• 検索結果がありません。

第 4 章 「イソップ寓話」の芽生え —— ローマ帝政期 58

3. クインティリアヌス

1世紀の修辞学者クインティリアヌスは、『弁論術の教育』Institutio Oratoria1.9.2にお いて、初期の教育の素材として〈イソップの話〉を取り上げている。

Igitur Aesopi fabellas, quae fabulis nutricularum proxime succedunt, narrare sermone puro et nihil se supra modum extollente, deinde eandem gracilitatem stilo exigere condiscant: uersus primo soluere, mox mutatis uerbis interpretari, tum paraphrasi au-dacius uertere, qua et breuiare quaedam et exornare saluo modo poetae sensu permit-titur.

そこで、乳母の話のすぐ次に続くイソップの話を、簡素で節度を守った言葉で語ることを学 び、それから書くにあたって同じ簡素さを達成することを彼らが学ぶようにしよう。すなわ ち、まず詩行を解きほぐし、そして言葉を変えて説明し、詩人の意味が保たれる範囲でどこ かを縮めたり装飾したりして、大胆にパラフレーズする。

クインティリアヌスは〈イソップの話〉Aesopi fabellaeについて、「乳母の話」に続く 題材として、幾つかの練習方法を挙げている。これらの方法はあくまで本文に関わるもの であるが、テオンに類似した練習方法を見出せる。また、〈イソップの話〉を子供向きの ものとしている点が特徴的でもある。

クインティリアヌスは、別の箇所でも〈イソップの話〉に関する認識を示している

(5.11.19-21)。

Illae quoque fabellae quae, etiam si originem non ab Aesopo acceperunt (nam vide-tur earum primus auctor Hesiodus), nomine tamen Aesopi maxime celebranvide-tur, ducere animos solent praecipue rusticorum et imperitorum, qui et simplicius quae ficta sunt audiunt, et capti voluptate facile iis quibus delectantur consentiunt: si quidem et Mene-nius Agrippa plebem cum patribus in gratiam traditur reduxisse nota illa de membris humanis adversus ventrem discordantibus fabula, et Horatius ne in poemate quidem humilem generis huius usum putavit in illis versibus: quod dixit vulpes aegroto cauta leoni. Aἶνoν Graeci vocant et Aἰσωπείoυς, ut dixi, λóγoυς et Λιβυκoύς, nostrorum quidam, non sane recepto in usum nomine, apologationem.

Cui confine est παρoιμίας genus illud quod est velut fabella brevior et per allegorian

第4章 「イソップ寓話」の芽生え——ローマ帝政期 65 accipitur: ‘non nostrum’ inquit ‘onus: bos clitellas.’

イソップによる起源は認められていないが(というのも、ヘシオドスが最初の作者であると 思われるため)、イソップの名でもっとも名高い「イソップの話」についても、それらはとり わけ無教養な田舎者の心を引き付けるものであるが、そのような者たちは、作られた話をあ まり考えずに聞き、楽しさにとらわれて、聞いて心地よい話に容易に同意するのである。そ して実際、メネニウス・アグリッパは、かの著名な、胃袋と仲違いする人間の四肢について の話によって、平民を貴族との和解に導いたと伝えられる。また、ホラティウスは、詩作に おいても、この種の話を使うことをさもしいこととは考えず、自身の詩行で、「用心深い狐 が病のライオンに語ったことを」と記している。ギリシア人はこれをアイノスと呼んだり、

私が言ったように、イソップの話やリビュアの話と呼んでいるが、一方、私たちローマ人の なかには、その名の使用が十分には受け入れられてはいないものの、アポロガーティオーと 呼ぶ者たちもいる。

 これに近いものが、格言の類であるが、それは縮められた「イソップの話」のようなもの であり、含まれる意味の解釈によって理解される。たとえば、「私の荷物ではない。牛が荷か ごを、というやつだ」と言う場合である。

〈イソップの話〉とイソップの関わりに関するクインティリアヌスの説明は、テオンの 議論とほぼ共通である。ここでヘシオドスの名を挙げる点などをふまえると、クインティ リアヌスの示す〈イソップの話〉は、テオン同様に、「イソップの話」と呼ぶべき枠組み に収まるものであると考えられる。一方、μῦθοςには言及せず、“Aἰσωπείoυς ... λóγoυς et

Λιβυκoύς”と述べる点は、むしろアリストテレスを意識しているようにも見える。

「イソップの話」を聞かせて効果を発揮する対象として「無教養な田舎者」に言及して いる点は、テオンには見られないクインティリアヌス独自の見解といえる。前章でも確認 したアグリッパやホラティウスの例を挙げている点もクインティリアヌスならではであ る。また、ラテン語での呼び名として、あまり一般的ではないとしつつも、apologatioを 挙げている点も興味深い。ただ、apologatioの現存する用例は、調べた限りではこのクイ ンティリアヌスの言及だけであり、用語としての拡がりを確認できない。

この箇所の最後で、クインティリアヌスは、「イソップの話」に近いものとして「格言・

諺の類(παρoιμίας genus)」を挙げ、それが縮められた「イソップの話」のようなものだ

と述べている。格言との間に類似した性質が認められるというのであれば、クインティリ アヌスが「イソップの話」について、それが一般性を持った内容を語るものであると理解 していたことを推測できる。ただし、クインティリアヌスは一連の説明の中で、テオンの

「説明」にあたる部分には言及していない。したがって、「イソップの話」に関する理解と は別に、クインティリアヌスでは話の「解釈」に関わる練習は提示されないのである。

第4章 「イソップ寓話」の芽生え——ローマ帝政期 66

4. 2世紀頃の用例

4.1 プルタルコス

1~2世紀において、〈イソップの話〉および人物としてのイソップに最も多く言及して いるのは、おそらくプルタルコスだろう。ただし、プルタルコスの場合、クインティリア ヌス同様に〈イソップの話〉の始祖としてヘシオドスの名を挙げており*6、〈イソップの 話〉を内包する「イソップの話」の枠組みが意識される。

プルタルコスは、『いかにして若者は詩人に耳を傾けるべきか』と題する一篇の冒頭で、

子供たちは深刻に語られたものにみえない話に耳を傾けるものだとして、哲学的議論にお いても彼らに向けての話は真面目一辺倒でないことを推奨する*7。その文脈で、「イソップ

の話」(Αἰσώπεια μυθάρια)が、詩人の語る物語と並んで、もともと子供が喜んで読む題

材として挙げられている。クインティリアヌスでも初期の教材であったことを思うと、2 世紀頃には「イソップの話」を子供向けの話とみる発想が広がりつつあったことも考えら れる。

プルタルコスは、イソップの名を伴う話を幾つも用いているが、イソップが語ったも のとして示す他*8、アリストテレスがモーモスの話に言及した際と同様の手法を用いてい る*9。すなわち、Αἰσώπειος+動物名、あるいはΑἰσώπου+動物名による導入である。な かには、“Αἰσώπειος ἀλώπηξ”という同じ出だしで、Augustana集の「狐と豹」にあたる話 やアリストテレスが例に挙げた「狐と針鼠」の話に言及する例もあり*10、当時の「イソッ プの話」の拡がりを窺わせる。これらの出だしにκαθάπερと附して喩えであることを明示 する場合もあり*11、アリストテレスに較べて、より一般化した用法となっている。なお、

プルタルコスがこうした手法で言及する話は、単独の話としてではなく、文脈の中で一種 の喩え話として利用される。したがって、「イソップの話」はただの子供向けの読み物と して扱われるだけでもない。プルタルコスは多くの「イソップの話」を取り上げるが、古 代のイソップ集に含まれていない話が複数見られることも特徴的である*12

ところで、テオンやクインティリアヌスが初期の教材として「イソップの話」を挙げ、

あるいはプルタルコスも子供向けの題材として示していることなどからして、この時代に は、一定の教育を受ける環境にあった人物であれば、教養として少なからず「イソップの 話」に関する知識を身に付けていたことを推測できる。上記のプルタルコスの手法におい

*6Plu.Conv.sept.sap. 158B.

*7Plu.Quomodo adul. 14E.

*8Plu.Crass. 32.5;Arat. 30.8;De Herod. mal. 871D;Comm. not. 1067E.

*9Plu.Arat. 38.9;Conv. sept. sap. 157B;De frat. amor. 490C;Anim. an cor. 500C;Quaest conv. 614E;An seni790C;Prae, ger. reip. 806E.

*10Plu.Anim. an cor. 500C;An seni790C.前者がAesopicafab.12「狐と豹」、後者がアリストテレスの「狐 と針鼠」と対応する。

*11Plu.De frat. amor. 490C;Prae. ger. reip. 806E.

*12Plu.Arat. 38.9;Conv. sept. sap. 157B;Quest conv. 614E;Prae. ger. reip. 806E.

第4章 「イソップ寓話」の芽生え——ローマ帝政期 67 ても、必ずしも話全体が提示されるわけではないため、読者の側も、そこで言及される

「イソップの話」を想起できないと取り残されてしまうのである。その点で、プルタルコ スがしばしば上記の手法を利用していることは、イソップ集の存在も含め、当時それが可 能な状況となっていたことを意味しているとも考えられる。

4.2 ディオン・クリュソストモス

プルタルコスと同時代に活躍した弁論家ディオン・クリュソストモスは、イソップが 語った話の背景やその意図について説明している。

第12弁論冒頭で、ディオンは聴衆に対して梟について語る*13。梟は知恵も美しさも他 の鳥に優ることはなく、声も快いものではないにもかかわらず、他の鳥たちは梟の元に集 まる。ディオンは、鳥たちが集まって梟を称賛しているとする一般的見解を紹介し、また、

アテネ女神が梟を大切にしていると人々が語り、アテナイでフェイディアスによるアテネ 女神と梟の彫像が作られたことにも梟への評価が見られるという。しかし、ディオンは、

梟が何か卓越した知恵を持っていたのでなければ、こうした梟の境遇は理解できないとい う考えを示し、それからイソップに言及する(12.7-8)。

ὅθεν οἶμαι καὶ τὸν μῦθον Αἴσωπος ξυνέστησεν ὅτι σοφὴ οὖσα ξυνεβούλευε τοῖς ὀρ-νέοις τῆς δρυὸς ἐν ἀρχῇ φυομένης μὴ ἐᾶσαι, ἀλλ’ ἀνελεῖν πάντα τρόπον· ἔσεσθαι γὰρ φάρμακον ἀπ’ αὐτῆς ἄφυκτον, ὑφ’ οὗ ἁλώσονται, τὸν ἰξόν. πάλιν δὲ τὸ λίνον τῶν ἀνθρώπων σπειρόντων, ἐκέλευε καὶ τοῦτο ἐκλέγειν τὸ σπέρμα· μὴ γὰρ ἐπ’ ἀγαθῷ φυ-ήσεσθαι. τρίτον δὲ ἰδοῦσα τοξευτήν τινα ἄνδρα προέλεγεν ὅτι οὗτος ὁ ἀνὴρ φθάσει ὑμᾶς τοῖς ὑμετέροις πτεροῖς, πεζὸς ὢν αὐτὸς πτηνὰ ἐπιπέμπων βέλη. τὰ δὲ ἠπίστει τοῖς λόγοις καὶ ἀνόητον αὐτὴν ἡγοῦντο καὶ μαίνεσθαι ἔφασκον· ὕστερον δὲ πειρώμε-να ἐθαύμαζε καὶ τῷ ὄντι σοφωτάτην ἐνόμιζεν. καὶ διὰ τοῦτο, ἐπὰν φανῇ, πρόσεισιν ὡς πρὸς ἅπαντα ἐπισταμένην· ἡ δὲ συμβουλεύει μὲν αὐτοῖς οὐδὲν ἔτι, ὀδύρεται δὲ μόνον.

私が思うに、ここからイソップは次のような話を作った。すなわち、知恵のある梟が、樫の 木が最初に生えて来たときに、それを放っておかず、あらゆる方法で取り除くようにと他の 鳥たちに助言した。だれも逃れられない薬、そのせいで鳥たちが捕獲されるだろう鳥もち が、その木から生み出されることになる、というのであった。そして、人間たちが亜麻の種 を播いたときに再び、その種も摘まみ出すように命じた。そこから良いものは生み出されな いだろうということであった。三度目は、弓を持った男を目にしたときに、この男自身は地 を歩くものだが、羽をつけた矢を放つことで、君たち自身の羽を用いて君たちに追いつくだ ろう、と予言した。鳥たちは、こうした梟の言葉を信用せず、梟を愚かものとみなして、梟 は狂っていると言った。しかしそれから鳥たちは身をもって経験したことで感服し、実際に

*13Dio Chrys.Or. 12.1-6.