第 7 章 結論 99
7.2 さらなる課題
文法化の計算機モデルを構築するという観点から、Kirbyモデルには再分析と類推の認 知能力が表現されており、文法化の表現が可能であることが示されたことは非常に価値の あることである。文法化の計算機モデルとして、本研究がさらに課題とする点は大きく分 けて二つある。一つは一意性のより確かな保証の追求、もう一つは本研究が示した文法化 のモデルにおける意味の取り扱いの改善である。
一意性のより確かな保証の追求について述べる。本研究が示したモデルが表現した意味 変化経路は、意味空間に何も設定していない状態、すなわち意味が等質である状態でも既 に分布を持っていた。本研究で示したやり方で意味空間を設計すると、その分布を越えて 有意な意味変化が確認できたことから、最初からモデルに存在する分布が本研究が示した 結果を損なうものではないが、この先、さらに意味空間の設計を変えて多くの型の文法化 の特徴を見ようとするとき、どこまでがモデル依存なのかを解明する必要がある。このた めには、Kirbyモデルの特性をよく調べるほかに、一般的な文法推論で用いられている機 械学習を導入した複数の学習アルゴリズムによるオペレーションについて、その挙動を確 認することが必要である。
意味の取り扱いの改善について述べる。本研究がKirbyモデルの発展として提示したモ デルは、話し手の発話の意味を完全に聞き手が理解できる設計になっている。従って、文 法化に重要だと考えられている意味があいまいであることからくる推論や誤解を表現す ることに強い制限をもつ。従って、モデルで表現できる文法化の型が限られる。構成的な 研究群によって様々な型の文法化の全貌に迫るには、様々な型の意味のあいまい性を表現 するために、多くの意味空間の設計を自由に行えることが望ましい。従って、文法化の文 脈ではこれまで用いられていない、例えば多数の状況間の比較により意味を理解するモデ ルや、シンボル・グラウンディングの問題を考慮したモデルについて、本研究がKirbyモ デルに対して行ったように、再分析と類推の認知能力という観点から見直し、文法化との 関連を考察しモデルに取り入れていかなければならない。
ただし本研究は、たとえシンボル・グラウンディングの問題が解決されていたとして も、同義語の存在と意味の理解の仕方があいまって起こるある種の文法化が存在する可能 性を示した。しかし、言語学の記述的な文法化研究で文法化経路を調べる際に、同義語の 存在という観点はこれまではあまり採られてこなかった。言語学における記述的な文法化 研究に対して、本研究が提供するのは、文法化経路の調査に対する多義的な同義語の存在
(あるいはもう少し広く捉えると、同じ役割を担っている語の存在)という新たな視点で ある。
そのような言語学における研究により、本研究の示した文法化の起こるプロセスがたと え一部であれ補強されるならば、文法化への構成的なアプローチが有効であることが示さ れる。それはさらなる構成的な文法化研究を促し、記述的な文法化研究への新たな視点を 供給しつづけるであろう。構成的文法化研究と記述的文法化研究のそのような好循環こそ が、本研究が文法化の理解のために必要だと提示する、さらなる課題である。
謝辞
本研究を遂行するに当たって、指導教員という立場からのご指導、ご意見、そのほか研 究生活においての数多くの示唆を与えてくださった北陸先端科学技術大学院大学知識科 学研究科の橋本敬助教授に対しまして深く感謝の意を表します。また、指導教員としてだ けではなく、研究者として橋本先生が現在も拓いておられるフィールドが存在したからこ そ、本研究がありえたものと心から思っています。
北陸先端科学技術大学院大学知識科学研究科の中森義輝教授、林幸雄助教授、同志社大 学文化情報学部の下嶋篤助教授には、本論文を審査していただき、本研究の今後に繋がる 貴重なご意見の数々を賜りました。心より御礼申し上げます。
北陸先端科学技術大学院大学情報科学研究科の東条敏教授には、言語を計算機に乗せる 手法、というテーマに関してご教示いただきました。本研究にも用いられているプログラ ムやアルゴリズムに関係する統一的な理解、形式文法に関する概念的な理解は、東条教授 からのご指導の中で形成されました。また、情報科学という目で見た本研究に対する示唆 に富むご助言の数々を賜りましたことに、深く感謝申し上げます。
金沢大学文学部の宮下博幸助教授には、言語学研究者の立場からの貴重な御意見を賜 りました。言語学の研究者でなければ理解しづらい、言語学からの文法化に対する考え方 や、言語学における文法化研究の現状を理解する機会を与えてくださったことに心より感 謝申し上げます。
複雑系解析論講座の山内肇氏との議論では、モデルの細部に渡るアイディアと、進化言 語学の立場からの文法化の捉え方についての重要な示唆をいただきました。また、言語進 化やILMという着想がもつ深い意味について、ご教示いただきました。本研究が進化言 語学の文脈で何を提示できたことになるのか、山内氏からのご指導によって私もおぼろげ ながら理解しつつあります。本当にありがとうございました。
本研究は、複雑系解析論講座の皆様との議論によって成り立っています。特に、小林重 人氏、竹石卓弘氏、藤澤隆介氏には、研究上の大きな問題においても小さな問題におい ても、数多く議論していただきました。Kirbyモデルに機能語を含めたことにより、意味 空間が3倍に広がった途端に計算不能に陥った私の拙いプログラムは、竹石氏が考案した
chunkアルゴリズムの導入によって高速化を図り、復活いたしました。他にも、ノンパラ
メトリック検定の方法、replaceの命名など本研究の具体的内容のほとんどは、皆様との 議論に負っています。
沖縄科学技術大学院大学神経計算ユニットの佐藤尚氏や、理化学研究所脳科学総合研究 センターの並川淳氏には、特に貴重な議論の機会をいただきました。文法化のモデル化の
アイディアがなかなか浮かばず、Kirbyモデルが使えるかもしれないけどどうだろう、と 漠然と考えていたときに、並川氏がそのアイディアを後押ししてくださらなかったら、本 研究はそもそも始まっていなかったと思われます。
さらに、本当に永い永い学生生活の間、全く自由に勉学をさせていただき、様々な形で 援助いただきました両親に感謝いたします。
最後に、全ての方々の御名前を挙げることはかないませんが、多くの先生方、先輩方や 友人との議論および公私に渡る支えによって本研究は成立いたしました。心より御礼申し 上げます。
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