参考文献 2. 3
7. 全体まとめと今後の課題
7.2. 既往火山噴火
7.2.6. 復旧・復興
(1)雲仙普賢岳
被災者が長期避難している段階で復興を前面に 出すことについては困難を伴うが,被災自治体から 長崎県及び国に被災者対策を要望する場合,今後の 復興の方針を示す復興計画がないと説得力がない.
このため住民に一番近い立場にある島原市や深江町 が復興計画を作成することになった.
今回の雲仙普賢岳の平成噴火災害の教訓と課題 をもとにして復興の基本方針は,生活再建,防災都 市づくり及び地域の活性化の3本柱に設定された.
島原市の復興計画の策定は,国や長崎県の既定の復 興事業計画を地元の自治体として相互調整するとと もに,生活再建,防災都市づくり,地域の活性化な どの観点から体系的に調整し空白領域を補完し,地 域にとって整合性のとれた復興をめざすものであっ た.これによって,土地利用計画の作成,都市計画 の見直し,新集落の形成などによる面的整備,防災 施設内の有効利用,防災施設周辺の観光施設整備,
避難計画及び自主防災組織の育成などをきめ細かく 行うことが可能となった.
島原市の復興計画は,地元の意向を市民のみなら ず,国及び長崎県に伝える重要なものであり,関係 機関の協力もあって比較的スムーズに策定された.
また,完成度も比較的高いものであった.しかしな がら,この中の安中三角地帯の全面嵩上げ,宅地造 成などの大プロジェクトなどは,地域と行政が一体 となった推進並びに国及び長崎県との連携が不可欠 であった.
噴火が終息した1995年,島原半島全体の活性化を めざした動きが見られ始めた.雲仙岳災害対策基金 は,1,000億円の増額及び5年間の延長が決定され,
本復興対策が可能になった.
雲仙普賢岳の平成噴火による火山災害は,被災地の 島原市・深江町のみならず,島原半島全体に大きな 影響を及ぼした.特に,人口減や宿泊観光客数減が 目立った.このため長崎県は,1996年度を本格的な 復興元年ととらえ,地元市町,住民,長崎県及び国 の出先機関が一体となって,島原半島全体の再生と 活性化をめざした「島原地域再生行動計画(がまだ す計画)」を策定した.「がまだす」とは,島原地方 の方言で「がんばる」という意味である.雲仙の復 興計画から,土石流で埋没した安中三角地帯の嵩上 げによる住宅・農地の再建,湧水池われん川の復元,
植樹による緑の回復などの砂防指定地の利活用,火 砕流による旧深江町立大野木場小学校被災校舎の現 地保存,災害遺構の保存・活用などを柱とする火山観 光が実現した.
(2)有珠山
有珠山は1977-78 年噴火の後,山体から発する渓 流に砂防施設が整備され,次期噴火に伴う二次泥流
(土石流)対策が準備された.2000年噴火では主と して山体の北東山麓に噴火の影響が集中したが,西 山川に整備されていた砂防えん堤と流路工が一定の 機能を果たし,被害軽減に寄与した.
有珠山では20〜30年間隔で噴火が発生しており,
2000年噴火後の復旧・復興も将来起こりうる噴火に 対して地域の安全を図るとともに,静穏期の住民生 活を発展させることの両軸で議論された.その結果,
エコミュージアム構想が打ち出され,最終的には世 界ジオパーク認定によって,活火山地域における火 山との共生に対する一つの姿勢が示された.つまり,
有珠山では活火山を観光資源としてとらえ,地域復 興の柱として「変動する大地」をテーマとするジオ パークを推進した.ジオパークは,減災(人づくり)
と地域の活性化という両面の効果が期待される.
火山活動の静穏期に実行する地域振興策の成否は 時期噴火で確認されるであろう.それを成功に導く ために,地域住民の防災意識の向上とともに,防災 教育と環境教育を併せた教育活動も継続している.
次の噴火を安全に迎え,更なる未来をめざす上で,
ジオパークの活動も大きな役割を担うと考えられる.
(3)三宅島
災害復旧としては,災害をとりあえず少なくする 応急対応と恒久的な対策を行う復旧対策がある.土 のうによる流路工は応急対応の例であり,この上流 で現在施工中の砂防ダムが完成すると大型土のうは 取り除かれ,元の道路として復旧される.復旧事業 の対策としては,噴火対策,泥流対策,土砂災害対 策,火山ガス対策がある.これらの対策は既存技術 や新技術,IT技術を利用して,住宅・農地,河川海 岸,森林,ライフライン,港湾・空港を整備し,そ の安全性の向上を目指している.
この災害は,避難生活が4年5か月に及んだこと から,多くの住民が生活苦に悩まされた.全島避難
から3か月後の2000年12月には,「被災者生活再建 支援法」に基づく生活再建支援金の支給が開始され,
2003年1月末までに1,484世帯が受給した.また東 京都はこの制度の対象とならない世帯に独自に支援 金を支給し,2002年7月末現在で136世帯に適用し た.このため支援法関連では合計で 1,620 世帯で,
全世帯の93%が適用を受けた.
(4)伊豆大島
公共土木施設の復旧は,三原山観光のアクセス道 路である都道や登山道の再開に向けた整備,住民生 活の安定化のためのインフラ施設の改善などが実施 された.約1ヵ月におよんだ住民避難に対する補償 として,義援金を基金に配分した.
また,島内を3地区に区分して,地区単位で避難 対応策が検討され,第一次避難場所として14箇所の 施設が指定された.さらに岡田,元町,波浮の3港 と大島空港,波浮ヘリポートの整備が進められた.
噴火の翌1987年5月には東京都により,伊豆大島噴 火復興計画が決定され,1990年度までに総額207億 円を投じた復旧事業が進められることとなった.
(5)セントヘレンズ
セントヘレンズ噴火後の周辺地域の復旧・復興の 基本は,1982年8月にレーガン大統領とアメリカ議 会 が , 山 体 崩 壊 や ブ ラ ス ト に よ る 被 災 地 域 の 約
445km2をセントヘレンズ山国立火山モニュメント
としたことである.1980年噴火による被災地の大部 分は,自然の復旧に委ねることで放置された.
(6)エイヤフィヤトラヨークトル
火山周辺での被害は少なく,特に復旧・復興の計 画はない.
(7)メラピ
2010年の大噴火から,1年が経過した現在,未だ メラピ火山上流域には不安定な土砂が堆積しており,
今後も噴火直後と同等の土石流被害が発生する危険 性が高い.被災を受けた地域住民は住み慣れた居住 地を追われ,日常生活に戻れない状況が続いている.
まさに 2010 年メラピ火山噴火の災害は続いている といえる.この災害を契機に,緊急対策及び中長期 の災害対策を検討し,より地域安全度の向上を目指 していくことが必要である.
(8)ピナツボ
ピナツボ火山における二次災害や復旧・復興に対 する対応として,泥流防御施設の建設がフィリピン 国の公共事業道路省(DPWH)によって実施された.
主に泥流氾濫を防止するための堤防が建設された.
パシグ・ポトレロ流域における一線堤の延長,二線 堤,三線堤,貯砂面積45km2,高さ約12mのメガダ
イク(Mega Dike)が自国資金により建設された.
他国からの援助として,1991 年〜1992 年に米国 陸軍工兵隊(United States Army Corps of Engineers)に よりピナツボ周辺の主要8河川について概略的な施 設計画(堤防,浚渫,貯砂ダム等)が検討され,1994
年にRecovery Action Planが作成された.その後,我 が国の援助により,「ピナツボ火山東部河川流域洪水 及び泥流制御計画調査」,「ピナツボ火山西部河川流 域及び泥流制御計画調査」が実施された.そのうち,
サコビア-バンバン川河川改修,マスカップ砂防ダム,
パッシグ-ポトレロ川河川改修,メガダイク補修工事 等が実施された.現在は第3期(PhaseⅢ)をむかえ,
パッシグ−ポトレロ川下流域の支流や同支流に合流 するポーラック−グマイン川においてハード対策や ソフト対策(流域・土地管理計画,災害防止・避難 計画の策定等)が実施されている.
火山の写真 浅間山 1973
1973 年 3 月 行田撮影(東京大学地震研究所浅間火山観測所)