参考文献 2. 3
3. 既往火山噴火被害(現象)
3.4. 伊豆大島
3.4.1. 概要
伊豆大島は,相模湾上にある火山島で,中央部に
直径2.5kmの北東に開いたカルデラがあり,その中
心に三原山がある.過去500年の活動は三原山に限 られていた.1950-51 年の噴火では,三原山の火口 から溶岩流があふれ出したが,カルデラ内にとどま った.集落は,島の外周道路沿いに点在し,北に岡 田港,西に元町港がある.ここでは,1986年噴火を 整理する.
(1)前兆現象
1986年7月に火山性微動が観測され徐々に連続的 となった.また,11月 12日に竪坑状火孔壁から噴 気が出始めた1).
(2)A火口の活動
11月15日17時25分頃,三原山にある直径300m の中央縦穴火口南壁(のちのA火口)で噴火が始ま った.高さ 200-300m の連続的溶岩噴泉の活動が続 き,噴煙は高さ3,000mに達した.A火口のマグマは 徐々に,粘性が上昇,間欠的に花火のような爆発を するストロンボリ式噴火となった.溶岩は約360万 m3/日の噴出率で竪坑状火孔を埋めたて2),19日10 時頃には展望台付近の火口縁を越え,溶岩流となっ てカルデラ床まで流れ下った(LA溶岩流,図4.3.1.1). 19日23時頃から噴火・微動活動が衰え,その後散 発的に爆発が起こる活動が続いた
(3)BC火口の活動
11月 21日午前中から爆発が強くなり,黒煙を伴 うものも起こるようになった.14時頃からカルデラ 北部で地震が群発するようになり,カルデラ縁付近 では有感となった.三原山北西のカルデラ内で,溶 岩流の調査中の日大調査団の至近距離で,突然北西
−南東方向の割れ目噴火が始まった(図 3.4.1.2).
割れ目噴火の発生は想定外であった4).
16時44分にはA火口も活動を再開した.B火口 列は大規模な溶岩噴泉活動を続け,溶岩噴泉の到達
高度は1,600mに達した5),降下堆積したスパッター
は火砕性溶岩(LBI,LBIII溶岩)となって北方と北 東方に溶岩が流出した.風によって東に流された,
スコリア・火山灰が島の東部に堆積した2). 17時45分にB火口列の延長線上,カルデラ外の 北西斜面で新たな割れ目噴火が始まり(C火口列,
図 3.4.1.1),18時頃には溶岩が流下し始めた.溶岩
流は谷沿いに元町に向って流れ下り,元町火葬場か ら70mの地点まで達した(LC溶岩流).合同対策本 部は21日夜,全島民に対して島外避難命令を出し全 員離島となった.
(4)11月21日以降の活動
21日夜半から22日未明にかけてA火口,C火口 列での噴火はおさまり,剣ケ峰付近の B2火口の細 粒火山灰を放出する噴火が23日午前中まで続いた.
23日午後,B火口列の火砕丘の北東肩の一部を持 ち上げるようにして LB-II溶岩流の流出があり,長 さ約 300m に達した 4).これは,噴火初期に噴出し た SiO2 成分に富んだスパッター等が,上部を覆っ た SiO2 により乏しい噴出物の熱で再溶融して噴出 した,二次溶岩流であった.
12月17日午前から火山性微動が観測され,18日 17時23分にA火口で噴火が始まった.噴火は火山 弾を放出する花火型の噴火で,19時 30分頃まで続 いた後鎮静化した.火口から1㎞の範囲に火山弾が 降下した.
図 3.4.1.1 伊豆大島1986年噴火の火口と溶岩流3)
図 3.4.1.2 突然の割れ目噴火の開始(B8,B7火口)
(1986年11月21日16:15宮地直道撮影)
(5)噴出量
11月15日から19日までの噴出物量は約2,930万 トン,11月21日の噴出物量は約2,900万トンである
6).特に,B火口の噴火では,火口列の近くには,粗 粒な火山弾・スパッターが集積して,最大層厚約50 mのスコリア丘を形成した.同時にやや細粒なTB2 スコリアは,島の東半部を広く覆った(図 3.4.1.3).
(6)岩石
11月15日から始まった,三原山山頂A火口の噴
出物は SiO2=52.5-53.2wt%程度の斜長石斑晶がやや
目立つ輝石玄武岩であった.これは1950-51年噴火 の噴出物と類似していた.一方,割れ目火口(B,C 火口列)からの噴出物は SiO2=54.5-67%の無斑晶質 安山岩からデイサイトと広い組成範囲を示し,A火 口噴出物とは明確に異なる組成で,マグマ溜りが独 立していたことを示すと考えられている7).
(7)1987年の活動
1987年7月頃から山頂部での地震が増加,元の竪 坑状火孔縁に沿った環状噴気が活発になった.11月 16日10時47分に大音響とともに爆発し,三原山周 辺に竪坑状火孔を満たしていた溶岩の破片を飛び散 らせ,竪坑状火孔は約 30m 陥没した.18 日にも噴 火し,陥没により直径350-400m,深さ約150mの竪 坑状火孔が再現した.
この噴火は,中央竪穴火口に形成された溶岩湖の 崩壊であった.溶岩湖は,表面と壁の近くだけが固 化して,内部は未固結だったのだ.表面の,水蒸気 爆発をきっかけに,地下数キロのマグマだまりに,
段階的に逆流し,戻ったと考えられている8).
3.4.2. 一次被害
1986年伊豆大島噴火による,一次被害は以下のと おりである.
(1)カルデラ外での割れ目火口の生成
御神火茶屋へ続く有料道路を横断するように火 口列が生じたために,御神火茶屋へ自動車で行くこ とが不可能になった.温泉ホテル側の道路は通行可
能だったので,温泉ホテルと御神火茶屋をつなぐよ うなカルデラ崖ぞいの道路を拡張した.
(2)溶岩流の流下
LA 溶岩流によって,三原山の縁にあった火口茶 屋(木造)が炎上し埋没した.隣接する神社は残っ たが,わずかに高い位置にあったのと,鉄筋コンク リート製であったためであった.また,御神火茶屋 と三原山を結ぶ,有料歩道と登山道が埋没した.こ の道路の復旧は,溶岩流を掘削する必要があり,10 年を要した.C 火口列の噴火により,長沢には LC 溶岩流が流れ込み,元町の東まで埋め立てられた.
途中の林道が,溶岩流により侵食・埋積された.
(3)降下スコリアの堆積
東側の周遊道路上では,最大層厚 20 ㎝ほどの降 下スコリアが堆積し,スリップのために車が通行で きない状態となった.また,三原山周辺の裏砂漠を 覆ったスコリアは,噛み合いがよく風による砂の移 動を妨げるものであった.スコリアの堆積後,三原 山全体に植生が繁茂,砂漠のような独特の景観は失 われつつある.(図3.4.2.1).
(4)地割れや断層による道路の寸断
B火口噴火の開始の直前,カルデラ内で,火口列 と平行な地割れを確認した.割れ目噴火の開始は,
地割れの調査中のことであった.
また,B火口列の噴火開始後,御神火茶屋の北東 側の自動車道路で,30㎝の断層が確認されている.
これは,カルデラ外で17時47分に生じたC火口 群の火口列の方向に平行しており,噴火の前兆を示 すものと考えられている.また,島の全域にわたっ て多数の地割れや亀裂が発見された 9).多くは割れ 目火口と同様北西−南東方向の亀裂だった.特に,
波浮港の北側の奥山付近では,道路を横断する段差 のために通行不能となった.これらは,岩脈の貫入 によるものと考えられている.
図 3.4.1.3 TB2降下スコリアの分布2) (単位mm)
図3.4.2.1 御神火茶屋からみた三原山の景観の変化
(撮影は上から,千葉2006,千葉1996,渡辺1951)
(5)LC溶岩による埋め立て
C6火口から流出したLC溶岩流は,長沢に流れ込 み,元町の東にある火葬場から70mの地点まで到達 した.途中にある林道も寸断された10).
(6)火山灰による航空機の被害
11月21日のB火口の噴火は,噴煙の到達高度が
16,000m まで達し,かなり東方まで火山灰の影響が
及んだ(図 3.4.2.2).この灰雲に4機のジェット旅 客機が遭遇(表 3.4.2.1),そのうちの 3機が被害を受 けた11) .
3.4.3. 二次被害
1986年伊豆大島噴火では,山頂噴火や山麗の割れ 目噴火に伴う溶岩流やスコリアの噴火が主たる現象 であった.このため,山腹で表面流出を発生させや すい火山灰の堆積は小さく,島民の避難したことに よる有形・無形の損害は聞いているが,一次災害の 後に発生することが多い土石流などの二次災害はほ とんど見受けられなかった.溶岩や降下スコリアは 透水性が高く,降雨が地盤に浸透しやすいことが原 因である.
3.4.4. まとめ
(1)想定外の噴火
伊豆大島1986年噴火は,開始直後,「御神火の再 来」と大歓迎された.ジリ貧であった観光客が増え ると考えられたのである.ところが,11 月21 日の 割れ目噴火の発生は,全くの想定外で,少なからぬ 混乱をもたらした.割れ目噴火の火口列が北に伸び ていたこともあり,まず,北側の岡田地区に避難指 示が出され,元町に避難した.ところが,そのタイ ミングで,カルデラ外でのC火口群の噴火が始まり,
元町からは赤々と噴き出す溶岩噴泉が見え,谷底を 溶岩が元町に迫ってくるという状況となった.そこ で,元町は危険であるという認識が生まれ,さらに 南の波浮港方面への避難方針が示された.しかし,
その後,波浮港の先で,都道に地割れが生じている ことが確認され,島の南東側での水蒸気爆発の危険 性が指摘された.また,波浮港は大型船の入港がで きないということもあり,波浮港にあふれた 4000 人の島民を元町港に戻すことになった.このころに は,C火口群の噴火は,小康状態となっていたので ある.しかし,この短時間の避難指示の変更は現場 の混乱を招き,たくさんのバスが元町と波浮の間を 無駄に往復する混乱を生じた.
(2)全島避難
全島民を収容する避難スペースは元町にはなく,
全島民を島外に避難させざるを得ないことは明らか であった.この後,朝までの間に元町港を中心とす る港から,全島民約11,000人の島外避難が極めて整 然と行われた.
これは,東京大学伊豆大島火山観測所が観測を続 けており,その情報が当日来島していた火山研究者 を通じて,行政当局防災機関に直ちに伝えるととも に,適切な助言を与えることができたたこと.あら かじめ,海上自衛隊,海上保安庁,東海汽船に協力 の要請を行い,それらの船艇が総力を挙げたこと,
当日がべたなぎで天候に恵まれたことも大きな要因 の1つである12).
(3)現状の課題
2012年現在,東海汽船の大型船は減船が続き,定 員は1986年当時の半分にも満たない.島内のバスの 台数も半減している.近い将来,同じような噴火が 発生し場合に,1986年のように島外に迅速に避難す ることは困難であり,島内での避難計画が立案され ている13).東京大学伊豆大島火山観測所も無人化さ れ,気象庁の伊豆大島測候所も廃止されている.こ れらの点も,火山防災上の懸案事項として指摘され ている.
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参考文献
1)阪口圭一・奥村晃史・曽屋龍典・小野晃司,伊豆大島火 山 1986 年の噴火-地質と噴火の歴史-,1:25,000,特 殊地質図,地質調査所,26,1987
2)遠藤邦彦・千葉達朗・谷口英嗣・隅田まり・太刀川茂樹・
図3.4.2.2 伊豆大島1986年11月21日の火山灰11)
表3.4.2.1 火山灰による航空機被害11)
伊豆大島1986年11月21日噴火