− バルト海南西海域を舞台として − はじめに
本章では、主に
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世紀後半の関税台帳の記録に依拠しながら、近世リューベックの対 デンマーク商業に光を当ててみたい(1)。ここで主に検討するのは、前章で検討した時代(1490 年代)からおよそ
200
年近くが 経過した時代(1680年前後)であり、ハンザ史の流れから見れば、既に最後のハンザ総会 が開催された(1669年)後の時代である。考察の対象とされる商業は、リューベック・デ ンマーク間商業であるが、バルト海という商業空間を念頭に置けば、ユトランド、スカン ディナヴィア両半島と、大陸沿岸部によって囲まれたバルト海南西海域を舞台とする比較 的狭い範囲内の国際商業であるということもできよう。ドイツとデンマークの間では、ユ トランド半島を経由した陸路による取引も行なわれていたが(2)、本章では考察を海上商業 に限定する。バルト海という内海のさらに内海ともいうべきこのような狭い海域で繰り広 げられた異国同士の活発な商業の実態とその特性を検討し、バルト海南西海域を一つの商 業空間としてとらえることが可能かどうか見ていくことにしたい。以下では、まず17
世 紀リューベックの関税台帳の記録をもとに(3)、当時のリューベックのバルト海商業の構 造を概観する。次いで、一部ロストックの関税台帳の集計結果にも依拠しながら(4)、16
世紀の事例をも含めつつバルト海南西海域で繰り広げられたドイツ北部・デンマーク間商 業の具体的な諸相を検討することにしたい。なお、当時はシュレスヴィヒ・ホルシュタイ ン公国も、それがデンマークと同君連合をなしていたことをかんがみ、デンマークに含め、ドイツ北部の取引相手地域として扱うことにする(5)。
1.近世リューベックのバルト海商業
近世リューベックのバルト海商業は、どのような構造的特徴を見せていたのであろうか。
まずはこの点を具体的に確認するために、
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世紀後半リューベックの海上商業を取引相手 の側面から検討しておくことにしよう。表9―1ではマイヤー・シュトールによる付加税 台帳の分析にもとづいて、(1)で1680
年から1682
年にかけてのリューベックの輸入を、(2)で
1679
年から1681
年にかけての輸出を、それぞれ取引相手地域ごとに集計してい る。二つの表の船舶数の欄を見ると、リューベックとの間で活発な船舶の往来を記録した 上位4
地域は、輸出入とも多い順に、①デンマーク、②シュレスヴィヒ・ホルシュタイン、③ドイツ・ポーランド沿岸地域(6)、④スウェーデンとなり、いずれもバルト海のほぼ西 半分のリューベックから比較的近い地域であったことがわかる。表9−1の地域区分に従 ったこれら
4
地域とリューベックとの間で行き来した船舶数の合計は、リューベックへの 入港数が3,241
隻、リューベックからの出港数が2,134
隻となり、それぞれリューベック の入港総数の89%、出港総数の 88%ときわめて高い割合を占めている。
このような近隣地域との密接な交易関係は、ロストックの海上貿易にも認められる。表 9―2は、1635年から
1648
年にかけての同港の輸出入船舶をフーンホイザーが集計した ものである。ロストックもシュレスヴィヒ・ホルシュタイン、スコーネ、ゴトランド地方 を含む当時のデンマーク領(7)との間で活発な航海を行なっていたことが、ここから確認できる。また、これらデンマーク領にヴェンド諸都市を加えた諸地域とロストックとの間 を往来した船舶の数をこの表から求めれば、
13,807
隻(12,721隻+1,086隻)となり、ロ ストックの出入港船舶数全体の約86%ときわめて高い比率に達していた。
リューベックの海上貿易については、さらに船舶の積載量と取引総額の面からの検討が 可能である。船舶の積載量から見て取引が多い上位3地域は、表9−1から輸入の場合、
①デンマーク、②沿バルト地域(Baltikum)、③スウェーデン、輸出の場合、①沿バルト地 域、②デンマーク、③スウェーデンの順になり、船舶数の場合とは異なる。しかし、リュ ーベックから比較的近いデンマーク、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン、ドイツ・ポーラ ンド沿岸地域、スウェーデンの船舶数から見た上位
4
地域の合計がリューベックでの積載 総量に占める割合は、輸入で64%(32,479
ラスト)、輸出で62%(23,018
ラスト)とな り、船舶数の場合ほど大きな比率ではないが、それでも輸出入ともに過半数を占めている。同様に、これら
4
地域の合計がリューベックの輸出入総額に占める比率を求めると、輸入 が45%(3,715,371
リューベック・マルク:以下マルクと略)、輸出が71%(2,999,495
マルク)となる。金額面から見れば、輸入では、沿バルト地域(8)とスウェーデンの重要 性が高い。しかし、輸入の場合も過半数をやや下回るとはいえ、船舶数などそのほかのデ ータを合わせて勘案すれば、やはり近隣地域からの輸入の比率の大きさは無視できるもの ではない。このように
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世紀後半のリューベックのバルト海貿易では地理的に近い地域、すなわ ちバルト海のほぼ西半分の地域との取引が大きな比重を占めていたと言える。次に、リューベックの遠隔地との取引に目を転じてみよう。リューベックのバルト海を 経由した北海・大西洋地域(9)との繋がりに着目してみると、リューベックの輸入に占める 北海・大西洋地域との取引の割合は、表から船舶数、積載量、価格の順にそれぞれ
4%(128
隻)、12%(6,025ラスト)、21%(1,715,748マルク)、輸出に占める割合は、表から同じ 順にそれぞれ2%(47
隻)、8%(2,979ラスト)、5%(223,535マルク)と計算され、と りわけ船舶数における比率が低い。リューベックの北海・大西洋地域との貿易は、ハンブ ルクに至る内陸路を経由しても行なわれていたと考えられるが、海上商業に着目する限り で言えば、リューベックの貿易は、大部分がバルト海沿岸地域との間で行なわれていたと いえる(10)。ここで他のバルト海主要都市において北海・大西洋地域との取引が占める割合を船舶数 の面から見ておくと、例えばストックホルムでは、1643年の場合輸入で
28%(46
隻)、輸出で
31%(54
隻)に達していた。(11)また、ダンツィヒでは、1583年の場合低地地方 船籍の船舶だけで出入港船舶全体の46%(1,015
隻)に達していた。(第 5
章第1節参照。)史料の制約ゆえに正確な比較は期し難いが、これに対してリューベックの出入港船舶全体 に占める北海・大西洋地域向け航海の割合を再度挙げれば、輸入が
4%、輸出が 2%に過
ぎなかった。また、ロストックにおいても北海・大西洋地域との取引が占める割合を表か ら求めると(12)、輸出入合わせてわずか1%(141
隻)に過ぎなかった。以下でも指摘する ように、近隣諸地域との取引に比べて北海・大西洋貿易では大量の商品の輸送が可能な大 型船が用いられていたことを考慮すれば、積載量と価格から見た場合、ストックホルムと ダンツィヒ両港において北海・大西洋地域との取引が占める割合は、船舶数から見た場合 以上に大きくなると考えられる。以上の概観からは、
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世紀リューベックの海上貿易が近隣諸地域を中心に営まれ、輸出 入全体に占める北海・大西洋地域との取引の比重が小さく、この点においてストックホル ムやダンツィヒといった、近世に大きく発展したバルト海主要港の貿易構造とは異なって いたことが確認された。同じような特徴はロストックについても当てはまるものであった。ここに、オランダのバルト海進出が、リューベック及びその周辺のヴェンド諸都市に与え た商業的な影響を見て取ることができるだろう。エーアソン海峡を経由する新たなバルト 海・北海間の通商動脈の形成は、ハンザ盛期までリューベックが担ってきたヨーロッパ東 西間の広域的な商品流通における拠点的性格が失われていく契機となった。それに伴い、
リューベックの海上商業の中では、地理的に近い地域との取引の比重が増していったので ある(13)。もし、「ヨーロッパ世界経済」の成立に伴う広域的な商品流通構造の変化がリ ューベック商業に与えた負の影響を取り上げるのであれば、こうした国際商業界における 拠点性の喪失にこそ注目する必要があろう。たとえ、商業規模から見てハンザ盛期と比べ て量的な拡大が見られたとしても、近隣諸地域との取引の比重が増し、遠方との商業関係 を媒介する役割を減じた近世のリューベックは、ハンザ盛期と比べれば、北方ヨーロッパ の国際商業界で果たす役割をやはり低下させたと考えられるのである。(第5章第2節及び 小括を参照)
ところで、リューベックとロストックが近隣諸地域を中心に海上貿易を展開していたな かで、両港がひときわ緊密に取引網を張り巡らしていた地域こそ、バルト海南西海域を取 り囲むデンマーク及びその旧領土にほかならない。次に、この海域を舞台として、これら 二つの港湾都市がデンマークとどのような取引を行なっていたか、具体的に検討していこ う。
2.ドイツ北部の対デンマーク商業
(1)航海
リューベックとロストック両都市の対デンマーク商業を第一に特徴付けるのは、ほかの 地域との貿易と比べて延べ航海数(船舶数)が非常に多いということである。まず、リュ ーベック・デンマーク間の船舶の往来数を見ておくと、
1680
年から1682
年にかけてデン マーク及びシュレスヴィヒ・ホルシュタインからリューベックに向かった船舶は、表9−1
(1)からそれぞれ
1,087
隻、1,038
隻と確認され、両者の合計数2,125
隻はリューベック の入港船舶全体の58%に達した。同様にして同表(2)から 1679
年から1681
年にかけてリ ューベックからデンマーク及びシュレスヴィヒ・ホルシュタインに向かった船舶を見ると、それぞれ
894
隻、496隻であり、両者の合計数1,390
隻はリューベックの出港船舶全体の57%に達した。ロストックについても、表9−2からデンマークとの間に活発な船舶の往
来があったことを確認することができる(14)。また、デンマークの側での取引相手地の数が非常に多く、沿岸部に広く分散していると いうことも、北部ドイツ両都市の対デンマーク商業の特長として挙げることができる。表 が依拠している関税の記録から、
1679
年から1682
年にかけてリューベックと取引関係に あったデンマーク及びシュレスヴィヒ・ホルシュタインの港の数を求めると、その数はそ れぞれ58
港、21
港に及び(15)、ほかの取引相手地域の港の数と比べてはるかに多かった。ちなみに、リューベックにとってデンマークと同様きわめて重要な取引相手地域の一つで