第5章 〈慣用音〉について
第3節 慣用音と認めるべき理由と範囲 3.1 慣用音とは見なしがたいもの( 36 字)
⑤ 理由が不明なもの(原音に理由がある場合)( 33 字)
難い。
『新選漢和辞典』のみ、「バン」のほかに「ホウ(ハウ)」も慣用音に認めている。漢語 は「判官ホウガン/ハンガン」の一語のみであるが、「ホウガン」は慣用的な語形である から、「ホウ(ハウ)」を字音と認める限り、やはり慣用音としなければならない。
「茶チャ」
茶 字母:澄(濁) 韻目:麻(2) 反切:宅加切
『角川新字源』 『新選漢和辞典』 『学研新漢和大字典』
呉音 ダ ダ ジャ(ヂャ)
漢音 サ・タ タ タ
唐音 サ サ サ
慣用音 チャ チャ チャ
「茶」の中古音は、澄母麻韻 2 等なので、呉音は「ダ」、漢音は「タ」になるのが原 則である。
辞書では、呉音は『角川新字源』と『新選漢和辞典』は「ダ」、『学研新漢和大字典』
は「ジャ(ヂャ)」を認め、漢音は三種すべてが「タ」としている。『角川新字源』は「サ」
も漢音としている。このほか、三種すべてが「サ」を唐音としている。
辞書に収録されている漢語を見ると、「茶園チャエン」「茶気チャキ」「茶巾チャキン」
「茶碗チャワン」…のように、「茶」は一般に「チャ」で読まれるが、「茶煙サエン」「茶 店サテン」「茶茗サメイ」「茶炉サロ」…のように、「サ」で読まれる漢語も多数存在する。
また、「茶道チャドウ・サドウ」「茶人チャジン・サジン」「茶湯チャトウ・サトウ」「茶 房チャボウ・サボウ」…のように、「チャ」「サ」二通りの読み方がある漢語も存在する。
麻韻2等の舌音が拗音「チャ」になる理由は明らかでない。
「軟ナン」
軟 字母:日(清濁)(合) 韻目:獮(3 甲) 反切:而兗切(輭)
『角川新字源』 『新選漢和辞典』 『学研新漢和大字典』
呉音 ネン ネン ネン
漢音 ゼン ゼン ゼン
慣用音 ナン ナン ナン
「軟」の中古音は、日母獮韻 3 等甲類なので、呉音は「ネン」、非鼻音化した漢音は
「ゼン」になるのが原則である。
辞書では、三種すべてが呉音を「ネン」、漢音を「ゼン」としている。
調査に使用した漢和辞典が見出し語に立てている漢語を見ると、「軟骨ナンコツ」「軟 弱ナンジャク」「軟体ナンタイ」「柔軟ジュウナン」「硬軟コウナン」…のように、ほとん どが「ナン」で読まれるが、「軟障ゼジョウ・ゼゾウ」のように「ゼ」で読まれる漢語が 存在する。呉音「ネン」と漢音「ゼン」で読まれる漢語は見出せない。
獮韻と四声相配する「然」(仙韻3等甲類開口)の呉音は「ネン」、漢音は「ゼン」に
なることが期待される。現に、「天然テンネン」「自然シゼン」などのように、「ネン」「ゼ ン」で読まれる。頻繁に使用されることはない字であるが、「堧」(仙韻 3 等甲類合口)
の呉音は「ネン」、漢音は「ゼン」になることが期待され、漢和辞典には「河堧カゼン」
「宮堧キュウゼン」などのように、「ゼン」で読まれることが示されている。主母音に注 目すると、山摂の日母には「然」「堧」ように-e-になる字が属し、 「軟ナン」のように-a-になる字は「軟」のほかには見出せない。
以上から、「軟」は元々中古音のシステムから外れた音を持っていた可能性があるが、
その理由は明らかでない。
「便ビン」
便 字母:並(濁) 並(濁)
韻目:仙(3甲) 線(3甲)
反切:房連切 婢面切
『角川新字源』 『新選漢和辞典』 『学研新漢和大字典』
呉音 ベン ベン ベン
漢音 ヘン ヘン ヘン
慣用音 ビン ビン ビン
「便」は2つの韻に属するが、仙韻と線韻は四声相配するので、まとめて検討する。
「便」の中古音は、並母仙韻3等甲類と並母線韻3等甲類である。濁紐字なので呉音 は「ベン」、無声化した漢音は「ヘン」になることが期待される。
辞書では、三種すべての辞書が呉音を「ベン」とし、漢音に「ヘン」を認めている。
調査に使用した漢和辞典では、「便法ベンポウ」「便利ベンリ」「便意ベンイ」…のよう に「ベン」で読まれる漢語が多いが、「郵便ユウビン」「便乗ビンジョウ」「便箋ビンセン」
のように「ビン」で読まれる漢語や、「便宜ベンギ・ビンギ」「便覧ビンラン・ベンラン」
「不便フビン・フベン」のように、「ベン」と「ビン」で読まれる漢語も存在する。漢音 の「ヘン」で読まれる漢語は見出せない。
仙韻と線韻には、「面(線韻明母 3 等甲類)」「綿(仙韻明母 3 等甲類)」「篇(滂母仙 韻 3 等甲類)」などがあり、現代の漢語では「面会メンカイ」「対面タイメン」「線路セ ンロ」「下線カセン」「篇籍ヘンセキ」「名篇メイヘン」などのように読まれる。この「面」
「綿」「篇」の主母音に注目すると、すべて原則通り-e-になる。「便ビン」と同様に-i-で 読まれる漢語は見出せない。
「便ビン」は、漢語の口語音として-発生させた可能性があるが、確証は得られない。