第 1 章 先行研究の概観と問題点
1. 一般言語学の観点から見た動詞のアスペクトとテンス
一般言語学の枠組みから、テンスとロシア語の「アスペクト(аспект; aspect,)」のカテゴリー を概観する。また、ロシア語の言語体系内でアスペクトを表す主要な言語形式の一つである「体」
という文法カテゴリーについて確認する。
1.1 テ ン ス
アスペクトにもっとも近い文法範疇は知られるとおり動詞のテンス範疇である。多くの言語 研究史ではアスペクトとテンスの範疇が混同されたこともまれではなく、多くの場合、ある言語 学者はアスペクトに属するものとして扱い、またある言語学者はテンスの分野に入るものとして 扱っており、論争は現在まで続いている。
テンス(Tense・時制)という範疇とアスペクト(Aspect・相)という範疇はいずれも時制に 関するという点では類似している。しかし、それぞれの時間に関係する仕方が異なるため、明確 に区別して理解する必要がある。
テンスには、発話時点と出来事時との外的関係をとらえるテンス(絶対的テンス)と発話時 と参照時との外的関係をとらえるテンス(参照時テンス22と呼ぶ)とがある。絶対的テンスにつ
いてはComrie (1976: 1-2)に倣い、次のように定義する。
22 参照時テンスは相対的テンスとも呼ばれる。
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Tense relates the time of the situation referred to to some other time, usually to the moment of speaking. Comrie (1976: 1-2)
(テンスは、さしだされた場面situation の時間を別の時間にふつうは発話の瞬間
momentに関係づける。 (山田訳1988: 10) Since tense locates the time of situation relative to the situation of the utterance, we may describe tense as deictic.
(テンスは、発話時の場面との関係において、場面の時間を位置づけるので、指示
的deicticである、ということができる。 (同書: 10)
テンスとは、話し手がある場面(situation)を述べる際に、場面を構成する運動や状態が、発話
時(speech time)を基準として時間的にどういう位置にあるかということを示すための文法的な
カテゴリーである。特に、運動を表す場面に注目すると、発話時と出来事時との外的関係を捉え る文法的なカテゴリーということになる。
(1) a 私、手紙を書 く わよ。
b 私、手紙を書 い た わよ。
(2) a 鈴木が手紙を書 い て い る わよ。
b 鈴木が手紙を書 い て い た わよ。
(1a)と(2a)の「書く」と「書いている」は、発話時を基準にして、発話時以後に「書く」、あ るいは、発話時と同時に「書いている」という運動及び状態がそれぞれ存在することを示してい る。これに対し、(1b)と(2b)の「書いた」と「書いていた」は、発話時を基準にして、発話時以 前に、運動及び状態がそれぞれ存在していることを示している。
このように、日本語の場合、「スル(シテイル)・シタ(シテイタ)」という文法的な形によって 示される運動及び状態を、発話時を基準にして、以前(過去)に位置づけるか、同時(現在)に 位置づけるか、以後(未来)に位置づけるか、という対立がテンス(絶対的テンス)である。
一方で、発話時と参照時との外的関係をテンスとして捉える場合、参照時テンスがある。
Reichenbach (1947)は、動詞の時制論の中で発話時と出来事時だけでは、完了(perfect)と過去
(simple past)を区別することができないことから「参照時」を設けることによって、この問題
を解決しようとしている。
27 1.2 ア ス ペ ク ト
ロシア語の動詞には、主にアスペクトの意味を表すカテゴリーとして、体видという文法的(形 態的)カテゴリーが備わっている。ほぼすべての動詞が、完了体(совершенный вид)か不完了
体(несовершенный вид)に属するとされる。このような言語的特徴を有するため、ロシア語に
おいては、アスペクトのカテゴリーと他の文法的カテゴリーとの相関関係についてしばしば取り 上げられ、議論の対象となっている。
一般言語学の分野における、アスペクトというカテゴリー23についての本格的な試みは、
Comrie (1976)によるものが最初と考えてよいだろう。Comrie (1976)は、様々な言語に見られる言
語現象を調査・分析し、スラヴ諸語における体の研究での学術上の蓄積(主に Maslov (1959),
Bondarko (1971))を基盤としつつ、そこでの成果をスラヴ諸語以外の様々な系統の言語に適用・
検討するという方法で、アスペクトというカテゴリーを一般言語学の観点から述べようと試みた。
そこでの述べ方によれば、アスペクトは、「ある状況の時間的な内部構造の様々な捉え方
(different ways of viewing the internal temporal constituency of a situation)」を表すものであり、完
了相(perfective)と不完了相(imperfective)にまず大きく二分される。完了相とは、ある状況
を構成する異なる別個の相に分割することなく、その状況を一つの全体として見る捉え方(the view of a situation as a single whole, without distinction of the various separate phases that make up that
situation)を表すものである(Comrie 1976: 16)。それに対して、不完了相とは、状況の内部構造
に基本的に注意を向けているものであり、ある状況を内部から捉えた上で、時間的な内部構造を 明示的に示すものである (Comrie 1976: 16-24)。
以下、ロシア語の体が内包する、性質の異なる二つの意味の対立軸について考えてみる。
ロシア語において、アスペクトの意味を表す機能を担っている、主たる言語形式の一つである
「体」のカテゴリーの示す意味的対立の具体例について見てみよう。
(3) On pisal knigu.
彼 読む-IPFV-PAST-M 本:ACC
「彼は(その時)本を書いていた。」
(4) On napisal knigu.
彼 読む-PFV-PAST-M 本:ACC
「彼は(その時)本を書いた。」
不完了体が用いられている、前者の例では、完了のニュアンスを含まないので、発話の瞬間と 同時に進行中の「過程」を表している。また、不完了体の文は文脈が異なれば、当該状況の「反
23 本論文では日本語とキルギス語に関する文レベルの対照を主な目的とするため、談話レベルのテ クスト的機能については基本的に扱わない。
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復性」、「習慣性」などの意味を表すことができる。それに対して、完了体が用いられている、後 者の例では、その後の結果や状態について言及する姿勢が表される「完了」を表している。ここ には、状況の在り方について、異質のものが混在していることが分かる。
1.3 ア ス ペ ク ト と い う カ テ ゴ リ ー
一般言語学的の枠組からのアスペクトに関する記述は、Plungyan (2011)における記述に多くの 点で拠っている。その理由は、現在のロシア語アスペクト論においては、様々な研究者がそれぞ れの概念や術語を乱立させながら用いているとも言えるような状況の中Plungyan (2011) は一般 言語学的な枠組みからの考察を行い、術語の対比なども試みているからである。
Plungyan (2011: 384)によれば、自然言語における状況を捉える際には、「状況」を構成する以
下の断片が最も重要であるという。
① 準備の段階(подготовительная стадия)
② 開始点(начало)
③ 中間(середина)
④ 終了点(финал)
⑤ 結果の段階(результативная стадия)
① の「準備の段階」とは、ある状況がこれから生じるという特徴が存在している状態」を指す。
②の「開始点」とは、ある状況が生じていない状態から、生じている状態へ移行する瞬間である。
③の「中間」とは、上の「開始点」と下の「終了点」との間を指す。④の「終了点」とは、ある 状況が生じている状態から、生じていない状態へ移行する瞬間を指す。⑤の「結果の段階」とは、
ある状況が終了したあとに生じる状態を指す。
話者によってこのような認識・把握された状況のどの部分(局面)を、話者の主観に基づいて、
聞き手にどのように提示するかというのが、アスペクトの表す文法的機能であると言ってよいだ ろう。
Plungyan (2011)は、アスペクトの意味をまず、大きく以下の二つに分けている。
① 一次的アスペクト(первичный аспект)
② 二次的アスペクト(вторичный аспект)
これらは、それぞれ線状的アスペクト(линейный аспект)、数量的アスペクト(количественный аспект)とも呼ばれる。
一次的アスペクトとは、その発生の過程において原初的なアスペクトであるということから一 次的と名付けられている。この一次的アスペクトは、状況を構成している部分を指し示すもので
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ある。これに対して、ある状況が持つ、元々の状況の性質が別の異なる状況の性質を持ったもの として認識されることがある。この場合、この新たな性質は二次的なものということになり、そ れに応じて、アスペクトの意味も一次的なものから二次的なものへ変化することになる。このよ うなアスペクトの意味を、二次的アスペクトと呼んでいる。
1.3.1 一 次 的 ア ス ペ ク ト (первичный аспект)
Plungyan(2011)によれば、一次的アスペクトには以下のような7つの型があるとしている。
① 前望相(проспектив)
② 起動相(инцептив)
③ 持続相(дуратив)
④ 進行相(прогрессив)
⑤ 終結相(комплетив)
⑥ 結果相(результатив)
⑦ 完了相(перфект)
以下、それぞれを詳しく述べる。
①の「前望相(проспектив)」は、英語のbe going to doとフランス語のallerなどの形式によっ て表されるアスペクトである。つまり、分析的な構造で、未来時制と翻訳されることが多い。ロ マンス諸語、ゲルマン諸語などの他に、チュルク諸語、バントウー諸語などに見られる(Plungyan 2011: 288)。
②の「起動相(инцептив)」は、上述した「状況」の開始点を表すアスペクトである。
③の「持続相(дуратив)」と④の「進行相(прогрессив)」は起動相と前望相が示す「状況」
の中間に位置付けられる。持続相という表現は、当該状況が、静態的な状態の場合でも、動的な プロセスの場合でも用いられる。それに対して、進行相は、限りのあるプロセスについて言う場 合に用いられる。すなわち、動的でかつ持続している状況を表すのに限って用いられるアスペク トが進行相である。
⑤の「終結相(комплетив)」は上記の「状況」のうち終了点を表すアスペクトである。限り のあるプロセスが、その自らの終結点に到達したことを表す。(Plungyan 2011: 289)
⑥の「結果相(результатив)」と⑦の「完了相(перфект)」は結果の段階を表すアスペクトで ある。この両方の間にある差異は、次のようにまとめることができる(Plungyan 2011: 290)。結 果相は当該動作が生じた後の状態について述べているだけなのに対して、完了相の場合には、当 該動作が生じた後の状態を述べるのではなく、発話時点よりも前の状況を意味しているという点 で結果相とは異なる。