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仏教認識論における非存在

Vol.55 , No.2(2007)081小林 久泰「仏教認識論における錯覚論法」

Vol.55 , No.2(2007)081小林 久泰「仏教認識論における錯覚論法」

... HARADA Satoru The dkar chag lDan dkar ma (A.D.836) mentions 41 Tibetan translations of Buddhist scriptures in its chapter xxiv, rNam par ses pahi bstan bcos(Treatises on Cognition [[r] ...

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日本佛教學會年報 第78号 020小林 久泰「外界非実在論において仏教は成立するのか」

日本佛教學會年報 第78号 020小林 久泰「外界非実在論において仏教は成立するのか」

...  この議論の中でプラジュニャーカラグプタは,あらゆるものの無区別を 説きながらも,仏陀の存在を否定せず,その上でさらに仏陀と仏陀でない ものの間の無区別を説いている。自己認識以外のものは存在しないと考え るプラジュニャーカラグプタにとって,「ダルマである」「アダルマであ る」「輪 者である」「解脱者である」という判断は,究極的には無区別の ...

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日本佛教學會年報 第71号 022川尻 洋平「シヴァ教再認識派の知我不異論と仏教無我論批判」

日本佛教學會年報 第71号 022川尻 洋平「シヴァ教再認識派の知我不異論と仏教無我論批判」

... 例えば,プラジュニャーカラグプタは次のように述べている。PVA 292, 16-17:tatra smrter vasanamatrakad udayah ( その場合,想起はただ潜在 印象だけから生じる ) IPK 1.3.2:drk svabhasaiva nanyena vedya rupadrseva drk /rase sams- karajatve tu tattulyatvam na tadgatih //( ...

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佛教大学仏教学会紀要 20号(20150325) 039北野新太郎「初期唯識文献と認識論・論理学におけるgrahya-grahaka-bhavaという語の意味の違いについて(藤本淨彦教授古稀記念号)」

佛教大学仏教学会紀要 20号(20150325) 039北野新太郎「初期唯識文献と認識論・論理学におけるgrahya-grahaka-bhavaという語の意味の違いについて(藤本淨彦教授古稀記念号)」

... 上記の引用文で、竹村博士が その 別における所取・能取の有(grahya- grahakabhava)が、遍計所執性されたもの といわれている箇所に対応する Tbhは、以下のごとくである。 avikaraparinis ・ pattyasa parinis ・ pannah ・ /tasyeti paratantrasya purven ・ eti parikalpitena tasmin ...

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佛教大学仏教学会紀要 15号(20090325) 029五島清隆「『十二門論』における因中有果論・無果論の否定(2)」

佛教大学仏教学会紀要 15号(20090325) 029五島清隆「『十二門論』における因中有果論・無果論の否定(2)」

... 25)サーンキヤ学派の立場に立てば、糸は布の質料因(upadana)であって両者は互いに区 別できないから改めて結合することはないが、器と果実とは結合の状態から結合の状態 になるので互いに他物であって、そもそも因果関係の例にはならない。7∼8世紀の成立 とされる ユクティ・ディーピカー には、 例えば、ボウルの中に、それとは異なるも のである木の実が置かれているのと同じ意味で 原因の中に結果がある と主張する者に ...

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仏教文化研究所紀要 第11号 005吉田 哲「仏教認識論において前提される認識の構造ー外界実在論と唯識論」

仏教文化研究所紀要 第11号 005吉田 哲「仏教認識論において前提される認識の構造ー外界実在論と唯識論」

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高麗-朝鮮における仏教-儒教間の対立の眼目:『仏氏雑論』と『顕正論』の立場に関する比較

高麗-朝鮮における仏教-儒教間の対立の眼目:『仏氏雑論』と『顕正論』の立場に関する比較

... 18 このように、心とその作用に関しては体用という観点に自身の論点を基礎付ける 事によって、己和は一歩を踏み出す。心は元来純粋ではあるが、種々の環境に関わると混 乱をきたすものなのである。元来の心を取り戻す為に、仏教には広い範囲の修行が存在す る。その範囲は、方便の極み又は迷信の極みといった実践から、深遠の極みといった実践 にまでわたる。深遠な実践から始めて迷信的な実践まで、その教えの輪郭を示す中で、己 ...

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日本佛教學會年報 第71号 026齋藤 滋「アビダルマ仏教における霊魂の存在について」

日本佛教學會年報 第71号 026齋藤 滋「アビダルマ仏教における霊魂の存在について」

... 子部作如是説。処所是仮名法,無有定体,結仮名,衆生 仮名,各有定体。阿毘曇者作如是説。処所仮名,結仮名,衆生是仮名。 譬喩者作如是説。結仮名有定体。処所是仮名,衆生是仮名,無 有定体。 なお, については,諸本に基づき, 而 から 無 に訂正した。また, 阿毘曇毘婆沙 の 子部の所説では 処所 が 仮名法 となっており, ...

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<われわれ>の存在論:

<われわれ>の存在論:

... 「われわれの存在(以下<われわれ>と略す)」という、少々聞き慣れない言葉を用いてこの試 を始める理由は、何よりも<われ>を起点として展開される思想、 (以下<自我の思想>と呼ぶ)、の 圧倒的な優位性に支配された私たちの社会生活全体、日常生活から思索の世界まで、が、危機に瀕して いると考えている点にある。さてはまた、お定まりの危機を煽る思想か、と思われるかもしれないが、 ...

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インド学チベット学研究 No. 17 (2013) 001那須円照「『倶舎論』とその諸註釈における三世実有論批判の研究 (3) -仏教の時間論-」

インド学チベット学研究 No. 17 (2013) 001那須円照「『倶舎論』とその諸註釈における三世実有論批判の研究 (3) -仏教の時間論-」

... 『順正理論』 該当 箇所 提示 。 「(『順正理論』 T.29:p.634.a.6-11 )此亦処置 貶斥言。已滅未生約異門説、倶許通有及有故。謂去来世色等諸法有有生滅所知法性及有前生倶 行果性、而無現在能引果性。有引果用名為現在。過去未来無如是性。此豈同彼雨衆所説。 」 秋本氏 、「・・・自明 」 訳 。 ( 秋本[ 2000a ] :p.230.25-26 参照 ) ...

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Vol.68 , No.1(2019)056彭毛 才旦「チベット仏教における『入中論』6.34の解釈」

Vol.68 , No.1(2019)056彭毛 才旦「チベット仏教における『入中論』6.34の解釈」

... 6.34 における 批判対象が唯識派であることを証明している ( Nges don rab gsal 116a4–6 ) . 3 .ゲルク派によるサキャ派への再批判 ゲルク派でこの問題に関して最初に再批判を行なった人物はジャムヤン・ガロ ( Jam dbyangs dga blo: 1429–1503 ) であろう.彼は自身の 釈において MA ...

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大正大学大学院研究論集42号 002久保田 綾「日本仏教彫刻史研究における顔認識システム利用の有効性について」

大正大学大学院研究論集42号 002久保田 綾「日本仏教彫刻史研究における顔認識システム利用の有効性について」

... 日本仏教彫刻史研究における認識システム利用の有効性について これらの結果から、如来像、菩薩像と忿怒形像は認識率に差はあるものの、顔として認識することがわかった。 如来像、菩薩像のうち、顔と認識した結果を詳しく検討するために、ソフトウェアが認識した顔に名前をつけて分 ...

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インド学チベット学研究 No. 16 (2012) 003那須円照「『倶舎論』とその諸註釈における三世実有論批判の研究 (2) -仏教の時間論-」

インド学チベット学研究 No. 16 (2012) 003那須円照「『倶舎論』とその諸註釈における三世実有論批判の研究 (2) -仏教の時間論-」

... ]常 存在 、 過去 [法] ・未来 [法] 呼 。 3 故 、以前 存在 原因 、 存在 結果 [ ]「 cordingly, a moment is defined as a factor having acquired its own nature(¯atmal¯abha), that is to say, its own ...

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Vol.50 , No.2(2002)064久間 泰賢「インド仏教論理学派における認識の自立的真理性をめぐる一考察」

Vol.50 , No.2(2002)064久間 泰賢「インド仏教論理学派における認識の自立的真理性をめぐる一考察」

... Ernst Steinkellner : Early Tibetan Ideas on the Ascertainment of Validity (nges byed kyi tshad ma).. Pramanavarttikasvavrtti : The Pramanavarttikam of Dharmakirti, the first ch[r] ...

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日本佛教學會年報 第66号 031阿 理生「仏教研究の方法論 ―基盤構築のための基本的認識と着眼点―」

日本佛教學會年報 第66号 031阿 理生「仏教研究の方法論 ―基盤構築のための基本的認識と着眼点―」

... [4]このようにサンガには,釈尊在世の時代から教育指導の二重構造が 存在していた。サンガは大師釈尊のもとに, 和尚とその弟子> や 阿 梨とその弟子> という 師と弟子> から成る多数の小集団 (ガナ gana) , 及び弟子無き長老たち から構成された有機的複合体であった。すなわ ち教育指導の実務においては,大師を中心として和尚・阿 梨たちによる ...

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佛教大学仏教学会紀要 22号(20170325) L029清水俊史「説一切有部における非律儀非不律儀の構造」

佛教大学仏教学会紀要 22号(20170325) L029清水俊史「説一切有部における非律儀非不律儀の構造」

... これと同一理解は、後述するように他の有部書においても確認される。た だし、 この無表が命令の語表から生ずるのか、それとも命令中の身振りなど の身表から生ずるのか という疑問については、有部内において必ずしも一貫 した見解が明示されているわけではない。これについて 大毘婆沙 は 命 令によって殺生などの身業道が遂行されたとしても、命令する際に必ず手振り 身振りが起こされており、そこから身無表が生ずる ...

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「非正規」な公務員という存在

「非正規」な公務員という存在

... なお、本判決(裁判官全員一致)には、横田尤孝裁判官(裁判長)の補足意見が付されてい る。そこでは、自治体の「裁量」を重んじつつも、住民に対して判断の「適正・公正さ」を「十 分に」説明できる「合理的内容」となるべき旨、司法からのメッセージが込められている。同 意見では、行政委員の報酬に関する地方自治体の裁量について確認した上で、原判決(平成 22 年 4 月 27 ...

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Vol.66 , No.2(2018)049道元 大成「非認識論証因における否定対象と認識対象について」

Vol.66 , No.2(2018)049道元 大成「非認識論証因における否定対象と認識対象について」

... 用を意味する.更にその X と non-X で全ての存在が包摂され, X と non-X 以外 の第三の種類がないという排中律で示すということも一つの認識手段の作用とさ れる 4 ) .そしてアルチャタは,一つの認識手段の働きによって X と non-X とに分 立された両群が,互いに結合していないということを以下のように結論づける. ...

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禅研究所紀要 第44号 013石田尚敬「瞑想者の認識をめぐる考察 仏教認識論・論理学派を中心に」

禅研究所紀要 第44号 013石田尚敬「瞑想者の認識をめぐる考察 仏教認識論・論理学派を中心に」

... 2.1ab)。すなわち、知覚や推理に基づく 認識は、それによって行動した場合に、意図された結果をもたらすな らば、「正しい」と見做されるという、実用的な立場を取っている。 さて、ダルマキールティは、ディグナーガが定義した知覚、および 分別について、冒頭で触れた主著『知識論決択』および入門書『論理 の滴』(Nyāyabindu, 以下 NB)で、以下のように再定義を行っている。 ...

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犯罪論における同時存在原則について(2)

犯罪論における同時存在原則について(2)

... の規定は適用不可能なのである 20 。立法として、責任非難を構成要件 に該当しない先行行為と結びつける可能性は、批判されている・・しか しながら、このような批判が、責任前倒しモデルの矛盾を証明するのに 有益に寄与しているかどうかは、もう一度考える必要がある。なぜなら ば、例外モデルの主張者達も、このような責任を処罰することに抵抗が ないわけではないからである。・・とりわけ、行為概念を予備段階にま ...

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