1 教育の有機的な関連
これまで、第1,2飾において、シュタイナー教育について述べてきた。そこ で見たように、シュタイナーは、宇宙的な視野で人間の存在を捉え、理想的な社 会の実現を目指して、全人としての人間、さらには自由な人間、個性的な人間を 育成しようとしていた。そして、その教育は、徹底的に人間認識に基づくことに よって、すべてが有機的な関連を持っていた。すなわち、教育の長期的な視点や
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子どもの発達段階、そして、その各発達段階における教育の課題や方法、さらに は、個性に応じる方法に至るまで、教育に関わるすべてのことが、有機的な関連 を持っていたのである。このような教育こそ、理想的な教育であり、この有機的 な関連こそが、教育において重要なものであろう。シュタイナ…は、人間認識か ら出発することによって、教育に有機的な関連を持たせ得たのであるが、その人 間認識は特殊であるために、今の教育にそれをそのまま取り入れることは不可能 である。また、既に述べたように、今日の教育状況をみても、教育の長期的な視 点を見出すことや教育に有機的な関連を持たせることはきわめて困難である。し かし、理想的な教育に近づくためには、それらをいかにして見出していくかを、
教師は常に問題意識として持ち、それらを探求していく必要があろう。
2 子どもを教育の中心に据えること
教育の長期的な視点を見出し、教育に有機的な関連を持たせ得るためには、ど のような視点で今の教育を見直していけばよいのであろうか。
これまでシュタイナーの教育観や教育方法をある程度詳しくみてきた。そのこ とによって、理想的な教育の具体的な姿が見えてきたのであるが、それと同時に、
シュタイナー教育は、今の教育に欠けているものを教えてくれる。それは、子ど もを教育の中心に据えるということである。教育の現状を見ると、受験のための 教育や知識偏重教育、教材を伝達するためだけの教育など、教育の中心に子ども
はなく、子ども一人一人が大切にされているとは言い難い。今の教育は、子ども がその中心に据えられていないのである。シュタイナーも、彼の時代の教育が国 家や経済界の要請に基づいて行われていること、つまり、国家が必要としている 仕事のために使えるような人間、あるいは、経済・産業組織に都合のよい労働者 の育成を目指して知識偏重教育が行われていることを批判し、子どもを教育の中 心に据えるべきことを主張している121。それゆえシュタイナーは、子どもをいか に教育すべきかではなく、人間とは何なのかという人間認識から出発することに よって、子供を中心に据えた教育を探求していったのである。本研究においては、
子どもを教育の中心に据えること、具体的には、一人一人の子どもを大切にする 教育を探ることによって、教育の長期的な視点や教育の有機的な関連を見出すた
めの一つの手がかりとしたい。
そもそも、子どもは、教育されるべき愚かな存在としてそこにあるのではなく、
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子どもは、自ら成長し、自己実現しようとする存在としてそこにいるのである。
教育はそのための援助でなければならない。しかし、援助とは言っても、単なる 援助ではない。つまり、子どもの自主性に任せて、子どもが困ったときに助ける という消極的な援助ではなく、積極的に子どもに関わり、子どもの成長・発達や 自己実現を正しく導いていこうとする積極的な援助なのである。シュタイナーは、
自己教育以外の教育はあり得ないと主張し、「教育とは、根本的にいって、自己教 育であると思うときのみ、教師は正しい意識を持つことができる。j 122と述べてい る。教育とは、子どもの自己教育を積極的に援助する行為なのである。教師の姿 勢について、シュタイナーは次のようにも述べている。「私たちが、『子どもは、
その誕生によって素晴らしい霊性を、この世界の中へ持ち込んできてくれた。子 どもは素晴らしいものである。唯その霊性は、まだ目覚めてはいない。もしこの 霊性を私たちが目覚めさせてやることが出来ないとするならば、馬鹿なのは子ど もではなく、私たちの方なのだ。』と自らに言うことが出来る時に初めて、子ど もはその成長lg必要とする一切のものを手に入れるのであります。子どもは本来、
潜在的に優れたものであり、我々は潜在的に愚かであるという考え方を私たちが 取ることが出来るようになり、そして、子どもと向かい合って、子どもから学ぶ ことによって自分を高めていくことを、自分の本来の課題として捉えるようにな ったとき、初めて私たちは授業を通して子どもに働きかけることが出来るように なるのであります」123。このように、子どもを価値ある素晴らしい存在として捉え、
その子どもの自己教育を援助するためには、どうずればよいかを真に考え、その ために自己を高めていこうとする姿勢こそ、教師にとって重要なのである。この ような教師の姿勢こそ、シュタイナ・一・一教育から学ぶべきものである。一人一人の 子どもは大切にされるべき存在としてそこにいるのであり、教師が子ども一人一 人を大切にする姿勢を持たなければ、真の教育はできないのである。
3 子どもの集団を理想的なものにすること
既に述べたように、シュタイナーは、人間認識に基づく教育によって全人とし ての人間を育成しようとしているのであるが、それに加えてもう一つ、彼が教育 において重視していることがある。それは、子どもが社会生活、すなわち、世界 の中に適切に参入し得るよう援助することである。そのために、シュタイナ・一一・・学 校においては、手仕事(木のおもちゃづくりや編み物など)124や庭仕事、紡績、機
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械技術など125、子どもを実生活に導入し得るような活動が授業計画の中に多く配 置されており、さらに、農家や老人ホーム、障害児施設、工場などでの勤労体験
もカリキュラムの中に取り入れられているのである126。シュタイナーは言う。「生 徒が十四、五歳になりますと、私たちは金力を挙げて彼らを人間精神が様々な分 野で生み出した事物と関連づける努力を為し、これによって生徒たちが自己の社 会生活における適切な位置を理解し、見出すようにしてやらなければならぬので ありますゴ27。また、シュタイナーは、彼の時代の社会状況の主な欠陥が、人々が 他の人の為している事柄をほとんど理解していないところにあると主張し、次の
ようにも言っている。「私たちは、ばらばらに切り離された個々人やグループとし て存在するのではなく、個々人が、十分な理解を持って相互に相対するようにな
らなければならないのであります」t28。これらのことから分かるように、手仕事、
庭仕事などや勤労体験は、生徒たちが自己の社会生活における適切な位置を理解 し、見出すことができるように、あるいは、生徒たちが社会における他者を理解 することができるようにするためのものなのである。このように、シュタイナー 教育においては、子どもを社会の中に参入させていくことが重視されているので あり、いわば、個人と社会の関係が特に意識されているのである。
既に述べたように、シュタイナーは、その教育によって、全人としての人間の 育成を目指し、ひいてはその全人としての人間を社会の中に送り込むことによっ て理想的な社会の実現を目指していた。それゆえ、子どもを社会の中に適切に参 入させていくことは、彼にとってきわめて重要なことだったのである。シュタイ ナーは、理想的な社会として社会の三層化を提唱していたのであるが、それは、
社会を精神生活、国家・政治生活、経済生活の三回忌に分け、それぞれ自由、平 等、博愛が各領域の最高の理想にならなければならないと主張するものであった。
つまり、シュタイナーにおいて理想的な社会とは、経済生活の面では、人々が博 愛の精神を持って協力する社会、国家・政治生活の面では、人々が権利関係にお いて平等である社会、精神生活の面では、個々人が自由に活動できる社会なので ある。シュタイナーによれば、精神生活とは祉会に貢献し得るあらゆる人間の精 神活動を意味しており、この人間の精神活動が、本来的に、その貢献を果たすた めには、人間の持つ能力や資質が、自由に発現される必要がある129。精神生活に おける自由とは、この意味での自由なのである。要するに、シュタイナーのいう 理想的な社会とは、集団の中で他の人間との関係を重視し、協力しながら、個々 の人間が自己の能力や資質を自由に伸ばし、発現し得るような社会なのであり、
いわば、集団と個人がうまく調和した社会なのである。
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