• 検索結果がありません。

第 7 章 総合考察

7.1 本研究の成果

本研究で主な対象となった,A 音楽大学学生についての一連の質問紙調査回答データの 分析結果から言えることをまとめると,以下のようになると思われる。

まず,日本の大学で音楽を専攻する学生が,進学理由として考えている内容については,

今回の調査データの因子分析結果から 5 因子(「将来展望」「能力活用」「同一視(後に音楽 的同一性)」「消極的動機」「他者のすすめ」)が確認された(3.1)。その内容を見ると,先行 研究に示されていた一般的な大学進学動機と基本的な構造に共通点はあるが,一部に音楽 専攻に特有の事情が反映していることが示された。特に「音楽的同一性(同一視)」因子は,

入学前に長く楽器演奏のレッスン等を行う必要のある,この分野の学生に特徴的と思われ る。この因子も含め,積極的な動機で進学を決めたと自認している学生は,大学での適応感 も高めであり,特に「将来展望」が高い場合に,大学での専門知識や技能の習得意欲にも影 響を与えているためか,良い適応につながっていることも示された(3.2,4.1,4.2)。

また,そのような積極的動機を醸成するのは,「家族から十分なサポートが得られている」

と学生自身が感じられるかにかかっている部分があることも示された。家庭の音楽環境の 豊かさについては,積極的な進学動機への直接の影響力は無く,家族のサポートを介して間 接的な影響力が見られるのみであった。音楽経験の影響についても,入学前の音楽経験が長 い場合が多い音楽大学の学生については,専攻ごとのばらつきは見られたものの,全体とし ての影響はほとんど確認できなかった(4.2)。

進学決定時期の分析からは,楽器のレッスン等の音楽経験をより早く始めている場合や,

親(特に母親)が音楽関係の仕事の経験者である場合に,決定時期が早まる傾向が示唆され た(5.1)。

進学理由等の男女差の検討では,女子学生のレッスン期間の長さや,それに伴う演奏への

1 本章の内容は,佐藤(2001)および佐藤(2011)で議論された内容を加筆修正したもの である。

98

自信等が進学理由項目への回答データにも反映しており,音楽への一体感の高さ,周囲から のサポートの得やすさが窺える結果であった。男子学生については,父親の協力についての 評価や,感動体験の高さについて女子よりも高い傾向も見られた(5.2.1)。また,葛藤に関 する項目の男女差については,自分自身の悩みについて女子の平均値が高く,家族や教師と の葛藤が生じやすいのは,男子である可能性が高いという結果が示された。ただし,進学に 関する経済問題や卒業後の就職に関する学生自身の葛藤に男女差は見られず,どちらにと っても重要な問題であることが示唆された(5.2.2)。

さらに,将来希望するライフスタイルによって女子学生をタイプ分けした上で,将来の希 望進路についての考え方の特徴を調べた。その結果,仕事の優先度が高いライフスタイルを 希望する学生は音楽演奏や指導に関わる仕事に就くことを比較的強く望む傾向があり,仕 事より家庭を優先するライフスタイルを希望する学生は,音楽の仕事に必ずしも就けなく ても良く,趣味でもかまわないという考え方をする傾向が他のタイプよりは強いという傾 向が見られた(5.3)。

なお,本研究の核となる,積極的な進学理由と大学での適応感,および 3 つの背景要因

(音楽経験,家族のサポート,家庭の音楽環境)との関係を示すモデル(4.2で作成したも の)の中で使用された諸変数について,調査時期による経年比較を行った結果,基本的には 変化が見られないことを確認できた(第6章)。

また本研究の中で,B 大学の音楽専攻学生の進学調査データについては,主要な性格の 5 次元を測定する性格検査の下位尺度との相関分析を行うためにのみ取り上げた。分析結果 から,N 尺度,E 尺度,O 尺度,A 尺度,C 尺度得点の高い学生が,進学調査で使用した項 目に対して回答するパターンについて,内容的にも納得しやすい相関が確認できた。ただし,

情緒の不安定性を示す N 尺度と「音楽的同一性」の 1 項目である「音楽を自分から取り上 げたら何も残らないと思ったから」との間に正の相関がみられる等,音楽大学における適応 を高める可能性のある音楽との一体感の高さが,一般的な心の健康度の高さとは必ずしも 結び付かない可能性を示唆する結果も見られた(5.4)。

以上の結果を踏まえて,大学で音楽を専攻する意味を、学生自身がどのようにとらえてい るのかを考察していきたい。

まず,経済的側面に関わる学生の考え方について検討する上で,本研究においては実際に 進学できた学生を対象に調査を行っており,その意味ではバイアスがかかったデータであ ることはふまえておく必要があると思われる。その中で,進学についての経済的な葛藤,つ

99

まり大学入学のコストに関する問題への学生自身の意識について,平均値を見る限り男女 で有意差は確認されず,どちらも低いとはいえない値を示した。少なくとも,学生自身に何 らかの心理的な負担を与えている場合もあることは否定できないだろう。

また,音楽大学進学へのメリットについては,進学理由として将来の仕事への展望を踏ま えた決定をしたと自認する学生について,大学での適応感を高める傾向にあることから,大 学進学のメリットを客観的に把握した進学が,大学での知識や技能の習得等にも良い影響 を与えている可能性が示唆される。

一方,進学時の葛藤の中で,入学段階でのコストや将来の就職問題に関わる家族の懸念や,

音楽大学に進学すること自体に家族や教師が反対することに関する項目への回答について は,実際に入学を果たした学生対象の調査であったためか平均値は全体に低かったが,男子 学生については女子学生と比較すると高めの値が示された。一般的な大学進学のメリット がより強く意識される男子について,少なくとも周囲の大人たちは女子学生よりもやや敏 感に反応している姿がうかがえる。あるいは,音楽領域での仕事について,子どもの性別に よって親が抱くイメージの違いが影響している可能性もあるだろう。

このような男女差に加えて,女子学生の将来の仕事に対する意識にばらつきが見られる ことも興味深い。自分がやりたい音楽の仕事に就くためには,結婚や子育てと何とか両立さ せて,場合によっては犠牲にしてでも仕事を続けたいという思いを持つ学生と,無理に音楽 に関係する仕事をするよりは他の分野での仕事に就いて,音楽は趣味として続けても良い と考え,むしろ家庭生活を充実させたいという希望を持つ学生,および両者の中間領域に属 する学生の存在が示唆されており,女子学生にとって音楽大学進学のメリットについての 考えは,タイプにより大きく異なる可能性がある。

次に,大学への進学理由や進学後の適応感を中心とした心理的な問題からうかがえる,大 学で音楽を専攻する意味についての学生自身の捉え方について考えてみたい。

先行研究で見出された進学動機にかかわる因子と,ある程度重なりのある因子が一連の 調査結果から確認できた。つまり,「将来展望」や「能力活用」などは,音楽以外の分野で も見出される一般的な大学進学動機研究で見いだされた因子と内容的に重なるが,一方で

「音楽的同一性」に関しては,音楽領域の進学における特有の因子であると考えられる。こ の因子が「将来展望」に次いで,かつ「能力活用」以上に適応感にプラスの影響をもたらす 結果も示されていることから,この分野の学生の大学への適応について考える上で「音楽的 同一性」という進学理由に関する因子は重要なものであると思われる。

100

以上のように,複雑な様相を示す音楽大学への進学に関する心理・社会的要因について,

本研究が行われた意義については,次のように考えることができる。

まず,音楽大学へ進学した上で大学でより高い適応を示すことにつながるのは,積極的な 進学理由(「将来展望」「音楽的同一性」「能力活用」)を持つことが関係している可能性があ るという,一般的な大学進学動機研究や大学生の適応を扱った研究で示唆されていた内容 と合致する結果が確認された。その上で,音楽との心理的結びつきの強さと関係する「音楽 的同一性」因子は,音楽領域の進学に特有の因子であると思われ,このような因子が見いだ されたことも本研究の意義の一つとして挙げることができるであろう。ただし,このような 音楽領域に特有の進学理由因子である「音楽的同一性」が高いことよりも,将来の進路への 具体的イメージを伴った知識や技能の習得を意識することがより高い適応と結びついてい る可能性についても示唆された。

また,上に挙げたような積極的な進学理由を抱くためには,音楽経験や家庭の音楽環境の 豊かさが単純に結びつくものではなく,むしろ家族からのサポートを学生が感じられてい ることが重要であることや,そのようなサポートの得やすさや家族を中心とした周囲との 葛藤についてはジェンダーバイアスが見られること,本人の性格特性との関係も窺がえる ことを示すことができたことも本研究の意義として挙げることができるだろう。

音楽領域の進学を考える上で、やはり避けて通れないのは卒業後の進路問題であり,演奏 の仕事等に限定して考える場合には,現実問題として困難を伴うことは予想できる。しかし,

入学段階で学生自身に過度のプレッシャーとなる可能性や,そこに親や教育関係者の意識 されていないジェンダーバイアス等の影響もあることをうかがわせる本研究の結果は,こ の領域の進路指導において,様々な背景要因を十分に理解した上での適切な指導が必要で あることが示唆されるものである。長い音楽経験を持つ学生の場合,音楽との一体感が強く,

ある意味では自己のアイデンティティの一部に取り込まれていると考えられることから,

その点は十分に尊重した上で,現実的な将来の方向性を話し合えるような指導が行われる ことが望ましく,そのような指導が行われるための一資料として本研究の結果を生かすこ とは可能であろう。