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第 4 章 「イソップ寓話」の芽生え —— ローマ帝政期 58

2. 編者について

2.1 ファエドルス

ファエドルスは5巻からなるラテン語による韻文イソップ集の編者である。その生涯 については、有力写本が「アウグストゥスの解放奴隷ファエドルスによるイソップ集」

(FEDRI AVGVSTI LIBERTI LIBER FABVLARVM)としている他に有力な客観的手掛か りはない*8。同時代の作家たちはファエドルスに関して口を閉ざし、その名が確実に言及 されるのは4世紀頃のアウィアヌスによるイソップ集の序文においてである。しかし、そ こでは“... Phaedrus etiam partem aliquam quinque in libellos resoluit ...”と述べられるのみ で、ファエドルスが5巻からなる集成を残したという情報以上に得られるものはない。

ファエドルスの生涯と時代については、彼自身が集成内部で言及する自伝的記述に頼る こととなる。ファエドルスが自身について最も具体的に言及するのは、第3巻序歌であ る。ファエドルスの記述からすると、ファエドルスがギリシア北方のマケドニアあるいは トラキアあたりで生まれたことを推測できる*9。また、ファエドルスは、自身が詩文にそ の身を捧げてきたこと、しかし詩人の仲間たちに受け入れられないことを述べている*10。 この点については、同時代のローマの作家たちがファエドルスについて口を閉ざしている ことは、そうした境遇と対応するものともいえる。

ファエドルスは、第3巻の結びで、少年時代に読んだというラテン語の警句(sententia) を挙げており、早い時期からラテン語を学ぶ環境にあったと考えられる*11。また、ファエ

*8Perry(1965), p.lxxiii.

*9Phaed. 3.Prol. 52-54; Phaed. 3.Prol. 57.

*10Phaed. 3.Prol. 20-23.

*11Phaed. 3.Ep. 33-35.

第5章 古代のイソップ集——ファエドルスとバブリオス 79 ドルス集には、アウグストゥスやティベリウスにまつわる話も収められており*12、経緯は 不明ながら、アウグストゥスの奴隷になった後に解放され、はじめはアウグストゥスの下 で、後にティベリウスの下で何らかの関わりを持っていたのではないか、と推測できる。

なお、ペリーは、ファエドルスが前18年前後から後50年前後まで生きた人物であろうと 論じている*13

ファエドルス集の刊行時期については、おそらく、第1巻と第2巻がティベリウスの時 代、その後第3巻、少し時期をおいて第4巻、第5巻が刊行されたと考えられる。

ファエドルスは、第3巻序歌において、自身が選んだ題材のためにひどい災難にあった と語っている*14。自身のイソップ集がセイヤヌスの怒りを買い、告発されることになった というのである。セイヤヌスはティベリウスの寵臣であり、近衛長官、エジプト総督など を歴任した人物である。23年のティベリウスの子ドルススの死後勢力を拡大するが、31 年には逮捕、処刑された。そうすると、ファエドルス集の第3巻はセイヤヌスの死後に刊 行されたということになる。

また、ファエドルスは、第4巻の序歌において、一度筆を置くことを決意したが再び筆 をとることにした、と述べている*15。記述の通りであれば、第4巻は第3巻から多少の時 間をおいて刊行されたと考えられる。そして、第5巻第10話「老犬と狩人」で、ファエド ルスは自身の境遇を題材とする。かつての名犬も寄る年波にかなわないという話を、ファ エドルスは自身にかこつけて語るのである。第5巻刊行時には、ファエドルスがかなり高 齢であったことを窺える。

2.2 バブリオス

バブリオスは、2巻からなるギリシア語韻文イソップ集の編者である*16。バブリオスに ついては、ファエドルスと較べても確実に分かっていることは少ない。まず、彼の名前に ついても、曖昧な点が残る。写本ではバブリオスの名は属格形で記されており、主格は はっきりしない。『スーダ』では、その主格形はΒαβρίαςあるいはΒάβριοςではないかと 推測されている*17。アウィアヌスはその序文で主格形をBabriusと記すが、ギリシア語で の主格形については確認できない。

バブリオスの生存年代についても、現状では、それを判断できるだけの決定的な証拠は 見られない。バブリオスは4世紀半ば以降にはしばしば言及されるが*18、それ以前の外的 な証拠は、さほど多くはない。ひとつは、偽ドシテウスの『ヘルメネウマタ』Hermeneumata

*12Phaed. 3.10および2.5.

*13Perry(1965), p. lxxx.

*14Phaed. 3.Prol. 41-44.

*15Phaed. 4.Prol. 1-9.

*16バブリオス集は2巻本であったと考えられるが、完全な形で残っているわけでもなく、また、『スーダ』で 10巻本と記されていることもあって、巻数についても明確に判明しているとはいえない。

*17SudaB 7 Adler.

*18Luzzatto&La Penna(1986), pp. XLI-XLIX.各資料については次章で扱う。

第5章 古代のイソップ集——ファエドルスとバブリオス 80 である。207年に著されたと主張されるその著作において、バブリオス集に含まれる二つ の話が写されている*19。ただし、『ヘルメネウマタ』の年代については疑問が残り、バブ リオスの年代について、少なくとも3世紀以前と推測可能にするのみである*20。また、オ クシュリュンコス出土のパピルス断片(POxy. 1249)には、バブリオス集の4篇の話から 計16行が記されている。ペリーはこのパピルスが記された時期を遅くとも2世紀末と考 えるが*21、ルッツァットは3世紀と推測し*22、判断が分かれる。ここからも、バブリオ ス集が少なくとも3世紀には流布していたと推測できるのみである。

バブリオス集の内部にも、バブリオスの生存年代に関する手掛かりは見られる。第2巻 序文でバブリオスが行う、「アレクサンドロス王の息子」への呼びかけである*23。そのア レクサンドロス王について、ペリーは、ウェスパシアヌス帝(在位69-79年)によって任 命されたキリキアの小王アレクサンドロスだと推測する立場をとっている*24。これはヨセ フスの『ユダヤ古代誌』Antiquitates Judaicae18.140以下の記述に基づくものであるが、

ウェスパシアヌス帝によるキリキアの小王任命についてはヨセフスが記すのみであり、ま た、その記述においても場所に関する詳細が欠落しているため、難点が残る。なお、ラ・

ペンナは、この王が2世紀前半の人物である可能性を論じている*25

バブリオスの生存年代は不明確だが、彼がキリキア周辺、あるいは少なくともギリシア 東方に身を置いていたという推測は、バブリオス集に収められた話から確認できる。たと えば、バブリオスは「イソップの話」の起源をオリエントに置くが*26、それはその当時に は見られない見解であり、おそらくバブリオス独自の見識に基づくものである。また、ペ リーによると、アッシリア起源の賢人物語である「アヒカル物語」と関連する話で、バブ リオス集にのみ見られる話があるという*27。こうした事例は、バブリオスが東方と繋がり を持っていたことを示していると考えられる。

ペリーはバブリオスが1世紀後半の人物であったと考えており、彼がその時代に合致す る点について幾つか示している。なかでも、ペリーは、クインティリアヌスが『弁論術の 教育』で記す「イソップの話」のパラフレーズの推奨を*28、バブリオス集に関する傍証と して、バブリオスの年代決定の大きな手掛かりとしている。クインティリアヌスは手本と すべき「イソップの話」の作家名を挙げてはいないが、ペリーは、それがおそらくバブリ

*19Perry(1965), pp. xlvii-xlviii.なお、ドシテウスの「イソップの話」は『ヘルメネウマタ』のライデン写本 及び一部の断片に残るのみで、稀少なものである。Dickey(2012), p.24-25参照。

*20Luzzatto&La Penna(1986), pp. XXXII-XXXIII.

*21Perry(1965), p. xlviii.

*22Luzzatto&La Penna(1986), p. XXIX.

*23Babr.Prooem. 2.1.

*24Perry(1965), pp. xlix-l.

*25Luzzatto&La Penna(1986), pp. X-XI.

*26Babr.Prooem. 2.1-3.

*27Perry(1965, p. lx)によると、「アヒカル物語」に由来すると考えられる話がバブリオス集には10篇ほど認

められるが、そのうち2篇(Babr. 138143)は他のギリシア語やラテン語の文献に見られず、バブリ オス集にのみ残るものである。

*28Quint.Inst. 1.9.2.前章クインティリアヌスの項を参照。

第5章 古代のイソップ集——ファエドルスとバブリオス 81 オスないしその模倣者だったというのである。

クインティリアヌスはラテン語よりもギリシア語の学習を先に始めるべきとしてお り*29、「イソップの話」の活用においても、まずギリシア語のものを想定していたと考え られる。一方で、バブリオス本人の記すところでは、バブリオス集がギリシア語韻文によ る最初のイソップ集であり、さらには模倣者も登場していたようである*30。そして、実 際にバブリオス以前においてギリシア語韻文によるイソップ集は現存しないため、ペリー は、クインティリアヌスの記述がバブリオス集ないしその系統のものをふまえたものだっ たと推測するのである*31。この推測が正しいとすれば、バブリオス集は96年には登場し ていたということになる。しかし、アドラドスの議論に従えば、バブリオス集以前にギリ シア語韻文イソップ集の存在が想定されるため、ペリーの推論は必ずしも成立しない*32

以上のように、バブリオスの生存年代については判断が難しい。大胆な推論を採用せ ず、確実に分かっている点をふまえて考慮するならば、バブリオス集は2世紀頃のものと 見るのが穏当であるように思われる。

2.3 集成相互の関係

さて、バブリオス集の年代については不明な点は残るが、集成が編纂された時期として は、少なくともファエドルス集以降と考えられる。それでは、ファエドルス集とバブリオ ス集相互の関係はどうなのだろうか。バブリオスがファエドルス集を参照した可能性はあ るだろうか。

1 イソップ集相互の関係

実際に確認すると、相互に共通する話の数は図1のように整理できる。括弧内の数字 は、その集成に含まれる話の総数である。集成に含まれる話の数は校訂者によって多少の

*29Quint.Inst. 1.1.12-13.

*30Babr.Prooem. 2.9-12.

*31Perry(1965), pp. l-li.

*32Adrados(1999); Adrados(2000).