショナル(professional)

と労働婦人(factory girl)に分類し認識しており、「有職婦人」とは、これら「一切の職 業を有する婦人」たちであると規定したといえる。では、東京 YWCA に集った有職婦人とは 実際どのような女性たちであったのだろうか。

1.東京 YWCA の事業に参加した有職婦人

東京 YWCA は 1929 年、関東大震災で崩壊した会館を新たに駿河台に建築した。日本初の 女性専用の屋内プールを持つ地下 1 階地上 5 階のスペイン風洋館では種々の事業が展開さ れ、学校事業や有職婦人部の活動は充実度を増していた。翌 1930 年「会館に出入する職業 婦人に就いての調査」の結果が『地の塩』に図表入りで報告された。このような調査が掲 載されたのは初めてである。調査は 470 名の職業に就く婦人を数え、内クラブ員は 200 名、

その他駿河台女学院夜間部(英語などのクラス 180 名、習字などの稽古事 90 名)に属する 職業婦人であったと記されている。

では、東京 YWCA の事業に参加した女性たち全体の中で有職婦人はどのような位置であっ たのだろうか。『地の塩』上には各年度事業報告が、会員総数やその内訳、会計報告といっ た形である程度詳細に掲載されてきたが、1937 年度事業報告13は各部門において詳細な報 告がなされている。この報告の中に「1937 年 12 月現在の会員調査14」がある。こうした 会員調査一覧はこれまで『地の塩』上には掲載されていない。

「表 4-1 東京 YWCA 会員調査(1937.12 現在)」は、この報告を整理しなおしたもので あるが、属性を示す用語には今日では使用できない表現も含まれているが、当時のままに 表記した。この表は、会員の属性について今日では調べることの難しい点までも把握して おり、貴重なデータとなっており、特定の個人を限定するものではないため、そのまま分 析の対象とした。