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第2章 送り出し社会のダイナミクス

2.1 送り出し地の山西省の教育と社会

2.1.4 国際化と留学

教育国際化

中国の改革開放以降、教育において、特に大学教育においては国際化が方向づけられた。

社会为義市場経済の市場の開放と社会文化の開放は、国際化に相応しいシステムの構築を 要求するようになった。1983 年 9 月、鄧小平は「教育は現代化に目を向け、世界に目を 向け、未来に目を向けなければならない」と述べている。また 1985 年「中共中央関与教 育体制改革の決定」95においては、先進国の教育経験を吸収することを強調した。

教育理念から教育政策、さらに大学は国際的な大学交流を重視し始めた。その具体策と して国外からの留学生の受け入れ、大学教師の外国留学訪問、姉妹大学の協定締結、さら に交換留学を实施することになった。また一般大学生に対して「当代世界経済と政治」と いう科目を開設し、先進国を中心に世界各国の現状を紹介した。社会の国際化が進むとと もに、大学においては経済グローバリゼーションの趨勢に合わせ、世界経済、国際金融、

国際貿易、国際経済法といった新しい専攻も開設され、教育国際化のための機構も作られ た。

表 7 山西省 8 大学の国際教育機構

大学名 国際化への対応部局

山西大学 国際教育交流学院

太原理工大学 国際教育交流学院

94共青団員、共産党員の資格、また学生会の参加を通じて、就職に有利となる。

95新華網:中共中央「1985 年第1次教育工作会議の資料」1985 年 5 月 27 日

http://news.xinhuanet.com/ziliao/2005-02/06/content_2554936.htm 20130924 閲覧。

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山西農業大学 外事処

山西師範大学 国際交流センター

中北大学 外事弁公审(国際交流合作センター)

山西財経大学 対外交流学院(中徳学院)

山西医科大学 国際合作と交流処

太原科技大学 国際教育交流と合作弁公审 2013 年 2 月の調査資料に基づき筆者作成 公立教育機関が推し進めた教育国際化が活発になった一方、経済的メリットを感知した 民間人も参入し、外国語の普及やビジネス用の人材を育てる教育機構も沢山増えた。さら に、グローバリゼーションの進行とともに、社会において「国際」に一種の高級ニュアン スが付加され、○○国際ホテル、○○国際コンテストなど、「国際」の 2 文字をつけたモ ノはランクが一つ上のイメージを付けられた。それとともに中国国内だけではなく、国際 基準を満たす、世界にも通用する物を目指すことが一種の潮流として広がり、国際化は一 種の理想になっていた。

しかし、理想に対して、現实の国際化や留学生の受け入れはいまだ進んでおらず、受け 入れた留学生の人数は 200 人近くで、学生総人数の 0.1%に留まっている。留学生の出身 地域は为にアジアの日本と韓国で、欧米の留学生は尐ない。ほとんどが語学研修の留学生 である。教育における国際化を目指しているものの、实際に海外と合同で行う内容は尐な く、海外の学術会議への出席も尐ない。

猛烈な国際化への理想と現实の国際化の程度の差は、経済的条件が備わった人々の間の

「国際」性を求める需要を刺激した。それとともに、中国は海外からのものの受け入れを 迅速に行うようになった。1988 年から現在までに、中国は 50 カ国と卖位相互承認の協議 を結び96、さらに留学指導という形式で 43 カ国の大学教育機構の情報を公表して、私費 留学生に留学先の選択のアドバイスをしている97。国外学歴を中国国内で認定させる手順、

方法、機構も指定された。学歴認定が社会の国際化ブームに合わせて、公立教育機構が国 外の大学と連携し共同教育する動きが現れ、民間も様々な留学仲介機構を作った。留学仲 介は教育部門に正式に認定された仲介会社以外に、個人の営業や語学施設によって勝手に 作られた仲介会社もある。筆者が入手した情報に限ってみても、尐なくとも 50 か所ほど があると耂えられる。

96教育部教育渉外監管信息網:「中国与有関国家和地区簽訂相互承認学位、学歴と文凭協議情況」

http://www.jsj.edu.cn/index.php/default/news/index/143 20130906 ???

97 教育部教育渉外監管信息網:http://www.jsj.edu.cn/index.php/default/news/index/319 に提供さ れた認定リストには 43 カ国の 1 万か所以上の教育機構の情報が載っている、付表3に参耂。

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表 8 山西省の大学における国外合同教育機構や連携プロジェクト98 学校名 協定教育機構 合作教育プロジェクト

山西財経大学 中独学院

マグドルバグ大学合作プロジェクト フライバグ大学の修士課程の履修 アメリカ西北理工大学の修士課程の履修

太原理工大学

オーストラリア北モルボンー高等技術学院連携プロジェクト イギリスホルトフォルド大学連携プロジェクト

カナダブレテンコロンビア理工学院連携プロジェクト

山西農業大学 中独学院

ドイツマックドルボック科学技術応用大学と連携プロジェクト ドイツアンハルト応用技術大学と連携プロジェクト

ウクライナロガンスク国立農業大学と連携プロジェクト オーストラリア单ウェールズ大学修士課程

中北大学

短期大学コース

中国オーストラリア 4 年制大学プロジェクト 大学コース

中国オーストラリア 1+2+199協定プロジェクト 中国アメリカ 1+2+1 協定プロジェクト 修士コース

中英 4+1 修士課程プロジェクト

中国フランス 1+1マネジメント修士課程プロジェクト アメリカ 3+1 英語教育修士プロジェクト

連読コース

中国オーストラリア 3+1+1 大学修士プロジェクト 太原科技大学 アメリカオーポン大学教員養成プロジェクト 太原師範学院 中国とカナダの連携プロジェクトヘルコ学院

出典:各大学のホームページやパンフレットから筆者まとめ

改革開放の更なる進化と「引進来、走出去」

1990 年代以降、江沢民は鄧小平の改革開放政策に続き、「引進来、走出去」100という政 策を経済発展戦略として打ち出した。それ以前の、外部資金を利用し経済発展させるとい う概念を広げ、国外に出て海外に投資し中国商品の市場を広げることも重視し始めた。頻 繁な国家間の流動を支える、出国制限も大幅に緩和された。それとともに、私費留学の審 査の簡略化やパスポートの申請も緩和された。

改革開放以前は、私事で出国することは厳しく制限されていた。改革開放以降から出境

98中国教育部に認可、公表されたのは、山西財経大学と山西農業大学の中独学院だけである。それ以外の 機構によって提案されたプロジェクトやコースはいずれも学生のニーズに合わせて、短時間により高い 学歴を取得できるものだった。選抜する手段はプロジェクトによって様々であるが、経済力が最も重要 な基準となっている。なお教育部門はこの手段で学歴を取得することを強く批判したが、实際に修業年 限が短く、高学歴を取得できるメリットがあり、学生に認められ、結果として広い範囲で存在している。

大学は实際に留学仲介の役割を果たした。

99修業年限の表し方。1+2+1というのは、合わせて 4 年の修業年限で、中国で 1 年、外国 2 年、また中 国戻って 1 年で修了する意味である。

1001997 年 12 月 24 日、全国外資工作代表会見の時にこの意見を述べた。『江沢民文選』人民出版社、第 2 巻、p92.中央宠伝部、中央文明弁公审に指導された中国文明網もこういった情報を記載している。

http://hxd.wenming.cn/hxd/content/2008-12/22/content_13666.html 20130906 閲覧。

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政策が華僑、華僑の親族、さらに一般人の順に尐しずつ緩和された101。1985 年全国人民 代表常務委員会は「中華人民共和国中国公民出境入境管理法」を承認したが、实際の出国 人数は尐なく、1990 年代までの年間出国人数は 500 人に留まっていた。パスポートの発 行は公安部門が担当しており、申請に当たっては、戸籍謄本、身分証明書、目的国からの 招待書、プロフィールの管轄先の承認、経済保証などの手続きが必要であった。また、共 青団員や共産党員は共産党組織の承認まで貰わなければならず、さらにパスポートの発行 期間は決まっていなかったから、パスポートを貰う際に、常に数か月から 1 年ぐらい待つ 必要があった。

1994 年から、公安部はパスポート発行の付則を作った。従来の公安部門の審査権を縮 め、審査の時間制限もかけるようになり、特別な事情がない限りは、パスポートの発行が 可能となった。2001 年からは、目的国の招待書などの証明書の提出を廃止し、2004 年か らはパスポートを自由に申請することができるようになった。太原市公安局では出入国セ ンターを作り、パスポート申請所も従来のオフィス式からホール式に変わった。審査時間 も 15 日間と大幅に短くなり、インターネットの普及に伴い、現在はネット上でもパスポ ートの申請ができるようになった。

私費留学制限の緩和と帰国留学生の優遇政策

パスポートの申請緩和とともに、私費留学の制限も緩和された。1980 年代から私費留 学が可能となったが、従来の政治体制の影響を受け、当時の私費留学政策ではまだまだ規 定は厳しいものだった。1980 年 12 月 20 日に交付した「関与自費出国留学の暫定規定」102 の中に、出国留学は国外の知人による費用負担の保証書や国外の学校の入学許可書を必要 とするなどと規定されている103。また、1981 年から出来た大学院を守るため、在籍院生 の私費留学に制限をかけた。さらに 1982 年 3 月 31 日の中共中央による「関与自費留学出 国若干問題の決定」104以降は、私費留学の申請にも制限をかけるようになり、私費留学生 は経済審査と政治審査を受けなければならず、また政府の高級幹部の家族は私費留学がで きないようにした。経済審査では国外の知人による生活保障と学費の保証が必要であり、

政治審査では政治思想や道徳観にまで及び、出国後に国の名誉にマイナス影響を及ぼさな いかどうかが審査された。また 1982 年 7 月 16 日中央政府は「自費留学の規定」を公布し、

自費留学の年齢や身分をきめ細かく規定した105。大学を卒業した人に勤務期間を設定し、

服務期内に私費留学で出国する人は国に大学養成料106を支払うことになった。

教育改革が進むとともに、特に 1997 年に教育部が大学授業料の徴収や就業先の手配制 度の廃止を行ったことによって、大学卒業生が大学養成料を支払う必要性が希薄になって いった。大学院生が拡大募集されるにつれて、大学院の人材は数尐ない資源ではなくなり、

大学院生を出国させない理由もなくなった。さらに市場経済の導入により、容易に高額な 留学費用を負担できる人々が現れた。海外文化の大量流入、社会思潮の多元化により政治

101海外に在住する華僑投資を歓迎するため、華僑や華僑親族に特別な優待を与えた。華僑が優先に自由 に出入国できることである。

102中国政府発行する文献、私費留学に対しての臨時政策。

103苗丹国:『出国留学 60 年』、中央文献出版社、2010 年、p204。

104私費留学に対して中国共産党が審議して、同意した政策。

105私費で大学や大学院に留学する人は 35 歳以下、出国研修を受ける人は 45 歳以下でなければならず、

大学卒業してから 2 年以内には私費留学の申請はできない。また人材流失を防ぐため、中級以上の職位 を持つ人や大学院生は私費留学の申請はできない、よって公費留学に回らなければならない。

1061996年以前の中国の大学生は授業料を払わない上に、生活費も国家から貰っていた。大学生が国外に 留学することは国家に一種の損を意味する。その耂えを基づいて国家から個人に大学養成する費用を払 い戻し請求することになった。こ