本田技研工業熊本製作所の大津町への進出経緯については,既に前節で触れられて いるので,本節では地域社会に直接係わる事柄に的を絞って述べることにする。まず,
本田技研工業の進出交渉過程において,地元側から持ちあがった当面の問題点は,① 被買収者への代替地提供,②買い上げ価格が安いこと(当初提示価格は10アール当た り,一括40万円),③雇用に対する不安,④環境の悪化,⑤先祖伝来の土地を手放し がたいこと,などであった。これらの問題点について交渉の結果,①については町当 局が代替地を斡旋する,②については山林70万円,畑地85万円で買い上げる,③につ いては地権者(366人)と代替地提供者,およびその家族を優先的に採用する,④に ついては県・町当局と公害防止協定(後述)を結ぶこととなった。
本田技研工業の熊本進出に当たっての方針は,①物流と管理の簡素化,②地域社会 との融和および人間尊重,③省資源・省エネルギー,④公害を出さない,の 4 項目に 集約される(本田技研工業側の説明)。
① 「物流と管理の簡素化」の大前提として,関連・下請企業に同時進出を要請し,
部品調達と作業の合理的・機能的統合とスピード化が図られた。その具体化の手段と して関連・下請企業群の配置が問題となる。企業サイドとしては,地価,熊本製作所 との距離,交通条件,雇用労働力の量と質などが問題となるが,熊本県側はできるだ け広い範囲に雇用機会を拡散させたいとした。そこで,企業側は県側の要請を受け入 れる形で,基本的には各下請企業の判断に基づく自主的立地を認めることとした。そ の結果,特定地区への関連企業群の集中は避けられたものの,大部分の関連企業が県 北の菊池郡およびその周辺地域に立地し,熊本製作所を中心におおむね10~20km圏 内におさまっている。
かかる関連企業の立地状況と部品の頻繁な搬入供給により,本田技研工業サイドと
大 分 県 福 岡 県 小 国 町
阿蘇町 南小国町
一の宮町
高森町
矢部町
中央町 泉 町 砥用町
湯前町
錦 町 錦 町
町 免田免田
町 多良木町
御船町 甲佐町 城南町 嘉島町 飽田町 天明町
三角町
不知水町 松橋町 豊野町 竜北町小田町 鏡町 宮原町 千丁町 大矢野町
五和町 有明町
新和町 河浦町 苓北町
天草町
松島町
倉岳町
芦北町
津奈木町
芦 北 郡
竜ヶ岳町 田浦町
姫戸町
所御 町浦 栖本町
富合町 富合町
合志町 鹿北町
菊 池 郡 菊 池 郡
産山村
旭志村
波野村
西原村 久木野村 白水村 長陽村
蘇陽町
東陽村
五 木 村
水上村
須惠村
上 村 相良村
深田村 岡原村 山江村
坂本村
球 磨 村
清和村
上益城郡
下益城郡 飽託郡
宇土郡
八 代 郡 宮 崎 県
鹿児島県
熊本市 菊池市
大津町 大津町 菊鹿町
菊陽町 北部町 河内町
鹿本町
鹿央町 植木町 西
合志 町
玉東町
泗水町
横島町天水町 岱明町 長州町岱明町
菊水町 七城町
三加和町
南関町 山鹿市
玉名市
宇土市
八代市
牛深市 水俣市
人吉市 本渡市
玉名郡 荒屋市
凡 例 益城町
県 境界線 郡 〃 市 〃 町村 〃 市町村役所
阿 蘇郡 鹿 本
郡
球 磨 郡 天
草 郡
図17- 2 熊本県行政区画図
(出典)熊本県『熊本県統計年鑑』昭和58年版。
しては,物流と管理の簡素化・合理化はおおむね達成されているようである。例えば,
ハンドル,マフラー,ガソリンタンクなどの嵩ばる部品の頻繁な搬入が要請される合 志技研工業6)は熊本製作所の西方 5 kmの合こ う し志町に立地し, 1 日に 4 ロットの間隔で 部品配送をしている。ただ 1 社,直線距離で約80km 南方(実際の走行距離は約 110km)の球磨郡錦町(図17- 2 )に進出したギヤー=メーカーの九州武蔵精密7)は,
ギヤー,カムシャフトといった,あまり嵩ばらない部品類を供給しているので,現在 のところ 1 日 1 回の配送で十分に間に合っているといい,配送のための費用や時間ロ ス(現在は片道 2 時間半を要しているが,延伸中の九州自動車道が人吉まで通じれば,
凡 例
県 界 郡 界 市 界 町村界 安定所管内 菊池職業
大 分 県
阿 蘇 郡
菊 池 市
旭 志 村
大 津 町
菊陽町
0 10km
豊肥本線
N 本田技研工業㈱
熊 本 製 作 所 合 志 町
九 州
自 動
車 道
七 城 町
西合志町
R.3 R.57
菊 池 郡
R.57 R.327
態 本 市
R.325
泗 水 町
鹿 児
島 本 線
図17- 3 菊池地方および菊池職業安定所管内図
熊本製作所までの車での所要時間は 1 時間ほどに短縮されることが期待できる)より も,安価な地価と労働力の確保のメリットの方が大であるとみて現在地に立地したと いう。ともあれ,熊本県側が当初意図した関連下請企業群の全県的配置という目標か らすると十全とはいえないものの,既成工業地域を避けて菊池地方をはじめ,球磨郡 や阿蘇郡といった従来は男子の就業機会が乏しかった地域へも関連企業群の立地をみ たことにより,当該地域の雇用市場の拡大に大きく寄与したという点で,一応の成果 を収めたといえよう。
② 「地域社会との融和」策として次のような配慮がなされた。㋑地権者の優先的 雇用と,農業継続希望者への代替地提供によって,土地買い上げによる農地喪失が地 権者に与える動揺を抑えた。㋺県下一円の中学校,高校から新規学卒者は採用される が,地元の高校には他地区よりも大きな募集人員枠を与える,といった配慮もなされ ている。また,一般採用も主として菊池職業安定所を通じて行われている。㋩主とし て子会社の開発総業(現ホンダ開発,資料類は旧称によっているので,以下旧称を用 いる)による一般事務用品,生活用品,食料品などの地元調達が心掛けられ,社内ボ ーナス=セールへの地元業者の参加も呼びかけている。しかし,第 4 節で述べるよう に地元商業の対応が不活発なため,この面では十分な成果があがっているとはいいが たい。㋥地元企業の育成が謳われているが,現在のところ大津町内の地場企業として は小部品の孫請会社が 2 社ほどある程度で,本田技研工業側の要請に対応できるよう な地場企業はほとんど育っていないのが現状である。㋭社宅や独身寮については,集 中による地域社会からの遊離を回避し,社員を地域社会に溶け込ます狙いで,分散的 な配置を行っている(図17- 1 )。㋬通学児童への交通障害・危害を回避するために,
始業時間を繰り上げた。㋣農協を介して遊休地(30万㎡,乳牛約500頭分)を採草地 として地元農民に無料貸付けしている(しかし,昭和58年にはグラウンド造成のため,
その多くは返却された)。㋠昭和52年から「ふるさとの森づくり」と称して緑地帯を 造成して一般に開放したり,施設を公開することにより企業のイメージ=アップを図 っている。以上のようなきめ細かい配慮をすることによって企業の独善という印象を 避け,地域社会との融合が積極的に図られてきたが,まだ十分にその目的が達成され ていない面も残されている。
③ 省資源・省エネルギーのために,排熱利用・自然採光の重視と並んで,水資源 のリサイクル利用が図られている。地下水汲み上げによる 1 次水の取水は日量800ト ンに抑えられており(循環水の日総量は 3 万トン),農業用水・生活用水への支障は 今のところ発生していない。
④ 進出に当たっては公害を出さないということで,昭和49年 6 月に県・町当局と 公害防止協定を結んだ。同協定書には,生活用水については 3 次処理をし,工場から の排水については処理のうえ,雨水とは分離して排水すること(第 1 条),大気汚染 防止対策(第 2 条),騒音および振動防止対策(第 3 条),悪臭防止対策(第 4 条),
環境の整備等(第16条)などが謳われている。今のところ,公害問題は発生していな いが,第 3 条の騒音については外周テストコース場とモトクロス場からの騒音につい て,乳牛への影響を心配する声が酪農家の一部に聞かれる。
以上のように,大津町に進出した本田技研工業熊本製作所は,従業員規模約2,600人,
年間製造出荷額約1,000億円という大事業所(昭和58年現在)として,①~④の進出 政策を逐行することにより地域社会に大きな影響を与えている。