… 一
□ 一 」一。■
一
.■一 ■
.洲1 塾1:
I )1
」。
・J・I で
{・
㍍ノ
・ ■ ! ノ!
所11
、〆 ! !
!
・泰磯、
一7
・袖ヘダー・
\・へ.。.ノ
し.1
麗火山地
11鰯低地介
0 1 2 3㎞
図2−1 長野県旧開田村の全体概要図
画榊全
開田村総合開発計画書議会 (村長の諮問機関)
[→行政情報・依頼伝達→コ
世帯 世帯 世帯
五人組
(集落)
r結い」
村長 村役場 各委員会 [←イ 商工会
社会福祉協際会 硯光協会
区長会 民からの要望
毎月25日に
村役場で開催 区長は原則輪 番制
五人組長会
←]
必要に応じ随 時開催 組長は原則輪 番制
世帯 世帯 世帯
五人組
(集落)
r結い」
匿誓ヨ…一一一一一一一一一一一一一一一一
図2−2
/1階慧カ箭維持〕
旧聞閏村の社会組織
2−3−2.分析対象事例(旧開田村)の研究上の位置づけ
旧開田村は、わが国の景観に関する自主条例制定の黎明期たる1972(昭和47)
年に、景観の保全に関わる自主条例を制定する等、地域景観を巡る新規性の高 い政策を多数実施してきた。
「開田高原開発基本条例」(1972(昭和47)年制定)は、自然景観や自然環境の 保全を目的に基礎自治体内のほぼ全域(規制の重複を避ける意味で農業振興地 域のみ除外)に罰則を伴う開発規制を設けた、基礎自治体の景観を巡る自主条 例で最も初期の事例である19)。案内サインシステム整備事業は、村内全域を対 象に屋外広告物の自主撤去と案内サインの設置を、村行政と観光協会や旅館が 協働して行った事例であり、その手法は、木曽広域連合における案内サイン事 業を経て、磐梯高原広域サイン計画にまで波及し影響を与えた20)。また、村の 玄関口にあたる国道沿いの用地を村行政が借地し白樺林の自然林を保全する等、
様々な工夫を凝らした政策を30年以上実施・展開し続けてきた。
政策の成果は、区長会等を通じた行政と住民との協働、「村落内景観整備事 業」等を通じた住民参加の充実、住民の景観を巡る自主事業等による地域コミ ュニティの活性化の進行や、政策の他地域への波及等に認められる。
また、旧開田村の景観を巡る活動は、国土庁・全国過疎地域活性化連盟等が 主催した全国過疎問題シンポジウムでの「過疎地域活性化連盟会長賞(1994(平 成6)年10月)」、農林水産省主催の第3回美しい日本のむら景観コンテスト「む らづくり対策推進本部長賞(1995(平成7)年3月)」、国土庁主催の農村アメニテ ィコンクール「特別優秀賞(1996(平成8)年12月)」、毎目新聞社主催の毎目地 方自治大賞「奨励賞(1996(平成8)年1月)」の受賞に結びついている。また、
2006(平成18)年10月には、「日本で最も美しい村」(NPO法人「日本で最も美 しい村」連合)への加入も果たした。旧開田村の景観を巡る活動に関する新聞 報道は、1990(平成2)年3月から2004(平成16)年3月までに102本にのぼって
いる。
そして、こうした活動とその成果は、間接的、直接的にIターン者の増加等 による人口の維持に繋がり地域としての良循環に結びついている21)。
以上、旧開田村には、地域景観を巡る統治機構、住民の活動の双方に優れた 実績があり、景観と自治の関わりの分析・考察に不可欠の貴重かつ豊富な手が
かりを有していた。
他方で、以上に示した旧開田村の景観を巡る政策上の特性や、前項で見た基 礎自治体としての特性は、研究成果を規定する条件ともなり得ることが想定さ れる。この視点で旧聞閏村と先行事例研究の知見22)を比較すると、旧開田村事 例は、景観を巡る条例の黎明期から平成の大合併までの問に生じた事例であり、
紛争対応・行政主導で始まる政策構造と、「一次産業が優位な景観」を有する小 規模自治体としての事例である、という特性が指摘できる。
注
1) 中村のこの指摘は、地方分権推進法に基づき設置された地方分権推進委員 会(1995(平成7)年)が、その中間報告(1996(平成8)年3月)で示した「分 権型社会の創造」というビジョンを地域景観という観点から先取りしており、
その先見性は注目に値する(中村(1982)、p.230参照)。
2) 例えば、武内和彦は、1990年代におけるランドスケープ・エコロジーを 地理学・緑地学・生態学の統合した形として捉え、地域生態学とは、人間と 地域環境の関わりを、生態学的視点から分析・総合・評価し、人間にとって 望ましい地域環境を保全し、創出する手法を考える研究領域であるとしてい
る(武内(1991)、PP.1−22参照)。
3) 例えば、菊池利夫は、歴史地理学会の創立20周年記念特別講演において、
歴史地理学の理論と方法を体系的に整理し、その基礎概念が、絶対空間から 相対空間へ移行し地域変遷が対象となった経緯を論じている(菊池(1988)、
PP.21−48参照)。
4) 例えば、全32巻から構成される「歴史地理学紀要(歴史地理学会発行)」
の各巻では、開発、生産、文化、人口・労働力等の様々な観点から歴史地理 が分析され、膨大豆っ客観的な地域情報が蓄積されている。
5) 中村の景観の定義(中村(1977)、p.2参照)に対する、齋藤潮の解説(篠 原(1998)、pp.10−13参照)による。
6) 柴田久は、景観論の変遷を研究系譜から分析する中で、1990(平成2)年以 隆の景観研究において、住民参加による効果が多く取り上げられていること
を示しつつも、「住民との対話を基盤としない参加研究のスタンスについて、
研究視点の独自性確保と意義主張に、時代的要請が形式的に取り込まれてい く危険性」を指摘している(柴田(2001)、pp.44−46参照)。
7) キングダン(John W.kingdon)が、アメリカの保健医療と運輸の二つの政策 領域を分析対象として導き出した政策過程分析のモデル。政策過程の4つの 段階である、①アジェンダ設定、②政策代替え案の生成・特定化、③政策代 替え案の選択による決定・正当化、④決定・正当化された政策の実施、のう ち、①と②のプロセスの焦点を合わせ、①、②、③の3つのプロセスを分析・
解明しようとするモデルである。コーエン(Michae1Cohen)らによる「ゴミ箱 モデル(Garbage CanMode1)」を参照し、それを修正したものである。当該モ デルは、政策過程の構造とパターンの抽出を目的としており、政策過程には 独自のパターンを持った独立した問題の流れ、政策の流れ、政治の流れがあ り、そして「政策の窓」が開かれた決定的な時期に、問題が認識され、政策 代替案が整い、政治状況が変化の徴候を創出し、なおかつ諸制約が存在しな い場合に、それらの3つの流れが合流することを仮定している。なお、政策 の窓モデルに関しては、以下の文献を参考としている(JohnW.kingdon(1995)、
小島(2000)、並びに大嶽(1990)、p,97−11O、宮川(1995)、pp.180−187、早川他(2004)、
PP.51−57)。
8) ウヴェ・フリックによれば、トライア1/ギュレーションという言葉は、ひ とつの現象に対して様々な方法、研究者、調査群、空間的・時間的セッティ シグあるいは異なった理論的立場を組み合わせることを意味する(ウヴェ・
フリック(2002)、pp.282−283参照)。佐藤郁哉は、「トライア1/ギュレーショ ン」というアプローチの根底には、個々の調査技法の持っ強みと弱点につい て認識した上で、それぞれの技法の弱点を補強し合うとともに、長所をより 有効に活かしていこうという発想があるとする(佐藤(2007)、p.138)。
9) 佐藤郁哉は、ノーマン・テンジンを援用しづつ、戦略的にトライアンギ ュレーションを進めていく上での4つのポイントをガイドラインとして示し ている。要約すると、1.課題や対象に対する適切な技法選択についての十分 な吟味、2.各技法の固有の強みと弱みについての理解、3.技法選択におけ る理論的視点との整合性の理解、4.研究計画の柔軟性の維持、である。本研
究では、一部を本文に示したように、これらの点に十分配慮し手法を適用し
ている(佐藤(2005)、p.36参照)。
10)付録におけるヒアリング等調査諸元一覧を参照。なお、本文、注における 人名に関するアルファベット記号は、当該一覧を用いている。
11)前掲注5)参照。
12)エドワード・レルフ(E.Re1ph)は、現象学的地理学の立場から「場所」の 概念を説明する。そのなかでレルフは、J.A.メイ(1970)がKm{Co〃。eμガ Geogκα功γで、地理学者が用いてきた場所の概念のうち、「場所は空間の特定 の部分とその空間を占有しているものを示す」との意味にだけ、場所の理念 の特質を示すものがある、と指摘していることを受けて、「この意味での場 所が、他には代えがたい私たちの現実の場所経験によって『知覚上のまとま り』になる」とする。本研究で「地域景観」という用語を使用する場合の「地 域」は、上記のr場所」の概念を内包する。(エドワードレルフ(1999)、PP.31−32
参照)。
13)1979(昭和54)年に旧開田村の農村景観の調査を行った報告書である(財)
観光資源保護財団(1979)では、1979年当時の開田村の景観が、御嶽山を背景 として広い採草地を持つことや家屋の特性から、ヨーロッパアルプスのテロ ル地方等の一部に見られる景観と類似している点を指摘している。その】方 で、土地利用構成、集落景観が自然に調和し細部にわたって人間の経験に見 合ったヒューマンスケールにより構成されており、洗練された純日本的な景 観でもある点に、同報告書は着目している。
14) 1951(昭和26)年に開田村の西野地区を対象に村落構造を分析した西川 (1951)は、西野地区は行政上において8組(現在の行政区に相当)、15部落(現 在の五人組に相当)に区分されており、この区分は享保見地以前に存在して いた可能性が高いことを、r享保九年西野村検地帳」に15集落がみられる点、
r尾廿御順見習メ書覧」(享保6年:徳川林政史研究所蔵)に庄屋1、組頭8 名の名前が出ている点から示している。また、組(現在の行政区に当たる)
が必ずしも地形的・空間的なまとまりと一致している訳ではない点を地図上 で示し、その設置には何らかの行政的な意図が働いていたと推論している。
15)大目氏、D氏、F氏へのヒアリング(付録参照)