初期の行動発達研究に大きく貢献した研究者として
Gesell,McGrawの名が挙げられる。彼らは乳児の行
動を詳細に観察し,各行動パターンの出現順序を特定 することで普遍的な発達規準を打ち立てたが(Gesell, Thompson, & Amatruda, 1934 / 1982; McGraw, 1989),遺 伝などの内的要因の発現や神経系の成熟を主要な要因と して乳児の発達を説明するに留まり,彼ら以後の行動発 達研究は行き詰まりを見せたとされる(Thelen, 2000)。
それにたいして1980年代以降,内的要因・環境要因 を含め,様々な要因間の相互作用を前提とし発達を創 発的な現象と捉えるダイナミック・システムズ・アプ ローチ(Dynamic Systems Approach: 以下,DSA)から 行動発達研究が行われてきた(陳,1993)。その主導的 な研究者としてThelenの名が挙げられるが,Gesellや
McGrawが個々を超えた発達規準の特定を目指していた
のとは対照的に,Thelenは個々人の違いや個人内の変 動プロセスを分析することで行動発達のメカニズムを解 明していくことを研究指針に打ち出している(Thelen, 2000)。このことが最も具体的に示されたのがThelen et al.(1993)によるリーチングの発達研究である。Thelen et al. はこの研究で,リーチング獲得以前に対象児ごと に示されていた腕の運動特性がリーチングの獲得に決定 的に関与し,その獲得プロセスが異なるものであったこ
とを示しつつも,それらを比較検討することで,乳児が リーチングを獲得する際には共通して腕の運動特性の調 整が課題となることを示唆した。これらの知見は,観察 対象となる乳児を4名に絞ることで毎週から隔週と高い 頻度で腕の動きの発達的変化を追跡する,データを対象 児間で平均化せず各対象児個人内の変動を詳細に分析す る,といった研究手法によって初めて得られたものだと考 えられる。
また,DSAの研究動向は行動と知覚は切り離せない という考えをとるGibson(1979 / 1985)の生態心理学と 合流し(陳,1993),Gesell,McGrawが行動発達を発生 学的,神経学的に論じたのにたいして,例えばGoldfield
(1995)はDSAと生態心理学,両方の知見を積極的に活 用して環境や知覚発達との相互作用から行動発達のメカ ニズムを包括的に論じている。こうしたDSA・生態心 理学の知見から,近年,白神・根ヶ山(2008)や山﨑
(2008)は少人数を対象に,日常生活の場における乳児 の行動を環境とともに詳細に捉えることで発達研究に新 たな観点を提示する取り組みを行っている。
以上の研究動向を踏まえ,本研究の主題・目的設定を 行っていく。Gibson(1982 / 2004)は行動が姿勢に依存 することを指摘した上で姿勢を「環境への方向定位」と 定義している。この定義づけは,行動を刺激にたいする 反応として捉えるのではなく,環境情報の知覚との関連 から捉えていくことを提案するさいになされたもので
あり,知覚と行動の結びつきを見ていく上で姿勢は重 要な位置付けがなされていることがうかがえる。また,
Gibsonのアイデアを積極的に展開したReed(1989 / 1993)
は様々な研究のレビューから姿勢が環境やタスクに適応 的な行動を支えていることを指摘し,姿勢発達研究の重 要性を主張している。乳児の行動が姿勢に影響されるこ とは様々な研究で確認されていることである(Jensen, Ulrich, Thelen, Schneider, & Zernicke, 1994; Rocha &
Tudella, 2008; Savelsbergh & Kamp, 1994)。さらにSoska, Adolph, & Johnson(2010)の研究結果は,自ら座位を取 れるようになることで乳児が視覚と協調した対象の手指 操作を活発に行うようになり,対象の三次元知覚の発 達が促されることを示している。これらの研究結果は,
Reedの主張を裏付けるものと言えるだろう。
一方,粗大運動の発達に目を向けると,姿勢に受動的 な適応を示すのみであった乳児は,自発的な姿勢転換 の一歩として寝返り動作を獲得していく(津守・稲毛,
1961)。そのため以上に見てきた近年の行動発達研究の 動向にたいして,乳児の寝返り動作1)の獲得は示唆に 富む主題であると思われるが,その発達過程はこれまで 主に反射・反応や神経系の成熟の観点から研究,論じら れてきた(McGraw, 1941;中島,1992)。一方,田中・
田中(1981)は神経学的な観点を理論的な足掛かりに しつつも,周囲の対象物や養育者らの働きかけに対する 乳児の応答の観察から乳児の知覚−運動発達を段階的に まとめており,そのなかで,他動的に生じた腰部の捻転 にたいする反応として誘発される寝返りと,それを含め た複数の運動要素や周囲への知覚活動が統合された自発 的な寝返りを段階的に区分している。田中・田中がここ で描いている乳児の発達像,またそこで指摘される寝返 りの発達過程は,神経学的というよりも,むしろDSA, 生態心理学的な行動発達研究と関心が重なるように思わ れる。しかし,田中・田中はそうした発達過程を段階的 に区分するに留まり,段階間の移行過程で知覚がどのよ うに発達し,また運動系と関係をもつようになるのか,
具体的なプロセスの解明へと問いを進めていない。こう した発達段階の移行を解明するためには,その移行が月 齢の経過に伴う神経系の成熟という一要素の変化によっ て生じるとの神経学的な観点に替えて,移行プロセスの 間に知覚系や運動系など複数の要素がそれぞれどのよう に変化していき,また関係がどのように変化したうえで 段階間の移行が生じるのか,という複数の要素の変化か ら発達を問う観点に立つ必要があると考えられる。その ため,乳児の寝返り動作の獲得について新たな知見を得 るという点においても,知覚と行動の関わりを問題とす る近年の行動発達研究の観点から研究を行う必要はある ものと考えられる。
これらのことを考慮した上で,本研究では寝返り動作
の獲得過程を先述の行動発達研究の動向に即した観点か ら捉えなおす探索的な試みを行っていく。そのため研究 手法は先行研究のものを踏まえ,日常生活の場面におけ る乳児の活動を高い頻度で縦断的に観察し,個人を単位 に発達の軌跡を詳細に分析することとする。
こうした研究手法をとる際に何名を観察対象とする のが適当か,その基準は明確なものとなっていない。
Thelen et al.(1993)や白神・根ヶ山(2008)は4名の 乳児を対象に分析を行い,山﨑(2008)は1名の乳児 を対象にしてとりわけ詳細な分析を行っている。本研究 の観察対象は2名であったが,これは提示,分析可能な データの詳細さをできるだけ損なわず,かつ,そこで得 られたデータを比較対照することができる最低限の数で ある。十分なデータ数とはいえないが,Thelen et al. の 研究に見られるように発達の軌跡の違いと共通点を見出 すことを分析の指針としつつ,以下では2名の乳児の発 達の軌跡を可能な限り詳細に分析,比較検討していきた い。この分析,検討によって,本研究では仮説の検証と いうよりも,今後の研究のための新たな観点や,多人数 を対象としたより実証的な研究への足がかりとなる基礎 的な資料を得ることが目的となる。
なお,Gibson(1982 / 2004),津守・稲毛(1961)の指 摘から本研究では寝返りを環境への方向定位の自発的な 転換と位置付けるため,睡眠時の寝返りは分析,考察の 対象としないことを付け加えておく。
方 法
観察対象
分析対象として,2001年12月から2004年12月まで に男児K,男児Dを対象に収集されたビデオ映像を用 いた。この映像は週2〜3回,時間にして約1時間,養 育者がK,Dの日常生活の様子をビデオカメラで撮影す るという方法で収集された。対象児の養育者には事前に 書面で協力が依頼され,画像掲載を含めて研究目的での みビデオ映像を使用する承諾が得られている。撮影する 出来事や場面について研究者から養育者に特に指示は出 されていない。なおこの撮影は,Kは1ヶ月7日目,D は2ヶ月28日目から開始され,Kは3歳3ヶ月3日目,
Dは2歳0ヶ月9日目まで継続された。対象児について は,K,Dともに正期産,正常分娩であり,乳児健診に おいても発達発育上の異常は指摘されていないことが養 育者から確認されている。また,生後1年以内に撮影された 映像から確認される対象児の運動機能の発達の経過を「平 成12年度 乳幼児身体発育調査報告」2)の調査結果と照 らし合わせたところ,確認に手技が必要とされる「首の
1)「寝返り」という言葉は腹臥位から背臥位へ姿勢を転換する場合 などにも用いられるが,本稿では背臥位から腹臥位への姿勢転換 に限定して用いる。
すわり」を除けば,各項目の通過率が91%を上回る以 前の月齢で,K,Dは「ねがえり」「ひとりすわり」「つ かまり立ち」「ひとり歩き」の項目を通過していること が確認された。
観察手続き
K,Dともに撮影が開始されている3ヶ月0日目から,
12ヶ月0日目の間に撮影された映像に目を通し,寝返 りを含め,対象児が背臥位から体幹を部分的にでも持ち 上げ,回旋させている様子が認められた場面を抽出した。
日常生活を送るなか,対象児はおもちゃでの遊び,オム ツ替えなど様々な状況で,また敷布団,ベビーラックな どの様々な支持面上で体幹を持ち上げ回旋させているこ とが確認されたため,それらも全て抽出した。その上で,
1回の体幹の回旋運動を「背臥位を開始点とし対象児の 動きによって胸部,腰部のいずれか,またはその両方が 非対称に支持面から浮いた状態」と定義し,各場面で生 起した体幹の回旋運動を特定した。撮影開始時に既に体 幹が回旋していた場合,対象児の体がほぼ隠れている場 合,睡眠時は分析から除外した。各月齢の15日目まで を前半,16日目からを後半というかたちで区切り,約2 週間を1タームとして,特定された体幹の回旋運動の数 を集計した。
分析対象となる期間および体幹の回旋運動について 特定された体幹の回旋運動から,Kは5ヶ月18日目 に初めて腹臥位まで体幹を回旋して寝返る様子が観察 され,同月齢で合わせて 12回の寝返りが観察された。
Dは4ヶ月22日目に初めて寝返りが観察されたが,同 月齢においてはその 1回のみであった。その後,5ヶ月 13日目に再び寝返りが観察され,それ以降の同月齢内 で合わせて11回の寝返りが観察された。このことから,
K,Dともに5ヶ月後半までを寝返り動作の獲得過程と し,その間の発達過程を詳細に観察していくことにした。
3ヶ月前半から5ヶ月後半の間で抽出された場面とその 時間総計は,Kが62場面,約412分,Dが34場面,約 231分,その間に特定された体幹の回旋運動の総数はK が895回,Dが488回であった。これら分析対象となる 体幹の回旋運動が観察された各場面の状況・支持面につ いてはTable 1に示した。
分析方法
分析対象となった全ての体幹の回旋運動について,次
に示す1.〜4.の分類,記録を個々に行い,先に述べた
各月齢の前半,後半という期間区分からデータを集計し た。
1.体幹の回旋運動の分類 特定された体幹の回旋 運動は次の5つに分類した。
a.胸部の回旋:肩の左側,右側のどちらか一方のみ
が支持面より浮く,またはどちらか一方に著しく 傾くが,腰部は支持面にたいしてほぼ平行の状態
(Figure 1-a)。
b.腰部の回旋:腰部の左側,右側のどちらか一方の みが支持面より浮く,またはどちらか一方に著し く傾くが,胸部は支持面にたいしてほぼ平行の状 態(Figure 1-b)。
c.全身の回旋:左側,右側のどちらかが,肩,腰部 ともに支持面より浮くか,または一方に著しく傾 く(Figure 1-c)。
d.側臥位:体幹の側面で体を支持するまで全身の回 旋を行う(Figure 1-d)。
e.寝返り:側臥位へ全身を回旋させ,さらに腹臥位 まで回旋する(Figure 1-e)。
このように分類するのは,生起した体幹の回旋運動 がどの程度寝返りに近いかを見るためである。また,
McGraw(1941)は寝返り動作の萌芽として,頸を伸展
して反らせる動作や,腰から脚を屈曲して足を持ち上げ る動作を指摘しており,これらの動作から胸部,腰部の どちらかのみが回旋する場合が考えられたため,これを 分けて分類することとした。
2.回旋の方向の記録 場面抽出を行う際,時期に よっては対象児が右,左のどちらかに頻繁に回旋運動を 行っているとの印象を受けた。Goldfield(1989)は乳児 が四つ這いによる移動を開始する時期に,リーチングの 利き手,非利き手間の機能的な非対称性が顕著になるこ とを報告し,こうした非対称性の変動が姿勢・移動発達 に関与することを示している。そこで回旋運動の非対称 性の変動を定量的に確認するため,体幹の回旋運動の方 向を,対象児を基準に「右」または「左」と記録した。
なお,「腰部の回旋」と分類される回旋では,1回の動 作で両方向に連続して素早く腰部を回旋させる事例が認 められたため,これは「左右」として記録した。「左右」
の記録基準は「継続した動作で腰部を素早く連続して左 右に回旋する」ものとした。
3.体幹の回旋運動の動作の記述と動作パターンの分 類 DSAの観点から,本研究では寝返り動作獲得以前 に見られる様々な下位要素から寝返り動作が創発する過 程を分析する必要がある。そのため,寝返り動作獲得以 前の段階から体幹の回旋運動時の動作を詳細に記述し,
そこからボトムアップ式に重要な要素を絞り込み,寝返 り動作の獲得へ至る発達の軌跡を分析することにした。
具体的には次の手順を踏んだ。特定した体幹の回旋運動 ごとに,上肢,体幹,下肢,各身体部位の動きを記述した。
複数の動作がほぼまとまって開始,終了した場合は ・ を,まとまった動作がほぼ終了したところから別の動作 が始まった場合は → をそれぞれはさみ記述した。以 下に記述例を示す。
2)厚生労働省雇用均等・児童家庭局.(2001) http://www.mhlw.go.jp/
houdou/0110/h1024-4.html(アクセス:2009 / 07 / 06)