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第二節 ネーゲリーによる
ペスタロッチー主義の
音楽教育理念
ネーゲリーが試みたペスタロッチー主義のメトードによる音楽教育 はその内容において一貫して小さな歌唱に重点が置かれている。
〔音楽理論的な理解と認識がそれに付随してはいるが〕そして小さ な歌に対する彼の見解は次のようなものである。
子供は自身の周りや彼の持っているもの〔彼の生命、子供らしい 心地良い制限を伴なった彼の環境〕を歌で賛美する。基本的な子供 の歌は、一つの特別な方向における観念と感覚の瞬間的な音声の生 成、技巧によってまとめられた言葉と音の不意の出現と見なされる、
当然それは短くて、単一なものとしての完全さをもち、子供の芸術 感覚に一致している。そのような小さな歌はそれ故に、子供の芸術 形成のためにつまちぬ事ではなく、その些細さにおいて特有の価値 を有する。即ちそこには最小限の範囲の根拠ある芸術として、子供 を煩わせることなしに彼の記憶に印象付けるという果てしない利益 があり、芸術美の領域において子供を手解きし、伝授するための唯 一の手段がある。
このように子供の音楽的感覚を最も自然に形成するためには、そ の単純さと言語との結合による近親さかち、歌唱をまず第一の手段
として位置づけた。そして彼は形成の過程を二つに大別した。
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一つの歌唱メトードは芸術実行を手段とした芸術形成への入門で ある。芸術実行のメトードは結果的に観れば芸術を詳細に伝えると いうことであり、その為にその基礎的な歩みにおいて一つの特別な 型形成が必要となってくる。型形成と気質形成は元来区別され、型 形成にはメトードが、気質形成には芸術作品が与えられる。即ち、
型形成は開拓準備でありそれは気質形成への開拓を容易にする。芸 術作品における教授と学習は単なる芸術概念の実行ではなく、知識
と能力の作用の間に在る自然の不一致を調和させることである。
この不一致は型形成によって出来る限り先取りされていなければな らず、それによって気質形成が一層妨げられないで成長することが 出来る。そうすれば芸術作品の実行は中断と妨げなく遂行され、歌っ ている個人も困惑の感覚によって芸術概念を鈍らせられたり、気質 形成を弱められたりすることはない。
型形成に際しては、芸術の美しさをその完全な姿において相当長 い間、子供達から取り上げてしまわなければなちない。型形成の道 が経過されうるまで。もし最初かち子供達にその美しさを完全に作
り出させようとするならば、真の芸術形成の為の「歌うこと」は 損なhれてしまうだろう。容易に生み出される享楽と無価値な満足 は、後に基礎過程を長引かせる束縛と忍耐以外の何物をも子供達に 与えないだろう。それに対して型形成によって始め、メトードの指 図する通りに子供達に純粋にその真髄を勝ち取らせるなちば、
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彼等は己の能力の拡張を自身で興味を持って見出だす。そして彼等 は物質的な〔有形の〕要求なしに己の行動に自ら快楽を見出だす。
それは真正の事実であり、これこそペスタロッチー主義メトードの 勝利の喜びである。
このネーゲリーの案出したペスタロッチー主義の原理による新し いメトードは、1>人闇の自然の形成法則に注目し、2>その簡単 なものを認識することかち始まり、3>型形成から気質形成への教 育段階に適合した順序を踏襲する、ことに尽きる。がそのためには、
これまで学校に委ねられていた音楽の教育に比較してより多くの時 間が必要となる。特に型形成において。しかしこの基礎過程の充実 は子供達をより早く一本立させうるし、これまでの教授法に比べて 新しい歌素材の克服と判断をより早く目覚めさせる。彼等がまだ子 供であるにもかかわらず、絶えず大きな芸術作品やその上二声対位 法の作品さえも完成することが出来る程に。更に子供達は、教師の 自然の美学的説明によって人間の存在に対する、生命の価値に対す る感覚にも目覚め、芸術の尊厳によって、又その神秘的な力によっ て結び合わされた人類をも自覚する。
ネーゲリーは彼のメトードを種々なクラス〔従来の教授法によっ て学んだクラス、コラールを年の数だけ歌い続けたクラス、大人の クラス、独学する個人〕に対して適用することが出来るとして、
各々に則した注意を与えた。
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その中で特にコラールに対する彼の教育学的私見は興味深い。
「これまでコラーールを歌い学んできた子供達はこのメトードを最初 から学び直さなければなちない。コラールを歌うことによって彼等 は音の充満と軽い音程の的中以外には何も獲得していない。反対に 彼等がコラールを長く歌えば歌った程、教師に苦労を払わせる。彼 等の鈍重なダラダラと長引く特性を直し、逆に歌唱の正確さと軽快 さを個々の関係において一一緒に合わせることの為に。特に子音の取
り扱いがもっぱら追い払われている場合は最も有害である。
間断なくゆっくりと進行するコラールは子供の自然に一貫して一 致しない。その息の短さの点で既に一つの障害を持つことになるば かりでなく、そのために言葉をしばしば息によって分割しなければ ならない。又タクトなしの歌唱も同様に子供の自然に合致しない。
一般に彼等はその手足を音を通して粗野な動物的な活動で、あるい は体育的な動作で反応させる。それを続けている聞に子供はダイナ ミックの行ったり来たり〔重いと軽い〕を自然に納得する。それ故 にほんの少しだけ動くメロディーを持ち、ゆっくりしてタクトのな いコラールの進行は、子供達の芸術概念を混乱させてしまう。
加えて、タクトのない一斉歌唱はその確実さにおいて非常に難しい ことから、学校の授業には不適格である。何故なち、一緒に歌うこ とにおいてはその正確さが第一条件であるから。この様にコラール は教育学的立場からは芸術形成の最も邪魔なものとなるのだが、
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その反面芸術哲学的立場からは、芸術の最も簡単な最も高度なもの である。そこでは音の拡張、多様、充実、それどころか殆ど終hり のないリズム的、メロディー的、ダイナミック的な音関係の幾倍に (s)
もされた音列の集合が一つの芸術作品の中に結合されている」
このようにネーゲリーは約百年来続いて来たこのキリスト教会の合 唱に対して、一方では批判しながらも一旦唱歌教師の立場を離れた 時点では尊敬の態度を表した。
学校当局あるいはインスティテユートの体制に対して、彼は次の ように希望した。
1)経済上の条件が許すかぎり、音楽の領域のために一人の特別 な教師〔本職の音楽家)が置かれることが望ましい。その場合彼は 確実な技術を持ったオルガニスト件合唱指揮者が良いが、もし彼が テナー歌手かバス歌手から選ばれるとするならばテナー歌手のほう
が良い。
2)この領域のために専門の教師が置かれない場合、言語教師が 唱歌教師の役割りの・一一一部を担うべきで、彼は音声の発音練習と更に 高度な教育準備として、詩を正しい韻律に結合させることに努める べきである。〔詩の前読みと説明、美しい朗読と訓練において〕
3〕人民学校(そこでは一人の教師がすべてを教える〕において は、もし許されるならば決められた唱歌時間を半分に分割するほう が良い。即ち、週三時間の代わりに六つの半時間が与えられ、
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従って子供達は毎日音楽の勉強をすることになる、子供を美しい ソロ歌唱の域にまで引き上げることは彼等の才能に依るのではなく、
完全な基礎付けと日々の勤勉さに依って成されなければならない。
唱歌の授業で子供達が一緒に歌うことによって、重要な教育学的 原理一一人間らしい社会〔仲間〕のための人の子は、まさしく社会 において形成されるべきである一一はここに価値ある適用を見出す。
つまり子供が仲間になって集まると、美学的形成も多くの人員にお いて得ようと努力されるだろうし、されなければならない。子供は 彼の共同債務老〔伸間〕がしだいに共同一徳家に成長するように見 える時、彼の美学的形成も益々鼓舞され高められるのである。以 上、ネーゲリーが彼のペスタロッチー主義のメトードにおいて表明
した音楽教育理念を拾い上げてみたが、それらを端的にまとめると 次のようになる。
彼は音楽の教育をまず歌によって始めるべきだと主張した。何故 なら、子供の歌は言語を含めたその日常生活に則しているために、
言語の持つ律動、アクセントと彼等の子供らしい概念とが自然の美 的な音結合として現われたものであるところがら、それらを手段と
して最初の教授の段階へ導入することが極めて自然の道である。
この自然の道への導きとして二つの段階がある。第一の段階は型形 成〔基礎訓練〕であり、第二の段階は気質形成〔応用訓練〕である。
そして型形成の段階をおろそかにすると気質形成の段階において
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