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第2章 意思決定支援法

第1節 意思決定支援

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第2章 意思決定支援法

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精神上の障害のある人の多くは,意思決定といっても,昨日,今日で容易に自ら意思決定できる わけではなく,これまで自ら意思決定する機会を与えられず,意思決定の主体性を奪われてきた人 が大半であろう。こうした人の意思決定を支援するためには,普段から本人に寄り添い本人との信頼 関係を築きながら,本人の置かれた状況,生活環境,これまでの社会経験等を踏まえて,本人が自 ら意思決定できるよう支援するための環境整備が必要であることは言うまでもない。

また,本人が意思決定できたとしてもそれを実現していくためには多くの困難を抱えていること も多く,自己決定に基づく自己実現のための支援も不可欠であるといえる。

このような支援は,これまでにも国内外において創意と工夫によって実践されてきたところであ る。

これらの支援は,それを必要とする個々人の特性に応じて柔軟で適正な支援が充実されるべきも のであり,法律によって意思決定支援を定義付けすることにより却ってその内容を固定化してしま うことは相当ではなく,その意味から意思決定支援はできる限り広く捉えていく必要がある。

しかし,意思決定支援の内容を広く捉える場合には,精神上の障害があることをもって意思決定 することが困難な人であると決めつけてしまう危険を内在する。これは障害者権利条約が立つ「障 害がある人も支援を受ければ意思決定できる」という前提に反するものである。障害者権利条約は,

過去の歴史において障害のある人が意思決定できない者と決めつけられ,本人の意思を顧みない代 理・代行決定がなされてきたことを権利侵害と捉えこれを排除しようとするものである。かかる視 点に立った場合,最も注意を要するのは,意思決定支援が奏功しないため代理・代行決定を行わざ るを得ない場面であり,安易に代理・代行に移ることや本人の意思を顧みない代理・代行決定がな されることを排除しなければならない。すなわち,代理・代行決定が必要になる場合としては,「あ る特定の事柄について本人が意思決定しなければならない場面において,本人がその決定をするこ とについて困難を抱えている場合」であり,この場面を中核に据えて基本原則に従った意思決定支 援がなされなければならないということになる。

2 意思決定支援を受ける人

本法において具体的規定で定める意思決定支援では,意思決定支援を受ける人を属人的基準によ って限定しない。

現実には,精神上の障害によって判断能力が不十分な人が意思決定について支援を受けることに なることが大部分であるとしても,それは事柄によっても異なるし,場面によっても異なるのであ り,事前に,抽象的に支援を受ける人を確定できるものではない。

決定された意思は表示されてはじめて把握できることから,表示することに困難を抱えている場 合も意思決定支援が必要となるのであり,これは精神上の障害の有無に関わらない。

すなわち,ある特定の事柄について意思決定すべき場面においてその意思決定に困難を抱えてい る場合であれば,必ずしも精神上の障害の有無に関わらず,すべての人が支援の対象となり得る。

ただ,未成年者については,年齢的に未熟であることを理由として親権に服することになるため,

本法の対象からは除かれることになる。それでも親権の行使に当たっては本法の趣旨は十分に配慮 されるべきである。

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3 意思決定支援の対象事項

本法において支援の対象となる意思決定事項は,法律行為のみならず日常生活上の事実行為や医 療行為,身分行為等,すべての事項を対象とする。

人は社会生活を送る上で様々な意思決定が必要となる。それは何を食べるか,何を着るかといった 日常生活上の事実行為から,法律行為や医療行為,さらに身分行為も含まれる。本人が直面する事柄 について意思決定が必要であるものの,そのために支援を要する場合には,本人が意思決定できる よう適切な支援を受けられるようにすべきである。

そこで,支援の対象となる意思決定事項は,法律行為に限らず,日常生活上の事実行為や医療行 為,身分行為等,すべての事項が対象となる。支援を受けることによって,自らの意思決定を導き出 すのであり,その決定はあくまで自己決定である。

したがって,現行法上,一身専属権とされている医療行為や身分行為など本来本人のみが決定す べき事柄であっても支援を受けるべき事項に含まれる。

4 意思決定を支援する人

(1) 意思決定を支援する人は,ある特定の事柄について本人が意思決定するときに,本人の生活に 関わりがあるすべての人が本法の対象となる。

意思決定支援の対象となる事項は,法律行為だけでなく事実行為も含まれ,また,日常的に直 面する事柄から自分の暮らしや人生に関わる重大な事柄まで多種多様であるため,あらかじめ支 援すべき者を定めておくことはできない。本人が意思決定について支援を必要とするときに,本人 の生活に関わりがある者をすべて支援の担い手としなければ,必要な場面に応じた適切な支援は 実現できない。

そこで,本人の生活に関わりがある者はすべて意思決定支援者として本法の対象とする。例えば,

障害のある人が家族と生活している場合には家族も意思決定支援者となるし,ホームヘルパーが 家事援助をしている最中に意思決定すべき事柄が生じた時は,ホームヘルパーーも意思決定支援者 となる。本人を訪問していた日頃から付き合いのある親しい友人がいる場面では,その友人も意 思決定支援者となる。医療行為については,医学的な知識を必要とする情報提供は医師や看護師等 の医療従事者が意思決定支援者となるし,それを本人に分かりやすく伝えるには,本人の身近に いる家族やケアマネジャー等も意思決定支援者となる。

(2) この点について,すべての人を意思決定支援者とすることは,却って支援することについての 責任の所在があいまいになり,十分な意思決定支援がなされない恐れがあるとして,誰か特定の 者を意思決定支援者と定めるべきではないかという考え方もあろう。

しかし,ここで述べているのは,意思決定支援は,誰か特定の者だけが行うのではなく,本人 の生活に関わりのある人が広く行うものである,ということである。本法の基本理念は,障害が あることをもって一律に支援が必要な人だと決め付けることはしないということである。誰か特 定の者を意思決定支援者と定めておくことは,支援が必要な事柄や場面に関係なく,判断能力の 不十分な人を,精神上の障害を理由に,およそ意思決定支援が必要な人だと決めつけるに等しく,

この理念に反すると考える。

また,意思決定支援の対象となる事柄は,生活の全般に及ぶものである以上,特定の支援者だ けで生活全般のすべての場面にわたって支援を行うことは不可能であり,意思決定する事柄や場

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面に応じて,その意思決定を支援するのにふさわしい者による支援こそが本人にとって最も適切 な支援を期待できるのである。後述するように,特定の事項については,監督付任意代理や法定 代理の制度によって,特定の者が特定の事項について意思決定支援者となることまで排除するも のではない10

(3) また,意思決定支援は本人に関わりのあるすべての人が行うというとき,意思決定の結果に利 害関係を有する者(例えば,取引の相手方)も意思決定支援者として想定するのかということも問 題となる。相手方が自己に有利な意思決定を導くために限定された支援を行ったり,それによって 得られた意思決定を自己決定だと主張することがあり得る点である。

例えば,日常生活自立支援事業における金銭管理や福祉サービスの利用契約を締結する必要が ある場面において,当該金銭管理や福祉サービスを提供する事業者が利害関係を有する立場にあ るという理由で,意思決定支援者から除外するとなると,本人にとって必要な金銭管理や福祉サ ービスの利用ができないという事態に陥ることになる。また,本人が銀行窓口や ATMで預金を引 き出す必要がある場面やスーパーで買い物をして支払いをする場面において,銀行員や店員が利 害関係を有する立場にあるという理由で,意思決定支援者から除外するとなると,本人にとって 必要な預金の引き出しができない,買い物もできないという事態に陥ることにもなりかねない。

そうなると本人の権利擁護が後退しかねない。

他方,高齢者や障害のある人を狙った悪徳業者を想定すると,このような悪徳業者を意思決定 支援者から除外せず,当該業者が意思決定支援を尽くしたとして契約の有効性を主張した場合,

本人の権利利益が護られないという事態も考えられる。

この問題については,当実行委員会において意見を統一することができなかった。

利害関係を有する相手方も意思決定支援者から除外されないと考える立場は,そもそも法律で あらかじめ特定の者を「意思決定を支援する人」から除外することは技術的に困難であるし,また,

本法では,後記のとおり,適切な意思決定支援が尽くされたかどうかをチェックする支援の適正 を担保する仕組みを用意しており,その適正チェックにおいて,そもそも当該事柄が本人に意思 決定してもらう必要のある事柄かどうかが問題とされるのであり,通常,悪徳業者との契約(例え ば,金融商品の購入)は,本人が意思決定しなければならない事柄ではないとして,当該業者の意 思決定支援の適正は担保されない,つまり否定されることになると考え,意思決定を支援する場 面においては,本人にとって必要な金銭管理や福祉サービスの利用ができない事態に陥らないよ う,利害関係を有する相手方であっても排除せず,意思決定支援者として認める立場をとる。

他方,利害関係を有する相手方を意思決定支援者から除外すべきと考える立場は,日常生活自 立支援事業における金銭管理や福祉サービスを提供する事業者や銀行やスーパーの店員等であっ ても,本人と利害関係を有する相手方である以上,意思決定支援者にはなり得ず,あくまで情報 提供者として本人に対して金銭管理や福祉サービスの内容や商品の内容を分かりやすく説明すべ き立場にあると捉えるべきであるとする(ただし,これも意思決定支援の重要な一部分ではない

10 この点について,菅富美枝教授は,「法的な代行決定権限を与えられてきた者(例:任意後見人、法定後見人)

に,その前段階としての自己決定(意思決定)を担わせることが,実行可能性という点でも結果の妥当性という 点でも,現在のところ,最も有効ではないかと考える(「内在的」意思決定支援体制)。」との見解を示してい る(菅富美枝「成年後見法研究第12号」(日本成年後見法学会,2015年))187頁。