第 2 章 教科書の記述の変遷
第 1 節 硫黄島の戦いと原爆投下
B. 沖縄戦
沖縄とアメリカの関係は、ペリーが日本を開国させるために黒船で日本にやってきた時 から始まる。彼にとって、琉球は日本に自国の要求を認めさせるために重要な足場であっ た。彼は琉球に
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回上陸し、最初の訪問から「陸地探検隊」を組織して、地質や地形の調 査を行っていたのである477。沖縄戦は多くの一般住民を巻き込み、そのような戦闘が行われた沖縄には、多くの慰霊 施設、慰霊碑、慰霊塔がある。その中でも沖縄戦跡国定公園は戦跡としては唯一の国定公 園であり、この公園の中には主要なものだけでも
100
以上の慰霊碑や慰霊塔が設置されて いる478。また、日本軍の看護訓練を受けた者によって構成された女子学徒隊の中でも、ひ477 鎌倉英也、宮本康宏『クロスロード・オキナワ:世界から見た沖縄、沖縄から見た日本』(東京:NHK 出版、2013年)、18-22頁。
478 沖縄県『沖縄戦跡国定公園』
http://www.pref.okinawa.lg.jp/site/kankyo/shizenryokuka/koen/okinawa_sennseki_kokuteikouen.ht ml(2014年12月25日閲覧)。
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めゆり学徒隊は非常に広く知られている。その中の一人、元ひめゆり平和祈念資料館副館 長でもあった宮城喜久子は、戦後、語り部として平和を訴える活動を続けてきた479。そし て、彼女が
2015
年1
月3
日に亡くなったニュースは全国を駆け巡った480。2015
年は日米 戦争敗戦から70
周年となる年であるが、語り部として活躍していた人の死がここまでニ ュースとして取り上げられるのは、それだけ戦争の生存者が減少しているからと言えるだ ろう。沖縄は、訪れる人・訪れる場所によって印象が変わる場所であると言えよう481。沖縄は 県の公式サイトの一面にも青い海など、美しい自然の写真を掲載している482。また、日本 屈指の観光県であり、首里城跡、中城城跡、今帰仁城跡など、世界遺産に登録された琉球 王国関連遺産群として、観光客の多くが訪れている場所である483。また、戦争の慰霊碑や 資料館を訪れ、沖縄戦の生存者の話を聞いた者は、戦争の恐ろしさを感じ、経験談に聞き 入るのである。
それでは、実際に
1945
年に行われた沖縄戦は、どのような戦いだったのだろうか。そ れは硫黄島の戦闘終結から数週間後に始まったものであり、アメリカ軍が、日本の本土進 攻を行うために基地を必要とし、その確保のために起こった戦闘である。日本人にとって は「集団自決」が印象に残る戦闘であるが、アメリカにとっては神風特攻隊が印象的な戦 闘であった。本節では、前節と同様の歴史教科書を用いて、沖縄戦の記述について考察す る。1. 概要
1-1. 沖縄戦と神風特攻隊
沖縄は
1429
年から約450
年の間、沖縄本島を中心として琉球王国という独立国家を成 立させていた。近代における沖縄と日本の関わりは、1852年11
月、ペリー提督がアメリ カからアジアを目指し、日本に開国を認めさせようとしたところから始まる。巨大な市場 として中国大陸を攻略するために日本が必要であり、鎖国を継続する日本を開国させるた めに、琉球王国を「前線基地」として必要としていたのであった。実際にペリーは琉球に5
回上陸し、「陸地探検隊」を組織し、地質や地形の調査、水路の測量などが行われている479 戦争アーカイブス『学徒隊解散・自決を覚悟』宮城喜久子
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001130044_00000(2015年1月4 日閲覧)。
480 讀賣新聞『宮城喜久子さん死去、「ひめゆり学徒隊」元隊員』2015年1月3日
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150103-OYT1T50119.html(2015年1月4日閲覧)。
481 南山大学「国連アカデミック・インパクト」関連事業 富山一郎「沖縄戦を想起すること:記憶と病 の間」より(2014年11月29日閲覧)。
482 沖縄県 http://www.pref.okinawa.jp/(2015年1月4日閲覧)。
483 じゃらん『沖縄の観光スポットランキング』http://www.jalan.net/kankou/470000/(2015年1月4 日閲覧)。
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484。
しかし、近代の幕開けとなる明治維新のずっと以前より、既に沖縄の独立は脅かされて いた。琉球王国は
1609
年の薩摩軍による侵攻を経て薩摩藩の事実上の属領とされていた が、1872年より明治政府の関心を引き、1879年に明治政府の廃藩置県によって沖縄県と なり、日本の一部となった485。日本政府の指導の下、方言の撲滅と標準語励行の運動が展 開され、その元祖となる日琉対訳の会話教本である『沖縄対話』が作られた486。沖縄はず っと本土から差別を受け、植民地のような扱いを受けてきたのである。日米戦争において、沖縄が「捨石」のように扱われたことの背景には、日本軍の沖縄県民に対する蔑視があっ たとされる487。明治以降の教育は、いわゆる「皇国民」養成の教育であった488。もともと 政府は、沖縄県内の士族たちが清国への未練を断てずに日本に馴染まないことを踏まえて 強圧的な態度を控えていたが、
1895
年に日本が日清戦争に勝利すると、政府が強硬姿勢を 示すようになり、沖縄県民が妥協せざるを得なくなった489。新たな世代には、むしろ、本 土の日本人の真似をすることで、日本人に同化する者が目立つようになり、沖縄の伝統文 化を軽視する風潮さえ見られるようになった。そして最終的に、日本政府の影響を受け、沖縄の方言の使用が禁止されるまでに至った490。沖縄の人々は新しく国民言語として採用 された「日本語」を学ぶことを要求され、学校で沖縄の言葉を話した場合は「方言札」を 首からかけさせられるなど様々な政策が行われ491、人々は沖縄風の名前から日本的な名前 への改姓を求められた492。
沖縄戦を語る際には神風特別攻撃隊について語らなければならない。日本では、特攻作 戦が開始される前から、身の危険を顧みずに戦場に赴く自己犠牲が促されていた493。危機 に際して死を顧みずに行動することは諸外国においても珍しくないが、そうした決死や犠 牲的行動と違い、当初から死によってのみ目的を達成できる必死の戦地に身を投ずる任務 を与え、それを組織的かつ継続的に戦法として適用したものが日本の特別攻撃である494。 そして、特攻という名の自爆攻撃は「あらかじめ任命せられた特攻隊員に依つて行はれた 艦船に對する体當たり攻擊、生還を期し得ない敵基地の銃擊及櫻花を運搬した陸攻の攻擊 を云ふ」ことであり、「隨つて特攻隊員に非ざる者が戦場で艦船に對する体當たり攻擊を行
484 沖縄県公文書館 (00005-007) Commodore Perry’s Visit to Ryukyus(ペリー来航100周年記念事業に 関する文書(NARA及びスミソニアン収蔵ペリー関係資料のリスト含む)。
485 新里恵二、田港朝昭、金城正篤『沖縄県の歴史』(東京:山川出版社、1972年)、153頁。
486 那覇市企画部市史編集室編『那覇市史 資料編第2巻中の3』(那覇:那覇市企画部市史編集室、1966 年)、430頁。
487 藤原彰『沖縄戦:国土が戦場になったとき』(東京:青木書店、1987年)46頁。
488 新里、田港、金城、208頁。
489 毎日新聞『日本にとって沖縄とはどういう存在か:【再録:日本の論点】』2014年8月13日。
490 藤原、31頁、琉球新報社編集『新琉球史』(那覇:琉球新報社、1992年)、269-270頁。
491 新里、田港、金城、209頁。
492 沖縄県労働組合協議会『日本軍を告発する』(那覇:沖縄県労働組合協議会、1972年)、69頁。
493 防衛庁防衛研修所戦史室『沖繩方面海軍作戦』、702頁。
494 前掲書。
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つた場合は特攻攻擊と認めない」のであった495。神風特攻隊の中では、1945年
3
月17
日、人間爆弾と呼ばれた「桜花」が兵器として採 用され、21
日、沖縄戦にて初陣を飾った496。これは母機から切り離されると二度と生還で きないものであった。大型爆弾を翼につけ、人間が操縦して敵艦に体当たりする一発勝負 の特攻兵器であり497、この特攻を受けた連合国はこの「桜花」を”Baka Bomb(バカ爆弾)”
と揶揄し498、アメリカの新聞は「日本軍が沖縄海域の艦船と乗組員に対して、死に物狂い の航空自滅攻撃を開始した」という記事を掲載した499。また、神風特攻隊以外にも、アメ リカ軍に脅威を感じさせたのは10
代の少年兵によって編成された「鉄血勤王隊」であっ た。彼らは戦車に向かって走り、その下に滑り込んで背負っていた爆弾を爆発させ、車体 の裏側に弱点を持つ戦車を大破させたのである500。神風攻撃によって、アメリカは確かに衝撃を受けた。米国戦略爆撃調査団は、「カミカゼ」
によってアメリカ軍内に「精神に異常をきたした者が
50%増加した」と報告し
501、また、特攻によって負傷した経験を持つデニス・ウォーナーは、「自殺的任務に航空機が使用され たことは、連合軍の間に、誇張する必要もないほどの心理的衝撃を巻き起こした」と述べ ている502。人命至上主義に立つアメリカ人から見れば、神風特攻隊の玉砕戦法は余りにも 常軌を逸していた。神風特攻隊がアメリカの戦艦に激突し、打撃を与え、沈めていくとい う自殺行為を目の当たりにして、アメリカ兵は衝撃を受けた503。アメリカにとっての沖縄 戦は、大量の神風特攻隊からの攻撃を受けた戦闘でもあった。戦後の日本政府の公式発表 として、沖縄戦では陸海軍合計
2,500
機の特攻隊が投入されている。この神風特攻隊が基 本的にアメリカにとっての沖縄戦のイメージを形成しており、日本の沖縄戦域における海 軍の作戦では、日本軍が挙げた戦果の80%が特攻によるものなのであった
504。ただし、どの程度、アメリカ軍に影響を与えたかとする日本軍の統計結果には、決して 正しくない部分もあることを忘れてはならない。日本軍の記録の中には、「撃破」「沈没」
495 沖縄県公文書館 (00055-001) JA0106 0000D383J 141. Monograph No. 141 (Navy): Okinawa Area Naval Operations, Supplement (in Japanese)(「沖縄方面海軍作戦」付録:沖縄方面作戦(自1945年 2月至1945年8月)に於ける海軍航空兵力使用状況諸統計(昭和24年8月調製、第二復員局残務処 理部))。
496 内令昭和20年3月『内令兵第八號 試作櫻花ヲ兵器ニ採用シ櫻花――型ト呼稱ス 昭和二十年三月 十七日 海軍大臣』(1945年3月17日)、永沢、185頁。
497 近現代史編纂会編、40頁。
498 Rikihei Inoguchi and Tadashi Nakajima, with Roger Pineau; foreword by C.R. Brown. The Divine Wind: Japan’s Kamikaze Force in World War II (Westport, Connecticut: Greenwood Press, 1978), p.
134.
499 The New York Times, April 12, 1945.
500 河合敦『教科書から消えた日本史:学校で習った「歴史」は間違いだらけ』(東京:光文社、2008年)、 253頁。
501 吉本貞昭『世界が語る神風特別攻撃隊:カミカゼはなぜ世界で尊敬されるのか』(東京:ハート出版、
2012年)、200頁。
502 デニス・ウォーナー、ペギー・ウォーナー著;妹尾作太男訳『ドキュメント神風:特攻作戦の全貌』
(東京:時事通信社、1982年)。
503 Oliver Stone and Peter Kuznick, The Untold History of the United States (New York: Gallery Books, 2012), p. 145.
504 防衛庁防衛研修所戦史室『沖繩方面海軍作戦』、702頁。