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体罰発生の要因から

ドキュメント内 判決文にみる体罰発生の原因 (ページ 122-128)

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第1節  体罰発生の要因から

第1項 指導方法

 体罰発生の要因として指導方法の問題が係わっている事件が、20件 中13件あった。

 それらのなかには児童・生徒に十分な反省を求めて当然といえること もあるが、逆に児童・生徒の言動に対しての教師の受け取りかたの非常 識が窺われることもあり、十分な吟味のうえでなければ児童・生徒の非 を問えないものも含まれている。

 児童・生徒に十分な反省を求めて当然のこととしては、ルール違反と

して、判決文分析18の「原告は…  学校の規則を守らない、掃除を

真面目にやらない…  など日常生活上改善すべき点が多かった」や、

ルーズとして、判決文分析9の「家庭科被服の学習に必要な針糸布等の 学習道具を担当教師の度重なる注意にもかかわらず学校に持参せず、右 教師が教材用の布を個人的に原告に買い与え、実技の作品として提出す るよう指示したにかかわらず、その指示は履行されず、被告甲が生徒の 夏休み課題とした読書感想文の提出については、期日徒過し、被告甲か

らの度重なる指示が必要であったし、二学期中間テストの成績を父母に 閲覧させその保護者の閲覧結果を教師に回答する文書を提出するようと の被告甲の指示も原告は学級で只一人履行しない」のようなことがある。

 このようなことにまで、人権問題とからめたり、あるいは教育環境の 悪さの指摘に終始したり、教師の非を問うことだけで解決をはかるので

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はなく、児童・生徒の個人的責任も追及していくという姿勢での解決が 必要である。

 しかしながら、法で体罰が禁止されている以上体罰に頼っての指導は 厳に戒めるべきことであるという教師の確固とした認識は必要である。

 そうでないと、判決文分析3のような単なるいたずらといえることに まで、有形力行使によるケガをさせたり、判決文分析4のような成績不 良が指示棒での殴打の対象(ちなみに、このことについては、 「古来体 罰はただ道徳的非行に対してのみでなく、学業上の謝り対しても加えら れていた。答は記憶に叩き込むのに有効な手段だと考えれていた」(1)が

15〜16世紀ごろから学業上の誤りや訓練に対する答の使用に反対が

おこり姿を消してきたという経過がある)となったりにつながり、際限 なく有形力行使が横行し、その被害が増大する恐れがある。

 それらのことから考えれば、児童・生徒にどんな非行があろうとも、

少なくとも殴打等の有形力は指導方法としては絶対使わないと教師が決 心し、実行していくことが学校教育において体罰を克服していくために、

まずは大切なことである。

〈引用文献〉

(1)宗像誠也「体罰」、阿部重孝他編輯r教育学辞典』 (第3巻)、

   岩波書店、昭和13年、1545頁。

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第2項 自制心

 体罰発生の要因として、教師の適格性として最重視されるものである

べき自制心の問題が係わっている事件が、指導方法の13件に次いで多

く20件中12件あった。

 判決文分析5「被告人は…  同校三年生女生徒五十一名の身体検査

を屋内運動場で実施することにしたところ同運動場は男子生徒に覗見さ れるおそれがあるところがら右女生徒全員がこれに反対し場所の変更方 を同校教諭牧野礼子を介して被告人に依頼した」の、教師としてだけで はなく常識ある人間としては確かに恥ずかしいだろうと同感できる、要 望としてとらえられるようなことまでも反抗的であると悪意にとらえ殴

打したり、判決文分析13の、掃除時間に遅れたというルール違反には

違いないが、落ちついてよく生徒の話を聞きさえずれば、遅れた理由は 納得できることにまでカッとして殴打したり、また、判決文分析15の、

修学旅行中、禁止されているドライヤー持参を破った生徒に対して自制 心の歯止めがきかなくなり死にまで至らせた殴打、足蹴りをしてしまう 等に、教師の個人裁量にまかされた懲戒行為に自制心のたががはずれて

しまった場合の恐ろしさをみることができる。

 学校教育法11条は、懲戒について「教育上必要があるとき」という

抽象的な枠組しか条定せず、「懲戒を行使すべきか、どうか」の判定は

懲戒権者の裁量にまかされており、さらに、同法施行規則13条で、懲

戒を加える際は「教育上必要な配慮」をしなければならないとして「ど のような懲戒を、どの程度加えるか」についても懲戒権者の裁量にゆだ ねている。そして裁判においても「事実上の懲戒」について、 「教師が 生徒の当該行為に対する処置として適切だと判断して決定するところに 任せるのが相当であり、その決定したところが社会通念上著しく妥当を

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欠くと認められる場合を除いては、教師の自由裁量権によって決すべき 範囲内に属する事項と解すべきである」(1)として、懲戒権者の裁量を認 めている。

 このことは、教師の専門職性の尊重ということにとって歓迎すべきこ とであるが、反面、個人にまかされた裁量であるので、恣意に流れる危 険性をつねに教師が自戒しておかないと、教師の横暴さの弊害がでてく

る危険性がある。ましてや自制心を失うようなことがあれば大きな傷害 や死をも児童・生徒にもたらすことがあり、体罰克服にとって懲戒にお ける有形力行使の危険性の認識と、教師の適格性として自制心を鍛えて いくことの大切さが指摘できる。

〈註〉

(1)東京高等裁判所(昭和56年4月1ED判決

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第3項 児童・生徒理解

 体罰発生の要因として児童・生徒理解の問題が係わっている事件が2

0件中7件あった。

 いずれも教師のほうの非が大であり、児童・生徒の非はまったく、あ るいは、さして問えないと思える事件である。判決文分析5のように要 望を反抗ととったとか、判決文分析6のようにいたずらと常識的に考え

ればとるべきことにまで過度に教師が反応したとか、判決文分析19の

ように生徒の反抗には違いないが、もとをたどれば反抗されてもしかた がないような言動を教師のほうが先にとっていて、その結果として生徒 の反抗的態度を招いている等である。

 そのような言動をとった教師の原因を教師個人ではなく、外部に求め ようと思えば、クラスの人数の多さ、教師の仕事の多忙さ、家庭教育の 欠陥等にいくらでも求めることはでき、またそれらの解決も重要なこと はいうまでもないことである。しかし、教師の児童・生徒の状況を見抜 く確かな目、発達段階から考えてどの程度のことを要求していくべきか、

すなわち要求度合いを的確につかむ力等は、教師としての職務を果たす うえで是非とも求められる教師としての力量の中核をなすべきものであ る。このような教師としての力量を高める不断の努力を怠っていること からくる事件については、どれだけ教師が責められようと、責められす ぎということはない。

児童・生徒理解に問題のある教師は児童・生徒との間に緊張関係を作り やすく、すぐに学習・生活指導において限界を感じ体罰に訴えてしまう ことは容易に想像できる。

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第4項 誤解

 教師が事情をよく確かめず、早とちりの誤解が係わって起きた事件が 2件あった。

 判決文分析10のrA(生徒)は後に続いて教室から出ようとしてい

る原告(教師)に気付かないまま、ノブを静かにきちんと閉め廊下を歩 き出したところ、これを見た原告はAが、教室から原告の出ようとして いるのを知りながらその目前でわざとドアを閉め、重ねて反抗的な態度

を示したものと考え」や判決文分析13の「(他の教師に頼まれた美術

室での絵の制作の後)掃除開始時刻から五分ほど経過して…  自分達 の教室へ向かって歩いていたところ(その塗中で担任教師から呼び止め られ、理由を尋ねられ)「美術室で絵を書いていました」旨答えたが、

同教諭は原告(生徒)の返事の内容をよく聞き取れないまま」のように、

事情をもっとよく確かめてさえいれば防げた事件である。

 これらは、いうまでもなく教師としては言い訳のきかない部類の事件 であり、教師としての適格性とか、力量の不足とか云々する以前の問題 とさえ思える。その誤解の背景には、教師の多忙さや、自制心の不足の 問題などが指摘できるが、そもそもこのような教師に対しては、懲戒権 を与えること自体が間違いとさえ思えてくる。

 そうならないためにも教師に懲戒の自由裁量権を与えられている主旨 を十分噛みしめ、誤解からそれも殴打等の有形力行使に至る等のないよ うに自戒する必要がある。それらがないところでは、体罰克服は望めず、

体罰による被害が絶えないことは目に見えている。

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