5. 所得と生活時間を考慮した環境負荷の計測
5.2. 予算制約と時間制約を同時に考慮する消費者モデル
分析に用いるモデルは
2
つのサブモデルから構成される。1つ目のサブモデルは消費・廃棄行動分析用
WIO
モデル(2.1節)であり,もう一方は予算制約と時間制約を同時に考慮する消 費者モデルである。この節では,この章で新たに導入する消費者モデルについて解説する。典型的な消費者モデルでは,消費者は予算制約の下での効用最大化を行うと仮定され,
消費者の消費行動は,以下のような最適化問題として表現される。
1 2
I I
I
1 2
, ,…,
( , ,…, ) Maximize
subject to , 0
n n
n
x x x
u f x x x p x M x
=
= ≥
F
(23)
ここで
f
は効用関数,xiは第i
消費財の消費量(i = 1,...,nI)であり,xで購入量ベクトル(nI×1)を表す。
この効用関数
f
は各財の購入量に依存する。したがって,典型的な消費者モデルは,財を購入す ること自体から効用が得られるかのようなモデルとなっている。また,p は財の価格ベクトル(nI×1),
M
は所与の所得水準(予算),0
nIはゼロベクトル(nI×1)である。すなわち,消費者は,所与の予算
制約を満たすように,各消費財の消費量を決定すると仮定されている。各財の消費に必要な時間 のデータが入手できれば,理論上は(23)式に時間制約を追加することが可能である。しかし,個別 の財の消費に必要な時間(たとえば自動車1
台を消費するための時間や鮮魚1
匹を消費するため の時間)についての情報をすべての財について入手することは不可能である。したがって,時間制 約と所得制約を課した消費者行動の分析に,(23)式で記述されるような典型的な消費者モデルを 利用することは困難である。消費者行動に起因する環境負荷の計測に際し,消費者行動の費用的側面だけでなく,
時間的側面を考慮するため,本研究では,新たな消費者モデルを考える。消費者の行動原理とし て,時間制約と所得制約の下での効用最大化行動を仮定する。消費者が財の消費量を選ぶ典型 的 な 消 費 者 モ デ ル と 異 な り , こ の モ デ ル で は , 消 費 者 が , 移 動 や 食 事 な ど の 「 消 費 活 動 」
(consumption activity)を達成するための財の組み合わせ,すなわち「消費技術」(consumption
technology)の稼働水準を選ぶこととする。このモデルの主な特徴は,1960
年代にLancaster
(1966),Muth (1966),Becker (1965)
らによって提唱された消費者モデル(「新しい消費者モデル」あるいは「家計生産モデル」)の特徴によく似たものである15)。Lancaster (1966) らが提唱した元々 の「新しい消費者モデル」では,効用関数は,財が持つ特性の集合上で定義される。たとえば,自 動車から得られる特性は馬力や快適さなどである。したがって,「新しい消費モデル」は,各財の消 費量ではなく,財が持つ特性から効用が得られるモデルとなる。本研究で用いる消費者モデルで は,「新しい消費者モデル」の一部である消費技術の概念を利用する。このモデルでは消費者は
「消費技術」を通して「消費活動」を行うと仮定される。「新しい消費者モデル」については
Deaton and Muellbauer (1980),太田 (1997) などに詳しい。
消費技術は生産技術に類似した概念である。たとえば,自動車の生産技術では,鋼板,
電力,機械,労働などを投入し,自動車を生産する。同様に,消費技術は,財と時間をインプットと して投入し,アウトプットとして各消費活動を“生産”する。図 9 は消費活動と消費技術の関係を図 示したものである。消費者がある消費活動を行うためには複数の消費技術が利用可能である。たと えば,移動という消費活動は,乗用車による移動,電車による移動,バスによる移動,徒歩による移 動など,さまざまな消費技術によって達成される。同様に,食事という消費活動は,自炊や外食と いう複数の消費技術によって行われる。各消費技術に対して,必要となる財と時間が異なるため,
消費技術は財と時間の組み合わせとして表現される。たとえば,自家用車による移動は,自動車,
ガソリン,所要時間の組み合わせとして表わされる。また,電車による移動は,運賃と所要時間の 組として表現される。同じように,自炊は食材,台所道具,光熱費,炊事および食事時間の組とな る。また,外食は外食代金と食事時間で表現される。
15)
Becker
流の消費者モデルを環境負荷の分析に応用した例としては,Kanamori and Matsuoka (2004)がある。移動
「消費技術」 財・時間
(Inputs)
自動車 ガソリン 10分 鉄道による
移動
バスによる 移動
食事
内食
(自炊+食事)
中食
(弁当・惣菜)
外食 自家用車に
よる移動
消費活動 (Outputs)
鉄道運賃 15分
バス運賃 30分
食材 水道・光熱費 食器・調理器具
60分 弁当・惣菜 水道・光熱費 食器・調理器具
35分 外食費
30分
図 9: 消費者モデル(消費活動,「消費技術」,投入財)
以下,乗用車による移動,電車による移動,自炊や外食などの消費技術が
m
種類あるも のとする。zjは第j
消費技術の稼動水準(j= 1,...,m)とし,z
で全消費技術の稼動水準ベクトル(m×1)を表すこととする。bijを一単位の第
j
消費技術に必要な第i
財の投入量,bTjを一単位の第j
消費技術に要する時間であるとすると,すべての消費技術に必要な第i
財の必要量x
iおよび必 要な時間t
は,1 1 2 2
i i i im m
x = b z + b z + " + b z
(i = 1,...,nI) (24)T1 1 T2 2 Tm m
t = b z + b z + " + b z (25)
と表わされる。bijは生産における生産技術を表す投入係数と同様に,消費における消費技術を表 す固定係数である。(24)式および(25)式で表される消費技術の全体は,(nI
+1)×m
の消費技術に関 する投入係数行列B
を用いて,x Bz t
⎡ ⎤⎢ ⎥
⎢ ⎥⎢ ⎥
⎢ ⎥⎣ ⎦
= (26)
と表すことが出来る。
本研究のモデルでは,消費者は所得制約と時間制約に関して効用を最大化すると仮定 される。したがって,この消費者モデルは限られた資源である財と時間が,各消費活動にどのよう に配分されるかを記述することになる。数学的には,この消費者モデルは,以下のような最適化問 題として表される。
1 2
1 2
, ,…,
( , ,…, ) Maximize
subject to , , , 0
m
m
m
z z z
u u z z z
x Bz p x M t T z t
⎡ ⎤⎢ ⎥
⎢ ⎥⎢ ⎥
⎢ ⎥⎣ ⎦
=
=
F= = ≥
(27)
ここで,uは各消費技術の稼動水準で定義される効用関数である。Tは所与の時間(1日で考えれ ば
24
時間)である。(27)式の1
番目の制約式は,消費技術と財および時間との対応を表す。また,2
番目,3番目の制約式は,それぞれ,予算制約式,時間制約式である。消費に関するシナリオは追加の制約式として表される。たとえば,第
i
消費技術と第j
消 費技術の稼動水準を1:r
とする場合には,rzi= z
j を(27)式の制約式に追加して,最適化問題を解 けばよい。5.4節のシナリオ分析では,仮想的な消費シナリオを,代替的な消費技術の稼動水準の 比で与えている。最適化の結果である解z
1*,...,z
m*は,所得制約,時間制約およびシナリオを表す 制約式を同時に満たしている。すなわち,最適解は*
x
*T Bz
⎡ ⎤
⎢ ⎥
⎢ ⎥
⎢ ⎥
⎢ ⎥
⎣ ⎦
=
,p x
F *= M
,rzi*=z
j*(28)
を満たす。(28)式により,現状消費パターンと仮想的消費パターンで必要となる費用と時間は一定 に保たれるので,第
4
章で述べた類のリバウンド効果に関しては,モデル内で調整が行われる。そ のため,(19)式および(20)式(4.1 節)で行った類の事後的な調整を加える必要がないことになる。図 8(4.1 節)の表記法を用いて言い換えれば,このモデルでは,点
C
o(現状消費パターン)と点C
cs*(所得と時間の両方に関して制約を満たしたシナリオ消費パターン)で評価した環境負荷の比 較を直接行うことが可能となる。この消費者モデルと消費・廃棄行動分析用
WIO
モデル(2.1節)を組み合わせることによ り,消費者の所得水準と生活時間を考慮した環境負荷の分析を行うことが出来る。すなわち,各消 費技術を稼動することによって直接・間接に排出される環境負荷を計測することが出来る。シナリ オ消費パターンでの環境負荷は,(14)式(2.1 節)で定義したq
iを用いて,次式のように計算でき る。I I
* * *
1 1
n n
i i i
i i
Q Q q x
= =
= ∑ = ∑ (29)
また,現状消費パターンと仮想的消費パターンのどちらがより「環境にやさしい」かに答えるために は,(29)式で計算された
Q
*と現状の環境負荷排出量Q
(o)を比較すればよい。(27)式の制約付き最適化問題にデータを対応させるためには,効用関数 u
の関数形を特定する必要がある。本研究では,最も基本的な関数形の一つであるコブ=ダグラス型効用関数
(対数線型関数)
1
log log
1 2 2 mlog
mu = α z + α z + " + α z (30)
を採用した。ここで
α
jは効用関数のパラメータである(j=1,...,m)。予算制約のみを課した場合,α
j は第j
消費技術に対する支出と総支出との比(支出シェア)で与えられることがよく知られている(た とえばChung (1994)
など)。本研究でも,このようなコブ=ダグラス型効用関数の性質を用い,I
1
( 1,..., )
n
j i i ij
j
z p b
j m
α = ∑ M
== (31)
として,(27)式の効用最大化問題に利用している。しかし,予算制約に加え,時間制約と技術に関 する制約を課した場合の,効用関数の関数形およびパラメータ推定に関しては検討の余地がある ため,今後の課題としたい。