略歴
1947年福島県生まれ。千葉大学医学部卒業後、同大学 病院、八日市場市民総合病院勤務。院内外の人々とター ミナルケア研究会を開催。91年10月より、東京小金井 市の聖ヨハネ会総合病院桜町病院へ移り、現在ホスピス 科部長兼聖ヨハネホスピスケア研究所所長。
著書
「病院で死ぬということ」(日本エッセイストクラブ 賞受賞)(正・続、主婦の友社、文春文庫)、「ここが僕 たちのホスピス」(東京書籍、文春文庫)、「僕が医者と して出きること」(講談社)、「河辺家のホスピス絵日記」
(共著、東京書籍)などがある。
山崎先生には先生がホスピス医として働かれるように なった経緯をお話頂く中で、一般病院の問題点や患者さ んとの接し方についてご意見を聴かせて頂きました。
―― 先生が一般病院ではなくホスピスの医師になろう と思ったのはなぜですか。
外科医として仕事をしてきて、医者8年目にキューブ ラーロスの「死ぬ瞬間」1を読んだのだが、自分たちが 医療現場でやってきた対応の仕方と違った人間の死んで いくプロセスや看取りの場面がそこにはあった。自分の やってきたことは何だったのかと思った。外科医として 病気の診断をして手術をするというプロセスはよいが、
治らない人もいる。亡くなっていくのだという事を伝え なかったとしても、患者さんには自分の体を通して感じ ることがたくさんある。日々弱っていく体、医療に対す る不信・疑問、そういうことに対してきちんと応えられて いなかった。今のホスピスであればなぜ具合が悪くなっ てきているのかについて率直に話ができるが、昔は癌だ
1『死ぬ瞬間―死とその過程について』E・キューブラーロス著。鈴 木晶訳。読売新聞社。多くの末期患者さんとのインタビューをもとに 書かれた本。
ということ自体を隠していて、治っていくということが 前提になっていた。だから、治らない人にも「治ります。
がんばりましょう。」としか言えなかったのだ。患者さん と現実的なことを共有することがなく、患者さんが求め ていることに応えることがなかった。治ることが前提だ から話も噛み合わず、そんな中患者さんは亡くなってい く。しかも、心臓マッサージや人工呼吸を経て亡くなっ ていく。亡くなっていく人の蘇生を誰のためにやってい たのかを考えた。間違っていたと思った。
その後、また一般病院で仕事を始め、外科医としての 仕事も重要だが、患者さんが亡くなっていくときに蘇生 をするのをやめようと考えた。医療者だけで家族を追い 出して蘇生術をやって、我々は全力をつくしたけれどだ めでしたというプロセスを見せるようなものだったから だ。家族としてはそこまでやってもらったならという気 持ちもあるだろうが、最後の場面を何で医療者が奪って しまうかという気持ちもあるはず。家族と理解しあって いれば、家族が患者さんと最後の時間を過ごす工夫がで きる。医療者が出しゃばるのではなく、亡くなる場面を 患者さんと家族に返そうとした。
次に、亡くなる場面だけを考えればその人の尊厳は守 られるのかと思った。プロセスが大事であって、この先 どうなるかという事等についてはインフォームド・コン セントがないと、その先に進めない。僕の終末期医療へ の取り組みは臨終の問題から入ったけれど、本格的な出 発点は告知の問題となったのだ。末期の患者さんでも告 知が大事ではないかと思った。しかし、たとえ本人が望 んだ事であったとしても、悪い情報を伝えられた人は大 変なショックを受ける。最近もぜひ検査をしたいと言わ れ、その結果を伝えたら泣き崩れてしまった人がいる。
「悪い情報で申し訳なかった。」と謝ると「私が望んだこ とだから。」と言ってくれたが、悪い情報はやはりつら い情報である。しかし、その受け止めがないと次に進め ない。けれども家族の抵抗は強く、相談するとやめてく れと言われる。ここのホスピスに来る前は、家族を無視 できないと考え、家族と合意したときのみ告知していた が、末期癌の14%くらいしかできなかった。
そうして患者さんが自分の生き方を決めていくという のをやっていったが、一般病院というのは療養環境が悪 い。病院はうるさいし、家族が泊り込めない。カーテン 一枚の4人部屋は、人生最後の話をする場ではない。思 い切り泣きたいこともあるが、隣の人との関係を気にし ながらではつらい。また、動けなくなるということは排 泄をベッドでやることになる。大部屋ではよその人に気 兼ねする。トイレまで連れて行ってもらうパワーもない。
その事を受け止めるしかない。自分の一番嫌なことを無
82 第4章 山崎章郎先生 インタビュー 理矢理受け止めていくというのは自分の尊厳を崩してい
くということで、だんだんと自分が尊厳ある人間だとい うことを否定していくしかない。お互い様という人間の 優しさもあるが、適応できる人、出来ない人がいる。病 院は人生の最後を過ごすにはふさわしくないと思った。
一般病院の中で患者さんに真実を伝えていくことも患者 さんとの時間を大切にすることもできたが、当然限界は 山ほどあり、やはりホスピスのようなその人に最適な療 養環境を作ること、その人たちの体のことだけではなく 心や家族のことにも配慮しながら関われるようなものが 必要だと感じた。ホスピスは終末期医療の問題を克服で きるもので、急速にホスピスが必要だ、日本の中で定着 させるべきだと思ったのである。
―― 今のお話の中で一般病院の問題点として、患者さ んのプライバシーを守れない環境だということと、全 体的なマンパワーの不足ということがあると思います が、その他にありますか。
そう、例えば病院は総体として目指している方向が病 気の治療である。治療を求めている人がたくさんいて ベッドが空くのを待っている中、治療法がなくなった患 者さんはそこにいてベッドをふさいでいるだけであって、
歓迎されざる人となる。だから多くの病院は退院してほ しいという。他を探すが質の悪い病院しかないこともあ り、たとえ最後まで同じ病院にいていいと言われたとし ても、医療者はよほど意識しないと治療法のない人に関 心がいかない。そうすると患者さん自身も、自分がみん なの迷惑になっているのではないか、放っておかれてい るのではないか、見捨てられているのではないか、とい う思いを持ってくる。けれども、それらは一般病院の目 指すことから見るとやむを得ないこともある。
―― 終末期医療ということでいうと、ホスピスを増や そうと思っていらっしゃると思いますが、一般病棟で は何ができると思いますか。
やる気になれば一般病棟でできるのはまず症状コント ロールで、これは知織・技術の問題だ。ただ、どれくらい 患者さんの症状に関心を持てるかだから、治療を主体と 考える医者は治療できる患者さんに目がいってしまう。
痛みを取る技術に関する本を知らない人もいるが、医療 機関が本気になれば教育などでどうにかなると思う。そ れから、苦痛が取れたときに日常的なサポートが必要で、
これは医者や看護婦でなくてもよいので、ボランティア を導入するなどでマンパワーを確保したらよい。あとは、
医療者がそういう人の存在の大切さに気がついて時間を そちらに少しでも注ごうとしていけるとよい。患者さん
も医者が忙しいのはわかっているが、忙しい人が来てく れるとうれしい。安心する。ご家族も安心する。急にホ スピスが広がったりはしないだろうから、そういうこと でよりよくなると思う。
―― 死の受容を考える時には信頼関係が大事だと思い ますが、忙しい中でも意識さえすれば短い時間でその 信頼関係の構築は可能でしょうか。
死の受容というのは言葉としては簡単だが、患者さん たちと話していて、どういう場面で自分が死んでいく ということを受け止めることになるかは難しい。例えば
「あなたの病気は治りにくい」と言った時に「わかりまし た」と言っても受容したことにはならない。インフォー ムド・コンセントは死の受容ということにはならないの である。医者と患者さんは事実の部分は共有できるが、
その後の死をどう受け止めるかは患者さん自身が切り開 いていくこと。その中で揺れ動く部分もあるし、医者の 言ったことが本当かという疑問もあるだろうけれど、大 切なのは医療側がその揺れ動く部分を受け止められるか どうかだ。
そして、誰が受け止められるか。ホスピスでは医者も そういう時間がとれる。しかし、治療を主体としている 病院はそういう時間はとれないと思う。医者より看護婦 さんの方が患者さんに近いが看護婦さんも忙しい。医者 や看護婦にこだわらなくても例えばチャプレン。キリス ト教の国ではどこにでも牧師がいる。その人たちがいろ いろな悩みを聞いてサポートする。最近は宗教的な問題 だけではなく患者さんやご家族が自分ではどうしたら よいかわからない問題に耳を傾け、時にアドバイスをす る。心の揺れに添いながらサポートしていく役割を持つ のだ。医者もチャプレンの働きをできるが、一般病院で は時間がない。チャプレンのような人も一般病院の医療 チームに入ればよいと思う。そうして初めて患者さんは 事実を受け止めていく。でも、最後まで受け止められな い人もいる。だから受容したとかしないとかということ を周囲のものが軽々しく言うべきではない。当事者の問 題であって、周囲のものが受容した、しないというのは おこがましい。
また、一日の中でも揺れ動くので、ある場面だけとっ て受容したと思ってはいけない。いずれにせよ、周りの 人が意図的に受容を導くというようなことにはならない し、そう思ってはいけない。宗教は最初から死後の世界 の約束があったりするから、宗教を持っている人は別で、
確固たる宗教を持っていれば牧師などがそういう役割を 果たしてくれる。ただ、日本人はそういう人は少ない。