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第 3 章 アリストテレスとその影響 —— ヘレニズム期以降 41

2. アリストテレスと「イソップの話」

アリストテレスは、それまでの作家と異なり、〈イソップの話〉を機能面から分析して いる。『弁論術』Rhetorica1393a23-31において、例証(παράδειγμα)の一種として〈イ ソップの話〉を位置付けるのである。

Λοιπὸν δὲ περὶ τῶν κοινῶν πίστεων ἅπασιν εἰπεῖν, ἐπείπερ εἴρηται περὶ τῶν ἰδίων.

εἰσὶ δ’ αἱ κοιναὶ πίστεις δύο τῷ γένει, παράδειγμα καὶ ἐνθύμημα· ἡ γὰρ γνώμη μέρος ἐνθυμήματός ἐστιν. πρῶτον μὲν οὖν περὶ παραδείγματος λέγωμεν· ὅμοιον γὰρ ἐπαγω-γῇ τὸ παράδειγμα, ἡ δ’ ἐπαγωγὴ ἀρχή. παραδειγμάτων δὲ εἴδη δύο· ἓν μὲν γάρ ἐστιν παραδείγματος εἶδος τὸ λέγειν πράγματα προγενομένα, ἓν δὲ τὸ αὐτὸν ποιεῖν. τούτου δὲ ἓν μὲν παραβολὴ ἓν δὲ λόγοι, οἷον οἱ Αἰσώπειοι καὶ Λιβυκοί.

個別の種類に関わる説得手段は述べられたから、残るは、すべての種類に共通な説得手段に 関して述べることである。共通な説得手段は、分類として、例証と説得推論のふたつである

(というのは、格言は説得推論の一部分なので)。それでは、まず例証について述べよう。な ぜなら、例証は帰納に似ているが、帰納ははじまりであるから。例証の種はふたつある。例 証の種のひとつは過去に起きた出来事を語ることであり、もうひとつは、それを自ら作り出 すことである。そして後者のうち、ひとつは比喩であり、もうひとつはイソップやリビュア

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の話のような喩え話である。

アリストテレスは共通な説得手段について、例証(παράδειγμα)と推論(ἐνθύμημα) の二種類を挙げる。そして、例証について、過去の事例を語ること(τὸ λέγειν πράγματα προγενομένα)と過去の事例を模して創り出すこと(τὸ αὐτὸν ποιεῖν)に分類し、さらに後 者について、比喩(παραβολὴ)と喩え話(λόγοι)に分類する。この喩え話について、ア リストテレスはイソップの話やリビュアの話(οἱ Αἰσώπειοι καὶ Λιβυκοί)がそれにあたる と説明する。

この分析において、アリストテレスは一定の枠組みを提示し、その中に〈イソップの話〉

が含まれることを示したことになるが、見方を変えれば、一定の基準を満たせば、イソッ プとの関係が明示されずとも、それが〈イソップの話〉となりうることを示したのである。

アリストテレスはΑἰσώπου λόγοιではなくΑἰσώπειοι λόγοιと述べるが、〈イソップの話〉

において、その枠組みに納まるものであれば、必ずしも「イソップが語った話」であるこ とが重要ではないということになる。アリストテレスの議論は、「イソップが語った話」を 機能の面から捉え、それを〈イソップの話〉として提示するものであるから、Αἰσώπειοι

λόγοιとは、実体としての話の集合体というよりも、機能を満たす話の観念的な集合体を

意味するものとなるのである。その点では、〈イソップの話〉を内包する、喩え話として の「イソップの話」の枠組みが、ここで提示されているともいえる*1

アリストテレスの考える「イソップの話」は、「過去にあった事実」と「比喩」を合わせ たようなものとされる(1394a2-5)。

εἰσὶ δ’ οἱ λόγοι δημηγορικοί, καὶ ἔχουσιν ἀγαθὸν τοῦτο, ὅτι πράγματα μὲν εὑρεῖν ὅμοια γεγενημένα χαλεπόν, λόγους δὲ ῥᾷον· ποιῆσαι γὰρ δεῖ ὥσπερ καὶ παραβολάς, ἄν τις δύνηται τὸ ὅμοιον ὁρᾶν, ὅπερ ῥᾷόν ἐστιν ἐκ φιλοσοφίας.

「喩え話」は、公衆向けの弁論に適しており、また、類似した過去の出来事を見つけるのは 困難だが、「喩え話」を作るのは容易だという利点がある。というのは、類似性を見つける ことができる者は、比喩と同様に喩え話を作るべきであるが、類似性の発見は、知性の力に よって容易に可能なのである。

過去に起った事例を見つけ出すのが困難であるのに対し、「イソップの話」を創り出す のは容易であることが利点として述べられる。用いる状況との類似性を掴むことができれ ば、比喩に倣って話を創ればよいというのである。アリストテレスの分類に従えば、「イ

*1この箇所でアリストテレスの示す「喩え話」はλόγοιと表記されるが、これは対象を限定するには適切な 語彙ではない。そのため、アリストテレス自身も「イソップの」「リビュアの」と付加して限定する必要が あったと考えられる。このことは、後の人々がアリストテレスの分析に従って「喩え話」λόγοιを区別する 際にも、「イソップ」「リビュア」などの名称が付加された可能性を示唆する。そして、その場合、知名度 からみて「イソップ」の名が付加されることが多かったのではないかと推測する。その点では、たとえば ディオゲネス・ラエルティオスがデメトリオスの著作として記す“λόγων Αἰσωπείων συναγωγαί”5.80 などもその一例といえそうである。

第3章 アリストテレスとその影響——ヘレニズム期以降 43 ソップの話」とはあくまでも作り話であり、しかも文脈に合わせて意図的に作り出すこと のできる話といえる。話の内容は、それを用いる状況との類似性によって定められるわけ であり、そうした具体的状況が「イソップの話」に先立つことになる。ただし、類似性を 見出すためには一定の観察眼や洞察力が必要であろうから、この点はプラトンが記したソ クラテスの認識にも通ずるところがある*2

また、アリストテレスは、「イソップの話」が公衆を前にして話すのに適したものだと する。アリストテレスは「イソップの話」について、ステーシコロスがヒメラの人々に語 る例とイソップがサモスの人々に語る例の二つの用例を取り上げるが、いずれも公衆の面 前で語られる話である(1393b10-22; 1393b22-1394a1)。

Στησίχορος μὲν γὰρ ἑλομένων στρατηγὸν αὐτοκράτορα τῶν Ἱμεραίων Φάλαριν καὶ μελλόντων φυλακὴν διδόναι τοῦ σώματος, τἆλλα διαλεχθεὶς εἶπεν αὐτοῖς λόγον ὡς ἵππος κατεῖχε λειμῶνα μόνος, ἐλθόντος δ’ ἐλάφου καὶ διαφθείροντος τὴν νομὴν βου-λόμενος τιμωρήσασθαι τὸν ἔλαφον ἠρώτα τινὰ ἄνθρωπον εἰ δύναιτ’ ἂν μετ’ αὐτοῦ τιμωρήσασθαι τὸν ἔλαφον, ὁ δ’ ἔφησεν, ἐὰν λάβῃ χαλινὸν καὶ αὐτὸς ἀναβῇ ἐπ’ αὐ-τὸν ἔχων ἀκόντια· συνομολογήσας δὲ καὶ ἀναβάντος ἀντὶ τοῦ τιμωρήσασθαι αὐτὸς ἐδούλευσε τῷ ἀνθρώπῳ. “οὕτω δὲ καὶ ὑμεῖς”, ἔφη, “ὁρᾶτε μὴ βουλόμενοι τοὺς πολε-μίους τιμωρήσασθαι τὸ αὐτὸ πάθητε τῷ ἵππῳ· τὸν μὲν γὰρ χαλινὸν ἔχετε ἤδη, ἑλόμενοι στρατηγὸν αὐτοκράτορα· ἑὰν δὲ φυλακὴν δῶτε καὶ ἀναβῆναι ἐάσητε, δουλεύσετε ἤδη Φαλάριδι”.(1393b10-22)

ステーシコロスは、ヒメラの人々がファラリスを独裁将軍として選び、親衛隊をつけようと したとき、他にも述べてから、彼らに対してこのような話を語って聞かせた——ある馬が牧 草地を独り占めしていたが、そこへ鹿が入り込んで牧草地を駄目にしてしまったため、馬は 鹿に仕返ししようと思い、ある人間に、自分と一緒に鹿に仕返しをしてくれないかと尋ねた。

するとその人間は、馬が馬銜をつけ、自分が槍を持って馬に乗るならばよい、と答えた。馬 はそれに同意し、その人間が馬の背に乗ったが、馬は、仕返しをする代価に、自らその人間 の奴隷となったのだ。そして、ステーシコロスは、こう述べた。「このように、諸君もまた、

敵に復讐しようと望み、この馬と同じ目に遭わないように気をつけなさい。君たちは、彼を 独裁将軍に選んだために、すでに馬銜をつけているのだ。もし親衛隊をつけて、背に乗るこ とを許すならば、すぐにもファラリスの奴隷となることだろう。

Αἴσωπος δὲ ἐν Σάμῳ δημηγορῶν κρινομένου δημαγωγοῦ περὶ θανάτου ἔφη ἀλώπε-κα διαβαίνουσαν ποταμὸν ἀπωσθῆναι εἰς φάραγγα, οὐ δυναμένην δὲ ἐκβῆναι πολὺν χρόνον κακοπαθεῖν καὶ κυνοραιστὰς πολλοὺς ἔχεσθαι αὐτῆς, ἐχῖνον δὲ πλανώμενον, ὡς εἶδεν αὐτήν, κατοικτείραντα ἐρωτᾶν εἰ ἀφέλοι αὐτῆς τοὺς κυνοραιστάς, τὴν δὲ οὐκ

*22章参照。

第3章 アリストテレスとその影響——ヘレニズム期以降 44 ἐᾶν· ἐρομένου δὲ διὰ τί, “ὅτι οὗτοι μὲν” φάναι “ἤδη μου πλήρεις εἰσὶ καὶ ὀλίγον ἕλ-κουσιν αἷμα, ἐὰν δὲ τούτους ἀφέλητε, ἕτεροι ἐλθόντες πεινῶντες ἐκπιοῦνταί μου τὸ λοιπὸν αἷμα”. “ἀτὰρ καὶ ὑμᾶς, ἄνδρες Σάμιοι, οὗτος μὲν οὐδὲν ἔτι βλάψει (πλούσιος γάρ ἐστιν), ἐὰν δὲ τοῦτον ἀποκτείνητε, ἕτεροι ἥξουσι πένητες, οἳ ὑμᾶς ἀναλώσουσι τὰ λοιπὰ κλέπτοντες.”(1393b22-1394a1)

イソップは、サモスで、民衆指導者が死罪に問われていたときに、人々の前で次のような話 を語った——ある狐が川を渡っていたとき、岩の裂け目にはまり、抜け出すことが出来ない まま長くにわたって苦しんでいると、沢山の犬ダニが取りついた。辺りをうろついていた針 鼠が、狐の姿を目にして同情し、犬ダニをとってあげようかと尋ねた。狐が不要だというの で、針鼠がその理由を尋ねると、狐はこう答えた。「こいつらはもう私の血で満腹で、血を吸 うにしてもわずかであるが、もし君がこいつらを取ってしまうと、腹を空かせた別のやつら がやって来て、残りの私の血を吸ってしまうだろう」。(イソップが続けて言うには)「それ で君たちも、サモスの諸君、この男はもう君たちに害を及ぼすことはないだろうが(もうお 金持ちなのだから)、もし君たちがこの男を殺してしまえば、別の貧乏なやつらがやって来 て、残った分を盗んで君たちをすっからかんにしてしまうだろう」

いずれの話も具体的な状況に対する喩え話となっており、アリストテレスの観点に従え ば、両者がそれぞれ説得のために状況に合わせて自ら作り出して語った喩え話と説明でき る。これらの用例においては、語り手が誰かということではなく、「具体的な状況で、説 得のために、状況に合わせた喩え話を創作」したことが要点であり、話の前後の文脈も含 めて、全体として「イソップの話」を具体的にどう用いるかという例示ともなっている。

しかし、ここでひとつ大きな問題が生じる。アリストテレスの理論では、「イソップの 話」とは具体的な文脈で動的に作り出されるものであり、そこで個別的な効力を発揮す る。つまり、具体的な文脈を伴ってこそ意味のあるものである。上記の例にしても、前提 となる状況が示されるからこそ、有効なものとなっているといえる。それでは、既に語ら れた話はどう考えるべきだろうか。ステーシコロスやイソップが語ったという話が個別の 状況に合わせて作られたものだとしても、一度作られた話は、状況が終了した後にも残る ものである。一方、アリストファネスやプラトンらの例から考えると、〈イソップの話〉は 個々の話として独立的に流布していたようにみえる。そうであれば、それらの話は、それ が語られたであろう具体的状況とは独立して読まれたということになろう。このとき、状 況に合わせて動的に話を作成するというアリストテレスの考え方では、それらの話につい て評価することが困難なのである。

なお、その点では、アリストテレスの示す用例において、ステーシコロスの語る話は古 代のイソップ集に含まれる一方で*3、イソップが語ったという話がイソップ集に含まれて いないことも、個々の話に対する評価として興味深い。

*3Phaedr. 4.4;Aesopicafab. 269.また、Hor.Epist. 1.10.34-38にも見られる。