第 4 章 わが国の事業承継税制
第 1 節 事業承継税制の経緯
1.事業承継税制導入の背景と沿革
昭和25年(1950年)に制定された当時の相続税制は、あくまで自然人の死亡を前提と した制度であり、その後の制度改正を経て整備されてきたものの、経済社会の大きな変化 に即応できていないという問題点を抱えていた。それは、「戦後からの自由経済体制の進展 のなかで、個々の企業はそれぞれの事業発展を通じて、日本経済の成長発展に貢献してき た。これら企業の『事業承継』という問題は、単に個人の私的欲望の充足や、私的財産の
1) 小池正明〔2009b〕292 頁。
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蓄積手段ということではなく、社会経済的な存在価値を有する『企業』そのものの継続性 にかかわる問題である」2)ということである。当時の相続税の課税に際しては、企業の事 業承継に伴う事業用財産の評価に当たっても、一般の個人の財産と同様、画一的に個別財 産の清算価値としての評価が強制されるなど不合理な点を有していた。すなわち、当時の 相続税の課税理念のなかには、「財産承継」という考え方はあるが、「事業承継」もしくは
「企業承継」という概念は配慮されておらず、事態の変化と進展に不適応であるという問 題が生じていた。このため、昭和40年(1965年)代の後半頃から「事業」ないし「企業」
というものを相続税制において、如何に考えるかという「新しい問題」すなわち非上場株 式の評価問題と事業用土地の評価問題が発生した。これらの問題点が発生したことから、
相続人のための事業承継税制を制定し中小企業を保護しようとする意見があり、その後の 税制に影響を与えた。これが、中小企業事業承継税制問題であり、現行の相続・贈与税制 改革へと発展していったのである3)。
事業承継税制の定義については確定的なものはなく、一般に、事業承継税制とは、中 小企業の経営者が死亡した場合、後継者の相続税負担によって事業承継に支障が出ないよ う課税を軽減する仕組みである、とされている4)。
事業承継税制が税制問題として提起されたのは、戦後にできた中小企業、特に企業の所 有者である「オーナー型企業」の創業経営者が高年齢化し、世代交代期を迎え企業経営の 継続維持と事業後継者の円滑な事業承継を図るためであった。つまり、現行の相続税と贈 与制度を見直し、その改善・改革を求める声が強まったことが背景にあった5)。それを受 けて、昭和56年(1981年)3月に中小企業庁の「中小企業承継税制問題研究会」6)が「中 小企業の事業承継を保護するために、税制(主として相続税・贈与税)がいかにあるべき か」について報告書をまとめた7)。
その報告書によると、「相続税の理念は、自然人の生存中に形成された私的財産に対し、
死亡時に清算し、社会に還元するという自然人の相続財産に対する課税の理念としては、
2) 富岡幸雄〔1981〕2頁。
3) 同上、2−3頁。
4) 田中治〔2010〕86頁。
5) 富岡幸雄〔1983〕26頁。
6) 富岡幸雄中央大学教授を座長に、同研究会は、日本税理士連合会、日本公認会計士協会、日本商工 会議所、全国商工会連合会、全国中小企業団体中央会、中小企業事業団、商工組合中央金庫、東京商 工会議所、大阪商工会議所、全国法人会総連合、全国青色申告会総連合など関係団体の代表、各新聞 社の代表、学界から金子宏東京大学法学部教授が加わり、これに通産省・中小企業庁の当局者など 40名による委員で構成された(富岡幸雄〔2001〕26頁)。
7) 同上、18頁。
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それなりに妥当性を有するものと考えられる。ゴーイング・コンサーンといわれるごとく 永続性をもって事業経営を行わなければならない個人企業の事業用財産に対する課税理念 としては、きわめて妥当性を欠くものといえよう。すなわち、『財産の清算による富の再配 分』は、個人企業にとっては事業用財産の処分(清算)そのものに連なり、事業の継続を きわめて困難とするからである。特に、個人の私的生活用財産が流動性をもち比較的処分 可能であるのに比し、事業用財産は、本来的に処分(分割)不能の拘束性財産であり、そ の処分は直ちに事業の縮小、廃止をもたらすこととなる。このように、現行相続税の課税 理念は、自然人に対する理念としては妥当性があるものの、継続性を持った企業の事業用 財産に対しては著しく合理性を欠いたものとなっている」8)と提言されている。
また、株式については、「株式についても証券市場に上場されているため株式価値が市場 を通じて社会的、客観的に決められ、また流通性を有するため株式の換金も容易なものと なっている。他方、中小企業、特に同族会社の場合は、大企業法人に比べてその実体はか なり異なったものとなっている。すなわち、同族的色彩が強い中小の法人企業の場合は、
資本と経営が未分離であるため、経営後継者となるべき者に対して課せられる相続税の負 担が、場合によっては企業の継続に重大な支障を及ぼしている。また、株式が上場されて おらず、したがって株式の流通性はなく、換価性もきわめて乏しいことが、評価に当たっ ても、納税に当たっても大きな問題となっている。特に、小企業の株式が、もともと市場 性のないこと等を理由として、その評価が企業の清算を前提とした評価方式(純資産価額 方式)となっていたため、土地の高騰等を反映し評価額が異常に高くなり、税負担が重く なっている。このように、中小企業の場合は大企業に比べて、企業経営の実態は異なり、
相続税の課税が不合理なものとなっており、税制面でこうした不合理な面の是正を図るこ とが強く求められているわけである」9)と提言されている。
この「報告書」の提言内容を整理すると、①法人企業に関する事業承継税制への提案、
②個人企業に関する事業承継税制への提案、③土地の評価上の斟酌制度の整備の提案10)、
④その他相続制度の共通的事項の改善の提案であった。その後、各方面から、この「研究 会」の「報告書」の考え方に対する具体化を望む要求がなされるとともに、新聞報道でも
8) 中小企業庁〔1981〕第2章。
9) 同上、第3章。
10) 居住用または事業用土地の評価の改善である。相続財産の67%は土地のため、地価の高騰に伴い、
相続税の負担が大きくなっている点も改善が必要としていた。当時の税制では、相続面積200㎡まで
は20%の評価減額が認められていたが、報告は適用面積の拡大、評価減額率の引上げが必要だとし
ていた(同上、第3章)。
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報じられた11)。
このような事業承継税制への統一的な問題提起を受け、通産省・中小企業庁は、昭和57 年度(1982年)の税制改正要求として「中小企業の事業承継の円滑化に資する税制の創設」
を掲げ、非上場株式の評価方式の改善、個人の事業用または居住用土地の評価の改善を提 案するに至った12)。
昭和57年(1982年)12月23日(政府・自民)両税制調査会は、昭和58年税制改正 についての答申と大綱を決め、自民党は、「自由民主党・昭和58年度税制改正大綱」とし て発表した。中小企業の事業承継の円滑化のための 58 年度税制改正〔概要〕の主な項目 としては、①同族会社の株式評価方法の改善13)、②個人事業者の事業用土地の評価減額率 を引き上げる14)、という内容であった。
以上から、事業承継税制問題発生の背景には、①中小企業者の高齢化と世代交代期の到 来、②相続資産の約7割を占める土地価額の高騰等による税負担の増大があった15)。すな わち、個人企業の場合、被相続人の遺産である事業用資産(事業用土地を含む)を相続人 が相続し、その相続税の負担ゆえに事業承継が困難となっていた。また、中小法人企業の 場合、被相続人であるオーナーの持株(出資分)を相続人が相続し、その相続税の負担ゆ えに事業承継が困難となっていた。土地価額は個々の企業の事業活動の成長発展と無関係 に高騰しておりこれがそのまま相続税負担の増大につながっていたからである16)。さらに、
③中小企業の事業承継に関しても、農地並みの生前贈与制度を設けて欲しいとの要望があ った。これは、非上場株式も、農業を継続しようとした場合の農地と同じく、まさに生存 権的財産であるという考え方によるものであった17)。
11) 研究会の報告書が、全国誌に一斉に報道された。毎日新聞では、今回の報告は、個人事業について、
後継者が早めに事業を受け継いだ方が経営ノウハウ、信用力などがスムーズに引き継がれるとして
「生前贈与制度」を提唱している、さらに、相続税の負担を大きくしている土地の改善が必要である、
すなわち、減額のための適用面積の拡大や評価減額の引上げが必要だとしている。中小同族法人企業 については、相続される株式の評価方式がかなり厳しい評価方式で評価されていたため、会社の収益 力を重視する「収益還元方式」を提唱している、というものであった(毎日新聞昭和56年4月2日)。 また、同じく、「讀賣新聞」でも、後継者の経営意欲を高める一方、地価高騰に伴う税負担の増大を 防ぐためには、①生前贈与制度の創設、②株式評価方式の合理化、③相続税の前納制度創設などを図 る必要があるということ、などであった(讀賣新聞昭和56年4月2日)。
12) 中小企業庁・前掲注8、第3章。
13) 税制調査会〔1984〕288頁参照、具体的には第8章第1節昭和58年改正で後述。
14) 同上、288頁参照、小規模宅地等の課税価格の計算の特例についてであるが、これについては第5 章第1節2で後述。
15) 富岡・前掲注5、38頁。
16) 公示地価の対前年は、52年〜54年の3年間に24.8%増(3大都市圏)と消費者物価を上回る上昇 率であった(国土庁統計、総理府統計)参照。
17) 川越憲次・大野正道〔編著〕〔1989〕103頁。