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小俣政男教授 インタビュー

ドキュメント内 may-fest.dvi (ページ 81-85)

略歴

昭和20年山梨県生まれ。45年千葉大学医学部卒業。

千葉大学第一内科に入局され、エール大学病理学教室、

南カリフォルニア大学肝臓研究所、米国FoxChase癌研 究所を経て、現在東京大学大学院消化器内科学教授。消 化器の癌、殊に肝炎・肝癌の臨床、研究に携わっておら れ、研究のメインテーマはゲノムと疾病のリンク。

著書

NEnglJMec,Lancet,Pro cNatlAcad Sci他、英文 原著500編、朝倉書店「内科学」(杉本恒明、小俣政男)

などがある。

小俣教授には死や疾病と和解しないという強いお気持 ちをお話頂きました。そういう医療を行っていく上での 患者さんとの接し方・どういう医者を育てていこうとさ れているかについても触れて頂きました。

―― 告知から看取りに着目して、あるいは全般的に、

医師は患者さんにどう接したらよいのでしょうか。

医者と患者の関係を医者側だけから見てはいけないと いうことはつねづね言われてきている。一番感じるのは、

我々の目線の高さだ。我々は物理的にも高いところから 患者さんを診ている。自分が急性膵炎で横たわってみる と、それがつくづくわかった。医者は患者さんを治した いという気持ちがあるあまり、ついメカニックに診てし まう。また、そうでないと病気を治せないからだ。しか し、ともすればそのことで頭がいっぱいになってしまい、

それを包括する患者自身のことは考える余裕を時に失う。

例えば、胆管の狭窄をとれば、病気も治るし、それに付 随して精神的にも安心するのではないかと思い込んでい るから、そこに邁進する。

―― 治療が可能であればよいですが、長期になったり 治せなかったりする場合はどうなのでしょうか。

卒業して31年、治せなかった病気がかなり治せるよ うになってきているのを見てきた。まだ治せない病気も あるが、治せない病気を持つ患者さんとどう接するかと いうより、治せない病気を治したいということがまず最 初にある。胃癌の中のある特殊なものは31年間相変わ らず治らないという現実がある。けれども、それらは多 くの疾患の中でも減少してきており、多くの癌は、残念 ながら死と和解するまでに、死とのいわば無数の闘いが ある。だから、治せないという事実に"Reconcile"、すな わち和解はしたくない、死神と和解したくないというの を日々の努力としている。いずれの日にかはその治せな いという胃癌もなんとかしたい。患者さんのこの人は自 分を治せないだろうという視線ほどつらいことはない。

この31年間は命の重みを感じ続けている。また、死 に直面した患者さんに「死ぬっていったいどういうこと か」と問われる。物理的・具体的な苦痛なども知りたかっ ただろうが、死んだ後どうなるかということも含んでい ただろう。いろいろ思いを馳せることが多い。

―― 命の重みというのはどういうことでしょうか。

患者さんの状態が非常に悪くなったとき、数ヶ月間様々 な科の先生とありとあらゆる努力をして救命的な処置ま で持っていく。それでも亡くなるかも知れない。しかし、

助かる医療が増加してきている。その中で、一人助ける ということがどんなに重いことか、命の重さを感じる。

医療も闘い。勝たなくてはならない。もし患者さんが亡 くなっていたら逆だった。

忙しい中でやはり背中に感じるのは患者さんの感謝の 眼差しだが、最近は医師のしてくれる行為は善の行為だ けではないという冷ややかな眼差しも一方であり、それ はつらいものである。しかし、非常に冷ややかだった患 者さんの家族から身を粉にして救命につくした医師に対 し「わあ、○○先生来られた!」といういわば喜びの声 を聞くと、我々は患者さんの同士としてまさしく死と闘 わなくてはとつくづく感じる。

―― 患者さんを治すことによって患者さんとの関係が 高まるということでしょうか。

それしかないと思う。今の世の中の医者は何か間違う のではないかという雰囲気を戻すには、より高いレベル の医療で患者さんを治すことだろう。

―― いかにいい医療を提供して患者さんの信頼を得る かということになりますか。

我々が反省しなくてはいけないのは、逆にそれに走り すぎて、機械的にを治せば心も治ると思っていたことだ。

74 第2章 小俣政男教授 インタビュー やはり医者の目線は高い。もともと医学部に入るという

ことが競争なので、余計そういう部分はある。さらに、

常に治す立場だから、強い部分がある。医者というのは 自分が弱者たりえなかったために、目線の高さに違いが ある。しかし、今は変ってきているし、更に変えないと いけないと思う。

―― 先ほどのケースでは患者さん自身は治療を受けた いという気持ちが強かったのでしょうか。

医者を信頼していた。救命的処置が決まった時には医 者とその患者さんが手を取り合って泣いた。

―― 生存率を改善しようという努力というのはチャレ ンジであるというのは患者さんもわかっていて、治療 に踏み込む時には不安があると思うのですが、それを 解消するために医師ができることは何でしょうか。

昔はベッドに寄り添って手を握ることだったかもしれ ない。しかし今はやはり具体的なデータを示すことで、

あなたの生きる確率はこうではないかと言うことだと思 う。しかし、それはこれから開始する死との闘いへの同 士であることの証しであるという大前提が必要だと思う。

共に闘ってくれる人がいるという気持ちを惹起するため に告知する。

―― 患者さんにもうこれ以上の治療はいいと治療を拒 否されたことはありますか。

ある。8年間で1500人見た中で2人おられた。お一 人は二者択一の選択があり、もう一人は、戦争をくぐり ぬけてきていろいろ体験してきたので、今生きているの はお釣だからもういいと初めに言われた。しかし、外来 に来られるたびに具体的なデータを示して結果的に治療 して5年、本人はさらなる治療を望み始められている。

―― 医師は闘いたくないという患者さんを闘う気にさ せるサポートができるということでしょうか。

患者さんは最終的には提供される情報によって判断さ れるから、どういう情報を提供するかではないか。イン フォームド・コンセントするということは単純なことで はなく、何をインフォームするかということで全然違っ てくると思う。

―― 先生は何か意識して行っていることがあるので しょうか。

やはり、生きるということがどれだけ素晴らしいこと かということではないか。結局患者さんは最後の最後ま で一分でも長く生きたいと思っていると思う。間違いな い。ただ、自身の経験から、日本人と外国人では宗教的 な違いに基づいた死生観の違いがあるように思う。しか し、医療人としては、一分一秒の生にこだわる。

―― 実際亡くなっていく患者さんに接したときにはど うだったのでしょうか。

闘った末に亡くなられたという感じだ。精神的・心理的 緩和ケアということで言えば、やはり寄り添うとか手を 握るとか優しい言葉をかけるとかであろう。母親にとっ ては子供がそこにいるだけで緩和になる。けれどもそれ だけではないような気がする。我々は患者さんと共に闘 わなければいけないし、プラクティカルすぎるかもしれ ないが、例えば、残された息子の中に何かgenetic(遺 伝的)に残って、ときどき「お父さんに似てるわね」と いう家庭の雰囲気を思い浮かべながら死ぬことができた らと、私なぞは思う。

―― 治療をする中で患者さんが疲労することもある が、共に闘うということでその疲労感を和らげること ができるのでしょうか。

自分が癌になったら日々考えるのは癌のことだ。それ が患者さんのムードを暗くするしQOLを下げると思う が、それと共に闘ってくれるのが医学的な知織と技術を 持った医師だと思う。自分の兄弟・母親のごとく愛情を 持った医師なら最高だ。まさしく先ほどの数ヶ月間努力 した医師は、初めは肉親のごとき愛情はなく、むしろ不 安と共に敵地に乗り込んだ感じだったが、その数ヶ月間 で知織と技術を持つと共に母親のごとき愛情を持つ人に なってしまった。緩和という優しさともう一面、力だと思 う。医者がその力におごっている部分があるから、それ に母親の優しさが加わればそういう医師のもとで…、と 思うのではないか。私はそういう医者を育てたいと思っ ている。

―― 患者さんの目は冷ややかで、医者は忙しいという 中、全身全霊をかけて患者さんのために努力している ということを伝えるということは難しくなってきてい ると思いますが、どうしたらよいでしょうか。

耐えるしかない。今の状況は当たり前といえば当たり 前である。人の命は重い。だから病院に行ってそれが傷 つけられるのではないかということが一度流れればそう 思うのは当然だ。ただ、やはり単純な作業の回数を重ね

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