ADC DAC
4.3 時刻比較における SDR の活用
4.3 時刻比較における SDR の活用
時刻比較の装置にSDR技術を用いたのはNICTが最初である.NICTでは,2005年よりSDR 技術を時刻比較に応用するための研究を始めた[69, 70].ここでは,本研究と平行して行ってい る複擬似雑音(Dual Pseudo random Noise; DPN)信号方式の装置開発と,時刻比較実験の成果 [71]について報告する.なお,DPNで使用したデジタル信号処理技術の多くは,本研究で開発し たGPS受信機との間で相互に生かされている.本節では,DPN装置特有の部分について詳しく 報告する.
原理
遠隔地の時刻比較方式としては,GNSS方式の他に商用通信衛星を経由して互いのタイミング 信号を伝送するTWSTFTがある.TWSTFTでは,タイミング信号としてGNSS同様PRN拡散 符号によるスペクトル拡散通信方式を使用する.群遅延によるTWSTFTの観測精度は5.3節で 示すように相関帯域幅に依存する.高精度な時刻比較のためには,広帯域な信号を用いた方が有 利であるが,TWSTFT では商用通信衛星の中継機を借りる必要があるため,占有帯域幅を広げ ることは運用コストの増加につながる.これまでTWSTFTはもっとも高精度な時刻比較手法で あったが,現状ではPPPによるGNSS時刻比較の方が比較精度では勝る.
相互相関関数より求まる群遅延は相関スペクトルの偏角の傾きからも求めることができる.こ れは,単一の広帯域なPRN符号の代わりに,狭帯域でコヒーレントなPRN符号を周波数軸上で 離れた点に配置することでも,広帯域なPRN符号と同等な観測精度が得られることを意味する
(図4.2).
単一のPRN符号による時刻比較では,衛星中継器の帯域幅はPRN符号のメインローブと等し くすることが多く,その場合の群遅延決定精度は式(4.1)で近似できる.
στ ≈ 1
3Rc√T(C/N0) (4.1)
ここで,Rcは使用する拡散符号のチップ周波数,Tは積分時間,C/N0は信号対雑音比である.
一方,周波数軸上で離れた2個のPRN符号からなるDPNでは,観測精度は式(4.2)で与えら れる.
στDP N ≈ 1
4πF√T(C/N0) (4.2)
ここで,Fはサブキャリア周波数である.DPN信号の場合,観測精度は使用したPRN符号の帯 域ではなく,周波数軸上に配置した間隔の広さに依存する.
欧米がTAI決定のために使用しているTWSTFTの信号は1 MHz帯域であり,その観測精度は C/N0 55 dBHzとしておよそ0.6 nsである.一方,欧米が使用しているPRN符号の半分である 500 kHz帯域を20 MHz離れた場所に配置すれば,その観測精度はおよそ15 psと理論上では40 倍高精度な観測が行える.
DPN用モデム
開発したDPN用モデムは,任意信号発生器(Arbitrary Waveform Generator; AWG)と汎用
ADC(K5/VSSP32)から構成され,サンプリング後のデジタル信号処理はパソコン上のソフト
34 第4章 ソフトウェア無線
Single PRN
Dual PRN
2 x F
P ow er P ha se P ow er
f
f
f
図4.2: 複擬似雑音信号
ウェアで処理を行っている.AWGはサンプリングクロック204.6 MHzで,メモリー上に転送さ
れた8 bitデジタル波形をアナログ信号として出力する.メモリは512 KBを2枚搭載しており,
出力可能な波形周期は最大5 msとなっている.DPN用の信号としては,29= 511 bitのM系列 符号を使用し,チップ周波数は127.75 kHzとした.符号周期は4 msである.3.3節で述べた雑音 もどきの特性を満足する9 bit M系列には48とおりの生成多項式が存在する.DPNでは,この うち二つの符号の相互相関値が20 %以下で,全ての相互相関の平均がもっとも小さいもの10と おりを選んで時刻比較信号として使用した.
受信機側のデジタル信号処理ソフトは5.3節で述べるGPS受信機と基本的には同じである.こ こでは,DPNモデムに特有な部分について述べる.DPNの信号は周波数軸上に分割されたコヒー レントな二つのPRN信号である.受信機側の構成としては,個々の信号を狭帯域フィルタで取り 出した後,ADCでデジタル信号に変換する方法と,二つのPRN信号を含む広帯域な信号として サンプリングする2種類の方式が考えられる.狭帯域フィルタで切り出す方式は,サンプリング帯 域を狭くすることが可能で,デジタルデータの容量を少なくすることが可能だが,狭帯域フィルタ の位相特性によるDPN遅延決定精度への影響が心配される.DPNは個々のPRN符号の位相から 群遅延を求めるため,コヒーレント性が失われるとDPN方式が成り立たなくなる.DPNモデム では,二つのPRN符号を同時にサンプリングする方式を採用した.ただし,この方式だとADC の最大サンプリング周波数以上はDPNの分割周波数を広げられなくなる.使用したK5/VSSP32 の最大サンプリング周波数は64 MHzであること,サンプリング時に生じるエイリアスの影響を 軽減することを考えるとDPNで分割可能な周波数幅は最大30 MHz程度までとなる.
DPN信号では,64 MHzでサンプリングしたうち,群遅延を求めるために使用するデータはた
4.3. 時刻比較におけるSDRの活用 35 かだか200 kHz(≈2×127.75 kHz)程度である.そこで,サンプリングデータはFIRフィルタを 使用して1/8に間引いてから処理をした.実際に相関器で処理しているデジタルデータは8 Msps
×2 chとなっている.
時刻比較実験
開発したDPNモデムを使用してNICTと台湾電信研究所(Telecommunication Laboratory, Taiwan; TL)との間で時刻比較実験を行った.実験は2010年3月から2013年3月まで断続的に 行われた.ここでは,実験初期の2010年4月16日から18 日間の結果について報告する.
実験で使用した地球局は,DPNモデム以外は通常のTWSTFTで使用している装置を使用した.
両局ともアンテナは直径1.8 mのオフセットアンテナを使用した.基準信号には,それぞれの標 準であるUTC(NICT),UTC(TL)の10 MHzと1 PPSを使用した.
図4.3にDPNから求めたUTC(NICT)とUTC(TL)の時刻差を示す.比較期間は4月16日か
-0.8 -0.6 -0.4 -0.2 0.0 0.2 0.4 0.6 0.8
55302.0 55302.5 55303.0 55303.5 55304.0 55304.5 55305.0
nanoseconds
April 2010
図4.3: DPNから求めたUTC(NICT)とUTC(TL)の時刻差
ら18日までの3日間である.グラフの横軸は修正ユリウス日(Modified Julian Date; MJD)で 表した日付で,縦軸はUTC(NICT)とUTC(TL)の時刻差(単位はns)である.グラフの各点は 1秒平均の値で,機器内やケーブルの遅延から生じるバイアス成分は除去してある.この期間の相 関振幅から求まる平均C/N0はNICTが52 dBHz,TLが49 dBHzであった.式(4.2)から求ま る観測精度は,それぞれのC/N0よりNICTが20.0 ps,TLが28.2 psであり,両局の時刻比較の 理論値は17.2 psとなる.図4.3の修正アラン分散から求めた1秒の観測精度は16.0 psでほぼ理 論値と一致した.
搬送波位相の利用
TWSTFTにおいても搬送波位相を用いることができれば,群遅延に比べ遥かに高精度な時刻比
較を行うことが可能となる.通常のTWSTFTで使用しているモデムは観測量として群遅延しか 取り出せないため,搬送波位相を観測量として使用することはできなかったが,DPNで開発した ソフトウェアモデムは観測量を柔軟に変更できるため搬送波位相の利用が可能となった.
36 第4章 ソフトウェア無線 局Bで受信した,局Aからの信号を式(4.3)で表す.[72].
Φab(t) =ωuτa(t)−ωsτs(t)−ωdτb(t)−ωuρas(t) +ωdρbs(t)
c (4.3)
ここで,ωu,ωdはそれぞれアップリンク,ダウンリンクの周波数,ωsは衛星搭載発振器の周波数,
τa,τb,τsはそれぞれ局A,局B,衛星のクロックオフセット,ρas,ρbsはそれぞれ衛星と局A, 局Bの幾何距離,cは光速を表す.同様に,局Bから局Aへの信号,局Aの折り返し,局Bの折 り返し信号は式(4.4)〜式(4.6)となる.
Φba(t) = ωuτb(t)−ωsτs(t)−ωdτa(t)−ωuρbs(t) +ωdρas(t)
c (4.4)
Φaa(t) = ωuτa(t)−ωsτs(t)−ωdτa(t)−ωuρas(t) +ωdρas(t)
c (4.5)
Φbb(t) = ωuτb(t)−ωsτs(t)−ωdτb(t)− ωuρbs(t) +ωdρbs(t)
c (4.6)
式(4.3)と式(4.4)で引き算をし,式(4.5)と式(4.6)で引き算を行うと,衛星搭載発振器に 依存する項が消える.引き算の結果相互をさらに引き算することで,最終的に局Aと局Bの時刻 差は式(4.7)で求まる.
τa(t)−τb(t) = ω⊕x(t)−ω⊖y(t)
ω⊕2 −ω⊖2 (4.7)
x(t) ≡ Φab(t)−Φba(t) y(t) ≡ Φaa(t)−Φbb(t)
ω⊕ ≡ ωu+ωd ω⊖ ≡ ωu−ωd
TWSTFTでも搬送波位相には波数不確定が生じる.商用衛星のダウンリンク周波数はKu帯(10
GHz〜12 GHz)であり,波数不確定は≤50 psとなる.同時に送信する変調波の群遅延決定精度
では数10 psの波数不確定を解くことは不可能なため,本方式では観測中断を挟んだ前後では位
相を接続することができない.そのため,搬送波位相衛星双方向方式は周波数比較となる.
搬送波位相の決定精度は帯域幅に依存しないため,同時に送信する変調波は狭帯域信号で十分 である.DPN装置を使用して行った,NICT本部(東京都小金井市)と沖縄電磁波技術センター
(沖縄県恩納村)間でのDPN,搬送波位相の修正アラン分散で表した安定度を図(4.4)に示す.
DPN,搬送波位相方式とも120秒平均で10−14台と極めて高精度な時刻比較が可能なことを示 している.特に搬送波位相方式は1.8×10−14と長時間の平均化をせずとも水素メーザーの安定度 に達している.一方で,1 000秒過ぎに大きな突起がみられる.これは,アップ/ダウンコンバー タの発振器が室温により変動したため生じている.群遅延を用いるDPNでは,周波数変換の位相 変動は結果に影響しないが,搬送波位相では周波数変換のための発振器の変動が結果に直接反映 されるため,温度環境などに注意する必要がある.
DPNの結果は30 000秒付近で悪化している部分がある.これは,送信符号間の干渉に起因す
る.このように,DPN,搬送波位相方式とも改善の余地が多々ある方式で,更なる比較精度の向 上が見込まれている.