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19 世紀末の日本における近代産業の急激な発展は、都市市民層を形成すると同時に、厳 しい環境の下で働く多くの女工たちを生み出した。『日本 YWCA100 年史』によると、日本に 派遣されていた宣教師たちの中には、それぞれの母国で YWCA の運動に接した者も存在し、

過酷な労働を強いられている「女工」たちのために働く YWCA 幹事(職員)を日本に送るよう、

本国に再三要請していたとの記録が残されている。

日本 YWCA 同盟及び東京 YWCA が設立された明治 30 年代(1897 年~1906 年)は、日本 においてキリスト教社会主義やキリスト教社会改良思想に基づく運動が盛んであった といわれる時期である。その背景には、日清戦争の公債発行による生活窮迫、戦後恐慌 と、それを上回る社会的な打撃を与えた日露戦争により「税金滞納者、戦争による廃業者 が膨大な数に達し、餓死者、自殺者、小児遺棄、精神錯乱者等々数えるにいとまがない」 という困窮した社会的状況がある。この状況は多くの救済立法を成立させたが、それらは 特殊救済立法(北海道旧土人保護法・罹災救助基金法・行旅人及行旅死亡人取扱法 1899 年、精神病者監護法 1900 年、下士兵卒家族救助令 1904 年、廃兵院法 1906 年、癩予防法 1907 年など)であり、一般の貧困者の救済制度ではなかった。

こうした中、キリスト教慈善事業といえる社会事業施設が各地に作られていった。それ らは 1912 年(明治 45 年)には 124(うち東京市 37)の事業・施設を数えている。その内 容は、養護施設(40)を始めとする児童に関するものが 58、医療に関するものが 18、感化 事業に関するもの 7、授産や隣保事業などに関するもの 41(うち東京市 13、東京 YWCA も 含まれる)事業・施設であった

大正期に入り、第 1 次世界大戦(1914)終了の頃は、ロシア革命(1917)、米騒動(1918)、 原敬の政党内閣の出現(1918)、労働争議の激化、普選運動、労働組合公認運動などが続き、

大正デモクラシーの社会的風潮が頂点を迎えたと言われている。そうした社会状況の中、

関東大震災(1923)にて大きな打撃を受ける。1926 年 12 月、日本は昭和を迎えた。引き 続く長期的不況の上、1929 年世界大恐慌は日本の資本主義を危機的状況に陥らせた。農山 漁村は荒廃し、都市には失業者があふれ、労働争議・小作争議などの社会問題は深刻さを増 していた。厳しい国内状況を抱え、日本は欧米列強との帝国主義的対立を激化させ、経済 の軍事化・重化学工業化を推進し、満州事変(1931)以後中国侵略を強行しファシズム の時期に入っていく。

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第1節 東京 YWCA による社会事業「私共の家」の概要

1934 年東京市『東京市内外社会事業施設一覧』によると、東京市のみで社会教化事業と して 95 の公私施設が掲載されており(隣保 71、矯風 2、教化 16、融和 1、補習教育 5)、 1930 年代の東京はその社会状況の深刻さゆえに各種の社会事業が取り組まれていた時代 であった。さらに『小石川区史』(1935 年)においても、こうした厳しい社会状況を緩和 するため、「公的には経済現象の対策として公設市場、公設質屋、宿泊保護、公設食堂、公 営住宅、公設浴場等の施設を、要救護者に対しては、方面委員会制度、失業救済の為には 職業紹介、授産事業等が行われ、児童保護施設としては産院、託児所、児童相談所、児童 遊園地等の諸施設が設けられ、民間でも之に似た各種の施設が起こった」と記されている。

本論文で取り上げる、東京 YWCA による「私共の家」は、こうした時期に設置された社会 事業施設であった。場所は小石川区白山御殿町である。

当時の白山御殿町の一部は、「東京市統計年表」(1921 年~1930 年)によると、細民区域 としての指定を受けていたところである。「私共の家」は、窮乏に瀕する人々への奉仕とい う慈善的救済事業から始まり、工場で働く若い女工たちを対象に 1931 年から 1939 年まで 活動を展開した「地域の家」であった。

すでに述べたように、1930 年代というのは、挙国一致の歩みの時代であり、市民の生活 は、国民精神総動員の一大教化運動に飲み込まれ、言論統制・思想統制がなされていった 時代であった。1938 年国家総動員法が制定され、1939 年宗教団体法が成立、国民徴用令 が公布された。1941 年「大日本宗教報国会」が結成され、各宗教教団においても報国会 の結成が進められた。

1932 年、東京市小石川区白山御殿町にて東京 YWCA は、若い女工への労働者教育事業を 始めた。白山御殿町はその名が示すように「徳川公の御殿跡」という面と、徳永直がその 著書『太陽のない街』10で「貧民窟トンネル長屋」と表現したような「特定区域(細民区 域)」11という面を併せ持つ地域であった。その地域の 2 軒長屋で試みられた事業が、東 京 YWCA の細民地域事業12と言われた社会事業13「私共の家」(1932 年~39 年)である。

「私共の家」については、「白山、千住の生活困窮者のための救済事業、これは後に白山 御殿町の『私共の家』という社会隣保事業となった」と『東京 YWCA80 年の歩み』に記され ているが、筆者の調べた限り「私共の家」に関する研究は見当たらない。

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女性労働者への働き掛けは、日本 YWCA 同盟においても、その設立目的の一つであり、1925 年労働調査部が置かれ、1930 年名古屋インダストリアル・センター(「友の家」労働婦人 憩いの家)が設置されていた。同センターは、1934 年名古屋 YWCA に合併された。日本の YWCA の中で女子工場労働者を対象とした社会(隣保)事業施設は、この名古屋 YWCA「友の 家」と東京 YWCA「私共の家」の 2 事例が確認されるのみである。

こうした特別な時代であり困難な時代に実施された東京 YWCA 社会事業「私共の家」は、

果たしていかなる事業を展開しえたのか、明らかにしたい。上述のように、この事業に関 する先行研究は全くないため、まずは、その事業概要の把握から始めなければならない。

図 5-1 として当時の地図を用意した。また、『地の塩』に掲載された同事業に関する記事 を拾い上げ、表5-1 を作成した。

図 5-1 「私共の家」と周辺地図 ★印が「私共の家」

(『文京区史 付図Ⅰ「文京区内道路種別路線図」』(昭和31年)を基に作成)

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表 5-1 東 京 YWCA 機 関 紙 『 地 の 塩 』 に お け る 「 私 共 の 家 」 関 連 記 事 一 覧

「私共の家」関連記事年表 号数 発行年月日 記事表題

1930年11月 細民地区に対する奉仕を決め調査実施

(クリスマス奉仕委員会) 36 1930(s5)年 11月28日

クリスマス奉仕計画