• 検索結果がありません。

第 7 章 「犬とその影」に見るイソップ受容の一端 128

4. ジェームズとタウンゼントの参照元

中近世ヨーロッパにおける「犬とその影」の変容において、「犬が橋を渡る」話は、古 くは12世紀末のマリーMarie de France版で現れ、その後は15世紀末のイタリア語韻文 によるズッコZucco版(1479年)、シュタインヘーヴェルSteinhöwel集から派生した仏 語のマショーMacho版(1483年)およびその英語訳のカクストンCaxton版(1484年)

で現れるという*21。したがって、「橋」の要素は中世以降の新しい要素であることは明ら かであり、タウンゼント版の例は、その新しい要素が19世紀半ばにも残っていたことを 示す。すべてを網羅的に扱うことは困難であるので、本節では、ジェームズが前書きで言 及し、あるいはタウンゼントが自身のイソップ集の原典として挙げているイソップ集を取 り上げて、彼らが何を元に話を構成したのか確認する。

両者がファエドルス・バブリオス以外に言及するイソップ集は次の通りである。ジェー ムズは、レストランジ・クロックソール・ドズリーの名に言及している。それぞれ、レス トランジL’Estrange版イソップ集(1692年)、クロックソールCroxall, S.版イソップ集

(1722年)、ドズリー Dodsly, R.版イソップ集(1761年)を指す*22。また、タウンゼン トはネヴェレNevelet, I. N.(1610年)、フリアFuria, F. de(1810年)、ハルムHalm, C.

(1851年)によるイソップ集を原典として挙げている。その一方で、クロックソール本や ジェームズ本は批判の対象である*23

*21村上(19961997。中世フランスで生み出されたイソップ集は「イゾペ」と呼ばれる。マリー版イソッ プ集は『マリーのイゾペ』ともいわれ、マリーの記述から、その原本は同時代の英訳イソップ集が想定さ れる。古代から中世フランスへの展開については月村(1989)の議論が興味深い。シュタインヘーヴェル 集は、シュタインヘーヴェルSteinhöwel, H.によって編纂され、1476年頃にウルムで刊行されたイソッ プ集。シュタインヘーヴェル集の構成については、小堀(2001, pp.149-159)に詳しい。また、伊藤(2009, p.3)が簡潔にまとめている。シュタインヘーヴェル集は幾度も再刊されており、派生版も多い。マショー 本やカクストン本に関する伊藤(2009, p. 3-4)の調査では、これらの刊本も1500年までに複数回版を重 ねており、広く流布したことが分かる。

*22ただし、いずれのイソップ集もしばしば再刊されており、ジェームズがどの版を参照したかは定かでは ない。

*23Townsend(1867), pp. xx-xxi.

第7章 「犬とその影」に見るイソップ受容の一端 139

(6)ネヴェレ版

Κύων κρέας φερουσα.

ΚΥων κρέας ἔχουσα ποταμὸν διέβαινε. θεασαμένη δὲ τὴν σκιὰν ὑπέλαβε μείζονα κρέ-ας ἔχουσαν. διόπερ ἀφεῖσα τὸ ἴδιον, ὤρμησεν ὡς τὰ ἐκείνης ἀφαιρησομένη. συνέβη δὲ αὐτὴν ἀμφοτέρων στερηθῆναι, τοῦ μὲν μὴ ἐφικομένην, διὸ μηδὲν ἦν, τοῦ δὲ ὅτι ὑπὸ τοῦ ποταμοῦ παρεσύρει.

Επιμύθιον.

Ο λόγος πρὸς ἄνδρα πλεονέκτην εὔκαιρος.

Canicula carnem ferens.

Canicula carnem habens fluuium transnatabat, cuius vmbram conspicata canem maiorem arbitrata est carnem habere. omisso igitur proprio aggreditur tanquam illud illius raptura. Ambobus vero priuari Caniculam contigit, hoc quidem non nactam quoniam nihil erat. Illo vero, quoniam a fluuio ablatum est.

ADFABVLATIO.

Oratio in Auarum accomoda est.

1610年に刊行された本書は、スイスの学者ネヴェレNevelet, I.N.によって編纂された イソップ集である。ネヴェレ本については、タウンゼントがこの時代最大のイソップ集と して前書きで詳しく紹介しており、そのイソップ集の参照元としても挙げている*24

本書にはギリシア語およびラテン語の話が含まれ、ギリシア語の話にはラテン語訳も 附される。古代から16世紀頃までの既存のイソップ集を再編したものであり、のべ782 篇の話が含まれる*25。また、はじめにプリスキアヌスとアプトニオスによるFabula/

Μῦθοςの説明やフィロストラトスによるΜῦθοςの説明が載せられており、巻末にはネ

ヴェレによる注釈Notaeが附される。ネヴェレ本は17世紀を通じて幾度か再刊されてお り、当時広く読まれていたものと考えられる。

はじめのAesopi Fabulaeには297篇の話が含まれるが、前半はプラヌデス系イソッ

*24Townsend(1867), pp.xiv-xvi.

*25掲載順に、Aesopus297話)Aphthonius40話)Gabria43話)Babria11話)Phaedrus90話) Avianus42話)Anonymous60話)Abstemius199話)による話である。Gabriaは、9世紀のイグ ナティウスIgnatius DiaconusによるTetrasticha iambicaが、その名で伝わったものである。印刷本とし ては、アルドゥス版イソップ集(1505年刊行)ではじめて採録される。Crusius(1897), pp.257-258参照。

Babriaについては、ネヴェレが韻律をもとに散在する話から抽出したもので、何らかのバブリオス集が発

見されたわけではない。また、ここでのAnonymousはロムルス系ラテン語韻文イソップ集からの採録。

「ロムルス集」は、ファエドルス集に由来するラテン語イソップ集であり、中世を通じてヨーロッパに広 がり、散文・韻文ともに様々なバージョンが残る。ロムルス集他、中世ラテン語版各種テクストはエル ビューHervieux, L.Les Fabulistes Latinsシリーズに収められている。また、Abstemius15世紀末に 刊行されたイソップ集である。

第7章 「犬とその影」に見るイソップ受容の一端 140 プ集*26、後半の150話から297話までは、SEQVVNTVR FABVLAE NVNQVAM Hactenus

Editae.と題される部分で、ネヴェレが写本から採録した、初出のギリシア語散文(および

ラテン語訳)のイソップ集が示される。「犬とその影」の話は第213話として、この後半 部分に含まれる。ネヴェレ版は、アプトニオス版を除けば、古代由来のギリシア語散文版

「犬とその影」が提示される最初の事例でもある。

ネヴェレの採録したギリシア語散文版「犬とその影」は、「水の中」(κατὰ τοῦ ὕδατος) および「他の犬」(ἑτέραν κύνα)への言及がない他は、(4)のギリシア語散文版と概ね同 じといえる。すなわち、肉を咥えた犬が川を渡っているとき、水面に映る肉の影に気付く。

影の方が自分のものより大きく見えた犬は、自分の咥えた肉を自ら捨てて、影に襲いかか る。しかし、影を手に入れることはできず、もともと咥えていた肉も流されて失ってしま う。当然ながら、話で展開する筋書きはギリシア語系(B)である。

なお、μείζονα κρέας ἔχουσανは、現代の校訂版(4)ではμεῖζον κρέας ἔχουσανと表記され る部分である。ネヴェレ自身は、巻末のNotaeにおいて*27、μείζονα κρέας ἔχουσαν)Deesse videtur vox κύνα. qua interserta legendum erit θεασαμένη δὲ τὴν σκιὰν, κύνα ὑπέλαβε μεῖζον κρέας ἔχουσαν.と述べており、ラテン語訳(canem maiorem arbitrata est carnem habere) はこの読みに対応したものとなっている。また、ネヴェレによる注記はないが、本文最後

のπαρεσύρειは、(4)ではπαρεσύρηであり、ネヴェレのラテン語訳を見ると彼も受け身

で解釈しているようである。

このギリシア語版に附されるラテン語訳は、ほぼ素直に原文のギリシア語をラテン語に 置き換えたものと読める。上記の修正とtransnatabatが川の渡り方に関する解釈を含む点 を除けば、とくに訳者による話の改変はない。つまり、ラテン語によってギリシア語系の 筋書きの話がそのまま示されるのである。

ネヴェレ本では、「犬とその影」の話はギリシア語散文版以外にも複数含まれている。以 下、タイトルのみ挙げておく。

(p.349: Aphth.)

Μύθος τοῦ κυνὸς, παραινῶν ἀπληστιαν φεύγειν.

Fabula Canis, ad auaritiam fugiendam exhortans.

(p.373: Gabria)

Περὶ Κυνὸς καὶ εἰδώλου αὐτοῦ ἐν τῷ ὕδατι.

De Cane & imagine ipsius in aqua.

*26マクシムス・プラヌデスによる14世紀半ばのギリシア語散文イソップ集をもとにしたイソップ集。1480 年にアックルシウスAccrusius, B.によって印刷本が刊行されている。この時期までの散文ギリシア語イ ソップ集は基本的にプラヌデス系のものである。なお、プラヌデス系集成には「犬とその影」の話は含ま れない。

*27Nevelet(1610), pp.627-628.

第7章 「犬とその影」に見るイソップ受容の一端 141

(p.392: Phaedrus)

Canis per fluuium carnem ferens.

(p.489: Anonymous) De Cane & Carne.

Gabria版とAnonymous版「犬とその影」は、ラテン語系の筋書きを示す話である。

Gabria版「犬とその影」は1505年刊行のアルドゥス版イソップ集に含まれ、話の標題も

同じである。筆者が確認できた範囲では、アルドゥス版の標題は「犬とその影」と題して 印刷される最初の事例である。

(7)レストランジ版

A DOG AND A SHADOW

As aDogwas crossing a River with a Morsel of good Flesh in his Mouth, he saw (as he thought) Another Dog under the Water, upon the very same Adventure. He never consider’d that the One was only theImageof the Other; but out of a Greediness to get Both, he Chops at theShadow, and Loses theSubstance.

THE MORAL. All Covet, All Lose; which may serve for a Reproof to Those that Govern their Lives by Fancy and Appetite, without Consulting the Honour, and Justice of the Case.

レストランジ版イソップ集は、1692年に刊行された。500話を含み、英語イソップ集と しては、当時最大のものであった。19世紀後半のジェームズもレストランジ本を参照し たことを前書きに記しているが*28、簡単に調べただけでも、刊行後から20世紀に至るま で幾度も再刊されていることを確認できる*29。編者のレストランジL’Estrange, R.は、17 世紀後半に英国の検閲官を務めた人物であり、当時著名な出版人でもあった。

レストランジの前書きによると、もともと教育的意図がイソップ集編纂の背景に含まれ る。はじめ彼の手元にあったのは学校教育用ラテン語イソップ集Aesopi Phrygis Fabulae だけであり、当初の考えは、その教材の英語訳を作ろうというものであったらしい。しか し、実際に作業を進めるなかで、レストランジは教材版だけでは不十分と考えるように なった。そこで、それぞれの話について、複数のイソップ集を参照しながら、レストラン ジが良いと考える話を構成する手法を選択したのだという。彼が挙げるイソップ集は、ラ テン語・フランス語のものを中心に、17世紀後半までに登場した主要なイソップ集が含

*28James(1848), p.xviii.

*29Cottegnies(2008, p.132)によると、レストランジ本はクロックソール本の登場まで英語イソップ集の標準

となっていたようである。

第7章 「犬とその影」に見るイソップ受容の一端 142 まれており、レストランジが古代から近世にかけての種々のバージョンを参照していたこ とを窺える*30。それらをふまえた上でのレストランジのイソップ集は、ただの翻訳本では なく、本文まで含めて、編者であるレストランジの意識を色濃く反映したものである。な お、レストランジ本では、201話までがAesop’s Fablesと題される。それ以降は、作家毎 に話が纏められ、全体で500話となる。

さて、レストランジ版「犬とその影」の話を確認すると、ラテン語系(A)の筋書きを、

自身の言葉で簡潔にまとめたものである。また、ShadowSubstanceの対比は、既存の イソップ集をふまえたものであった*31。また、「すべてを望み、すべてを失う」とする教 訓部は話の筋書きに適うものであり*32、教訓部後半はレストランジ自身の見解であろう。

なお、レストランジ版イソップ集では、「犬とその影」を含め、全ての話について、本文と 教訓部に加えて、レストランジによる省察reflectionsが記される。レストランジ本では、

この省察部分が特徴的である。

(8)クロックソール版

The Dog and the Shadow.

A DOG, crossing a little Rivulet with a Piece of Flesh in his Mouth, saw his own Shadow represented in the clear Mirrour of the limpid Stream; and believing it to be another Dog, who was carrying another Piece of Flesh, he could not forbear catching at it; but was so far from getting any Thing by his greedy Design, that he dropt the Piece he had in his Mouth, which immediately sunk to the Bottom, and was irrecoverably lost.

クロックソールCroxall, S.のイソップ集は、1722年に刊行された。タウンゼントが、

当時普及している主要な英語イソップ集としてジェームズ本とともにその名を挙げる本で

*30レストランジが挙げる参照元は、“Phaedrus, Camerarius, Avienus, Neveletus, Aphthonius, Gabrias, or Babrias, Baudoin, La Fontaine, Aesope en Belle Humeur, Audin, etc.”である。Gabrias, Babriasとしてギ リシア語版も含まれるが、ネヴェレ本等でラテン語訳も参照可能であった。Camerarius16世紀半ば に刊行されたラテン語イソップ集、Baudoin以下は17世紀に刊行されたフランス語イソップ集である。

Cottegnies(2008, p.134)は、レストランジがとくにフランス語イソップ集を参照していた可能性を指摘し

ている。

*31この対比は17世紀半ばのオギルビーOgilby, J.およびバルローBarlow, F.による英語版「犬とその影」で 登場している。オギルビー本は1651年、バルロー本は1666年にそれぞれ初版が刊行された。バルロー本 は、各話について英語・フランス語・ラテン語の三言語版が並置される体裁である。バルロー本は1687 年に改訂版が刊行されるが、その際に各話の英語版・フランス語版は差し替えられている。また、オギル ビー本・バルロー本ともに秀麗な挿絵が附されたイソップ集である。ただし、両者についてレストランジ は前書きで言及していない。

*32「すべてを望み、すべてを失う」と似た教訓は、1690年刊行のBruslé版(Aesope en Belle Humeurとレ ストランジは表記する)で登場している。Bruslé版では“Qui veut tout avoir, n’a bien souvent rien.”。すべ てを失うというよりは、何も手にできない、という意味であり、レストランジと同一ではないが、全てを 手に入れようとする発想は共通する。筆者が確認した範囲では、この発想自体、Bruslé版ではじめて登場 する。