母親との分離場面における幼稚園教師の 行動の情動調整機能
:3 歳児 Y の幼稚園への適応を支えるプロセスの変化
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【問題と目的】
研究2以降は,幼稚園をフィールドに,幼児の特性や個々の発達を理解しようと努 力し,幼児の発達を援助しようとする幼稚園教師の行動とそのしくみについて探索的 に明らかにしていく。幼稚園教師を対象にする理由は,幼児期になると子どもは家庭 の育ちを基盤として,家庭以外の社会的な場にも自分の居場所を見つけ自己実現を図 っていくことが発達課題として挙げられるからである。日本の幼児の多くは,満3歳 児,あるいは満4歳児になると幼稚園や保育所といった場で集団生活を経験し,同年 代の子どもたちと関係を築きながら社会生活を営むようになる。また,幼児期の子ど もに専門的に関わる保育者の行動について検討することは,幼児期の子どもに関わる 全ての人にとって,幼児期の発達とその援助を考える上での知見を与えてくれるもの と考える。
1. 研究2で明らかにすること
研究2で明らかにしたいことは,1つ目に,研究1において見出されたような家庭 における幼児の発達の多様性を背景に,幼稚園教師がいかに一人の幼児に応じて集団 生活の中で幼児の発達を援助していくのか,そしてその結果とる行動が幼児にもたら す働きを明らかにすることである。その為に研究2では,朝の登園場面で母親との分 離に長い間不安を示した一人の男児と教師の約一年間の変化に焦点を当てて,幼稚園 教師が幼児の気質などの個別の状況に加えて,周囲の人々との関係の変化,自身と幼 児の関係の変化も含めて,様々な視点から総合的に変化を捉えつつ,細やかに自身の 行動を変化させることを明らかにしたい。
そして2つ目は,上記の朝の登園場面で長い間母親との分離に不安を示した一人の 男児と男児に関わる教師の変化を追うことで,幼児の不安や緊張は実際に教師のどの ような行動によってどのように緩和されていくのか,幼児の変化及び周囲との変化も 含めて,その問題が解消されていく過程を検討することである。
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2. 不安を示す新入園児の朝の登園場面における教師の行動について
朝の登園場面は全ての幼児にとってある程度の緊張を伴うものであるが,特に保護 者との分離に不安を示す新入園児にとっては,その不安と闘わなければならない一日 の中で最も緊張感が高まり,情動的に不安定になる時である。新年度が始まってしば らくは,新入園児にとっても教師にとっても緊張の時が続く。見たことのない材料や 家にない遊具などに興味を持ってすぐに楽しく遊び始めるような子どもがいる一方で,
帰っていく保護者の後ろ姿を必死で涙をこらえて見つめている子どもや保護者に抱き ついて大きな声で泣いて抵抗する子どもも多い。
先行研究において新入園児の保育所や幼稚園といった集団生活の場への適応過程 を扱った研究はいくつかあるが,その過程において保育者がどのような行動をとって いるのか,保育者の行動を見ている研究は限られている。例えば相川・林(1999)は,
新入園児3歳児の変化を追う中で,母親との分離に不安を示した女児に幼稚園教師が 幼児を抱く,幼児の母親への気持ちを代弁する,というように幼児の気持ちを受け止 めることと,幼児の持ち物を褒める,遊びに誘う,というように幼児の気持ちを切り 換えられるような関わりを繰り返していたことを示している。幼児の気持ちを受け止 めること,幼児が気持ちを切り替えることができるように働きかけることは,保育の テキストにも書かれており,日本の保育において望ましいと一般的に考えられている 行動である(森下, 2007)。またその他に岩立(2007)は,幼稚園という未知の場に 対して不安を抱く幼児に対して,保育者が一人一人の子どもを全身で受け止め,愛情 を傾け,受容することが望ましいことを述べている。子どもが悲しくなったとき,困 った時に抱いてくれたり,援助の手を差し伸べてくれたりする保育者の存在が大切で あることを指摘している。
すなわち,保育の実践の中で一般的に見出されている,望ましい保育者の行動とは,
母親との分離に不安を示す幼児の気持ちを温かく受け止める行動であり,幼児の気持 ちに寄り添いつつ,幼稚園での活動へと自然に気持ちが切り替わるように働きかける 行動だと言える。
しかしながら,先行研究において,母親との分離に不安を示す幼児の特性や個々の 状況に応じた保育者の行動について明らかにしている研究はなく,また登園への不安 が解消されていく過程を保育者の行動に注目して明らかにしている研究もない。保育 者の行動についてより詳細に見ていく必要があるのではないだろうか。
62 3. 幼稚園という場の特殊性についての理解
さて,幼稚園教師を対象に研究を行うにあたって,幼稚園という場の特殊性及び幼 稚園教師の行動の背景について理解する必要がある。その理由の一部は序論でも述べ たが,幼稚園で行われる教師による教育的な行為は,個人的な行為ではなく職務であ る以上,国や地域における文化はもちろんのこと,日本の幼児教育が辿ってきた歴史 や制度,各幼稚園における教育理念などに多分に規定されているからである。よって 研究2から4までは幼稚園教師を研究対象とするが,この時幼稚園という場が教育の 場であり,幼稚園教師の行動は教育的な行為であり,家庭における子育ての行為とは 異なる部分があることを明確にする必要がある。しかしながら,教師の行動が教育的 な行為であり,ある部分教育的な背景によって規定されている部分があるということ が,教師の柔軟な行動を制限するものではないことを述べておく。あくまで教師の行 動とは目の前の子どもに応じて変化するものである。そして教師自身の特性やこれま での教師の経験を背景に,教師個人によって異なり,多様であるはずである。ここで 述べる教師の行動の規定されている部分というのは,幼稚園という場が教育的な場で あることから,ある程度共通の幼稚園教師に見られる行動特徴があることを意味して いる。
また,最終的には教師の子どもを育てようとする行動のしくみはそこに至るまでの プロセスは教師特有のものであったとしても,その行動のしくみ自体は母親を始めと する大人と子どもの間にも通じるものであると考えている。
4. 幼稚園という場の特殊性の内容
それでは,幼稚園教育の特殊性とはどのようなものか。1876年に日本に初めての幼 稚園が開園して以来100年を超える歴史を積み重ね,築き上げられてきた教育の在り 様は,現在の文部科学省が制定する幼稚園教育要領の中に見て取ることができる(文 部科学省,2008a)。まず前提となる知識として,幼稚園教育は小学校以上の教科学習 とは異なり,知識や技能の獲得に主眼が置かれない。幼稚園教育で育てるべきものは
「生きる力の基礎となる心情,意欲,態度」であり,これは生活の中の様々な体験の 中で総合的に達成されるべきものとされている(文部科学省,2008a)。特に,この生 活の中の様々な体験とは主に幼児自身の主体的な「遊び」を通した体験であることか
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ら,幼稚園教育では遊びが重視されるが,そのことによって幼稚園では子どもを遊ば せているだけだと誤解されることが多い。しかしながら,幼稚園教育要領においても 繰り返し強調されているように,幼稚園教師はその時の幼児の興味や関心,要求など にただ応じているのではなく,その後の子どものあって欲しい姿を見通して計画的に 教育を行っているのである。これは幼稚園教育要領の中で「計画的な環境の構成」と いう言葉で表現されるものであるが,幼稚園教師が専門的な職業である以上,幼児の 過去や現在だけでなく,将来の発達の道筋を見通して教育的に価値のある環境を構成 していくことが求められているということである。よって,家庭における育児とは異 なり,日本の幼稚園教育に多く見られる特徴の1つは,教師は“将来の幼児の発達の 見通しを持って計画的に”保育に臨んでいるということである。
第二に挙げられる幼稚園で行われる教育の特徴は,第一の特徴と重なるが,多くの 場合,教師は“意図的に”保育を行っているということである。これは幼稚園教育要 領の中では例えば「状況をつくる」という言葉で表されている。河邉(2008)が幼稚 園教育は「極めて柔軟に子どもの生活に添いながら,しかし一方で教育の目標が達成 されるように計画的でなければならない」と述べているように,偶然の出来事に全て を頼っていては幼児の発達に必要な体験を保障することができない。教師は幼児一人 一人の今の姿を理解した上で,教師としての願いを環境の構成や自身の行動を含む保 育の内容の中に盛り込んでいくことが求められているということである。
5. 教師の意図を聞くことの重要性
よって,幼稚園における教師の行動をただ外から見ているだけでは教師の行動の本 当の意味を十分に知ることができないことが分かる。教師の行動の意味を知る為には,
その幼稚園及び教師がどのような幼児の発達の見通しを持っているのか,どのような 願いや意図を持って幼児に関わっているのかを知る必要があるのである。そしてその 上でとる教師の行動が,実際に子どもにどのように働くものであったのか検討してい くことが重要なのである。しかしながら,<序論Ⅱ. 研究手法の検討>で指摘したよ うに,このように教師の行動を研究するにあたって教師の意図を聞き取り,データの 一つとしている心理学研究はほとんどない。そこで本研究ではこのことを踏まえて,
教師の自身の行動についての語りの収集を繰り返し行い,教師の行動のしくみを知る データの一つとして位置づけていく。