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リューベックにおけるロシア・リーフラント産品の取引

ドキュメント内 untitled (ページ 52-69)

はじめに 

  広大な面積と豊富な天然資源を誇るロシアは、かねてより一次産品を中心とした諸商品 をヨーロッパ諸国に供給してきた。中世ドイツの商人が、バルト海沿岸都市の建設を伴い つつノヴゴロドにまで進出した背景には、毛皮や蜜蠟といったロシア産品に対する需要の 高まりがあった。彼らのロシア及び沿バルト・リーフラント地方との貿易は、ハンザの形 成・発展の母体の一つであった。また、近代のイギリスにとって、ロシアは船舶必需品や 鉄の主要な調達先となり、対ロシア貿易はイギリスの「帝国」形成や産業革命の進展にと って不可欠の貿易部門となった(1)。ロシアと西欧とを結ぶ東西貿易は、リーフラントや プロイセンなど様々な地域の貿易をも包摂しつつ、ヨーロッパ国際商業の基本軸を形成し ていたと述べても過言ではない。

さて、この東西ヨーロッパ間の通商動脈を支えた経路としてまず注目されるのは、言う までもなく、バルト海・北海を経由する海上路である(2)。嵩高商品の比較的多い北方ヨー ロッパにおいて、海路の利用が重視されたことは推測に難くない。ロシアの西欧向け窓口 となるリーフラント諸港、それにダンツィヒなどプロイセン諸港を舞台とするバルト海・

北海貿易こそは、後にサンクト・ペテルブルクを加えてハンザやオランダ、そしてイギリ スの繁栄を根底で支えた経済史上極めて大きな意味を持った貿易部門であるといえる。と ころで、バルト海と北海を連絡する具体的なルートとしては、大別して二つの経路を指摘 することができる。すなわち、ハンザの動脈の一部をなしたリューベック・ハンブルク間 内陸路と近世以降オランダやイギリスの船舶の経路となるエーアソン海峡をはじめとする 海路である。前章に引き続き、本章で取り上げるのは前者のリューベック・ハンブルク間 内陸路を経由したバルト海・北海間商業である。以下では、主に西欧方面に再輸出される べくリューベックに集荷された、リーフラントを含めたロシアの物産の流通に注目し、そ の実態を明らかにしてみることにしたい。

対ロシア・リーフラント商業はハンザ商業の根幹に位置していただけに、この分野に関 しては、長年に渡る研究の蓄積がドイツやロシアに存在する(3)。また、我が国を見ても、

近年バルト海商業に対する関心が高まりつつあるなかで、ハンザ期のロシア、リーフラン トの商業を扱った研究もしばしば発表されるようになった(4)。ところで、ハンザ期リュー ベックのロシアを含めたバルト海商業を見ていくのであれば、まさに相応しい史料が既に 刊行されている。1492年から

1496

年にかけてリューベックで徴収された関税の記録簿、

いわゆるポンド税台帳である(5)。序論でも指摘したように、この関税台帳は、記録の網羅 性や記載方法などの点で少なからず欠陥が指摘されるものの、これまでのところ、ハンザ の時代  −  さらに正確に言えばハンザが停滞期から衰退期へと差し掛かった頃  −  の リューベックの海上商業に関する最も詳細かつ包括的な史料であるといえる。この史料を 用いたリューベックの対ロシア・リーフラント商業については、編纂者であるフォークト ヘア自らが行なった分析や、1368/69 年のポンド税台帳などを合わせて参照した柏倉知秀 の学会報告が先行研究として既に存在するが(6)本稿では、これらの成果に依拠しながら 今一歩踏み込んだ検討を試みる。また、もう一つの史料として、リューベックからハンブ ルク・西欧方面に向けて再輸出されたロシア・リーフラント産品を追跡するために、前章

でも用いたリューベック商人の申告証書の記録(1436−1527 年)を補助的に用いる(7) 以上のような先行研究や史料に依拠しながら、以下でハンザ盛期から後期にかけてのリュ ーベックにおけるロシア・リーフラント産品の取引を明らかにしていきたい(8)

1. リューベックの対ロシア・リーフラント商業 

リューベックの海上商業において対ロシア・リーフラント商業は、どの程度の比重を占 めていたのであろうか。まず、ハンザ盛期について見ていこう。表

3―1

は、第

1

章でも 参照した

1368

年(1368/69年)のリューベック・ポンド税台帳の記録を取引相手地域ごとに まとめたものである。ここに示されるように、この時期、ロシアの窓口となるリーフラン ト諸港との取引は輸出入合わせて

95,000

マルク、比率にして約

17%を記録し、対西欧取

引に次いで多い金額を記録していた。対西欧取引とは、ほとんどがオルデスローを経てハ ンブルク、北海方面との間で行われた取引を指し、表からは、第

1

章でも確認したように、

この頃リューベックがバルト海・北海間の商品取引を媒介する位置にあったことが確認で きる。ちなみに、この表で対西欧取引(188,000マルク)を除いたバルト海貿易(357,700 マルク)に占める対リーフラント貿易の比重を求めると約

26%となる。リューベックにお

いて対ロシア・リーフラント商業は、スウェーデンやデンマーク領スコーネ(ショーネン) 地方との取引額を若干とはいえ上回る最も高い比重を占めていた。

同様の考察を

15

世紀末のハンザ後期についても行なってみよう。表3―2は、1492−

96

年のリューベックのポンド税台帳に記録された取引を、相手地域ごとに期間全体を通じ てまとめたものである。ここに示されるように、この期間、リーフラント諸港との取引は 輸出入合わせて比率にして

44.6%、金額にして 931,516

マルクを記録していた。ロシア・

リーフラント産品流通の集散地となるリーフラント諸港との取引が、ハンザ後期において もリューベックの海上貿易の中で極めて大きな意味を持っていたことが、ここからは窺え る(9)。ただ、ハンザ盛期との大きな違いを一つ指摘するとすれば、取引相手都市間の比重 の変化であろう。レーヴァル、リーガ、ぺルナウのリーフラント三都市のなかでは、ぺル ナウを窓口とする取引が

15

世紀末には減少して、これら三都市の中で占める比率を極端 に低下させた一方、レーヴァルの比重はさらに増大した。表3―2に示されるように、

1492

−96年の輸出入のなかで、レーヴァルは一都市で全体の約

31%を占め、二位のダンツィ

ヒの約

18%をはるかに上回っていた

(10)。

次に、リューベックとロシア・リーフラントとの間で往き来した商品について検討した い。主な商品が金額にしてどれだけ取引されたか、ここでは柏倉友秀によるポンド税台帳 の集計結果を素材として、リューベック・レーヴァル間で行き来した商品に関して見てい くことにしよう。

まず、ハンザ盛期に該当する

1368/69

年について見ると(11)この年、リューベックが レーヴァルから輸入した商品の合計金額は

34,239

マルク

5

シリング

6

ペニヒであった。

主な商品の輸入額を、内訳を明示することができないものも含めて確認し得る範囲内で示 せば、毛皮が

9,136

マルク、毛皮・蜜蠟が

4,466

マルク、蜜蠟が

281

マルク、毛皮・バタ ーが

126

マルクなどとなり、何よりもまず毛皮、それに蜜蠟がロシア・リーフラント方面 からレーヴァル港を経てリューベックに送られた主要商品であったことがわかる。レーヴ ァル向けの輸出額に目を転じると、合計金額は

14,329

マルク

15

シリング、主な輸出品(貨

幣を含む)とその金額は、塩が

4,591

マルク、毛織物が

4,100

マルク、毛織物その他が

1,349

マルク、鰊が

420

マルク、貨幣が

371

マルクなどであった(12)。東向け商品の中では塩と 毛織物の取引額が他の商品を圧倒しており、金額の確認できるものだけでも、それぞれ約

32%、29%と大きな比重を占めていた。

同様にして、今度は

15

世紀末のポンド税台帳の記録を用いて、ハンザ後期にリューベ ックとレーヴァルとの間で取引された主要商品を取り上げてみよう。以下で示すのは、

1492

年と

1493

年の取引額を合計した値である(13)。

まず輸入から見ると、この両年にリューベックがレーヴァルから輸入した商品の合計金 額は

195,298.0

マルク、主な商品の輸入額は、内訳を明示することができないものも含め て示せば、蜜蠟が

35,113.0

マルク、蜜蠟とその他商品が

85,437.5

マルク、亜麻が

14,909.0

マルク、魚油(柏倉の原表では鯨油)が

10,135.5

マルク、獣脂(油)が

6,442.0

マルク、魚 が

2,640.5

マルク、皮革・毛皮が

2,538.5

マルクなどであった。ハンザ盛期と比べると、

まず蜜蠟が毛皮以上に重要性を増して最重要商品となり、正確な数値は得られないものの、

輸入額全体に占める比重も拡大したであろうことがわかる。また、

15

世紀末には、亜麻や 様々な油脂類が主要商品としてレーヴァルからリューベックへ輸出されるようになってい たことも見て取ることができる。但し、1368/69 年と比べて亜麻や油脂類の取引がどの程 度増えたのかは、示すことができない。とはいえおおよその傾向として、近世に向けて蜜 蠟以外にも亜麻や各種油脂類の取引が拡大しつつあったことは、間違いないであろう。

  レーヴァル向けの輸出に移ると、輸出総額は

194,493.0

マルク、主要商品の輸出額は毛 織物が

121,192.5

マルク、毛織物とその他商品が

28,504.0

マルク、金属が

8,962.5

マルク、

魚が

6,669.5

マルク、ワインが

4,151.0

マルク、蜂蜜が

3,067.0

マルク(14)などの順であっ た。ここからは毛織物の占める圧倒的な位置が明らかである。ハンザ期のリューベックは、

フランドルなど西欧方面から大量の毛織物を輸入していたが、この西から東へ向かう毛織 物の流れの延長軸上にダンツィヒ、リーガそしてレーヴァルが位置していた。

対レーヴァル貿易で確認し得た商品構成に関する特徴は、大まかな点では同時期の対リ ーガ貿易についても当てはまる。すなわち、リューベックからの輸出では、西欧の代表的 な手工業製品である毛織物が極めて大きな比重を占め、逆方向では蜜蠟を筆頭として様々 な原材料がリューベックに輸入されていた。

以上、リューベックの対リーフラント貿易についてポンド税台帳の記録に即して検討を 加えてきた。対ロシア・リーフラント商業を母体とするリーフラント諸港との取引は、リ ューベックの海上商業のなかで極めて大きな比率を占めた。また、ロシア・リーフラント 産品の流通という点からまとめれば、14世紀後半から

15

世紀末までのハンザ盛期から後 期にかけてリーフラントからリューベックに送られた商品の中では、毛皮そして蜜蠟が重 要な位置を占めていたといえよう。これら二商品は、かねてよりロシア・ノヴゴロド方面 から西欧に送り出された最重要商品として指摘されてきた商品であった(15)。また、ハーダ ー・ゲルスドルフは、

12―15

世紀にハンザ商人がノヴゴロドで求めた商品として、毛皮と 蜜蠟のほか、魚、魚油、獣脂、皮を挙げているが(16)、このような品目面から見たハンザの ロシア商業の特徴は、ここで検討したリューベックの対レーヴァル輸入取引からも窺うこ とができた。

なお、収支について一言述べておけば、リューベックのバルト海貿易は輸入超過であり、

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