リオデジャネイロ州立大学日本語学科 主任 文学部 準教授
キタハラ 高野 聡美
ブラジルの日本語教育
ブラジルにおける日本語と日本文化はおよそ100年前から日本人移住者によるその継承活動を発 端に根付いてきた。現在では、この基盤上に、若い世代ではポップカルチャーブームと共に現代の 日本語と日本文化が直接受け入れられている。
また日本に在住するブラジル人第一世代にとっては、社会に適応する道具として、第二世代に とっては日本にアイデンティファイするために必要不可欠な言語であり文化となっている。
かつて継承された日本語、日本文化はブラジルに根付いたが、新しい世代では日系人であっても 外国語としての日本語教育が必要である。これらの教育の担い手には人種や国籍を問わず専門知識 を身につけた日伯双方の言語、文化に通じている人材が必要である。
本稿では本学リオデジャネイロ州立大学で正規の日本語講座を設立した背景を述べることで、ブ ラジルにおける日本語および日本語教育の現状と課題が浮き彫りになると思われる。
ブラジルの高等教育機関での正規課程の日本語講座
ブラジルにおける日本語教育は移住者の歩みとともに発展し、100年以上の歴史はあるものの、
高等教育レベルでの講座は世界でも歴史が浅い。
2010年現在においてブラジルの高等教育機関で正規課程として日本語講座を持つ大学は表の通 り設立年が古い順にサンパウロ大学、リオデジャネイロ連邦大学、リオグランデドスル連邦大学、
州立パウリスタ大学アシス校、ブラジリア大学(国立)、リオデジャネイロ州立大学、パラナ連邦 大学の7大学のみである。
また修士課程を持つのはいまだに一番歴史の古いサンパウロ大学のみになっている。現在ブラジ リア大学とリオデジャネイロ州立大学には日本学研究科大学院構想がある。以上の三校は日本語と 日本学のバランスをとった講座構成になっている。その他の大学では日本語学、日本語教育、文学 に重点をおいた教育と研究がなされてきた。
ブラジルの高等教育での正規課程の日本語講座
出発点から 102 年
かなり思い切った言い方を使えば、ブラジルにおける日本語教育は全てが日本人移住者のメッカ であるサンパウロを基点として始まり、歩んできた。すなわち最初は日本側主導で行われ、移住政 策との関連も強かった。この特徴がこの後の高等教育機関での日本語教育の現状に光と影をもたら すことになる。
言い換えれば、ブラジルの日本語教育は文化、言語継承を出発点としているために、集団移住地 の多いサンパウロ州が基点となった。茶道、華道なども「本家日本」のサンパウロがブラジルの中 での「家元」として君臨し、地方に支部をおく形になっているが、高等教育機関での日本語教育も 例外ではない。
ちょうどサンパウロで日系二世世代が教員になる年齢のころサンパウロ大学に正規の日本語講座 が設立され、高等教育機関での日本語教育もこの家元制度の特徴を踏襲した。サンパウロ大学の学 部や研究科を終了したり、日本への留学から帰国したものが次々と他大学の教員、研究者として担 い手になっていった。
初期の有利な点
高等教育機関の日本語講座においてもこのような家元制度が機能したことは講座運営において、
初期においては大変有利に働いたと想像できる。
例をいくつか挙げると、ひとつは、ブラジルの他の外国語教育に比べると、日本からの組織的、
計画的な援助が期待できたためブラジルの公共機関に対して信頼を得られやすかったことである。
日本とブラジル双方のタイアップした研究、教育事業が進めやすい。実際にはタイアップというよ りも「完全に日本側主導」の事業が圧倒的ではあったけれども。
他の有利な点は、ブラジルに存在する日本人移住者の足跡、日系コミュニティーへのブラジル人 からの信頼は非常に厚く、日本語や日本文化を高等教育機関で教えるということに対し、特に戦後 は、常に歓迎ムードがあったということである。
もうひとつの有利な点は、サンパウロ大学に日本語学科が設立されたころ、学生はほとんどが日 系人であり、当時のブラジルでは日系人の学生たちの日本語能力もモチベーションも非常に高かっ たため、日本語で書かれた文献をいきなり読み、日本語で研究することが出来たそうである。外国 語ではなくて、まるで日本で国語や国文学を研究するようなことが可能であったのである。
専攻課程(7校) 設立年 特徴
サンパウロ大学(州立) 学部
大学院 1964 年
1996 年 日本語・日本文学、特に古典文学を中心とした研究者養成と教師の養成。
設立当初は東京外国語大学から客員教授が派遣 リオデジャネイロ連邦大学 学部 1979 年 教員養成
リオグランデドスル連邦大学 学部 1986 年 近現代日本文学を中心に翻訳家要請に重点を置く 州立パウリスタ大学アシス校 学部 1992 年 教員養成
ブラジリア大学(国立) 学部 1997 年 設立当初はサンパウロ方式を踏襲した教員養成。近年様々な分野の研究者を増 やしている。日本の大学との交流も盛ん。現在のブラジルの首都に位置している。
大学院設立構想有
リオデジャネイロ州立大学 学部 2004 年 日本の大学との学術交流をきっかけにスタートした。人文科学、社会科学を広範 に網羅する研究者および専門家養成を目指している。また実社会の問題に対応し て他の学術機関、公共機関、民間、市民社会との共同プロジェクト実施している。
大学院設立構想有
パラナ連邦大学 学部 2009年2月 設立 1 年の新設講座
(国際交流基金の資料と聞き取りを元に筆者作成)
現在の問題点
現在の課題の多くは初期の有利な点の裏返しである。つまりブラジルでの日本語教育や日本研究 が、日本主導、サンパウロ主導、日系人主導であったために現在の状況への対応の遅れを生み出し たと筆者は痛感している。初期の有利な点を光とすれば、これらの影の部分は課題点である。
光に比べ影のほうが大変多く、非常に残念に思うが、これからのブラジルの日本語、日本学の発 展のために大切なことなので、以下述べていくことにする。この考察は筆者が本学の同僚、学生と ともに考え、書きとめておいたものである。
1. 日本語教育、日本研究共に「特殊性」が強調され、また担い手の多くが日系のブラジル人だっ たためもあり、この「特殊性」強調に疑問が抱かれなかった。したがって現在でも教育、研究 上の共通項を切り口としたアプローチがなされることは殆どなく、他のブラジルの研究分野、
たとえば、比較文学、比較文化、対照言語学、比較社会学などとの接点は驚くほど少ない。
2. そもそも入学当時、日本語能力の高い学生が入学した当時のブラジルでは、日本語学習に対す るモチベーションを保つ工夫、ゴールを設定したり、メソッドを開発したりする必要もなかっ た。移住者の世代交代が進むに連れ、80年代後半以降は必然的にその必要性が出てきた。相 変わらず教授陣は日系が大多数のため、それらの問題への着手が遅れている。
3. ブラジルの大学では日本語、日本研究の分野では修士号(サンパウロ大学のみ)までしか学位 取得できない。現在ブラジルの公立大学の教員採用試験は原則として、博士号取得者のみ採用 している。学部、修士課程で日本語、日本研究を行ったものは、他分野、または海外で博士号 を取得しないとブラジル高等機関での日本語、日本研究分野の研究者にはなれない。海外に留 学したものの中にはこうしたブラジルでの事情を考え、留学した地で職に就くという選択をし たものが過去に多い。
4. ブラジルの高等教育機関で研究科設立条件は5人以上の博士号取得者を有することである。日 本語または日本学でこの条件を満たすことへのハードルが存在することがブラジリア大学や本 学での研究科設立の足かせになっている。なお、国際交流基金プログラムの提供する修士コー スおよび博士コースはブラジル国では学位として認められていないためブラジル人候補者の意 欲をそいでいることを特筆したい。
5. 日本語能力と日本研究のバランス問題がある。非日系人ですでに研究職にあるものには日本語 能力がネックになる。学部から日本語学習を始めたものでは、学習、研究能力が高くても日本 語がネックになる場合と、日本語学習は好むが他の学問体系に関しては無関心のものもいる。
日本語能力と日本研究を両方延ばすことは大きな課題である。
6. 日本語を学ばずに、日本研究を行うためにはポルトガル語の基礎文献が少ない。比較的参考文 献の多い英語を使うことになり、日本語学習者には負担になる。
7. 大多数の学生が日系人であった時代の名残で、今まで学部レベルの学習者へのゴールの設定が あいまいになされてきた。