真家の信仰調査をして
×74
(1) |死んでから後の世にある・現在この世にある・現在この世で感得出来る
浄あ 土る 十土 f,J 処
信仰について(数字は
O
印記入合計数〉第皿表
×106
51人
解らない・知らない・知りたくない・無関心
何) I回以子・上にある・下にある・自分自身の足元にある
(s) I 悲しい又嬉しい時称へても何の価もない・価ある・無関心
議 [ × ' . ; 09
人
112 6の | → 一 一ー
称| 悌思報謝で称へる・論ずる必要なし・解らない・知らない
ザヘ、 I
心 | ×417 25 ム153
註 A
真宗の信仰調査をして
ム114
ム114重複記入
表中×印309
(7) I 念悌にて罪が消滅する・消滅せない・自分を知らせられる
怠 ~~y, 三!と一一ーと
30の( ざんげされ御思が喜ばれる・解らない・知らない・無関心
利|
益 | ×129
ム
204ム
92 117重複記入
i 平生業成・臨終来迎・現世祈祷・一益か・二益か
(8) '
真 ×511人 ×39 14 ×147 ×392
不
!
解らん・知らん・無関心は
ム印87
表中×印38
言t
7 64
70
B無記入8
死んでから後の世のこと・現在の中に解消する
×587人 ×34人
解らない・知らない・無関心
63 4
E立複記入
討 A表中×印539
例 未 来 と は
49
。
。 ! 後
451人き ; 解 ら な い ・ 明 示 ふ え
J
、は i
I 98 7 72
計i表中×印24 重複記入
七 五
死んでから後の生のこと・迷の最後の生としての人生のこと 81
|無記入 4
真宗の信仰調査をして 併法の話を聞きたくなり,聞きあきぬ・自己の罪悪が自覚される
441人(61.8%) 93人(13.1%)
何時でも死ねる身にさせられる・念悌が自然と口に出る様になる 74人(10.4%) 566人(79.4%)
人にこの信仰を(念併を〉すLめたい気持になる・何の変化もない
307人(43.1%) 41人(5.1%)
。
1)信
後 の 変
何うも自分の気持は言はれない・何んとなく嬉しく勿体ない 171人(23.9%) 203人(28.5%) 化
Lま
わからない・悌法の話をよく聞きわけられる様になる 21人(2.9%) 64人(8.9%)
本表は1人で数・ケ所O印記入者が非常に多い
jjt
七ノ
、 (1) (2)
浄土
の問
題:
::
ω
表中︑解らない五一九人︵七−八%︶とは吃驚仰天のほかはない︒叉西にある四九
コ一人︵六七・八%︶と言ふ数も注目に価する︒尚この
問題に対して︑附bか及別紙同封の抗議書が卦ん赴あ
ったことを見逃してはならないと思ふ
で は
目 前
会して見ょうω
大経﹁今巳成悌現在西方去此十万億利土其悌世界名 目安楽云々﹂観経﹁汝今知不阿弥陀悌去此不遠汝当繋 念諦観彼国浄業成者﹂小経﹁従是西方過十万億悌土有 世界名目極楽其土有併号阿弥陀今現在説法﹂の三部経 中の門徒に対する︑布教者の説明が不充分である︒も
っと徹底した責任ある説教が聞かして欲しい︒
﹁布
教
者の言語は無責任極りない︒浄土の問題になると一言葉
巧に左右して逃れる様に聞え︑聞くものは迷される
本当の話を心から聞きたい﹂﹁説教では話されないと
言って︑浄土の問題になれば避ける僧侶が多い
体 本当の事は何処で聞かれるのか御教一不を賜りたい﹂
﹁浄土は死んで未来にある︑現在にあると坊さんは
人々々が異説を説き︑聞かされる者は大迷感だJ御本山さんも此処を一つ何んとか︑ハツキリわかる様に書物を出
して欲しいし説教する坊さんの一言ふ乙とは信用できないし以上の様な異口同音の投書が非常に多いことは注目した
し、 (3) (4) (5)
法の問題:::投書にも抱現れる如く︑何れも聞法者と伝法者︵布教伝導者︶の︑真剣不真剣がこの回答数字の
上によく表明されている様に思はれる︒
(6) (7)
念悌に就て:::現世祈博を盛んに勧める新興宗教の横行する明在︑真宗教義の神髄の布教の不徹底が表中の数
字となって表明されているものと忠はれる
(8)
真宗は:::表中の重複記入数字を重視して見たい︒
(9) (lo)
未来と後生:::通り一般の回答にて︑信仰の世界で︑これで正しいのか否か疑問を持たされる︒
(11) 信後の変化:::質問者は大体簡単ではあるが︑開法︑慨悌
l
自覚︑感謝l
法悦︑自信教入信の四項に分け質した積りである︒処が調査結果︑信者自身の表白によって確証された数字が明瞭に示す如く︑真宗信者には矛盾がある
ことが知らされ︑少なからず期待を裏切られ悲感せざるを得なかった︒即ち真宗の肝要とする︑信心正因称名報恩
の﹁念帥仰が自然と口に出る様になる﹂五六六人︵七九・四%︶が一位で次に聞法﹁悌法の話を聞きたくなり︑聞き
あきぬ﹂四四一人︵六一・八%︶続いて教入信﹁人にこの信仰を
i
念悌をすLめたい気持になる﹂三O
七人︵四三・一%︶法悦﹁何んとなく嬉しく勿体ない﹂二
O
三人︵二八・五%︶で︑慨悌!自覚﹁何うも自分の気持は言はれない
﹂
一七一人︵三三・九%︶﹁白己の罪悪が自覚される﹂九三人︵二二・一%︶判断の智慧﹁梯法の話そよく聞
き分けられる様になる﹂邪教に対する態度︑六四人︵八・九%︶と一言ふ表白結果である︒
以上略述した如く﹁悌法は聴聞につきる﹂と言ふ真宗的独自の性格の信者への具現で当然な結果といえよう︒御
真宗の信仰調査をして
七 七
真宗
の信
仰調
査を
して
七 八 法を聞いて︑自覚!慨憾なき法悦︵申一念悌︑形式的称名報恩︶の信者が︑家庭を中心としやがて︑境遇と力の許す 限り︑胸に満ちる法悦を人に伝えずにおれない気持から︑教入信の実践︑個人から個人への信仰活動が続けられる ことは誠に結構そのものの様なれど︑矛盾があり︑斯う言ったところから真宗の前途に暗い影を持たらすのではな いだろうか︒法の深信は機の深信に到達する前提条件であろうか︑機の深信に法の深信は摂取されているのでなか ろうか︒この点の問題に起因されている様にも思はれる︒聞法にもっと真剣であれば︑聞法に対する判断力がつき
﹁信仰の常識の質問﹂の回答の様にもならず︑従って邪教に対する態度も出来︑新興宗教に脱落する事もないもの と思はれる︒結果より見て現在の真宗の信者と言はれるものは︑大体に於て単に形式的に止まっているのでなかろ うかと思はれる時に︑自責に堪えない
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附帯調査映画﹁親鷺﹂