• 検索結果がありません。

志賀塾赤痢菌に因る流行例と其の感染零巨馴こ関する考察並びに原既菌の性状に関する知見補遺 849 表 2丁. (つづき〕

・4I 15

15 29*30 37* 39* 53*61*76*

15. 24 5了 59 73 80118 139 175 21*24*34*37串45 55 64 40, 45 68 75 96120 142

9 2 6

) 5

t   C N

s r   t n

OT  O t CH

O t U

"

*O )K D  O  CM

つムin CD CM^

l   1

9

●●2

9

●■9 e■●37

7

*

*

*

*

亡r?cr>oocoKfoo nU巳O COCO CO CN

3 6 3 2 5

]

⁚       

=

̲

.

.

.‖

.

.

.

.

.‖

.

  

=    J   

C O

!

>

0 0 C D   n U   1 r

i   r

H   r

i

I

.‑    ‑一lL      ‑       1       ‑一   一    丁‑‑̲ r‑H  ‑sT COl =               .          ‑          ・‑ト  ー 1           ‑                    =           H̲い      =

一 ●

1 2 2 n U 2 1

l

.

.

1

.

̲

̲

1

r H . T t   O O . f

I   I

I   I

I   1

I

69 甲11

42‥9 90

50 甲10 86 苧19.

154 苧16

S∩︺25

WVtill*凡例■つ山^ [>.en

l*

0 0‑ ^   r‑ H   CD

iH3*CU 4   3   1

4* 25*40 41*42* 47キ   54 76*

850      高        橋 って残余の世帯は非水田弄或は非農釆世帯より発讃

した筈であるがJ其の主部を占めるものが非水田末 世帯に在ることは10.頭記述より明らかな処である.

而して非水田弄と維も貴市世帯であり本世帯群に於 ける高度発現率が家畜・昆轟に関連を持つと解され ることは許される処である.結局仮定と考察所産と 旺平行せずJ従って亦水田の意義を強調するわけに はゆかない.

12.猶水田の意義判琵に関してほ表27.所見を 基にして次の如き見解も探り得るわけである.

1日を単位とし日を逐うて,発意世帯数と是れよ り発した患者数間の比率を求めると(A)欄に顕わ れている様に,患者ほ告別個の1世帯より大体1名 の割合で発生していることになる.而して此の状態 が流行の全分期を通じて殆ど動揺無しに連続してい ち.勿論此の中には時日の経過に伴なって家庭感染 に由る愚者も含まれているわけであるが∫ それにも

・拘らず斯く敷発的な傾向を示すことほ貴報の水田期 に放ける水釆感染様相としては不適な所見と言わざ

るを損ない.

13.黙し乍ら暫く是れを措くとしても猶疑点性 残されている.即ち(B〕欄に京される様に新患を 発生した世帯のみを求めてゆくと路Ⅶ月末期忙至る 迄相当数に発意世帯の続発が認められるのである がI問題は此の新発生世帯に於ける初発愚考或は同 日発生患者群の年令である.大体水田作業に放ける 主体を17才‑60才と看敬して(C)摘記載の患者群 を整理すると' 16才以下と61才以上(3名所属)の 愚者層と17‑60才層の比旺56名: 32名(63.6^ : 36.3#)で患者の大部分ほ16才以下に寓している.

上記を14‑60才とする場合でも48': 40名〔ご4.5^

: 45.5^〕で過半数は矢張り幼年者で占められてい ち.是れ等の患者に対しては家庭内感染が明らかに 否定出来るので感染媒介の根源ほ他に求められるこ とになるが,要するに是れを水田作業に求めること は年令的にも出来ないことである.勿論水田に求め ずとも学童児であれば水泳・木浴等にも感染機会は 存香‡するのである.黙し乍ら裁に例えば7‑15才程 度の小・中学年令児を蓑27.内に求めると25例ある が,全流行期間を通じて散発しているのであって, 水讃感染に認められ易い或る時期特に流行初期に放 ける集団的発生等の様相は認められないのである.

(打)小   括

1.患者発生・非発生世帯の所属を未ミ水田罪・

非水田釆(以上是帝) ・非農釆聴帯に分別し,未ミ の対応世帯間で百分率を求めると,水田預・非水田 釆沓発患世帯出現率ほ殆ど全く同率で,時別に水田 の意義とも称すべきものは認められない.

既に随所に水雫感染説の探り碍ない所見が挙げら れているのであるが, ‑般的に言って冷温に対する 赤痢菌の耐性ほ劣弱で特に本懐向は志賀型菌に於い て著明である.是れ等を考えると少なくも水田.水中 での生存期間ほ特殊条件下でない限り爾く長期とは 考え碍ない.水田水等に由る場合もⅥ月以降ともな れば自然の影響下に感染が抑圧されている場合も多 いのでないかと考えられるのである.志賀塾菌の菌 力・毒力自体は強大であっても,是れに因る感染・

流行に関してほ木蘭の対外耐性が同時に考慮されね ばならないのである.

2.然し乍ら水田との関係から離れて広く畏雫・

非貴市の鼠貴からすると水田・非水田釆(農釆)率 に比して非貴市率は遠かに倍率である.本所見は農 家・非農家間に放ける根本的条件差と看倣し得る家 書特に耕牛飼養の頻度と‑瞭に是れと密接忙関連す る昆虫特に咽集との関係を考察的に追究することに 依って‑応理解される.既述(前額)の如く昆轟に 対する菌検索に迄は及び碍なかったのであるが,蘇 痢流行に際Lての暇莞帥ミ特に霊視されてよいことは

周知のことである40)

3.本流行に於いては既往の考察から食餌・介達 感染が考えられているのであるか,其の誘因の‑つ が亦堀旗竿にあったと解するならば

a.水釆的にほ殆ど全く同条件と考えらる部落が 発患部落・非発患部落に分れた理由も

b.亦発患部落蘭に発患世帯数に関する著差の生 じた理由J例えば既往に於いては解説困難を感じた 井崎患者世帯僅少の如き所見も‑応理解出来るので ある.

4.水E耶こ関連して‑脚こ水素因子の意義を再考 せむ為J水田釆世帯の量的関係のみでなく水田作業 者の年令的関係'患家発生の時間的関係等の面から も考察を試みたのであるがJ是れを否定する拝読よ

り得られない様である.

ⅩⅥ  臨淋所見並びに関係事項に関する考察

生活条件から言っても亦診療・防過何れの医学的  条件からしても困窮を極めた終戦豊年の本朝流行に

志賀塾赤痢菌に因る流行例と其の感染要因に関する考察並びに原因薗の性状に関する知見補遺 851 際してJ其の発端より終塩迄寧日無く尽痔された甥

長崎鼎喜々津結核療牽所長山崎著損得士より贈られ た臨淋所見に関する概要を以下掲示する.劫忙原文 を転記して同博士の御芳情に対し万握の謝意を表す る次第である.

(1)臨 駄 要 約 fI.臨 赦 症 状

成人患者は高熱腹痛を以て発病しJ体温ほ2 ‑3 日で下熱するものが多かったがJ裏急後重及び‑日 数回‑十数回の臆粘血便下痢等の陽症状ほl ‑2週 間持続し漸次治癒し特記すべき症状は認められなか った.成人死亡者の多くは老合着でJ全身の浮腫J

・[?臓衰弱,貧血等の栄養失調症状を呈して死亡し た.

乳幼児に於いては,高熱を以って発病し丁重撃昏 睡等の疫痢症状を呈して多くは2 ‑3日で死亡した.

学童児でほ発病間もなく或は前記の疫痢症状で死亡 しなかったものは,その後‑日数回‑十数回の膿粘 血便下痢を生じ,成人と同様の経過で治癒し叉ほ栄 養失調症状を呈して死亡Lた.

B.治   療

当時は終戦後の混乱した社会状態で,物資は極度 に映乏し卜薬剤としては当時既に赤痢の特効薬とし て市販せられて居たズ}LファチアゾールJズルファ グアニヂン等は全く市場にはなく入手不可純な状態 で,硫苦及びアドソルビンJユキリジン等の古典的 治療法に頼らざるを碍ず,而も疏苦すらも十分なる 入手は困難で,特に北高来郡医師会よりの特配を受 けて辛じて不足をまぬかれた状態であった.筒又1)

ンゲル液I精液.ビタミン剤及び強心剤等も不足勝 ちで,疫痢症状や栄養失調症状の患者の治療に旺困 華匪を極めた.

C.考   察

思う忙本流行に於いて,その症状が劇しく死亡率 も極めて高くJ特に乳幼児に於いては疫痢症状を呈 し老人に於いてほ栄養失調症状を呈して死亡するも のが多かったのであるがJこの原田につき考察する に,本流行の病原菌が毒力の極めて強く劇烈な臨床 症状を呈すると言われる志賀菌塾であった事は′,其 の最大の原因であると思われるが,更に加えてJ長 期間の戦争による物資の散乏は】本流行地が農村で 比較的食糧には恵れて居たとほいえ,蛋白質脂肪等 の不足はまぬかれず,必然的に体力の低下を来し栄 養失調準備状態にあった事は容易に想像し得られる ところであって,これに赤痢菌感染による中毒,食

事の制限による体力の消耗が加わりJ患者は速やか に栄蓉失調状態に陥り,更に文案剤の不足等の悪条 件を加えて本流行に於いて極めて高い死亡率を来し たものと思惟せられる.  以上

(皿)臨鉄柱過に関係ある2‑3の統計値に就いて EL.致死日数よLJ観た症型

本朝は本来感染様式の究明に重点が置かれていたJ

ので,匿々必要を感じ乍らも対象患者を赤痢・疫痢 等に類別することなく論述して来た.今栽に症塾に 関して‑言するがI然し其の意図は症型分類自体にヽノ

在るのではなくJ唯是れに関連して本文に記する如 き諸点に触れむが為であることを予め附記しておき fan

態症塾の類別・名称等は諸家に由って必ずLも‑

致してい.、ない.亦疫痢に就いてほ症状軽重の測琵基 準に関する殻等*7> (1954)の報告も認められるが.

暴れに準拠せむにも資料不足である.虫には三橋10) (1946〕,伊沢s*) (1935),富川39) (1940)等の所 論を参考にして下記の如く類別されている.

放て裁忙発症より死亡に至る問の経過日数を年令 別に整理すると表28・の様にfi:ち.本義を基として 山崎博士に依る要約の内容を数値として表現する..

1.死亡者例は其の年令を乳幼児層として2‑6 守,小・中学・高校学童年令層として了‑13才・15

‑19才,成人層として43‑90才層に区分することに 由り3群に類別される.

2.致死日数を1‑2    。5‑8‑9‑

15 * 20くの如く分画し,夫々是れに所属する患者を 順次A‑B‑C‑D‑E塾とするとJ A‑E塾の年令 分布並びに時間的分布は表28. 29.に示される通り

H3Kコ

表28.所見から先ずJ乳幼児層より成年層に進 むに従ってA‑ E塾も数量的にInitialの塾より Finar亡の型に向けて順次移行する傾向のあることを

知るのである..換言すれば大体の嘩向として致死日 数は年令の増加に伴なって延長しているのである.

3.然し乍ら表29.より朗らかな様に,殆ど2‑

4才児に依って占められるA塾申に患者No. 54 6 17才も認められるしJ亦3‑11才迄を主体とするB 型中にNo.109 ♀53才も混在Lている. C型ほB型 に比して致死日数は相当に延長しているが,年令的 にはB塾列愚老との問に特別な差は認められない.

DIE型中にほA B‑C塾列よりも棺多数に高令老 が散見する様であるが,約望l3迄幼年者に占められ ている点ではA‑C型と爾く択ぶ処は無いのである.

ドキュメント内 高橋庄四郎 了二刀■ はL L上う L ろう (ページ 70-73)

関連したドキュメント