第 2 章 人工システムの構築によるコミュ ニケーション行動の理解ニケーション行動の理解
2.4 構築する学習モデルの基礎要件
32 第2章 人工システムの構築によるコミュニケーション行動の理解
また眼球の運動だけを考えた場合には,共同注視は反射的な行動としての側面を持つ ことが知られている(Hood et al., 1998;板倉, 2005).Hood et al. (1998)は4〜5ヶ月程度 の乳児を対象に,Posner (1980)の手掛かりパラダイムを用いた実験を実施している(図 2.8).この実験では,まずコンピュータディスプレイの中央に注視点を置き,そこに左右 どちらかを見ているヒトの顔を表示する.そして次の瞬間にヒトの顔を消した後で,左右 どちらかに何らかのオブジェクト(probe)を表示する.この実験から,ヒトが見ている 方向に現れるオブジェクトの方が,注視するまでに掛かる時間が数百ミリ秒のオーダーで 短いという結果が得られている.また,オブジェクトが表示された方向とは逆の方を見て しまう頻度は,ヒトが見ている方向とは反対にオブジェクトが表示された場合の方が,そ うではない場合に比べて2倍程度多いという結果も得られている.つまり,4〜5ヶ月程度 の乳児において,他者が見ている方向に視点を移動させる傾向を持つことが確認されてい るのである.さらに板倉 (2005)は,図2.9のような線画を視覚刺激として提示したとき の視線の移動を計測している.この実験においても,7ヶ月程度の乳児が線画の目が寄っ ている方向に優位に注意を向けることが確認されている.成人においては,矢印のような 刺激に対しても,その矢印の方向に注意のシフトが起こりやすくなることが知られている (Corbetta et al., 2002)30.
こういった反射的な共同注視から他者の見ているものを推論する過程を考えれば,親の 視線に対してとにかく反射的にその方向に視線を動かしてしまって,視点を動かした先に ある対象の中から親の見ているものを推論するという仕組みを考えることもできる.より 身近な例としては,街中で群衆がどこか一方向を見ている状況に遭遇したときに,反射的 に皆が見る方向を見てしまった後で,皆が見ているものを推論するというメカニズムを考 えることもできる.
確かに,ヒトが注意を向けるときにはこのような仕組みに従うこともあるだろう.しか し本論では,共同注視は反射的な行動のままではないと考えている.なぜなら,7ヶ月程 度までに獲得される眼球運動の共同注視に対しては視運動性眼振のような周辺刺激に対
いる(Brooks, 1986, 1992).この主張に基づいて構築された並列回路の自律分散的なシステムは原始的な昆
虫の歩行をうまく再現したが,より複雑な行動計画を必要とするシステムの構築には至っていない.直列的 かつ中央集権的なシステムの批判から提案された並列的かつ自律分散的なシステムであったが,現在ではヒ トの持つシステムはその中間にあるのではないかと考えられている.
30感覚–運動間を直接結び付ける先行研究のモデルは,こういった反射的な共同注視を想定することにな ると考えられる.
2.4. 構築する学習モデルの基礎要件 33
probe
1,000ms deviated gaze cue
1,000 ms cycle of eye blink until trial start
図 2.8: 4〜5ヶ月程度の乳児を対象にしたHood et al. (1998)の視覚実験
(Fig.1より抜粋)
する反射的な運動を想定しても,Butterworth and Jarrett (1991)やCorkum and Moore
(1995)が8ヶ月程度から始まると報告する共同注視の学習過程においては,反射的な行動
を基盤にして,内部に注視目標を形成する仕組みがあるのではないかと考えるからであ る.このときには,先ほどの例の中で皆がある方向に視線を向けているとき,ヒトの内部 でその方向を見ようとする状態が生起されていることを想定することになる31.本論で問
図2.9: 7ヶ月程度の乳児に提示された視覚刺激((板倉, 2005, p.126,図6) より抜粋)
31このとき,ヒトが「何があるのだろう?」と思って推論を働かせて,その方向を見る/見ないを判断す ることが,ヒトの意図的主体性を表わすことになると考えている.
34 第2章 人工システムの構築によるコミュニケーション行動の理解
いたいのは,他者の見ているものの推論に使われる自分自身の目的と手段のセットがどの ように形成されているのかということであり,逆にそれがどのように構築されていれば,
他者の見ようとするものを推論する仕組みが実現できるのかということである.
このように考えると,より高次な行動を獲得していくいずれかの段階に,反射的な行動 を生成する並列回路から直列的な回路構成を持つようになる過程があるのではないかと 考えられる(図2.10).これはつまり,視覚定位のような反射的な行動生成回路に,共同 注視を学習する回路を直列に前置接続することを考える必要があるのではないかという ことである.
学習器
切替器 視覚定位
感覚 運動
学習器 視覚定位
感覚 運動
注視目標
並列構造 直列構造
図 2.10: 並列回路(Nagai et al. (2003)のモデル)と直列回路
ただし,回路のアーキテクチャを並列から直列にすると,そこにはまた新たな問題が発 生する.共同注視の学習には,先述したように2つの基礎要件がある.
• 親の視線方向と自らの視点の移動方向を学習するという仕組み
• 随伴的な経験を自己評価によって取り込む仕組み
追加する学習モジュールが,直列的な前置接続の回路構成でこの要件を満たすには,さら に2つの問題を解決しなければならない.
• 従来持っている反射的な行動を機能させたままで,共同注視を学習するモジュール を構成する必要がある.
• 視覚定位が持っている感覚と運動の情報表現をそのまま使用する必要がある.
次の第3章では,直列的な回路構成で共同注視行動を学習するモジュールがどのようなア ルゴリズムで構築できるのかを検討する.
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