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第 4 章 「イソップ寓話」の芽生え —— ローマ帝政期 58

3. 編者の認識

本節では、実際にファエドルスとバブリオスの「イソップの話」に関する認識を検討し ていく。それぞれの集成に何を集めようとしたのか、彼らが直接表明している「イソップ の話」に関する認識を中心に、そうした話の起源やその作者「イソップ」に関する彼らの 理解も確認する。

3.1 ファエドルス

3.1.1 「イソップの話」に関する認識

ファエドルスは、自分が扱う対象について、第1巻序歌で明らかとしている。「作者イ ソップが創出した素材(Aesopus auctor quam materiam repperit)」(1)を用いたと述べて おり、自身の集成の元が「イソップ」のものであると宣言する。

しかし、その「イソップ」について、ファエドルスは第4巻序歌で自身の話を「私はそれ を“イソップの”ではなく“イソップ風の”と呼ぶ(quae Aesopias, non Aesopi, nomino)」

*33Luzzato&La Penna(1986)は、ペリーより1篇多い144篇とする。ファエドルス集、バブリオス集ともに 本来の形がそのまま伝わっているとは考えにくいため、ここでの比較はあくまで現在確認できる「ファエ ドルス集」「バブリオス集」に基づくものである。

*34例外は、Phaed. 2.2; 2.3; 3.7.

*35Luzzatto&La Penna(1986) pp. XII-XIV.ペンナは、バブリオス集がファエドルス集を参照したものではな い、と推測している。

第5章 古代のイソップ集——ファエドルスとバブリオス 83

(11)と語り、第5巻序歌では「イソップの名前をいずこかに記すとして、私が受けた恩 義は既にイソップに返しているわけだから、それは権威づけのためだと考えていただきた い(Aesopi nomen sicubi interposuero, | cui reddidi iam pridem quicquid debui, | auctoritatis esse scito gratia)」(1-3)と述べている。こうしたファエドルスの主張は、彼の集成が「イ ソップ」を踏襲したものであっても、相当に彼独自の話を含んでいることを示唆するもの といえる。

ファエドルスは、このような「イソップの話」の効用について、第1巻序歌で「笑いを生 むことと、賢い助言で人生に道を示すこと(... quod risum movet, | et quod prudenti vitam consilio monet)」(3-4)と述べている。つまり、ファエドルスは「イソップの話」に二面的 な性質を認めていたことになる。さらに彼は、第2巻序歌において、「イソップの類は範 例によって成り立つ。その話によって探求されることは、人々の誤りが正され、倹約、勤 勉が強められること以外の何ものでもない(Exemplis continetur Aesopi genus; | nec aliud quicquam per fabellas quaeritur | quam corrigatur error ut mortalium, | acuatque sese diligens

industria)」(1-4)と踏み込んで語り、自身の「イソップの話」が教示する道の方向性を明

らかとする。また、第3巻序歌では「個々人について語ろうという意図はなく、人間の 生き方そのものや性格を明らかにするつもりである(neque enim notare singulos mens est mihi, | verum ipsam vitam et mores hominum ostendere)」(49-50)と述べており、自身の

「イソップの話」が、その一般性に重きを置いたものであるとの認識を示している。

ファエドルスは同様の認識を第4巻第2話でも示す。自身が冗談を語ってふざけている ように見えることを自覚しつつ、「けれど、この馬鹿げた話を注意深く吟味しなさい。些 細な話のうちに、どれだけ有益な話を見出すことか。目に見えるものは常に見た目通りで はない。多くの人は見た目に騙され、注意深く内側に隠されたものを理解する知性は滅 多にない(sed diligenter intuere has nenias; | quantam sub pusillis utilitatem reperies! | non semper ea sunt quae videntur; decipit | frons prima multos, rara mens intellegit | quod interior condidit cura angulo)」(3-7)と述べるのである。

話の表層と深層という区分、その深層にこそ重きをおくファエドルスの姿勢からする と、「イソップの話」の二面的な性質のうち、彼が重視していたものは、表層たる「笑い を生む」部分ではなく、深層たる「道を示す助言」であったのだろう。そして、第1巻か ら第4巻まで同様の認識が示されていることから、ファエドルスの「イソップの話」に関 する認識は、年齢を重ねても一定のものであったことが窺える。

また、個々の話について、ファエドルスは第1巻序歌の最後に「獣ばかりでなく、木々 も口を利いているといって、もし非難しようという者がいるならば、私が作り話でもって 冗談を言っていることを忘れないでくれ(calumniari si quis autem voluerit, | quod arbores loquantur, non tantum ferae, | fictis iocari nos meminerit fabulis)」(5-7)と述べる。彼は、

自分が動物や植物などが主体となる話を語る、と表明しているわけである。同時に、それ が作り話であると述べることで、話の内部で動物や植物が口を利くことへの理由付けを

第5章 古代のイソップ集——ファエドルスとバブリオス 84 行っているともいえる。こうしてみると、ファエドルスにとっての「イソップの話」とは、

一定の機能を持った意図的な作り話として意識されるもの、ということができるだろう。

3.1.2 「イソップの話」の起源

こうしたファエドルスの「イソップの話」に関する認識は、「イソップの話」の起源 についての説明にも現われている。彼は、第3巻序歌において、「さて、イソップの話 の類が生み出された理由を簡単に示そう。奴隷が、罰を恐れ、言いたいことを思い切っ て言うことができなかったため、自分の感情を「話」に託して、冗談話をもって罰を 逃れたのである(Nunc fabularum cur sit inventum genus, | brevi docebo. servitus oboxia, | quia quae volebat non audebat dicere, | affectus proprios in fabellas transtulit, | calumniamque fictis elusit iocis)」(33-37)と説明している。真意を冗談の殻で隠す、そのために生み出さ れたものが「イソップの話」であるとファエドルスは理解していたことになる。これは、

ファエドルスの示す「イソップの話」に関する認識と一致するものである。その一方で、

こうした「イソップの話」の起源についての説明はあくまでファエドルス独自のものであ り、その前後の時期に同様の説明を確認できないことには注意が必要である。

3.1.3 イソップについて

ファエドルスがこの類の「話」の創始者とした奴隷は、おそらくイソップである。第1 巻序歌で「作者イソップが創出した素材」を扱うことを宣言したのはファエドルス自身で あり、また、第2巻の結びや第3巻第19話で、イソップが奴隷であったことを示してい る。これらの点をふまえると、第3巻序歌でファエドルスが「話」を生み出したとする奴 隷はイソップを指していると考えられるのである。

ファエドルスは、イソップに幾度も言及し、あるいは語り手として「イソップの話」内 部に登場させている。ファエドルスの語るイソップは、プリュギア生まれの人物であり、

ペイシストラトスの時代のアテナイを活動の場所とした。たとえば、第1巻第2話で、イ ソップはペイシストラトス治下に嘆くアテナイ人たちに語りかけ、あるいは第4巻第5 話では、アテナイを舞台とする話にイソップが登場する。そして、そのように登場する イソップは、民衆の助言者であり、「機転の利く老人(naris emunctae senex)」(3.3.4)で あった。

また、ファエドルスは、第2巻の結びで「アテナイの人々はイソップの才を称えて像を 建て、奴隷を永遠の台座に据えたのであり、名誉の道が開かれていること、栄光が生れ ではなく才覚によって与えられることを皆が知るようになった(Aesopi ingenio statuam posuere Attici, | servumque collocarunt aeterna in basi, | patere honoris scirent ut cuncti viam

| nec generi tribui sed virtuti gloriam.)」(1-4)と語っており、イソップをひとりの成功者 としても描いている。ファエドルスにとって、この成功者イソップの姿は、かつて奴隷 であった自分自身の求める姿でもあったのだろう。さらにまた、第3巻序歌で「私が大

第5章 古代のイソップ集——ファエドルスとバブリオス 85 変な仕事に手を出したという人もいるかもしれない。もしプリュギアのイソップが、ス キュティアのアナカルシスが、自身の才覚でもって永遠の名声を打ち立てえたのならば、

私が、彼らより詩文の国ギリシアのそばで生まれた私が、どうして惰眠をむさぼって祖 国の名誉を持ち上げずにおこうか(rem me professum dicet fors aliquis gravem. | si Phryx Aesopus potuit, Anacharsis Scythes | aeternam famam condere ingenio suo, | ego litteratae qui sum proprior Graeciae, | cur somno inerti deseram patriae decus)」(51-55)と語り、自 らもイソップに倣って名声を打ち立てることを主張するのである。そして実際に、ファエ ドルスは同時代的な評価を求める姿勢をしばしば見せている*36

ファエドルスはこうしてイソップに関して幾度と言及するが、その「イソップの話」の 起源に関する説明同様に、他の作家たちには見られない、あくまでもファエドルス独自の 主張となっている点は留意したい。自身をイソップと比して語るファエドルスの手法もふ まえると、ファエドルスの示すイソップの姿は、ファエドルスによって創作された可能性 も否定できないのである。

3.2 バブリオス

バブリオスは、ファエドルスと比べて自身の考えを多くは語っていない。バブリオスの

「イソップの話」に関する認識を直接窺うことができるのは、第1巻および第2巻の序歌 からである。

3.2.1 「イソップの話」に関する認識

バブリオスは、ブランコスという少年への呼びかけの体裁をとる第1巻序歌の冒頭にお いて、黄金の種族と呼ばれる正しい人々の種族が最初に現われ、次いで銀の種族が、三番 目に自分たち鉄の種族が現われたと述べた後、次のように語る(5-16行)。

ἐπὶ τῆς δὲ χρυσῆς καὶ τὰ λοιπὰ τῶν ζῴων φωνὴν ἔναρθρον εἶχε καὶ λόγους ᾔδει οἵους περ ἡμεῖς μυθέομεν πρὸς ἀλλήλους, ἀγοραὶ δὲ τούτων ἦσαν ἐν μέσαις ὕλαις.

ἐλάλει δὲ πεύκη καὶ τὰ φύλλα τῆς δάφνης, καὶ πλωτὸς ἰχθὺς συνελάλει φίλῳ ναύτῃ, στρουθοὶ δὲ συνετὰ πρὸς γεωργὸν ὡμίλουν.

ἐφύετ’ ἐκ γῆς πάντα μηδὲν αἰτούσης, θνητῶν δ’ ὑπῆρχε καὶ θεῶν ἑταιρείη.

ἐκ τοῦ σοφοῦ γέροντος ἧμιν Αἰσώπου

*36Phaed. 2.Ep. 12-19; 3.Prol. 20-23; 4.Prol. 15-20; 5.10.9.ファエドルスが繰り返し同時代的な評価を求 める姿勢は、裏返せば、ファエドルスが本人の望みに反して評価されない状況が続いていたということか もしれない。