さらにパロディ体験については、「パロディ体験における登場人物や役割」と、「パロディ体験 する自己」の二重性が特に明確となる「虚構」の活動や、「虚構」的な場の設定が重要となる。文 学的文章の読みや演劇活動、虚構作文などは、「パロディ体験における登場人物や役割」と「パロ ディ体験する自己」との明確な二重性によって、同化や対象化の学習が設定しやすくなる。説明 的文章や評論文、エッセイや学習者の書いた文章を読むことも、そこに書き手としての筆者が存 在する点で、同化や対象化の学習は設定可能である。一方、スピーチの学習や遠足行事の感想文 などを書くといった活動は、「パロディ体験における登場人物や役割」と「パロディ体験する自己」ー が限りなく重複するため、同化や対象化よりは、参加や典型化の学習が焦点イじされる。
また、「パロディ体験における登場人物や役割」と「パロディ体験する自己」の二重性が確保さ れないぶん、学習者にとっては、より生々しいパロディ体験となるだろう。しかしこのようなパ ロディ体験も学びとして重要であり、パロディの二重性が確保されたパロディ体験と、パロディ の意味合いが低く、より生々しいパロディ体験の両方をうまく仕組む必要がある。年聞を通した カリキュラム編成として、学習者の実態や状況、関係性構築も鑑みながら、両者のパロディ体験 をバランスよく配置すべきである。
最後に、クィア・スタテ.ィーズとしての国語教育における評価について考えてみたい。
前述したように、クィア・スタディーズとしての国語教育で目指される学びは領域横断的なも のであり、「動的な自己観に立って言語活動を行う」と「基底部としての自己と連続した言語活動 を行う」という活動目標は、すべての領域で設定されるべきである。しかし一方で、評価の際に はいずれの言語活動を特に育てるのか、話す・聞く、書く、読むの観点からの評価も並行して行 われる必要もある。クィア・スタディーズとしての国語教育おける評価は、アイデンティファイ や当事者性、ことばへの責任の観点と、話す・聞く、書く、読むの各言語活動の観点の両方を重 視する。
また、クィア・スタディーズとしての国語教育では、明確な「変化」や「結果」にこだわらな い学び観や成長観に立っている。このことは、特別支援教育との連携への可能性を持つ。たとえ ば自己を動的にとらえたとき、ある自閉症児にとって唯一可能な自主的活動である「ダンプカー の絵を描くこと」は、彼の自己そのものである。そして精密機械のように毎回同じ手順、同じ構
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図で描かれるダンプカーの絵と「ダンプカー」の文字は、彼に認識された時点でつねに既に撹乱 しており、「ダンプカーの絵を描くこと」は自己であると同時に彼の学び・成長なのである。こう した自己観や学び観、成長観は特別支援教育をはじめとした、さまざまな学問領域との連携を図 る広い視野に立ったクィア・スタディーズとしての国語教育を可能にする。
さらに本研究で→ま、明確な「変化」や「結果」にこだわらない学び観、成長観ゆえに、学習者 をその実態や状況、授業内外での様子や表情などから総合的に評価するとしている。このことは、
学習者の学びや成長の見取りが、教師や研究者などの主観に支えられていることを示している。
クィア・スタディーズとしての国語教育では学習者の評価をめそって、教師や研究者たちが自身 の主観とその責任を引き受けなければならない。
以上、本章ではクイア・スタディーズとしての国語教育について、事例をふまえつつ実践に向 けて展開してきた。本研究が提案する「クィア・スタディーズとしての国語教育」という新たな 国語教育の姿は、以下の点で従来の国語教育と異なりを見せる。
‑価値目標を「ことばを通して当事者性を立ち上げる」、「自己の認識/撹乱というアイデンテイ ファイを行う」と設定し、活動目標を「動的な自己観に立って言語活動を行う」、「基底部とし ての自己と連続した言語活動を行う」と設定した上で、話すこと・聞くこと、書くこと、読む
ことの習熟および言語事項の習得を、価値目標・活動目標を支える技能目標とした。
・動的な自己観や、明確な「変化」や「結果」を求めない学び観、成長観、単一上昇直線的では ない発達観を導入した。
これらのことによって、話すこと・聞くこと、書くこと、読むことの習熟や言語事項の習得など は、アイデンティファイすることや、ことはを通して当事者性を立ち上げるための重要なスキル として位置づけられる。 3領域一事項の学習がなされなければ、クィア・スタディーズとしての 国語教育の価値目標や活動目標は達成されない。また、「ことばを通して当事者性を立ち上げる」、
「自己の認識/撹乱というアイデンティファイを行う」という価値目標や、「動的な自己観に立っ て言語活動を行う」、「基底部としての自己と連続した言語活動を行う」という活動目標の達成を
目指すことが、 3領域一事項の学習につながる。
このことは、本章第
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節で取り上げた工大高において、特進クラスの進研模試の結果が、現代 文の問題に関してのみ、年間を通して偏差値が 10ポイント以上上昇したことや、本章第3節で取 り上げた学習者・実佳の文章表現が上達したことからも証明される。「ことばを通して当事者性を 立ち上げる」ことや「自己の認識/撹乱というアイデンティファイを行うJこと、「動的な自己観 に立って言語活動を行う」ことや「基底部としての自己と連続した言語活動を行う」ことを目標 とするのは、学力や言語技術の向上に直接かかわっているのである。またクィア・スタディーズとしての国語教育では、動的な自己観に立つことから、たとえば言 語技術の習得に絞った授業が行われたとしても、価値目標・活動目標がきちんと見据えられてい れば、それは「自己形成」や「自己認識」を目指した授業であるととらえることができる。「自分 の考えをもっ」ことなども、動的な営みとしての自己そのものであるという自己観は、学習目標 に殊更「自己」や「自己形成J
r
自己認識」ということばを並べなくても、つねに自己形成や自己 認識/撹乱が目指されていると見なすことができる。1 4 9
第5章 クィア・スタデイーズとしての国語教育の展開
さらに、明確な「変化」や「結果」を求めない学び観、成長観、単一上昇直線的ではない発達 観も、言語技術などの育成と自己とが密接不離であることを支える観点となっている。新しい漢 字が書けるようになったという現象は、明確な自己の「変化」や「変容」ではないが、一方で本 研究の学び観、成長観、発達観に立てば、その現象は、アイデンティファイや当事者性をめそる 学びであると言う4ことができる。本研究が提案するクィア・スタディーズとしての国語教育は、
従来の国語教育に比べて、自己と言語技術・言語技能をより密接に、より明確に結ぶのである。
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研究の成果と課題
終 章 研 究 の 成 果 と 課 題
終章 研究の成果と課題
本研究の成果は、次の
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点である。‑国語教育の先行研究に見える自己観について、「共時的一貫性J
r
共時的連続性Jr
通時的一貫性」「通時的連続J性」の4観点から整理することができた。
・一元的自己観や多元的自己観という観点から、国語教育における自己観の課題を明らかにした0
・クィア・スタディーズの知見を国語教育の文脈で活用することができた。また、そのことによ ってパトラー論の両義性がより具体化された。
・「クィア・スタディーズとしての国語教育」として、動的な自己観やことばの学びの両義性、学 習者の学びや成長を「変化」や「結果」だけでとらえない観点を示し、新しい国語教育のあり かたが提案できた。
・クィア・スタディーズとしての国語教育について、事例を挙げながら実践へと具体化すること ができた。
第
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章では、「共時的一貫性Jr
共時的連続性Jr
通時的一貫性Jr
通時的連続性」の4
観点から、国語教育の先行研究に見える自己観を考察し、整理することができた。これまで国語教育におい ては、それぞれの立場からそれぞれの論者が自己を取り上げ、国語教育と自己との関連を主張し ていた。全国大学国語教育学会編 (2002) 11国語科教育学研究の成果と展望IJ(明治図書)におい ても、国語教育研究について、自己を観点に据えた整理が行われた章や項目は見受けられなかっ た。本研究では、共時性/通時性および一貫性/連続性の観点から国語教育の先行研究に見える 自己観を検討することで、これまで明確には行われてこなかった、自己を観点とした国語教育研 究の整理、まとめを行うことができた。
加えて第 2章では、社会学における若者論や、コミュニケーション論などで用いられる「一元 的自己」と「多元的自己」の語を用いて、国語教育における自己観の課題を指摘し、さらには一 元的自己観と多元的自己観そのものの可能性と限界についても確認することができた。このこと により、特に多元的自己観という概念を押さえたことから、従来の国語教育では自己の複数J性へ のまなざしが不足している点を指摘できた。また、一元的自己観および多元的自己観そのものの 考察から、本研究が目指すべき新たな国語教育の自己観が明らかとなった。
第
3
章では、アイデンティティや当事者性の問題など、クィア・スタディーズの知見をまとめ ることで、新しい国語教育の提案に向けた手がかりを得ることができた。クィア・スタディーズ と国語教育との連結を図ることが、結果として両者の学問領域を深めることにつながったと言う ことができる。さらに第