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地域経済の変容

ドキュメント内 ムラとマチの時空 : 社会と暮らしの地理 (ページ 87-116)

形的には地価の比較的安い丘陵地,山麓地帯に求められている。

る。その他の産業部門については,製造業への従事者の割合が大阪府平均に比べて少 ないが(昭和35年で14ポイント,昭和55年で10ポイント低い),これは次に述べる箕 面市の産業構成における製造業部門の劣位性による。

 事業所統計によって域内産業の構成を検討してみよう(表16- 6 )。まず,昭和35年 の段階では,卸売業・小売業の事業所が 6 割近く,ついでサービス業が 3 割に達して おり,両者を合わせると全事業所の 9 割を占めた。一方,製造業の方は 4 %弱(大阪 府平均は20%)であった。従業者の構成比率(表16- 7 )も事業所のそれとほぼ同様 な構成を示した。ただし,卸売業・小売業従事者の比率は事業所のそれに比べて20ポ イント低く,製造業従事者の比率は同12ポイントほど高い点が目立つ。これは,商業 は零細規模のものが多く,製造業の規模が相対的に大きかったためである。

 同じく事業所統計によると,昭和35年の箕面市内の総事業所(民営)の雇用者総数 は約 3 千人であった。これには市域外からの流入人口(874人)を含むので,この人 数を除外すると,2,122人の市内居住者が市内事業所で働いていたことになる。この 数字に農業従事者2,465人を加えると,結局市内で働いている市民は4,587人というこ とになり,同年の箕面市の総就業人口14,491人の約32%(表16- 5 の国勢調査データ によると39.7%)に相当する。残りの68%の就業者は市域外に働き場所をもっていた ということになり,箕面市が既にベッドタウン的性格を強くもったことがわかる。

表16- 5  労働力状態:産業(大分類)別15歳以上の人口 府・市別年度

産業区分

昭和35年 昭和40年 昭和45年 昭和50年 昭和55年

大阪府 箕面市 大阪府 箕面市 大阪府 箕面市 大阪府 箕面市 大阪府 箕面市 総     数 (千人) 4,096 26 5,130 34 5,749 44 6,153 59 6,397 76 就 業 者 数 (千人) 2,542 14 3,239 19 3,635 25 3,708 33 3,811 42

産業別就業者構成比(%) 4.4 16.1 3.1 10.4 2.2 6.8 1.3 3.4 1.1 2.2

0.0 0.0 0.0 0.4 0.0 0.2 0.0 0.1 0.0 0.0 6.2 4.8 7.6 6.4 8.8 7.3 8.9 8.6 8.9 7.7 40.3 26.2 40.2 27.4 37.0 25.8 32.8 24.7 29.9 19.9 卸 売・ 小 売 業 22.5 20.5 23.5 22.2 24.9 24.5 26.6 26.4 27.9 30.1 金融・保険・不動産業 3.0 5.9 3.6 5.7 3.5 5.0 4.4 4.9 4.6 5.9 運輸・通信・電気・ガス・水道業 6.7 7.6 7.4 7.2 7.0 8.3 7.4 8.0 7.4 7.8 サ ー ビ ス 業 12.5 15.8 12.6 17.1 14.4 19.0 15.5 20.3 17.6 22.4 2.3 3.1 2.1 3.1 2.0 3.0 2.6 3.0 2.5 3.6 分 類 不 能 の 産 業 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.5 0.7 0.1 0.4 失  業  率 (%) 1.1 0.8 1.8 1.1 1.8 1.2 3.1 1.4 3.3 1.6 非 労 働 力 (千人) 1,526 11 1,831 15 2,048 19 2,327 25 2,438 33

地元就業率(箕面市)(%) 39.7 37.3 36.4 32.2 31.0

(注)地元就業率={(就業者数-通勤流出人口)÷就業者数}×100。

(出典)総理府統計局『国勢調査』。

 昭和35年以降の変化をみると,事業所総数(表16- 6 )は約 4 倍に増えたものの,

産業別構成では大きな変化はほとんどみられず,わずかながら建設業・不動産業とい う建設関係業種が伸び,卸売・小売業とサービス業が微減したにとどまる。一方,従 業者総数(表16- 7 )は20余年の間に約10倍増え(大阪府平均は1.8倍),昭和56年現 在 3 万人近くを数える。従業者数の産業別の構成比は少し複雑な推移を示す。建設業 は昭和44年段階でやや低下していたが,その後回復のきざしをみせている。ただし,

前節で述べた箕面市における都市化の進行過程と対照させると,住宅建設が進んだ昭

表16- 6  産業別大分類別事業所数の割合

年   度 昭和35年 昭和44年 昭和56年

府  ・  市 大阪府

(千) 箕面市 大阪府

(千) 箕面市 大阪府

(千) 箕面市

全  産  業 248.5 755 356.5 1,232 523.9 2,914

産業部門別構成比(%) 0 0.8 0 0.4

0 0 0.2 0 0.1

2.6 4.3 3.9 3.9 5.2 5.3

19.7 3.7 20.4 5.4 17.4 4.9

卸 売・ 小 売 業 52.8 58.3 50.6 55.8 49.5 54.2

金 融・ 保 険 業 1.4 0.9 1.2 1.1 1.3 1.0

2.7 0.4 3.4 2.2 4.5 6.8

運 輸・ 通 信 業 1.9 1.9 2.0 2.0 2.6 1.9

電気・ガス・水道業 0.2 0.3 0.1 0.7 0 0.2

サ ー ビ ス 業 18.7 30.2 18.4 27.9 19.5 25.2

(注)各年度とも公務は除く。

(出典)総理府統計局『事業所統計』。

表16- 7  産業大分類別従業者数の割合

年   度 昭和35年 昭和44年 昭和56年

府  ・  市 大阪府

(千人) 箕面市 大阪府

(千人) 箕面市 大阪府

(千人) 箕面市

全  産  業 2,447 2,996 3,603 8,136 4,309 29,179

産業部門別構成比(%) 0 0.6 0 0.2

0.1 0 0.3 0 0.2

5.0 5.8 7.1 3.9 7.1 4.8

44.6 15.7 38.4 27.4 26.8 14.2

卸 売・ 小 売 業 26.9 38.9 28.8 28.5 34.4 49.9

金 融・ 保 険 業 3.4 2.4 3.6 2.4 4.0 2.1

0.7 0.2 1.1 1.0 1.8 1.4

運 輸・ 通 信 業 7.7 5.8 7.5 3.8 6.8 4.5

電気・ガス・水道業 0.6 0.1 0.6 1.0 0.7 0.4

サ ー ビ ス 業 11.0 31.1 12.9 31.1 18.4 22.3

(注)各年度とも公務は除く。

(出典)総理府統計局『事業所統計』。

和40年代に箕面市の建設業への就業者数の割合が低下していたことは,市内の建設業 が十分に建設ブームの波に乗り切れなかったことを示す。それは,昭和30年代の開発が 比較的小規模なものが多かったのに対して,昭和40年代以降の開発は市外の大手建設 会社による大規模開発が主体をなしたためである。不動産業の方は少しだけ増えてい るが,これは,活発な不動産売買によって市内の零細業者もある程度潤ったことを示す。

 卸売業・小売業への従事者数の割合も建設業と同様の動きを示し,昭和40年代に落 ち込みをみせたが,昭和56年には全就業者の50%と,昭和35年レベルを大きく上回っ ていることから,昭和50年代にこの分野での人的充実がかなり進んだことがわかる。

これは,前述の船場繊維団地の進出効果であることはいうまでもない。それに対して,

サービス業の方は伸びをみせず,昭和56年には同35年・44年レベルを大きく下回って いる。製造業は,昭和44年にはそのウエートを高めたものの,その後は減少傾向を辿 り,昭和56年には昭和35年レベル以下に落ち込んでいる。

 以上のごとく,従業者レベルでみると卸売業・小売業が活発になったものの,その 他の業種は振るわない。そして,業種構成からみると製造業が大阪府へ平均と比べて 非常に少ないという特徴は昭和35年以来あまり変わることなく,ベッドタウン都市と しての箕面市の性格は持続されていることがわかる。一方,農業は大きく後退したこ とが特筆される。田園都市から住宅都市へという箕面市の変化をポジとみるならば,

それはネガに相当する部分に当たる。そこで,次節でその農業の変化の様子を検討す ることにしたい。

3 . 2  農業の変化

 本市の主たる農業地帯は北摂山地の南斜面に開けた段丘面・扇状地・沖積面と千里 丘陵斜面であり,そこでは米麦を主作とする農業が古くから行われてきた。特に豊川 から萱野にかけての地域は酒米の産地としてよく知られてきた。その他に,伝統的特 産物としては止々呂美や粟生奥のびわ・柿・梅・栗などの果樹作物があげられる。大 阪大都市圏の拡大,西部地域における住宅地化の先駆的段階においては西部地域の植 木(特に新稲地区)・蔬菜栽培,中部地域の花き栽培などの近郊型農業も盛んとなった。

 しかし,前節で述べた昭和30年代以降における住宅都市化の進行に伴う農地の減 少,兼業化,さらに脱農業の進行によって伝統的農業に加えて近郊農業も急速に下降 線を辿り,農業生産力は大きく減退し,今や資産保持的にいわゆる飯米農業を営むに すぎない農家が大多数を占めるようになった。とはいえ,一部には土地生産性の高い 都市型農業を営む専業的農家が健在であり,数箇所のまとまった農業地区も今のとこ

ろなんとか保全されており,兼業化・脱農業へ大きく傾いていた農家労働力の一部(高 年齢層が多いが)に農業への復帰現象もみとめられる。今や箕面農業は住宅都市化現 象の渦の中で,都市型農業として生き残るか,このままなしくずし的に衰退していく かの大きな曲り角にさしかかっているといえよう。以下,農業の変貌と現実を分析し,

変容する地域経済の中での都市農業3)の在り方について考えてみたい。

 農家と農業人口  昭和35年から55年にかけて,大阪府の農家数は38%の減少をみ たが,箕面市では25%の減少にとどまっており,大阪都市圏の中では農家の残存率が 相対的に高い地域といえよう(表16- 8 )。農業集落別の昭和55年現在の農家残存率

(対昭和35年比)は,東部地域,北部地域,中部地域では 8 割を越しているのに対して,

都市化の進んだ西部地域では新稲(98%)・桜(111%)を除いた他の 5 集落は32~57

%にとどまっている。専兼別農家率では,昭和35年には63%を占めた専業農家・第 1 種兼業農家が昭和55年には15%にすぎず,残りの85%は第 2 種兼業農家で占められて おり,ほぼ大阪府の平均に近い姿を呈している。しかし,昭和50~55年にかけては,

景気の低迷や大阪大都市圏への人口流入が鈍化したことなどにより本市における都市 化も一服状態にあり,農家の兼業化の動きにもブレーキがかかり,専業・第 1 種兼業 農家率がやや増えているのが注目される。昭和55年の農業集落別では,上止々呂美・

下止々呂美,新稲,芝,川合といった本市の中核的農業集落に専業・第 1 種兼業農家 が多いのは当然であるが,地域別(表16- 9 )では東部地域が最低であるのは意外で ある。これは近年における東部地域での激しい都市化現象が農家を浮き足立たせ,第

2 種兼業化へと大きく傾かせたためである。

表16- 8  専業・兼業別農家数と同農家率 区分

年度

大阪府 農家数

〔千戸〕

箕面市専兼別農家数 同専兼別農家率(%)

総 数 専 業 第 1 種 兼 業

第 2 種

兼 業 専 業 第 1 種 兼 業

第 2 種 兼 業

昭35 84 1,250 298 495 457 23.8 39.6 36.6

(100) (100) (100) (100) (100) (22.2) (27.3) (50.5)

 40 75 1,170 81 316 673 15.5 27.0 57.5

(88.1) (94) (61) (64) (147) (14.4) (20.8) (64.8)

 45 66 1,111 109 192 810 9.8 17.3 72.9

(77.4) (89) (37) (39) (177) (10.0) (13.9) (76.1)

 50 56 1,002 46 57 899 4.6 5.7 89.7

(66.3) (80) (15) (12) (197) (7.0) (8.2) (84.8)

 55 53 937 62 78 797 6.6 8.3 85.1

(62.1) (75) (21) (16) (174) (7.9) (8.3) (83.8)

(注)農家数の( )内数字は昭和35年を100とする指数,農家率の( )内数字は大阪府。

(出典)農林水産省『農林業センサス』。

ドキュメント内 ムラとマチの時空 : 社会と暮らしの地理 (ページ 87-116)