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ケーススタディによる高齢者の日常生活とつきあいの     実情および把握

第3章 ケーススタディによる高齢者の日常生活とつきあいの

3.調査対象者の概要

面接聞き取り調査対象7人の属性を中心とする概要は、以下のとおりである。

対象者の性別を世帯構成別に見ると、表1のようになる。

 表1  対象者の性別(世帯構成別)  (人)

男性 女性 合計

単身世帯 0 3 3

夫婦世帯 3 0 3

同居世帯 0 1 1

合計 3 4 7

調査時の対象者の年齢構成を世帯構成別に見ると、表2のようになる。

 表2    対象者の年齢構成(世帯構成別)      (人)

60−64歳 65−69歳 70−74歳 75−79歳 80歳以上 合計

単身世帯 0 0 0 0 3 3

夫婦世帯 0 1 0 0 2 3

同居世帯 0 0 1 0 0 1

合計 0 1 1 0 5 7

調査時の対象者の居住地を世帯構成別に見ると、表3のようになる。

 表3    対象者の居住地(世帯構成別) (人)

本庁地域 首里地域 真和志地域 小禄地域 合計

単身世帯 1 1 1 0 3

夫婦世帯 1 1 1 0 3

同居世帯 0 0 0 1 1

合計 2 2 2 1 7

4.結果および考察 1).夫婦世帯のケース

  〈ケース1:Aさん 87歳 男性 夫婦世帯〉

 ○生活歴

 明治43年、2人兄弟の次男として那覇市首里崎山町に生まれる。兄は、

学生時代のまだ若い頃に亡くなっているため、Aさんは「一人っ子はつ らいですよ相談相手がいないし。きょうだいは沢山いた方がいいよ」と 沈痛な表情で話す様子から、きょうだいがいない寂しさが感じとれた。

 Aさんは、結婚した後の昭和16年に長男・18年に長女・19年に次男が 誕生し、また戦後の昭和26年に三男・30年には次女が誕生し、合わせて 5人の子どもに恵まれる。

 昭和6年、22歳の時に大阪へ行き、そこで生活し始めた。その後いっ たん沖縄に戻り昭和12年に再び大阪へ行き、当時の陸軍ぞうへい所に勤 務し仕事をして生活していた。その間京都にも住んで暮らした経験をも つが、昭和19年に沖縄に戻る。「沖縄に母ひとり残してきたので、生き ているかなあという希望があったからねえ。でも辺り一面の焼け野原を 見て、自分が住んでいたところも分からないくらいの更地を見て、ああ 帰って来るんじゃなかったなあと思いましたよ」と当時の複雑な心境を 思い出すかのように語っていた。

 終戦後は3年間程テント生活を経験し、また建設関係の仕事を2年程し たり、友人3人とトタン屋や木工所を経営し小・中学校の備晶作りの仕 事を45歳まで続けた後は、琉球大学の学生センター内で働くなど様々な 仕事を経験する。また、仕事の関係で神奈川県の川崎市や茨城県で生活

した経験を持つ。

 昭和50年、66歳の時に今通っている老人福祉センターが開所され、

以来ずっと今日まで20年余通い続けている。

 現在は、那覇市の首里末吉町に、.82歳になる妻と二人で年金生活を送 っている。

 ○健康状態

 若い頃に脊髄を折る大怪我をしたために、その後遺症で今も腰が少し 痛むことがあるが、、日常生活には支障はない程だということである。

 ○日常生活活動

 朝は、だいたいam4:00頃には起床する。am5:00頃にパン(サンドイ ッチ)と牛乳・果物(パパイヤ)の朝食を夫婦で取り、その後新聞(沖 縄タイムス)を読み、庭の木々に水をあげて散歩に出かける。am9:30〜

10:30頃には、自宅から徒歩2〜3分程の近所にある老人福祉センターに毎 日のように行き、園芸・書道・囲碁などの各クラブ活動をして過ごして

いる。

 昼食は、時々センターでお弁当を注文して取ることがあるが、日頃は ほとんど家に帰って妻と一緒に食べている。午後は、pm13:00〜14:30頃 まで老人福祉センターでクラブ活動をして過ごし、15:00頃から1時間30 分ほど自宅の隣にあるゲートボール場で、近所の友人10人程とゲートボ ールをして過ごしている。pm17:00〜17:30頃に夫婦で夕食を取り、その 後はテレビを見たりして過ごし、pm20:00頃には就寝する。

 また、週末の土曜日は、午前中は2〜3時間ほど家の庭の花や木々の手 入れをしだり、老人福祉センターで囲碁を打ったりして過ごし、午後は 気ままに2時間ほどゲートボールをして過ごしている。また、日曜日に は、午前中は夫婦で教会へ行き、午後は夫婦で那覇市の中心街まで買い

物に出かけることが多いということである。

 ○つきあい状況

 1).血縁関係

 ア).別居子とのつきあい

 Aさんには、3人の息子と2人の娘の5人の子どもがいる。長男は55歳 で、東京で牧師をしており、Aさんは毎年長男に会いに行っているが、長 男から訪ねに来ることは、2〜3年に1回出張で那覇市に来たときについ でに訪ねてくる程度だということで、その際は夕食(外食)を一緒に食 べるという。

 52歳になる次男には4人の息子がおり、現在茨城県に住んでいる。仕 事は、東京のアメリカ大使館に勤めている。その仕事の関係で、年に1 回は出張で那覇市に来るということで、その際はAさんの家で一緒に夕 食を食べる。またAさんは、以前は2〜3年に1 回程「孫の顔が見たいな あ、行ってみたいなあ」と思ったときに、気まぐれで次男の家を訪ねに 行っていたが、最近では4年前に会いに行ったきり行っていないという

ことである。

 三男は45歳で、3人の息子がおり、現在那覇市の消防署の救急隊員の 仕事をしており、Aさん夫婦と同じ敷地内の別棟に住んでいる。そのため、

Aさん夫婦の家には緊急に何かあった時や所用があるときなど普段から 日常的に訪ねて来る。また、Aさん夫婦といつでもすぐたお互いにダイヤ ルしなくても電話で話ができるように直通の電話線がひかれており、ま た、Aさんの家の鍵を持っているということで、 Aさんも「三男がすぐ隣 にいるから心強い」と話し、子どもがいてよかったなあとしみじみ感じ ているということである。

 また、53歳になる長女は、結婚後Aさんの家から車で1時間程の本島 中部の読谷村に住んでおり、息子が3人・娘が1人の4人の子どもがいる。

現在、夫と共にそろばん学校を2校経営しており、仕事の出張で那覇市 に来たときに訪ねてきたり、週末に一緒に子ども達をつれて会いに来る。

また、時々「気分どうねえ?」と電話がかかってきたり、また体の具合 が悪くなった時にも会いに来てくれるということである。Aさんからはめ つたに会いに行くことはないそうだが、たまに訪ねて行った時には、長 女が朝・昼・ダ食と三食ごちそうを作ってくれるので、長女家族と一緒 に楽しく食事をするということである。

 また、41歳になる次女は、結婚後Aさんの家から約4km離れた、車で 17分程の島尻郡与那原町に住んでおり、息子が1人・娘が1酬いる。現 在、週に3日労働省の那覇出張所で仕事をしており、その仕事がない月・

水・金曜日の平日に、早朝「ちょっと今日那覇へ出かけしな行くから」

という電話があり、訪ねてくるということである。Aさんからはめつたに 会いに行くことはないそうだが、たまに会いに行った時には次女家族と 一緒に楽しく食事(外食)をすることが多いということである。

 イ).親族とのつきあい

 Aさんの親族は30人程おり、Aさんの家から最も近い距離にいる親族は、

車で15分力の那覇市に隣接する浦添市と中頭郡西原町のちょうど境にあ たるところにいとこが2人住んでいる。いとこ達とは、たまに「遊びが てらひまつぶしに会いに来てねえ」と電話があった時に会う程度で、日 頃からのつきあいは特にしていないということである。

 また、年に1回お盆に親族が10人程Aさんの家に集まる。今年のお盆 の「ウークイ」の日には、Aさんの家に親族が10人程集まり、午後の

16:00〜18:00頃に皆で一緒に食事をしながら、世間話や最近の近況など いろいろな話をして過ごしたということである。Aさんはこのように、

毎年1回親族が集まって一緒にひとときを過ごすことは、楽しみだがむ しろそれは形式的なことだと感じている。

 また、ムンチュウ(門中)が80人旧いる。昔はムンチュウで集まるこ とがあったが、 「大変だから」ということでAさんが20歳の時に自らム ンチュウで集まる機会を取りやめ、近い親戚で各々分かれて集まること

にしたということである。そのため、 「ナカムートウ」という「中間の本家」

が新たに本島北部につくられ、国頭村や今帰仁村に住む20世帯程が集ま っている。また、シーミー(清明祭)やカミウシーミー(神御清明祭)と いう先祖の上の先祖を供養する行事の日には、近い親族が10人程、那覇 市内の識名園にある門中墓に集まって、先祖の供養をしている。

 2).地縁関係

 ア).近隣とのつきあい

 近隣とのつきあいは特になく、道で会ってもどこの誰だか分からない 人もいるということである。Aさんは、新しく引っ越してきた人に会った 時に「あんたねえ、家に植木あるねえ?私の家には沢山あるからもらっ て何か植えなさい」「さっぷうけいでしょ、そこに何か植えなさい」と 積極的に声をかけ、できるだけ相手を引き寄せようと植木を少しあげる ことでようやく顔なじみになる程度であるため、近隣の人達にはあまり 親近感を感じないということである。

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