第 2 章 教科書の記述の変遷
第 1 節 硫黄島の戦いと原爆投下
A. 硫黄島の戦い
2. アメリカの教科書の記述
424 The New York Times. Iwo Jima Journal; a Pacific Isle that can’t quite Rest in Peace. March 15, 1995.
425 山口編、318頁。
426 大本営『硫黄島守備隊の玉砕』を発表(1945年3月21日)。
427 上坂、66頁。
428 日本政策研究センター『硫黄島の玉砕と両陛下』http://www.seisaku-center.net/node/79
(2014年10月18日閲覧)。
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2-1. テキサス州の教科書記述
本節では、1950年以降に採用された教科書の記述を分析する。1949年までに使われて いた教科書はすべて戦前に作成されたものであるため、
1950
年以降に使われた教科書に集 中する。また、同じアメリカ史の教科書が用いられていた年代ごとに区分して分析する。まず、
1950
年から1955
年までの6
年間、採択されていた教科書の記述を確認する。1948
年に出版されたOur Own United States
では硫黄島の戦闘が書かれた特別なセクション は設けられておらず、以下のように書かれている。1945年2月、ボニン諸島の一つである硫黄島を奪取した。硫黄島を手に入れることで、私たちは、
東京から750マイルほど離れた位置に基地を提供し、日本の中心を攻撃することが可能になった(In February, 1945, Iwo Jima, one of the Bonin Islands, was taken. This gave our forces a base only about 750 miles from Tokyo and permitted the launching of American bombing attacks on important Japanese centers)429。
硫黄島の地理的な役割が重視された記述であることが分かる。また、
1949
年に出版されたUnited States History
では、「硫黄島の奪取(Iwo Jima taken)」というセクションが設 けられ、次のように書かれている。日本への前進は2月19日に行われた。アメリカ海兵隊は、グアムと東京の中心に位置する、小さく、
防備の固められた硫黄島に上陸した。日本の守備隊は狂信的な抵抗を続け、アメリカは莫大な損害 を受けた。厳しい戦闘がか1カ月ほど続いた後、アメリカは日本を攻撃するのに不可欠な航空基地 をやっと手に入れたのである(Another step toward Japan proper was taken on February 19.
American marines landed on the small, well-fortified island of Iwo Jima, located halfway between Guam and Tokyo. The Japanese defenders put up a fanatical resistance, and American losses were heavy. When the battle had ended after almost a month of bitter fighting the United States had a badly needed air base for further attacks on Japan)430。
この本には、硫黄島に上陸して前進していく海兵隊の姿の写真が掲載されており、「もっと も犠牲の大きかった戦闘の一つである」「なぜ、アメリカはそこまでしてこの島を手に入れ たかったのだろうか?」という記述と問いが載せられている431。記述はやはり硫黄島の位 置を重視しており、日本を攻撃するのにアメリカにとって硫黄島は不可欠な砦であったと いうことが明確にされているのである。1950年に出版された
A History of Our Country
429 John Van Duyn Southworth, Our Own United States (New York: Iroquois Publishing Company, 1948), 918.
430 Fremont P. Wirth, United States History (New York: American Book Company, 1949), p. 566.
431 Ibid, p. 567.
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には、特に硫黄島のセクションはなく、硫黄島の戦いや沖縄戦の記述はポツダム会談の箇 所に載せられ、「日本は既に弱体化しており、沖縄や硫黄島での戦闘に弱かった(Japan…,
which were already vulnerable to air attacks from our bases on Okinawa and Iwo
Jima)
」と書かれているのみである432。日本が戦闘に敗北したということが分かる最低限の記述になっているのである。これらの教科書には、戦闘そのものに関する具体的な記述 は載せられていない。その戦闘の詳細よりも、地理的に硫黄島がアメリカにとっていかに 重要であったか、ということに着眼点が置かれている。つまり、硫黄島の戦いは日本本土 決戦における重要な足掛かりの一つを得るためであった、ということを主張しているに過 ぎないのである。
次に、1956 年から
1961
年まで6
年の間に採用された教科書の記述を見てみる。1954 年に出版されたUnited States History
は、1949
年に出版されたものから記述を変化させ ておらず、硫黄島の地理的な役割が強調されているのみである433。The Making of Modern America
には、「太平洋進出の続行(The Pacific advance continues)」というセクション の中に硫黄島の戦いや沖縄戦がまとめて掲載されており、硫黄島に関しては、以下のよう に書かれている。太平洋では、戦争の終わりは戦争の開始と同じくらい突然やってきた。私たちにとって重要な島で ある硫黄島は、マッカーサー将軍がフィリピンを制圧したのと同じ1945年2月に獲得された(In the Pacific the end came almost as suddenly as the war had begun. Iwo Jima, an island of great importance to our airforces, was seized in February, 1945, at a time when General MacArthur was completing the conquest of the Philippines)」434。
特に地理的な役割は書かれていないが、日本が硫黄島の戦いで敗北したことが受動態で強 調されているのである。
1956
年に出版されたHistory of a Free People
には、ページ1
枚 に広がる大きな太平洋の地図と共に、以下のように書かれている。日本への最後の前哨戦は、1945年3月に硫黄島、6月に沖縄で終わった。日本人はこれらの島を信 じられないような狂気で以って必死に守った。硫黄島はたった8平方マイルしかなかったにもかか わらず、アメリカ兵は硫黄島の奪取のために2万人の死傷者を出したのである(In 1945 the last of the island outposts of Japan fell with the taking of Iwo Jima in March and Okinawa in June.
The Japanese defended these islands with almost unbelievable ferocity; alghouth Iwo Jima has an area of only eight square miles, American marines suffered over 20,000 casualties in
432 David Saville Muzzey, A History of Our Country (Boston: Ginn and Company, 1950), p. 600.
433 Fremont P. Wirth, (1954), pp. 566-567.
434 Leon H. Canfield and Howard B. Wilder, The Making of Modern America (Boston: Houghton Mifflin, 1954), p. 712.
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capturing it)435。ここで初めて戦闘に関する記述が出始め、また、具体的な数字が出現する。日本側の死傷 者数は掲載されていないが、それでもこの小さな島を攻略するために
2
万人の死傷者を出 した戦闘は、この教科書を読む子どもたちに衝撃を与えると考えられる。そして、日本兵 の戦いぶりを言及することにより、命懸けで戦いに挑んで自国の兵士たちの勇敢さを伝え ることができると考えられるのである。1962
年から1969
年までの8
年間は、すべて1961
年出版の教科書が用いられている。The American People
には「硫黄島と沖縄(Iwo Jima and Okinawa)」というセクション が設けられている。そこには次のように書かれている。アメリカは日本列島を最終的に攻撃するために、二つの戦闘を行った。一つは1945年2月に奪取さ れた硫黄島で、その荒れ果てた島は、マリアナ諸島と日本列島の真ん中に位置していた。硫黄島は 死に物狂いの接戦の後に征服された。島は日本に非常に効率的な爆撃をするためのB-29に燃料を補 給 す る た め に 必 要 と さ れ た の で あ る (The Americans had carried out two operations in preparation for the final assault on the Japanese Islands. One was the capture in February, 1945, of Iwo Jima, a desolate island located between the Marianas and the Japanese homeland.
Iwo Jima was subdued after desperate hand-to-hand fighting. But the island was needed as a refueling base for the B-29 bombers that were carrying out highly effective raids against Japan)
436。
ここでは硫黄島の地理的な重要性だけでなく、「燃料補給のため」という地理的な役割が出 現する。
This is Our Nation
には、以下のように書かれている。1945年2月、アメリカ海兵隊は東京から750マイル南に位置する硫黄島に上陸した。そして数週間 の悲惨な戦闘の後、日本の抵抗を振り切ることに成功したのである(In February, 1945, American marines landed on Iwo Jima, 750 miles south of Tokyo, and after several weeks of fierce fighting, succeeded in wiping out Japanese resistance)437。
ここでは、日本との戦闘でアメリカが苦戦を強いられたということが分かる記述になって いる。
History of a Free People
の記述は、1956年出版のものと違いがない438。硫黄島の435 Henry W. Bragdon and Samuel P. McCutchen, History of a Free People (New York: The MacMillan Company, 1956), pp. 631-633.
436 Clarence L. Ver Steeg,The American People (Evanston, Illinois: Row, Peterson & Company, 1961), p. 703.
437 Paul F. Boller and E. Jean Tilford. This is Our Nation (New York: Webster Publishing Company, 1961), p. 633.
438 Bragdon and McCutchen (1961), p. 635.
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戦いは非常に悲惨な戦いであったが、その戦闘でアメリカが勝利を収めたということを強 調し、さらに硫黄島の重要性を同時に述べることで、その悲惨な戦いを正当化していると 読み取ることができる。
1970
年から1972
年まで、たった3
年間使われた教科書もある。America
には次のよう に書かれている。日本との戦闘は続いた。1945年2月、海兵隊は小さな火山島であり、東京から750マイル離れた硫 黄島に上陸した。その島は、日本を攻撃するための単距離飛行のための爆撃機を守るために必要と された。日本人は必死で戦い、海兵隊は2万以上の死者を出した(An assault on the approaches to japan followed. In February, 1945, the Marines landed on the tiny volcanic island of Iwo Jima, which was only 750 miles from Tokyo. It was needed as an air base for short-range fighter planes to protect bombers attacking japan. The Japanese fought back so furiously that the Marines lost over 20,000 men)439。
ここで初めて、日本が必死で戦って、海兵隊に大きな被害を与えたということが分かる記 述になる。
United States History
には次のように書かれている。中国、ビルマ、そしてフィリピンで戦闘が行われている間、アメリカの海兵隊は東京から660マイ ル離れた火山島、硫黄島に上陸した。1945年3月、血なまぐさい戦闘が数週間続き、海兵隊は島を 制圧した。これにより、アメリカは日本を攻撃するための爆撃機を守るための基地を手に入れたの であった(While the fighting went on in China, Burma, and the Philippines, United States Marines scrambled ashore at Iwo Jima, a volcanic island only 660 nautical miles from Tokyo. In March 1945, after weeks of some of the bloodiest fighting in the war, the marines captured the island. This gave the Americans airfields for fighter planes to protect the huge bombers sent to raid Japan)440。
多くの場合、硫黄島と東京の間は
750
マイルとの記述が多いが、この教科書では660
マイ ルと減少している。戦闘では両者が苦戦を強いられたことが分かる記述となっている。そ して、A New History of the United States
には硫黄島の戦いや沖縄戦の記述そのものが 存在しない441。硫黄島の戦いに関する記述が存在しない教科書もあるが、それでも記述は アメリカの勝利を強調するというより、悲惨な戦いを経て、アメリカがやっと勝利を収め439 Frank Freidel and Henry N. Drewry. America: Modern History of the United States (Lexington, Massachusetts: D.C. Heath and Company, 1970), p. 705.
440 Richard N. Current, Alexander DeConde and Harris L. Dante. United States History (New York:
Scott, Foresman and Company, 1967), p. 658.
441 Irving Bartlett, Edwin Fenton, David Fowler and Seymour Mandelbaum. A New History of the United States: an Inquiry Approach (New York: Holt, Rinehart and Winston, Institution, 1969), pp.
666-667.