第 7 章 チャナッカレ方言のテンス・アスペクト・モダリティ
7.2 チャナッカレ方言におけるテンス・アスペクト体系
チャナッカレ方言では-IK は発話時以前に成立した出来事の完了とそれによる結果の 現在の状態を表示するものであり、さらに出来事が起こる瞬間を目撃したかどうかなど の明らかな痕跡や根拠や、出来事の結果状態から知覚に基づいて確実な推定・判定を表 示するといった話し手の認知的な判断を示し、エヴィデンシャリティを表示するものだ と前述した。
1) Bu makine çalış-ık-tı. Birisi kapa-y-ık.
この エンジン 動く-PF-PST 誰か 閉める-介入子音PF/EV
(このエンジンは動いていたよ。(確かに)誰かが止めた(と思う)。)
例1では、二つの-IK構文が現れている。1つは「Bu makine çalış-ık-tı. (このエンジン は動いていたよ。)」であり、もう 1 つは「Birisi kapa-y-ık.((確かに)誰かが止めた
(と思う))」である。前者の場合、述語を成す-IK接辞は過去形接辞の-DI と共起し、
出来事の完了による結果の現在における効力の継続を表す。後者もアスペクト的に動作 結果による現在における影響を表すのに加え、出来事の結果状態が痕跡となり、話し手 自身の知覚によって確実な推定表現を表す。つまり、以前は動いていたエンジンが今は 動いておらず、それは話し手自身が止めたわけでもないため、必ず誰かが止めたという 解釈がなされる。必ず誰かが止めたということを痕跡から推定し、確実性のある表現と して発言する。このように-IK 接辞は前者の構文ではアスペクト的な特徴を表すが、後 者ではアスペクトとモダリティの両方が現れる。二つの構文の共通点はアスペクトであ り、発話時以前の出来事の完了という過去の意味及びそれによる現在の状況を表すこと である。
Yıldırım(2002, 2006)では南西アナトリアの方言において-IK は単純に過去を表すと
され、「-IK 接辞の過去形48」と呼ばれているが、チャナッカレ方言において、-IK は過 去形として用いられる場合があるが、-DI のように単純過去形式として認定できないと 思われる。
-IK は出来事の完了による結果を表すことから、時間的に過去と切り離せない要素で あり、-mIş と非常に似ており、主にアスペクト・モダリティマーカーとして用いられる。
以下の例 2 は庭を案内している人が自分が育ててきたぶどうの木を示しながら発言し たものである。ここでも-IK が過去の意味を表す点で、時制と結び付き、出来事の結果 状態を示す。しかし、次の例 3 のような言い方にすると文の意味が異なり、過去時制の マーカーだといいにくくなる。
2) Asma-lā ni gıdān güzel ol-uk bak.
ぶどうの木-PL 何 まで 奇麗 なる-PF 見ろ
(ぶどうの木がなんとも美しく育っている。見てよ。)
3) Asma-lar ne kadar güzel ol-du bak.
ぶどうの木-PL 何 まで 奇麗 なる-PST 見ろ
48 Yıldırım(2002)では、チュクロワ地方(Çukurova Bölgesi)の方言で-ik接辞付加による過去形が使わ れるとされている(例:gelik(来たようだ/来た)、ölük(死んだ)、gelmeyik(来なかったよう だ))。
「-ik ekli geçmiş zamanın kullanılması: gelik ‘gelmiş, geldi’, ölük ‘ölmüş’, gelmeyik ‘gelmemiş’ vb. (Yıldırım 2002:144)」
(ぶどうの木がなんとも美しく育った。見てよ。)
また同じ構文を-mIş 接辞に置き換えてみると、例 4のような過去の行為が影響してい る現在の状態、つまりパーフェクトと、話し手の驚きや感動などの心的状況、つまりミ ラティヴィティが現れ、もとの例2にある-IK構文が表す内容と異なる。
4) Asma-lar ne kadar güzel ol-muş bak.
ぶどうの木-PL 何 まで 奇麗 なる-PF/MIR 見ろ
(ぶどうの木がなんとも美しく育っている。見てよ。)
例 4 の場合、話し手の感情的な主観による表現が現れ、完了の意味に加え、ミラティ ヴィティを示す。つまり、例 2と 4は完了した出来事の結果が現在の状態を表すという パーフェクトの面で共通しているが、その中に含まれる他の要素の面では異なるという ことである。そして、アスペクト的にパーフェクトであるが、テンス的に過去の意味を 表すことから、これらの形式が 3と関連することとなる。例 3は既に完了した出来事の 表現として、例2と4の形式と同じ時間枠の中で過去と結び付いている。
また、以下の例5と6は-IKで表示した述語にさらに過去コピュラマーカーを付加した 例であり、このとき-IK のモーダルな意味がなくなる。述語全体で出来事の完了とその 結果の現在への効力について述べることとなり、アスペクトとして役割を果たすことと なる。それに過去形のコピュラマーカーが付加されることによって、過去完了を表す。
5) Gāşı-da-ki tāla-yı da Gırbaşlā al-ık-tı.
向こう-LOC-POSS 畑-ACC も グルバシュラー 買う-PF-PST Hiçbi yėr gā-ma-dı gâyık.
全然 場所 残る-NEG-PST もう
(向こう側の畑もグルバシュラーがすでに買い占めていた。全ての土地がなくなった)
6) Adam, köy-de ne güzel hayat kur-uk-tu.
男の人 村-LOC 何 奇麗 人生 立てる-PF-PST
Yazık ol-du herşey-i-ni bırak-ıp-ta git-ti- . 残念 なる-PST なんでも-3SG.POSS-ACC 残す-GER-CONJ 行く-PST-3SG
((あの人は、村でとてもいい生活を送っていた。かわいそうに何もかも残して去っ て行った。)
現地調査によるデータでは、梨のストーリー(Pear Story)というビデオ映像を見せ、
その中に現れた、完了を表す出来事について、話者が一人で話す例がある。その場合、
以下の 7 のように単純な過去の意味として -DI 接辞を用いる。実際出来事が起こってい る瞬間を目撃し、その目撃した既に完了した内容を、後で一人で語る時にはチャナッカ レ方言でも-DI しか現れない。この場合、目撃による単純過去形として表示された内容 は-IK 接辞で表現できない。つまり、チャナッカレ方言では話し手は直接目撃したこと を素朴に伝えるときに-IK接辞を用いない。
7) Çocuk sepet-i al-dı git-ti.
子供 箱-ACC 取る-PST 行く-PST
Yol-da çarp-ış-tı, armut-lar yer-e dök-ül-dü.
道-LOC 衝突する-REC-PST 梨-PL 地面-DAT こぼす-PASS-PST
(子供は箱を取って行った。行く途中で衝突した。梨は地面にこぼれた。)
しかし、ビデオ映像の内容について例7で発言した話者に、他の話者が内容に関する 質問をすると、例7は以下の8の通りに表現される。49
8) A:Ne ol-du bur-da şimdi? Bu çocuk-lar-ın ne-si var?
何 なる-PSTここ-LOC 今 この 子供-PL-GEN 何-3SG.POSS ある
(今、ここでどうしたの? この子供たちはどうしたの?)
B:Yol-da birbiri-yle çarp-ış-ık-lar.
道-LOC お互い-COM 衝突する-REC-RES/PF-3PL ((子供たちは)行く途中でお互い衝突した。) Armut-lar yer-e dök-ül-ük.
梨-PL 地面-DAT こぼす-PASS- RES/STA/PF (梨は地面にこぼれている。)
つまり、上記のように話者同士の会話において、話の内容について質問されたときの 答えは、話し手が見たことを一人で説明するときとの形式と異なり、-IK 構文を使って 表現することができる。この場合、出来事の完了が過去の意味を表す点で過去形に結び 付くが、見たことを発話することで出来事の完了の結果とその状態が表現されることと なる。
上記の実例をもとにすれば、-IK構文は単純過去形式としては生起せず、-IK接辞は何 よりもまず出来事の完了による結果を表す時間的成分であると言える。また、-IK 接辞 は過去の時間副詞と共起することもある。例えば、以下の 9 は出来事の完了を表示する
49このデータは50代の男の方言話者の発言である。
ことで過去の意味を表し、10 のように過去を表す副詞とも共起する。この場合、完了し ている行為の結果の現在への影響といったパーフェクトの意味を表す。
9) Gövde gösteri-si gibi, adam da ne kadar çok 胸 デモ-3SG.POSS ように 男 も 何 まで たくさん insan topla-y-ık.
人間 集める-介入子音- PF
(小集団のデモのように男の人は相当たくさんの人を集めている。)
10) …adam da ne kadar çok insan topla-y-ık dün.50 男 も 何 まで たくさん 人間 集める-介入子音-PF 昨日
(昨日小集団のデモのように男の人は相当たくさんの人を集めた。)
さらに以下の dünden beri(昨日から)のような過程を表すアスペクト的な副詞とも共 起する。
11) Adam da ne çok insan topla-y-ık, dün-den beri.
男 も 何 たくさん 人間 集める-介入子音-PF 昨日-ABL から
( 男の人は昨日から相当たくさんの人を集めている。)
さらに、-IK 構文は「 şimdi(今)51 /bugün(今日)」などのアスペクト的な時間副詞 と共起することもできる。例えば、話し手に「アリさんはどこですか。」と質問した場 面では、以下の12のような答えが現れる。話の内容の主体が話し手と聞き手がいる場所 に存在しない状態が表現されるため、13 も用いられる。つまり、-IK は発話時以前に完 了した出来事の結果状態が現在にも継続する、あるいは、完了している行為の現在への 影響といったパーフェクトの意味を持つ。
12) Ali şimdi sahil-e gid-ik.
アリ 今 海辺-DAT 行く- PF
50Dirik and Kuribayashi (2015)では-IK接辞は過去の時間副詞と共起できず、単純過去のような機能を果
たさないと述べたが、それ以降の新データでは、過去の時間副詞と共起できるということも新たに分か
った。例9, 10, 11, 13, 14について、方言話者3人(女性、50代)に確認したところ、適切な場面があれ
ば、許容されると指摘された。つまり、チャナッカレ方言では、結果を表す-IKのパーフェクトの意味 が完成相及び単純過去へ展開するということが、これらの例で確かめられる。
51ここでは「今」という表現は進行中の意味ではなく、アスペクト的に結果を表す。
例:Şimdi gel-di- . (今 来る-PST-3SG)(さっき来た。)