第3章 大分県の一村一品運動
3.3 大分県での一村一品運動の事例にみるファシリテーターの役割
3.3.4 大鶴地区
大鶴地区は大分県西部に位置し、耕地が山間部に点在する地域にあり、労働力の主力は 60歳以上であった。高齢化が進展し、早くから農業従事者の確保が困難な状況にあった
(吉田1993: 148)。1955年に日田市に吸収合併された頃から農協は赤字で、地域の存続
が危ぶまれていた141。1984年の春、大鶴農協組合長と村の有志が、県の農業改良普及員 を退職した池永千年142のもとを訪れ、地域の再生を依頼した。池永は、農協の営農販売部 長に就任して、大鶴農協の売上目標を1億円に設定し、大山地区に最適な農作物の調査か ら、営農の指導、市場への売り込みまで行うことで、少量多品目のブランド野菜の産地形 成を目指した。
141 当時、農協には農家からミョウガが持ちこまれていたが、出荷価格は1パック 12円にしか ならず、農家は利益を出すことができなかった(大分県一村一品21推進協議会2001: 217)。
142 NPC運動の立ち上げの功労者であり、大分県の将来を担う農業者を育成する「おおいた農業
平成塾」「農業未来塾」の参与・助言者として、若手農業者の指導育成に尽力し、大鶴農協の経 験を全国各地で公演した(大分県一村一品21推進業議会2001: 219)。
79 (2) 大鶴地区の活動にみる三原則
大鶴地区では、運動のファシリテーターが外部者であったため、やる気のある地域の人材 を発掘することから始まり、誰でもが取りかかれる(ア)ローカルにしてグローバルを見極 め、(イ)自主自立・創意工夫の概念を取り入れながら、人づくりを行っていった。
(ア) ローカルにしてグローバル
大鶴地区では、運動のファシリテーターである池永が、住民を惹きつけるための道具と する地域資源の見極めから始めた。田畑あわせて1戸あたり平均34アールであったため、
10アールあたり300万円の収益をあげると農家の収益は1,000万円となる。この条件で 流通にのる品目を大阪市場で探した(大分県一村一品21推進業議会2001:217)。調査や ネットワークづくりの費用は全額農協が負担した(糸乘2001: 114)。その結果、ハーブ類 や洋菜のエンダイブ、ウイキョウ、マーシュ、中国菜のチンゲンサイ、ターサイ、ツルム ラサキ、シャンサイ、といった少量ではあるが、出荷がないと市場が困るとされている野 菜を探し出し、少量でも高値が付く野菜に焦点を当てた野菜作りが目指された(大分県一 村一品21推進業議会2001:217)。
小物野菜の取引が主であったため、高齢者中心の農家に最適であった。しかし、池永が
「営農振興の基本方針」を農民に示した当初には賛同者は現れなかった143。池永は 100 日かけて10人の賛同者を見つけ出し、少量多品目で生産と販売が一体化した営農指導を 行い、誰でも作業しやすく、需要のある作物の生産(当初は春ゴボウとセリの2品目)に 取り掛かった144。
143 「今更、年寄りに汗をかけというのか。農協のガキ共に何ができる」「三反百姓でやれるはず
がない(その三反のうち 30%が減反となっていた)」「どーせ、そう長生きはせんとじゃろう」
「生きがいは、ゲートボールをやることと、老齢年金を貯めて自分の年金で旅行にいくことだ」
という農民の声があった(糸乘2001: 115)。
144 「430戸あるんだから、一人や二人はいるはずだ。やる気のある人間を捜そう」と考えて、
小さな村をシラミツブシに回って対話をし、村人の心を探った。見つけだした10人を相手に『汗 を流せ。必ず報いはある」と言って、その時は、10人以外取り合わないことにした。「やる気の ない人の説得はできん。実証して見せるしかない」とし、10人で取り組んだ(糸乘2001: 115)。
80 (イ) 自主自立・創意工夫による人づくり
大鶴地区の「ローカルにしてグローバル」を生み出す活動が一戸に一品を作るものであ ったため、活動は「一戸一品運動」と名付けられた。農協が営農意欲を引き出すために少 量でも様々なルートを通じて高く販売した結果、初年度から成果が現れた。池永は、春ゴ ボウをつくった8人に「自分が儲けた話を、近所に吹聴して回れ」と伝え、8月の準備の 頃には希望者が増えた(糸乘2001: 116)。運動の採用者は、高齢者、女性、Uターン組な ど様々であったため、農協は生産者のそれぞれの適正と能力、関心に焦点をあて、品目を 自主的に選択できるように多種類を用意した。表3.5が示すように、参加者の平均年齢の 変化が少ないため、若年層にも影響を与えたことが分かる145。
表 3.5 一戸一品運動参加者数と販売額の推移
1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 農家数 35 81 150 155 161 182 201 230 245 参加者数 50 122 183 220 236 281 307 348 372 販売金額 2,462 2,912 8,293 15,988 21,962 30,115 36,790 36,972 38,790 平均年齢 59.6 58.9 59.0 58.9 59.3 59.8 60.8
(単位:年・戸・人・万円・歳)
出典:吉田(1993: 150 より抜粋)
池永は、「忙しいなら来なくていい、3人でも始める。どんな作物を作り、どんな商品 にし、どう売るかということ以上に大切な仕事があるはずがない」と呼びかけ(糸乘2001:
117)、学習の場となる会合を開いた。専門的知識を持つ池永が、潤沢な調査費を使って集
145 表3.5は最新のデータではないが、参加者の変化を表す唯一の情報であったため用いた。
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めた知識を学べる場は、既に変化を受け入れていた住民の実践に理論を照らし合わせ、理 解を深めるよい機会となった。当初は参加者が少なかったが、「出席しないと損をする。
よい商品づくりができない」と運動の採用者が感じ方を変えるようになると参加者も増 え、自由参加にもかかわらず、参加できない時は欠席届を出すようになっていった。大阪 だけでなく、広島や東京の市場見学も行い、見学後は参加者自身で考えるように仕掛けて いった146。それまで、農協が主催の見学は帰りのバスの中が酒飲みカラオケ大会となって いたが、酒を積み込むのを止めさせ、全員から感想を引き出し、「市場が何を見ているか、
値が決まる要因は何か、消費者は何を求めているか、品目によるロットなどの違い等々」
について話し合った。さらに、「どれか一つの品質が悪いと、競りの当たり具合によって は、みんなの値が下がってしまう」ことを説明し、大鶴地区に帰る頃には品質管理につい て参加者の意思統一ができていた。帰宅後に研修の参加者がその日学習したことを自ら の言葉で家族に話した(糸乘2001: 117)。そのため、参加者の経験が蓄積されただけでな く、有益な情報が自然と共有されていった。こうした採用者の「気づき」を放置させずに、
内省を経て、具体的な行動に移せる環境が整えられていたため、大鶴全体の品質が向上し、
ブランド野菜の産地として認知されるようになった。
大鶴地区でのファシリテーターの役割は、地域資源の見極めから、営農指導、販路開拓、
流通、運動の採用者を増やし地域全体で盛り上げようとする環境づくりまで、多岐に渡っ た。人の力を引き出すだけではなく、その力を発揮できる場を創造することも重要であっ た。その結果、1987年11月に農協の売上は1億円に達し、1989年には3億円147、1999
146 朝3~4時頃出発して5時頃から市場を見学し、それが終わってバスで帰途についた時、池 永は「それでは今日の反省会を、○月○日の午後1時半から行いますので集まって下さい」と声 掛けをした。「また集まるのか」と参加者が不服そうな顔をすと、「今日これから帰るまでに2時 間ぐらいあるので、今することもできるが」と言い、「そうして欲しい」という声を引き出した。
全員に順次マイクを渡して、感想を言わせる。なかには、「今の意見と同じだ」という人がいる が、その時は「同じなら、同じことをもう一度言ってくれ」といって話させる。全く同じという ことにはならず、多数の意見が自ずと明らかになった(糸乘2001: 117)。
147 同年、豊かな村づくり農林水産大臣賞、大分県一村一品運動推進顕彰努力賞(賞金50万円)
を受賞した。この活動は、ソウルで行われていた地域振興策・セマウル運動との交流大会でも講 演された(大分県一村一品21推進協議会2001: 219)。
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年には5億円の売上げとなり(大分県一村一品21推進協議会2001: 219)、大鶴地区に少 量多品目のブランド野菜の産地を形成することで、運動のファシリテーターがいなくな っても、住民が力を発揮できる場が創造された。図3.1は、運動が普及し、地域の産業が 1987年(昭和62年)に劇的に変わったことを示している。
図 3.1 大鶴農協の年次別販売高の推移 出典: 糸乘(2001:116)