― 15世紀末のポンド税台帳の記録から ― はじめに
以下第
3
部では、バルト海を舞台とするリューベックのデンマークを中心とする近隣地 域との商業に光を当てていく。バルト海・北海沿岸に広がるハンザ・北欧商業圏において、デンマークは、地政学上これ ら二つの海域を扼す重要な位置を占めていた。従ってハンザの対外政策において、デンマ ークの動向に対しては常に厳しい注意が払われ、ハンザ・デンマーク関係が緊張を孕み、そ れが戦争にまで発展したこともしばしばあった。(第4章参照)また、経済的、商業的にみ ても、デンマークは、鰊の供給地としてハンザの通商網において無視することのできない 一角を占めていた(1)。同国の領土であったスカンディナヴィア半島南端のスコーネ(ショ ーネン)地方(現スウェーデン領)沿岸一帯は、鰊の一大漁場としてつとに有名であり、ス カンイェールやファールステルボーの市場は、古くはバルト海・北海間の商品集散地とし ても枢要な位置を占めていた。スコーネ沿岸に陸揚げされ、直ちにそこで加工・塩漬され た鰊は、ハンザの盟主であるリューベックはもとよりハンザの通商圏を越えて貴重な蛋白 資源として広く流通していたのである。
本章では、15世紀末にリューベックで徴収されたポンド税の記録を素材として(2)、
1492−1493
年のスコーネ領との取引を中心に、リューベック・デンマーク間の商業関係 を探っていく(3)。本研究では、以下第9章においてもリューベック・デンマーク間商業 を取り上げるが、ここでは、第9章で扱う時期よりも前の時期のデンマークとの商業を、しかも、以下でも指摘するように、史料の制約上、同国本土とスコーネ領とを特に分ける ことなく考察する。以下、第1節から第3節まで商品、商人、船長・船舶の順に検討を加 えながら、ハンザが衰退期にさしかかった時期にリューベックがバルト海を介して地理的 に近い地域とどのような取引を行なっていたか、対デンマーク商業を一つの事例として史 料に即して具体的に見ていくことにしたい。
1.商品
リューベック・デンマーク間で取引された商品の分析に入る前に、取引額の面からリュ ーベックのバルト海貿易に占める対デンマーク商業の位置を確認しておこう。この台帳の 初期の編纂者であるブルンスの集計結果をフォークトヘアから引用すれば、1492 年から
96
年までのリューベック・ポンド税台帳に記録された対デンマーク貿易の取引額は、輸出 入合わせて合計256,673
リューベック・マルク(以下マルクと略)となり、リューベック のバルト海貿易全体(2,088,640 マルク)の約12%に相当する
(4)。この値は、リューベ ックのバルト海貿易の中でどの程度の比重を占めていたであろうか。この時期、リューベ ックで最も取引額が多かったリーフラントは、輸出入合わせたリューベックのバルト海貿 易全体の約45%(931,516
マルク)を、次いで多かったプロイセンは約20%(419,274
マルク)をそれぞれ占めていた。それゆえ、これらの地域との取引と比べれば、デンマー クとの取引がリューベックのバルト海貿易全体に占めていた比重は、取引額からみる限りそれ程大きいとはいえない。
また、貿易収支をみておくと、対デンマーク貿易の合計
256,673
マルクの内訳は、輸入 が172,266
マルク、輸出が84,407
マルクであり、大幅な輸入超過であった。金額からみ ればデンマークとの取引は、リーフラントやプロイセンとの取引に比べて小さかったとは いえ、この大幅な輸入超過こそは、リューベックにとってスコーネ領を中心としたデンマ ークが、以下で見るように、まずもって鰊という不可欠な商品の調達先であったことを反 映していたといえる。それでは、リューベックがスコーネ領を中心にデンマークと鰊をは じめとしてどのような商品を取引していたか、1492
年と1493
年の二ヶ年を取り上げて輸 入、輸出の順に見ていくことにしよう。(1)リューベックの輸入 ― 鰊を中心に ―
リューベックがデンマークから輸入した主な商品は、表8―1にまとめてある。ここで 用いる
1492−93
年のポンド税台帳からは、デンマーク・スコーネの個別的な取引相手港 名がほとんど確認できないので、本章の表では、原簿での記載に添う形で取引相手の項目 分けを行なっている。これらの表について付言しておくと、まず、「スコーネ・デンマーク」と記された項目に一括して記録された取引は、デンマーク本土及びスコーネ領との取引に それぞれ振り分けることはできない。また、「デンマーク」の項目には、編纂者に従って原 簿で「デンマーク」の項目に記録された取引と、同国内部での取引相手都市名ないし地域 名の明らかな取引とがあわせて集計されている(5)。商品に関しては、主要商品のうち価 格の判明する取引のみしか集計されていない。それゆえ、実際に台帳に記録されている各 商品の取引額がこの表の金額を上回ることは確実である。
さて、このような大まかな集計に基づいた表であるにもかかわらず,リューベックの対 デンマーク貿易において鰊が占めた圧倒的な重要性は、ここからも容易に見て取ることが できる。デンマークからの輸入額全体で鰊が占めた割合は、価格の判明するものだけで
1492
年が約66%、1493
年には約90%にまで達している。
これらの鰊は、大部分がスカンディナヴィア半島南端のデンマーク領スコーネ地方から、
鰊の漁期である夏から秋にかけて輸入されたものであった。この地方では現地の漁夫が鰊 漁に携わり、捕獲された鰊は、ハンザ商人に雇われた現地の婦女によりはらわたの除去、
塩漬けといった加工が施され、荷造りが行われた(6)。鰊の加工、荷造りが行われたのは、
フィッテ(Vitte)と呼ばれたハンザ商人の占有地である。除去されたはらわたは、魚油の 原料とされ、悪臭を避けるためにフィッテからなるべく離れたところに設けられた作業場 で加工された。各フィッテは「リューベック・フィッテ」のように商人の所属都市名を冠 して呼ばれ、しばしば商品取引の場ともなった。各フィッテで樽詰めされた鰊は、その場 所を占有する商人の出身都市へ送られ、そこからさらに各地へ再輸出された。その流通範 囲は、西はライン地方、イギリス、フランス、東はプロイセン、リーフラントからポーラ ンド、ロシアの内陸部までのほぼアルプス以北全域を覆っていたと推測されている(7)。
ところで、スコーネ地方における鰊漁は、14世紀末頃を頂点として、その後漁獲規模を 縮小させつつあった。こうした変化は、リューベック側のポンド税の記録からも、おおよ そではあるが、確認することができる。例えば、
1400
年にリューベックがスコーネ地方か ら輸入した鰊の量は、約66,900
樽であったのに対して(8)、1492
年の輸入量は、同地方を含むデンマーク領全体で約
13,800
樽に過ぎない(9)。このように、スコーネ地方における鰊漁は最盛期を過ぎてはいたが、上で確認したよう に、
15
世紀末のリューベックの対デンマーク貿易では、鰊はなおも中心的な位置を占めて いた。これらリューベックに輸入された鰊は、同市内で消費されたものや大陸内部に送ら れたものがあったほか、表8―2 に示されるように、海路バルト海各地へ向けて再輸出さ れたものも、少なからずあった。デンマーク以外のバルト海各地――特に遠隔地――との 商業関係においても、鰊はリューベック側が定期的に提供した主要商品の一角を成してい たのである。それゆえ、これらの鰊の輸入元であるスコーネ領を含めたデンマークとの貿 易関係は、リューベックがバルト海各地との取引関係を維持していくうえで、欠くことの できない重要な意味を持っていたということができるだろう。鰊以外の商品では、スキムメーゼ、鰻、皮・毛皮の帽子(hute)、獣脂(talg)、木の実(note) が表8−1で挙げられている。このうち、スキムメーゼは、第
1
章でも述べたように、皮 包みの梱包品を指し、その中身も皮・毛皮であったと考えられている。価格を確認しうるス キムメーゼは、1492年に166
マルク(6梱)、1493年に131
マルク(6梱)が記録されている が、その他に価格不明の記録が1492
年に11
梱、1493
年に10
梱存在する。(10)鰻の場合、表に挙げてある金額の取引以外に、
1492
年に3
ラスト54.5
樽分の価格不明の取引が記録さ れている。デンマーク・スコーネからリューベックに向かった鰻が、長期保存のために鰊の ように塩漬け・加工が施されていたか否かは不明である。皮・毛皮の帽子はいかなる動物の 皮であるかは、台帳から見て取ることはできない。価格不明の取引が多く、表にまとめた取 引以外に1492
年には合計0.5
ラスト190
樽40
梱(kip:Packen)の、1493年には合計71
樽の金額不明の取引が台帳に記録されている。獣脂、木の実ともにまた、価格不明の取引記 録が非常に多い。1492年の記録のみを挙げれば、獣脂の場合、表にまとめた取引(1ラスト22
樽:計36
マルク)以外に1.5
ラスト106
樽が、木の実では、表に挙げた 12 マルク(15 樽)のほか2.5
ラスト59
樽がそれぞれ存在する。このうち木の実とは、ブルンスによれば、はしばみの実であるとされ、リューベックはそれをもっぱらデンマークから輸入したという
(11)。
(2)リューベックの輸出 ― 塩を中心に ―
次に、リューベックがデンマークに輸出した商品を見ていこう。表8―3から明らかな ように、デンマーク向け商品の中では、鰊の樽詰め、保存に不可欠な塩が他の商品と比べ て圧倒的な重要性を持っていた。デンマーク向け輸出額全体に占める塩の割合は、価格の 確認しうるもののみで
1492
年が約57%(18,943
マルク)、1493
年が約63%(11,409
マルク) に達しており、それらは量にして、前者が1,072.5
ラスト37
樽3
船舶(schip)、後者が633
ラスト1船舶に及んでいる。これら以外にも、価格の判明しない輸出が1492
年に133
ラ スト8
樽、1493年に27.5
ラストそれぞれ存在する。これら大量の塩の取引からは、鰊の 取引がデンマークからの輸入のみならず、鰊の保存に不可欠な塩の取引を通じて同国に向 けた輸出をも、商品構成の面から強く規定していたことが見て取れる(12)。リューベックからデンマークへ輸出された塩は、ほとんどがリューネブルクで生産され たものであった(13)。リューネブルクはリューベックの南方近郊に位置し、そこの塩井か ら得られた塩は、陸路及び水路の双方を経由して積出港であるリューベックまで運ばれ、