論
文 ﹁静態論研究序説﹂
1
ノレ
・タートル︑ライトナー︑ゲルストナーの学説比較を通じて一
五 十嵐 邦
正
目 次
一 は じ め に
ニ ル・タートル学説の検討
三 ライトナー学説の検討
四 ゲルストナー学説の検討
五 静態論諸学説の比較−結びに代えて
1﹁静態論研究序説﹂−
一
一論文一
二
は じ め に
ドイツ貸借対照表学説史において︑その主流を形成するといわれる動態論に関しては︑フてれに属する諸学説並びに
その発展の系譜について今日に至るまで︑ かなりの程度研究が進められ解明されてきている︒ シュマーレンバッハ ︵1︶︵輿ω号ヨ旦窪33︶学説を以て︑動態論の確立とみる一般的な見方に従うと︑動態論研究は︑シュマーレンバッハ
が動態論を確立するに至るまでの経緯に関する研究と︑シュマーレンバッハが動態論を確立した以後の学説史的な発
展に関する研究とに大きく分けて整理することができる︒前者については︑損益計算をその中心とする動態論的思考
が︑シエフラー︵甲oo9①段段︶からヴィルモウスキー︵叩く︒目≦躍ヨ︒毛のざ︶そしてフィッシャー︵零固ω魯R︶
へと継承されたことは周知の通りである︒後者については︑同じく︑その動態論的思考が︑シュマーレンバッハから
ワルプ︵国譲巴σ︶︑コジオール︵国囚8巨︶へと展開され︑この一連の学説がいわゆるケルナi・シューレと呼ば
れていることもまた︑よく知られているところである︒
この動態論の学説研究に比べて︑静態論の学説研究は︑いまだに不十分であるように思われる︒もちろん︑一九世紀
末から二〇世紀初頭にかけて︑はげしい議論を惹起した静態論︑即ち法律上の条文解釈を主たる内容とし︑しかも︑ パ ロそこにおいて価値論的なアプローチを採る静態論に関しては︑既にすぐれた研究が存在している︒しかし︑このよう
な静態論は︑動態論によって完全に否定されたとする考え方が現在では有力である︒いかなる価値概念を採るにせよ︑
取得原価を基礎とした貸借対照表数値を︑ ﹁価値﹂によって説明しえないことは明らかであると考えられるからであ
る︒
この論文で取り上げようとするのは︑このような価値論を主体とした静態論についてではない︒それとは明らかに
区別されるところの︑いわば新しい静態論についてである︒この種の静態論に属する学説としては︑ル・タートル ︵3︶︵譲.HoOo耳お︶の学説が比較的によく知られている︒そして︑このル・タートル学説に関しては︑わが国でもこれ
までに新しい静態論の代表者として研究が進められ︑彼の学説のかなりの部分が解明されてきているといってもよい
パ ロであろう︒しかし︑このル・タートルを含めて︑新しい静態論に属するとされる諸学説を概観してみると︑それらは
多一種多様である︒従って︑何を以て新しい静態論のメルクマールと考えたらよいのかという点は︑未だ十分に明らか
にされていないのが実情である︒その結果︑動態論に対比され︑しかも価値論を主体とし五嘗ての静態論とは明らか
に異なるとされる︑いわば新しい静態論諸学説に関する包括的な検討は︑現在までのところ明確な形ではなされてい ︵5︶ないといっても︑けっして言い過ぎではないように思われる︒
このような事情に鑑みて︑本論文では︑価値論とは明らかに区別される意味での新しい静態論は︑そもそも︑いか
なる貸借対照表論なのか︑その基本的なメルクマールは何かという点の解明をその中心テーマとする︒そして︑その
代表的な学説とされるル・タートル︑ライトナー︵問い虫9震︶及びゲルストナー︵ロORωヨ震︶の三学説の比較
検討を通じて︑この問題解決への糸口を見い出そうとするものである︒
︵1︶ 岩田巖著︑利潤計算原理︑同文館︑昭和三一年︑二七〇頁︒
︵2︶ これに関する代表的な研究として︑以下の文献を挙げることができる︒岩田巖著︑前掲書︑第五章︵﹁静的評価論の変遷﹂︶
︵二三三−二五三頁参照︶︒上野道輔著︑新稿貸借対照表論上巻︑増訂版︑有斐閣︑昭和三一年︑第六章︵﹁貸借対照表価値
論﹂︶︵二〇一−二六四頁参照︶︒田中耕太郎著︑貸借対照表法の論理︑有斐閣︑昭和一九年︒飯野利夫稿︑﹁ドイツ貸借対照
一﹁静態論研究序説﹂1 三
一論 文一 四
表学説小史ーシェフラーからフィッシャーまで﹂︑商学研究︑1︑︵昭和二八年所収︶︒
︵3︶ 員O暮雪σR頓田氏爵控目瞬ぎ象ゆ切︒鼠︒訂&旨ωo富津三島﹃9類ぼ菩目窪一九五八年︑一六六頁︑ 池内信行監訳︑松
原信男︑吉田和夫訳︑グーテンベルク経営経済学入門︑千倉書房︑昭和三四年︑二三四−二三六頁︒︾908器暮雲堕
冒ぼ窃3ω号言虜ロ注雪げ目窃号零三5碧巴協9第三版︑雲量畠9一九七六年︑四七六頁︒国=巴器P=o︒&巴号旨口器F
第八版︑類一〇のσ毬窪一九七六年︑四〇一四三頁参照︒
︵4︶ ル・タートル学説を取り上げたわが国の代表的な文献として︑次のものを挙げておく︒杉本秋男稿︑ ﹁ル・タートルの資
本貸借対照表﹂︑会計︑第三二巻第四号︒新田忠誓稿︑ ﹁貸借対照表明瞭表示への一試論﹁W.ル・クーター理論の検討
1﹂︑商学論集︑第三七巻第三号︒吉田威稿︑﹁損益計算の二元性﹂︑商経論集︑第七巻第一号︒
︵5︶ 価値論から区別された静態論詰学説を全般的に取り上げた文献としては︑わずかに以下の文献を指摘しうるにすぎない︒
山下勝治著︑貸借対照表の理論︑巖松堂書店︑昭和二五年︑第二章︵﹁貸借対照表静的観﹂︶ ︵三五−六六頁参照︶︒高田正
淳稿︑ ﹁静態諸説における共通性﹂︑研究年報︵神戸大︶︑凪︑ ︵昭和三八年所収︶︑八一−九四頁参照︒
ニ ル
・タートル学説の検討
① ル・タートルの計算構造
まずはじめに︑静態論の代表者として最も著名なル・タートルが︑いかなる貸借対照表論を展開しているかを検討
する︒ここでは差し当たり︑ル・タートルによる貸借対照表の数値の説明を明らかにするための布石として︑彼が︑
一体どこに貸借対照表作成の基礎を置いているかという点からみていく︒
ル・タートルによれば︑ ﹁貸借対照表は︑ひとつの企業︑あるいは一般的にいうと︑ひとつの経済の︑一定時点に
おける財産・負債及び資本の要約表であり︑それは︑勘定の原則にしたがい︑通常は勘定形式で作成され︑そしてそ ハエロの表示は価額のみに限定されたものである︒﹂この貸借対照表の作成について彼は次のようにいう︒即ち︑﹁貸借対照
表の作成は簿記と密接な関係があるために︑実務においても︑また学術文献においても︑しばしば貸借対照表は簿記
の一部であるといわれている︒さらに︑貸借対照表は︑その外からみた場合の呼び名においても残高勘定︵顕す養︑
ぎ旨︒︶と同じように呼ばれ︑また︑その内容の分類において企業の勘定体系を反映しているとみられること︑ある
いは簿記における勘定の記入の仕方に依存しているとみられることも︑貸借対照表の作成が簿記と密接な関係がある ︑︑︑︑︑︑︑・︑・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・⁝︵2︶ ︒ ︑ためである︒しかし︑貸借対照表についてのこのような見方は︑事実を誤解するものである︒﹂と つまり 彼は貸
借対照表を簿記の一部とはみていないのである︒この理由として︑勘定に記入されている簿記記録が︑その正当性に ハ レついて常に検証を必要とする点を︑彼は指摘する︒具体的にいえば︑簿記記録がそのまま自動的に貸借対照表の数値
となっておらず︑そこには必ず簿記記録の妥当性について検討する手続が存在している点に︑ル・タートルは着目し
ているのである︒しかも︑この手続は︑とりわけ財産の実在高を把握するために是非とも必要とされるもので︑それ
は︑個々の財産に関し︑その数量や品質等について実地調査することを意味すると解せられる︒
そして︑この実地調査の結果を詳細に一つの表にまとめたものが財産目録にほかならない︒彼は︑この財産目録が
貸借対照表の作成において果たす役割を重視し︑財産目録の重要性を強調するのである︒それは︑ ﹁貸借対照表は︑
原則として︑いつでも︑そしてすべての過去の記録に関わりなく作成することができる︒そのためには︑貸借対照表
作成時点で存在する個々の財産及び負債を実地調査し︑そしてその価額を確定しさえずればよいのである︒従って︑
一﹁静態論研究序説﹂1 五
一論 文i 六
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ゐ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ う ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ パぐレしばしば主張されているのとは異なり︑貸借対照表の作成は︑簿記の存在を前提としない︒﹂ という彼の表現から明
確に読み取ることができる︒ここにおいて︑財産目録重視という彼の計算構造が明らかとなる︒
さて︑それでは何故に︑貸借対照表と財産目録との両者を作成しなければならないのか︒財産目録とともに貸借対
照表を作成する意義はどこにあるのか︒両者の違いは何か︒彼によれば︑財産目録は︑個々の財産の正確な数量計算
を中心とした財産一覧表︵<R筥畠﹁9貧σR巴︒洋︶であるのに対し︑貸借対照表は︑貨幣計算による財産の概観的な ︵5︶一覧表︑言い換えれば︑資本表示︵囚琶津巴3お3=琶の︶である︒さらに︑彼は︑財産目録は財貨の生産あるいは販 ︑ ︑ ︑ ︑ ︵6︶売といった経営任務に役立つものであり︑また︑貸借対照表は資本の管理といった企業任務に役立つともいう︒ここ
からもわかるように︑財産目録と貸借対照表は︑それぞれ任務を異にしており︑この点から両者がともに作成されね
ばならないことになる︒このうちで︑特に財産目録が財産の数量計算を司るという点は︑それが貨幣計算に基づく貸 ︵7︶借対照表の作成にとって︑不可欠な前提をなすという意味において重要である︒
の 貸借対照表数値の説明
既述の如く︑ル・タートルによれば︑財産目録は数量計算を中心とし︑貸借対照表は金額計算を中心としている︒
現金等のように︑その数量計算がそのまま金額計算となるのであれば問題はない︒しかし︑財産の数量計算とその金
額計算とが著しく相違する時には事情は全く異なる︒そこでは実際に存在する財産の数量に︑一体いくらの金額を付
すかという問題︑いわゆる財産評価問題はきわめて大きな問題となる︒そこで︑ここでは︑この財産評価問題につい
てのル・タートルの基本的な立場をまず第一に明らかにし︑第二に︑そのことを通じて︑彼が貸借対照表の数値を︑
どのように説明しているかという点を解明することにしたい︒
まず︑財産評価問題に対する彼の基本的な立場についてであるが︑この点に関し︑ここでは実務における貸借対照
表は︑いかなる目的で作成されているかという点を取り上げることにする︒なぜなら︑貸借対照表についての目的を
どのように解するかということによって︑財産評価は大きく左右されると考えられるからである︒これについて彼は
次のように述べる︒即ち︑ ﹁実務では︑経験的には︑貸借対照表を︑分配ないし消費可能な利益︵<Φ詳︒躍=口鴨︐σ︑多 ハ りぎ霧ロヨ鼠ぼ蒔ROo&旨︶の算定目的で作成しているといいうる︒﹂と︒ ここで消費可能利益とは︑慎重に計算さ ロれ︑しかも企業家が実際に獲得したもので︑消費目的として当該企業から事実上︑取り出しうる成果をいう︒さらに︑ ハゆレこの消費可能利益のなかには︑多くの場合︑前期繰越損益をも含むことがありうるので︑彼のいう消費可能利益は︑
一期間に実際に稼得された期間利益とは明らかに異なる利益概念であると考えられる︒次に︑この消費可能利益概念
の具体的な内容が︑当然問題となるが︑それが前期繰越損益を含む点からみて︑それは︑今日の会計用語でいえば未 パれり処分利益としての性質にきわめて近い利益概念であると推察される︒
このように︑実務が消費可能利益を算定する目的で貸借対照表を作成するとみるル・タートルの見解に注目すべき
である︒というのは︑この見解は︑彼の評価論との関連で重要な意味をもつと考えられるからである︒そこで︑彼の パロロ評価論の具体的な中味をみてみると︑それは取得原価に基づく評価論を原則としている︒つまり︑彼の評価論は︑財
産評価を問題としながらも︑あくまで取得原価を前提としていることになる︒しかも︑彼は︑この取得原価評価の論 おロ拠を︑財産評価益を計上しないということによって説明する︑ここで取得原価の論拠として彼が指摘する財産評価益
を計上しないという考え方は︑明らかに利益計算と結びついた考え方である︒従って︑彼の評価論は︑利益計算︑彼
の言葉を用いれば︑消費可能利益計算の見地に基づく評価論であるということができる︒・ゲ︑して︑この点に︑彼の評
七 一﹁静態論研究序説﹂1
1論 文一 八
価論が価値論を主体とした嘗ての静態論から区別される特徴があると解せられる︒専ら︑利益計算の見地から取得原
価に基づく財産評価論を展開するところに︑ル・タートル学説の特徴が存するといえる︒
さて︑このような内容をもつ彼の評価論において︑一つの大きな問題がある︒それは︑固定資産の金額をどのよう
に説明するのかという問題である︒これは︑固定資産に生じた減価部分をどのように捉えるのかという︑いわゆる減
価償却とも関連している︒次に︑この点について︑彼の主張を︑特に減価償却における考え方を中心としてみていく
ことにする︒
彼によれば︑最も理想的な減価償却法は︑利用度あるいは給付︵ω8房冒β畠琶αq&震﹃一ωεコαq︶に基づく減価
パいロ償却法である︒それについて彼は次のようにいう︒即ち︑ ﹁減価償却額は︑保証された給付量あるいは経験的な見積
に基づく総給付量で測定され︑しかも償却されるべき価値は︑今︑生産された数量に配分される︒⁝︿中略V⁝生産 ︵15︶数量が変化するにつれて︑減価償却額の絶対額︑.つまり毎年の割当額もまた変化する︒﹂と︒この点から︑彼は固定
資産がもたらす総給付量と︑一期間中における実際の給付量︵期間給付量︶との関係において︑減価償却額を算定し
ようとすることがわかる︒それは︑より具体的にいえば︑財産評価益を計上しないとする論拠に基づいて既に決定さ
れた固定資産の取得原価を︑総給付量に対する消費された期間給付量との割合において︑配分することを意味すると
考えられる︒以上のように︑固定資産の評価にあたり︑固定資産についての給付量という︑いわば一種の数量計算を
彼が前提としていることから︑この彼の考え方を︑財産目録を重視する彼の基本思考と関連づけることができる︒期
末に存在する財産の数量を確定することが財産目録の主要任務であり︑これに基づく貸借対照表の作成を︑彼は主張
しているからである︒とりわけ固定資産に関していえば︑財産目録は︑固定資産が実際に提供した期間給付量を確定
するものと解せられるのである︒
かくして︑彼が減価償却を︑あくまでも固定資産を評価するための手続とみていると結論づけることができる︒そ ハおロれは︑減価償却を当期の費用額を決定するための手続とみる見解と︑著しく対照的である︒
ところで︑ル・タートルにおいて貸借対照表が消費可能利益計算の算定目的で作成されていることは︑既述の通
りであるが︑ここでこの消費可能利益の具体的な計算方法について言及しておく必要がある︒これに関し︑彼はこの パリロ
利益計算が貸借対照表で直接的に行なわれるという︒つまり︑貸借対照表に基づく利益計算︵呂四養B農蒔︒
南隊︒碍ω括9旨口頭︶を想定しているのである︒彼はそれを次のように説明する︒まず︑財産目録に基づいて決定され
た資産総額と負債総額とから︑貸借対照表で自己資本︵純財産︶を算定する︒次に︑この自己資本から︑払込資本と
しての性質をもつ基礎資本︵O渥呂蚕豆冨一︶と積立金との合計額を差引いて︑未処分利益としての性質をもつと考 ハほレえられる消費可能利益を貸借対照表で直接的に計算しようとするのである︒
以上の考察から︑貸借対照表数値に対するル・タートルの基本的立場が明らかとなる︒実務における貸借対照表が
消費可能利益計算の算定目的で作成されているとみなし︑さらに︑この利益計算の見地から財産評価問題の形で貸借
対照表数値を説明しようとする立場がそれである︒ここからもわかるように︑貸借対照表の数値について︑嘗ての静
態論の如き価値論的な説明は︑ル・タートルにおいては全く放棄されているのである︒
⑥ 貸借対照表の内容
ル・タートルは︑貸借対照表を単に利益計算の見地から捉えるだけでなく︑また︑それとは別の見地からも貸借対照 パロロ表の説明を行なう︒貸借対照表は企業の﹁資本状態﹂︵囚8冨オR毎一言房器︶を示すという考え方がそれである︒こ
!﹁静態論研究序説﹂1 九
1論 文一 一〇
パハロこで︑ ﹁資本状態﹂とは︑具体的には資本の調達源泉及びその運用形態を意味する︒そして︑このような貸借対照表の考え方を前提として︑彼は︑実務で作成されている年次貸借対照表を︑﹁資本貸借対照表﹂︵内8詳巴σ蕃震︶と性
ハハロ格づける︒そこで︑以下︑このル・タートルの見解を検討しながら︑彼の学説をより明確にすることにしょう︒
貸借対照表が資本の調達源泉及びその運用形態を示すとする考え方について彼は次のように説明する︒資本は利益 ハぬロを獲得する目的で企業に委ねられた貨幣額︵Oo一α≦R房ロ旨旨︒︶を意味する︒この結果︑負債もまた︑他人資本とし
て︑この資本の定義のなかに含められるのであり︑彼は広義の資本概念︑即ち総資本概念を前提としているといえる︒
従って︑このような考え方を貸借対照表に当てはめてみると︑貸借対照表の貸方側は︑企業に投下された資本︵広義︶
の源泉を示すことになる︒また他方において︑資本は価値であり︑価値は抽象的であるが︑けっして形のないもので
︵23︶ ︵24︶はなく︑必ず︑ある財貨に結びついたものである︒そして︑ル・タートルによれば︑この財貨は財産を意味する︒従 ハめロって︑彼は財産を資本の具現形態と解するのである︒さらには︑貸借対照表の借方側は︑資本表示以外の何ものでも
ハめロないとまで︑彼は言うのである︒以上の点から︑彼は︑貸借対照表の貸方側は企業に投下された資本の調達源泉︵自己
資本であるか他人資本であるかということ︶を示し︑借方側は︑その資本が一体どのような形態において運用されて
いるかを示すと解するのである︒彼が貸借対照表を︑ ﹁資本貸借対照表﹂と性格づけようとするのは︑この意味から
理解できる︒ここでの彼による貸借対照表の説明の仕方は︑前述のような利益計算に基づく貸借対照表数値の説明の
仕方とは明らかに異なっている︒それは︑一定時点で作成される貸借対照表の状態表示的な︵静的な︶側面に着目し
た説明の仕方であるということができる︒従って︑彼がスタディーカー︵oo9什篤農︶といわれてきたのは︑実は︑こ
の意味においてであると推察しうるのである︒
ル・タートルのこの見解は︑貸借対照表の積極的な存在意義を明らかにしたものと考えられる︒即ち︑貸借対照表 ハガロが資本計算︵区昌言冨3巨轟︶を行なっていること︑これである︒言い換えれば︑貸借対照表が︑企業に投下され
た資本総額︵総資本︶を計算しているということである︒これは︑一方では︑資本が企業に投下された貨幣額を意味
するということ︑つまり負債も自己資本と同質的な資本として︑即ち他人資本として認識されることからみて明らか
となる︒他方では︑それは︑財産が本質的には資本の具現形態︑つまり資本の担い手︵↓感吟︒目︶と解されることか
ら明らかとなる︒かくして︑彼によれば︑貸借対照表は︑企業における資本総額を︑その調達源泉と運用形態という パめレニつの側面から計算していることになる︒従って︑貸借対照表における借方及び貸方のそれぞれの最終合計数値は︑
単に貸借の金額の一致を確認するための数値ではなくて︑より積極的に︑資本計算の結果を示す重要な意味をもった
数値であると解されているのである︒ル・タートルがいうように︑貸借対照表が資本計算を行なっていること︑これ
は今日において︑意外に見逃されがちではあるが︑しかしけっして軽視されてはならない重要な点であるように思わ
れる︒彼は︑この点をわれわれに示唆してくれているということができる︒
さらに︑彼は︑この資本計算の観点から貸借対照表項目の実質的な検討を行なおうとする︒それは︑企業のなかで
実際に稼働している資本総額を貸借対照表において示そうとする考え方なのである︒これとの関連で彼がまず最初に
積極的に取り上げるのは︑固定資産における減価償却引当金についてである︒彼はいう︒ ﹁私の1静的一見解によれ
ば︑間接的な方法︑従って減価償却額を貸借対照表の貸方側に示す立場が前提とされる︒減価償却額は⁝︿中略V⁝ パカロ償却資産が除却されるまで︑経営からの追加資本︵豊ω警急9島国8津包︶を示すからである︒﹂固定資産の減価償却 パリロ引当金を貸借対照表の貸方側に計上すべきとする彼の考え方によると︑そこでの減価償却は︑既に固定資産の貸借対
一﹁静態論研究序説﹂1 一一
!論 交− 二一
照表数値の説明においてみてきたように︑固定資産を評価するための手続という意味では考えられていないようであ
る︒なぜなら︑消費可能利益計算の見地によれば︑固定資産を経営活動に用いることによって生じた総給付量の事実
上の減少に対応して︑固定資産の評価額を減額させることが当然であると考えられるからである︒しかしながら︑前
述の引用文では︑固定資産が実際に除却されるまでは︑既に償却した金額の如何にかかわらず︑それをすべて貸借対
照表の貸方に計上すべきであると︑彼は主張するのである︒後に至って︑貸借対照表数値の説明の時に重要であった
消費可能利益計算の見地から離れて︑彼が減価償却を︑固定資産が使用不能となる時に発生するであろう損失を先取
パれロりするための手続きであると説明するのは︑減価償却引当金の貸方計上の論拠をより積極的に示そうとしたものとい
うことができる︒
資本計算の観点から貸借対照表項目の検討を行なう考え方は︑単に減価償却引当金だけに留まらず︑その他の項目
にも適用される︒例えば︑未払込資本︵三〇再<o=oぎ鴨墨色け︒ω民︒︒風貫一︶がそうである︒これは︑株主に対する債
権として貸借対照表の借方項目に計上されるべきとする見解もあるが︑資本計算の見地からすれば︑それは︑明らか ハねロに自己資本の評価勘定︑つまり自己資本からのマイナス項目であると解される︒また同じように︑割引発行された時 パおロの社債発行差金も社債の評価勘定と解されることになる︒このような彼の説明は︑建設利息や自己株式を︑実質的に
は自己資本のマイナス項目とみなす今日の一般的な見方と︑ある意味において一脈相通じているように思われる︒従
って︑資本計算の見地から貸借対照表の項目を検討しようとするル・タートルの考え方は︑今日でもなお依然として︑
その意義を大いに有していると考えられる︒
ところで︑貸借対照表を︑資本の調達源泉及びその運用形態の表示とみる考え方は︑彼によれば︑資本計算として
の貸借対照表の側面とだけ結びつくものではない︒この点に関し︑彼は︑ ﹁資本状態の表示は︑資本が一般に経営に
おいて果たし︑しかもそれ︵資本︶に対して特に経営ごとや企業ごとで割当てられる役割︵閃︒一一︒︶に従わねばなら
ないであろ矩﹂という︒つまり︑企業において資本が果たす役割を明確にすることが︑貸借対照表の資本状態表示︑
即ち資本の調達源泉及びその運用形態という状態表示に役立つと︑彼は述べているのである︒そこでこの資本の役割
を明確にするため︑彼は新たな分類論︵の冨留控β鵯冨ξo︶を提唱する︒
それによれば︑資本の機能︵閉口p耳一書︶に基づき︑貸借対照表の借方側は︑営業資本︵白oH富民①ω区8詳巴︶︑安全 パカロ資本︵ω冨冨歪コ暢蚕冨5一︶︑管理資本︵<R毛包εo鵯器官け巴︶︑余剰資本︵αびR鴇言穿8詳巴︶に分けられる︒ここ
で営業資本とは︑経営固有の任務を遂行するための資本︵具体的にはそのような資本の具現形態である財産を指す︶
を意味し︑例えば生産・販売にとって不可欠な財産がそれである︒安全資本とは正常な営業活動のもとでは必ずしも
必要ではないが︑緊急時に備えて予め用意してある財産をいう︒管理資本は第三者のために企業が管理している財産
を指す︒余剰資本は︑もはや経営活動において不必要となった財産のことである︒以上が貸借対照表の借方側の説明
で敵麗︒なお・貸借対照表の貸方側も資本の機能に基づいて︑借方側に対応し︑営業資本︑安全資本︑管理資本に大 ︵訂︶ ︵38︶︒別される︒ここで彼の貸借対照表分類シェーマの概要を示しておく ︵次頁参照︒︶
このような新たな分類論を提唱することによって︑ル・タートルは︑貸借対照表における資本状態の明瞭表示を計 パみロろうとするとともに︑これを通じて貸借対照表を︑経営管理の手段として積極的に役立たせようとするのである︒
要するに︑実務における貸借対照表を︑ ﹁資本貸借対照表﹂と性格づけ︑その実質的な内容を︑資本の調達源泉及
びその運用形態とみるル・タートルの考え方は︑利益計算の観点から貸借対照表を説明しようとする考え方とは明ら
一﹁静態論研究序説﹂! 一三
貸借対照表
一論文一
企業資本 A.営業資本 1.他人資本 a)長期のもの b)短期のもの c)支払期限がきてレー るもの
H.自己資本
a)資本金 b)積立金
c)利 益 d)一時的な資本 (響磐却)×x×B、安全資本 X××
C.管理資本 ××x D.計算項目
×××
経営資本 A.営業資本
L固定資本
a)生産設備 b)営業設備 c)投 資 d)厚生施設 n.流動資本 a)棚卸資産 b)債 権 C)支払手段 X X××XX
X××
XXX
×X×
B、安全資本 C、管理資本 D.余剰資本 E.計算項目
一四
かに異なっている︒ここでは利益計算の見地か
ら一応離れ︑利益計算とは対照的な状態表示的
︵静的︶な側面から︑彼は貸借対照表を説明し
ようとするのである︒資本計算としての貸借対
照表の強調といい︑新たな貸借対照表分類論の
提唱といい︑それ等はいずれも貸借対照表の状
態表示的︵静的︶な側面に着目した考え方であ
るということができる︒彼がスタディーカーと
いわれてきたのは実は︑この意味においてはじ
めて理解することができるのである︒
㈹まとめ
以上の考察に基づいてル・タートル学説を次
のように要約することができる︒
彼は財産目録を重視し︑それを︑貸借対照表作成の不可欠な前提とみなしている︒従って︑このような考え方を彼
の計算構造と捉えることができる︒そして彼は︑未処分利益としての性質を有すると考えられる消費可能利益を貸借
対照表で直接的に計算しようとする︒その結果︑ここでの中心問題は︑専ら貸借対照表評価論である︒しかしここで
注意すべきことは︑彼が財産評価を問題とするからといって︑嘗ての静態論のように︑財産評価を価値論的に取り上
︵ω︶げていない点である︒それに代えて彼は︑財産評価を利益計算の見地から取り上げる︒それ故︑財産評価益を計上し
ないという利益計算の見地から︑取得原価に基づく財産評価論を展開するのである︒他方において︑彼は︑消費可能
利益計算と並んで︑貸借対照表の状態表示機能をも強調する︒その場合︑彼は財産と資本との関係に着目する︒ここ
で彼は︑企業に投下された貨幣を資本とみなし︑しかもその資本の担い手を財産と解する︒このような考え方を前提
として︑彼は︑年次貸借対照表を企業に投下された資本の調達源泉及びその運用形態を示すものとして捉える︒そし
て︑この貸借対照表の見方と関連させて︑彼は︑貸借対照表の資本計算的側面と新しい貸借対照表分類論とを強調す
るのである︒
これがル・タートル学説の骨子である︒結局︑彼は消費可能利益計算と状態表示という二つの目的を︑貸借対照表
に認めていると解せられる︒従って︑この点から彼の貸借対照表論は二元論であることがわかる︒そして︑この彼の
学説について︑われわれは次の二点において︑その意義を見い出すことができる︒その一は︑彼の学説が︑貸借対照
表で直接的に消費可能利益を計算するという計算体系を展開することによって︑シュマーレンバッハ学説に比べて貸
借対照表の存在意義を高めたことである.︑その二は︑合理的な利益計算の見地から生じる制約のもとではあるが︑資
本計算や新しい分類論の提唱を通じて︑貸借対照表の状態表示機能を︑積極的に明らかにしたことである︒以上この
二点に︑彼の学説の存在意義を見い出すことができるように思う︒
後に︑ル・タートルが︑このような内容をもつ自らの学説をさらに展開し︑﹁トターレ・ビランツレーレ﹂︵89ざ ハむ望宣旨8ぼ︒︶として集大成している点は注目すべき一.﹂ある︒
︵1︶項﹂oO窪ヰρ9言含凝︒α震切ぎ自ざ区ρ第一巻︑第二版︑い︒首N茜一九二七年︑七!九頁︒
一﹁静態論研究序説﹂1 一五
一論 文− 一六
︵2︶ 魚﹂oOoロ賃ρ前掲書︑三九頁︑傍点五十嵐︒
︵3︶ ≦﹂①02qρ前掲書︑三六頁︒
︵4︶ 妻﹂oO3霞9前掲書︑三五頁︑傍点五十嵐︒
︵5︶・︵6︶ 妻﹂oOa霞9前掲書︑五頁︒
︵7︶ この点についての詳細は︑以下の文献を参照されたい︒岩田巌稿︑﹁財産目録と数量計算﹂︑会計︑第三六巻第四号︒
︵8︶ ノ<﹂oO2貫9前掲書︑二四頁︒
︵9︶・︵10︶ ≦﹂oOo目零ρ前掲書︑二七頁︒
︵11︶ ル・タートルのいう消費可能利益を未処分利益的な性質をもっと解したとしても︑それは︑必ずしもドイツで用いられて
いる法律上の純利益︵閃︒﹃鴨ミぎロ︶概念と同義とは考えられない︒以下︑この点についての説明を行う︒一九三七年株式
法一三二条で規定する純利益は︑前期繰越損益と期間利益︵包括主義に基づく︶とに︑さらに取締役会の権限に基づく公示
準備金の取崩額を加えたものから︑同じく取締役会の権限で公示準備金に繰入れられる額を控除したものをいう︵大隅・大
橋・八木・大森共訳︑独逸商法︹皿︺︑株式法八︑有斐閣︑昭和二二年︑三二六頁参照︶︒ところで︑ル・タートルは︑公示
準備金︑いわゆる任意積立金の設定については︑別段の定めがない限り︑原則として株主総会の決議事項とみている︵項︒
一〇〇2耳9前掲書︑一〇一頁︶︒そこで︑彼においては︑決算時点ではまだ︑任意積立金の取崩及び繰入の問題は生じてこ
ないと考えられる︒従って︑一九三七年株式法上の純利益概念と︑ル・タートルが考える消費可能利益概念とは︑この任意
積立金の取崩及び繰入額分だけ相違すると解せられる︒
また︑この純利益概念に類似した年次純利益︵幻︒ぎ鴨ミぎ昌留ω冒ぼ︒ω︶概念も︑彼のいう消費可能利益概念とは異なる
利益概念である︒なぜなら︑この年次純利益概念は︑期間利益︵包括主義に基づく︶に公示準備金の取崩額を加えたものだ
からである︒つまり︑年次貸借対照表のなかには︑一方では︑前期繰越利益が加えられておらず︑また他方では︑公示準備
金の取崩額が加えられているために︑この年次利益は消費可能利益と異なると考えられる︒ル・タートルのいう消費可能利
益は法律上の純利益や年次純利益とは異なる利益概念であることがわかるのである︒
︵12︶≦﹂oO2耳許前掲書︑五七頁︒
︵13︶ 譲﹂oOo仁賃ρ前掲書︑五九一六〇頁︒
︵14︶・︵15︶ 譲﹂oOo¢qρ前掲書︑七三頁︒
︵16︶ 減価償却を︑当期の費用額を決定するための手続とみる考え方によれば︑当期の費用額を決定すること自体が︑そこでは
中心であり︑従って固定資産の金額はその結果として自動的に計算されることになる︒この見解の代表者がシュマーレンバ
ッハであることはいうまでもない︒
︵17︶ ル・タートルによれば︑貸借対照表による利益計算の意義は︑最も適切であり︑最も信頼しうるものであるという︵≦︒
一〇〇〇再話前場書︑一五頁︶︒
︵18︶ 妻﹂oO2群9前掲書︑九七頁︒
︵19Y︵20︶ゑ■一〇〇2茸ρ前掲書︑一七頁︒
︵21︶毫﹂︒Oo9β9︒2註ω9︒零昌N窪欝ω器品ユR零貰δ︵︸軸8山け巴窪きN﹄幽︒耳<RBα鴨島匹・目︑︑︶N︒冨︒日一律
h窪田鼠︒訂&済零富饗第四巻︑一九二七年所収︑七二1七四頁参照︒
︵22︶毒﹂oOo暮罫ωoぎ醤︒国畦げ︒鼠︒訂三旨習鼠壁ざ﹃8ピ魯話ぎヨ閑8濤巴No凶$o訂薄塗吊切魯ユ︒房≦一籌零冨炉第
四巻︑一九二七年所収︑三四二頁︒
︵23Y︵24Y︵25Y︵26︶ 前掲論文註︵22︶︑三四六頁︒
︵27︶ 前掲論文註︵22︶︑三四七頁︒
︵28︶ 彼は︑己れに関し︑貸借対照表の借方側は︑経営の資本計算︵囚8津巴話昌⇒⁝に号ωω9ユ魯窃︶を示し︑貸方側は企業
−﹁静態論研究序説﹂1 一七
1論 文一 一八
の資本計算︵囚呂律包括3⇒仁口のO段O旨︒ヨ亀目仁ロの︶を示すという︵譲﹂oOo葺括︸前掲論文註︵22︶︑三四七頁︶︒
︵29︶ ≦﹂oO2﹃9前掲書︑八○頁︒
︵30︶ この論拠として彼はまた︑固定資産の取得原価が収益価値︵国︻け籟鵯類︒旨︶を示す点をも指摘している︵ゑ﹂oO霊賃9
前掲書︑八○頁︶︒しかし︑この収益価値が何を意味し︑何故に固定資産の取得原価が収益価値と一致するのかという点に
関して︑彼は何ら言及していない︒従って︑この彼の主張だけを以て︑直ちに減価償却引当金の貸方計上を論拠づけること
はできないように思われる︒
︵31︶毛﹂oO3窪ρO歪昌昌鴨血Rゆ一一き具ロ&P︵票器8貫目〇田﹃目5ぼ︒︶︑第一部︑第四版︑毛〇一h窪9け9一一九四九
年︑ 一四三頁︒
︵32︶︵33︶
︵鍵︶︵35︶
︵36︶( (
38 37
) ) 譲﹂oO2貧ρ前掲書註︵1︶︑一二二1一二三頁参照︒なお︑前掲書註︵31︶では︑営業資本という用語に代えて︑﹁営 名・一〇〇〇仁霞P前掲書註︵1︶︑ 一二三頁参照︒ 危険︵蜜ω鮮︒︶に基づいて細分されるという︵白﹂oOo口癖9前掲書註︵1︶︑一二〇1二二頁参照︶︒ ≦﹂oO9言ρ前掲論文註︵22︶︑三五〇一三五一頁︒但し︑営業資本は︑きらに任務︵>焦鳴訂︶︑種類︵>旨︶︑そして ≦﹂oO曾#ρ前掲書註︵1︶︑一一九頁︒ ≦﹂oO霊マρ前掲書註︵1︶︑一一九頁︒括弧内五十嵐︒ 名・一〇〇2貸9前掲書註︵1︶︑五九頁︒ 名﹂oO3貫9前掲書註︵1︶︑九八一九九頁︒
業財産﹂というように︑借方側はすべて財産概念で統一されている︵白帯一〇〇〇口耳ρ前掲書註︵31︶︑二四七頁︶︒さらに︑
そこ一.︑は貸借対照表の借方項目として︑従業員等の厚生施設を意味する社会財産︵ωo﹄円く巽ヨα鴨ロ︶が︑営業財産等の主
要項目と並んで新たに加えられている︒また︑貸借対照表の貸方側は︑前掲書註︵1︶における分類のように︑営業資本︑
安全資本等の如く借方側と対照して分類されておらず︑単に自己資本と他人資本との区別に基づいて分類されているにすぎ
ない︒
︵39︶ ≦﹂oO2賃9前掲書註︵1︶︑一一八一一一九頁参照︒
︵40︶ このような立場に立つ限り︑棚卸資産における低価主義について︑低価主義上の時価をどのように考えたらよいのかとい
う問題は別としても︑積極的に言及する必要があると思われるが︑しかし︑ル・タートルはこの点に関して特別な説明を行
なっていない︒
︵41︶ ル・タートルは︑ ﹁トターレ・ビランツレーレ﹂が静的貸借対照表論を展開したものであると明言する︵実﹂oO2昏ρ
匹σ目38二〇ヨ甲蜜︒需冴9編︑国帥&宅α暮雲ど9αR留巳︒訂&旨g富津︑第二版︑第一巻︑ωε9鳴旨一九三八年
所収︑一〇七四頁︶︒ところで︑この﹁トターレ・ビランツレーレ﹂においては︑彼は︑その研究対象を︑単に貸借対照表だ
けに留まらず︑試算表や損益計算書の範囲まで拡張する︵嶺﹂oOoβ耳P前掲論文︑一〇七四頁︶︒そのため︑彼の主蛋す
る﹁トターレ・ビランツレーレ﹂なるものが︑どのような内容と意義をもった学説であるのか︑また︑それが︑いかなる意
味において静的貸借対照表論の展開と考えられるのかという諸点に関しては︑後日︑稿を改めて取り上げることにしたい︒
三 ライトナー学説の検討
① ライトナーの計算構造 ︵1︶ ライトナーは︑貸借対照表を財産と負債の表示とみる︒ここで財産とは︑企業家に財貨の処分権︵く︒﹃旨の暮鴨−
曉毛包什︶が委ねられている貨幣価値をもった経済財及び無形財すべてを意味し︑また︑負債は財産の提供による第三 ︵3者の法律に基づく債権を意味する︒この財産及び負債を貸借対照表で示そうとする時︑ライトナーは︑その基礎を財
−﹁静態論研究序説﹂1 一九
f論 文− 二〇
産目録に求める︒彼によれば︑財産目録は︑一方において財産を形態にしたがって配列し︑数量・価格あるいは相場
等に基づいて個々の財産を記録し︑他方において︑負債に関しては種類に基づいて︑しかもその金額を付して記録し パ ッたものである︒この財産目録︵﹃話耳翼︶という用語は︑ も薯〇三話.︑というラテン語から派生し︑それは語原的に パ ロは︑発見する︵鎧窓&き︶とか︑見つける︵<o魯&窪︶ということを意味する︒従って︑財産目録作成の前提は︑
実地棚卸をすること︵ぼく窪ε目︶であり︑この実地棚卸は実際のもの︑つまり実在高︵房3窃毎&o︶を測定するこ
ロとである︒そして︑実地棚卸を基礎とする財産目録について︐彼は次のような三つの意義を認めている︒その一は︑財
産目録が法律上要求されているだけでなく商的簿記システムすべてのなかで︑決算貸借対照表に対する基礎であるこ
とである︒その二は︑財産目録が単式簿記システムにおいて最も重要であり︑唯一の結果計算︵野鴨σ巳ω話9窪轟︶︑
つまり借方在高と貸方在高との要約であることである︒その三は︑財産目録が複式簿記システムにおいては︑純粋な パ ロ在高勘定に対するコントロール手段であることである︒
ライトナーは︑これに対して複式簿記を︑ ﹁営業取引の歴史的な記録であり︑つまり繰り返される同種の貨幣運動 ︵7︶の要約であると同時に︑経済成果を原因と結果に基づいて体系的にまとめたもの﹂と解する︒そして︑このような簿
記の機能を︑彼は︑期首︵前期末︶の財産目録と期末︵当期末︶の財産目録とを結びつける年次取引計算︵冒ぼ︒ω︐ パ ロβヨω讐畦03口巨頭︶として捉える︒言い換えれば︑彼によると︑簿記は︑前期末の財産目録によって既に確定されてい
る財産・負債の金額が︑当期末の財産目録によって確定されるようになる財産・負債の金額に至るまでの変動分を記
録するものと考えられているのである︒
要するに︑ライトナーにおいては貸借対照表作成の基礎は︑ル・タートルと同様にあくまで財産目録であり︑簿記は
ヨリ単に財産・負債に生じた変動を記録するにすぎないものと解されていることがわかる︒財産目録が簿記システムにと ハルレって不可欠な存在であり︑簿記記録の実質的な正当性を規制するものが財産目録にほかならないとする彼の見解は︑
まさしくこの点を的確に述べたものといえる︒かくして︑財産目録を貸借対照表作成の不可欠な媒介物とみなす考え
方がライトナーの計算構造であると考えられる︒
② 貸借対照表数値の説明
それでは︑この財産目録で捉えられる財産・負債に対し︑彼はどのような評価論を展開しているのか.︑これが次に
取り上げねばならない問題である︒ところで︑負債については財産に比べて︑さほど大きな問題はないといわれてい
る︒事実︑ライトナー自身も︑負債の評価については特に言及していない︒このため︑ここでは負債の評価は所与と
し︑専ら財産評価に限って論を進め︑これを通じて貸借対照表数値の説明に対する彼の基本的な立場を解明すること
にしたい︒
彼は評価に関し次のようにいう︒ ﹁評価問題におけるわれわれの立場はこうである︒即ち︑正規の年次貸借対照表 ハれロは経済上正当な利益計算の目的に対する手段であり︑利益算定貸借対照表︵ヲ8一鵯段葺三¢畠︑窪四切.︶である︒﹂
要するに︑貸借対照表が利益計算の目的で作成されているというのである︒とすれば︑この考え方と︑既述のよう
に貸借対照表を財産及び負債の表示とみる考え方との関連性が当然のことながら問題となってくる︒これについて
彼は述べる︒即ち︑﹁支配的な見解には反することとなるけれども︑われわれの見解によれば︑財産貸借対照表
︵<Reα鵯霧三ざ目︶において︑継続企業の純利益を確認することがこの貸借対照表の主目標である︒ある一定時点
で財産と負債を算定するのは︑期首・期末の財産を比較することによって︑価値増加または価値減少を計算するため
一﹁静態論研究序説﹂1 二一
1論 文一 二二 パリレである︒財産貸借対照表は︑利益の計算という目的に対する手段である︒﹂と︒この引用文から︑彼は利益計算の見地か
ら財産評価を取り上げようとすることがわかる︒利益計算の見地から財産評価を取り上げることは︑彼によれば︑純
然たる帳簿上の評価益︵おぎ互冨目ヨ飲四賀Rωo譲Rε口脇署名言口︶︑つまり財産評価益を計上しないことを意味す
ハおロる︒この結果︑彼の財産評価論は︑財産評価益を計上しないという考え方を基礎として展開されることになる︒そし
て︑これは︑取りも直さず︑取得原価評価説にほかならない︒さらに︑この点は︑すべての財産にとって実際価値 パねロ︵三蒔H一3R≦o旨︶は問題ではなく︑取得原価が決定的であるという彼の見解においても︑明らかである︒また他方
において︑われわれは︑彼がこの取得原価評価を︑経営にとっての営業価値や経済価値のように︑価値論的に説明す パほレることはできないと明言している点にも注目すべきである︒以上の考察から︑結論的にいえば︑ライトナー学説は︑
ル・タートルと同様に価値論を主体とした嘗ての静態論から明確に区別されねばならないことが判明する︒
さて︑このような内容をもつ彼の財産評価論において︑比較的に問題点が多いとされる固定資産の金額について︑彼
の説明を次にみていくことにする︒これとの関連で重要となるのは︑固定資産の減価償却という手続である︒彼によ
れば︑減価償却は︑﹁減耗・実体減少そして価額低下に対応して︑評価額を財産目録及び貸借対照表で漸次引き下げる
︵16︶ ︵17︶こと﹂をいう︒また︑減価償却は評価の一形態であり︑使用財産を実地棚卸によって評価する手段であるとされる︒
この点において彼の考え方は明らかとなる︒減価償却を︑固定資産評価のための手続とみる考え方がそれである︒し
かも︑彼の主張する償却法は︑減耗の程度︵O轟OαR>ぎロ日暮磯︶に対応した方法であり︑具体的には︑それはエ
ンジニアが要求するような技術的な計算を基礎として︑この減耗の程度をできるだけ正確に算定しようとする償却法
︵18︶である︒彼のいう理想的な計算は︑給付量︵ここでの給付量は固定資産の期間給付量ではなくて︑総給付量を指すと
︵19︶考えられる︒︶あるいは利用期間に基づいて行なわれる︒従って︑ライトナーによれば︑固定資産の金額は︑財産評
価益を計上しないという利益計算の原則によって既に決定された固定資産の取得原価から︑当該固定資産の給付量あ
るいは利用期間に関わらしめて計算された減価分を差引くことによって算出されることになるのである︒ ハリロ なお︑固定資産と同じく棚卸資産についても︑彼は取得原価評価を前提とする︒この棚卸資産に関しては︑彼が実
地棚卸を基礎とした評価論を展開することから︑特に低価主義との関連性が問題となるが︑しかしこの点について︑
彼の立場は必ずしも明確ではない︒
かくして︑貸借対照表数値の説明におけるライトナーの立場を次のように捉えることができる︒即ち︑貸階対照表
数値を︑財産評価益は計上しないという利益計算の見地から評価論の形で説明し︑いわゆる取得原価主義に某一づく財
産評価論を展開していること︑これである.
ところで︑彼がいかなる利益概念を想定しており︑さらにはこの利益計算の担い手は何かという問題については︑
これまで触れていない︒そこで最後にこの点を明らかにしておく︒まず利益概念についてであるが︑この点に関して パぬロ彼は何ら説明してい鶴ゼ︒ただ︑彼が例示するビランツシューマにおいては︑株式法上の純利益が示されている︒こ
の点から︑彼は︑この株式法上の利益概念を想定していると推測することもできる︒次は利益計算の担い手の問題で カリある︒これについて彼は前述の純利益額が実質的には期首︑期末の財産評価に依存し︑その利益計算は貸借対照表にお
いてのみ行なわれうるとい噂従って・警利奮算の警手を貸借対照表とみていることがわかる.彼はこ夢︑︑
がレ貸借対照表による利益の計算︵ゆRo倉自轟α8窪きNコ一嵩眞雪国焦︒蒔︒ω︶と呼んでいる︒要するに︑ル・タートルと同じく︑価値論的な観点からではなくて︑あくまで貸借対照表それ自体に基づく利益計
−﹁静態論研究序説﹂i 二三
、
−論 文一 二四
算の観点から︑財産評価論との関係で貸借対照表数値を説明しようとする点に︑ライトナー学説の特徴を見い出すこ
とができる︒
㈲ 貸借対照表の内容
既述のように︑ライトナーは︑一般的にいって貸借対照表を財産及び負債の表示として理解する︒他方において彼
が貸借対照表の数値を︑利益計算との関係で捉えていることも前述の通りである︒それでは︑彼は貸借対照表を全体
として︑一体どのように解しているのであろうか︒この問題を︑ここではまずはじめに彼の企業観との関係において
検討してみることにする︒
彼はいう︒ ﹁われわれは個別経済︵自然人及び公法上︑私法上の法人︶だけを考察し︑国民経済と社会経済を除外
する︒しかも個別経済のうちで共同経済的な企業ではなくて私経済的な企業だけを︑そしてこのうちで最終的に営利
︵26︶経済的な企業だけを検討する︒﹂さらにこれに続いて彼は次のように述べる︒﹁営利経済体に関する個別経済学は︑個
別経済の事実︑現象︑組織を︑それ自体一つにまとまったものとして︑即ち経済主体が私経済的な目的を追求する独
立した組織として︑従って独立していると考えられる個別経済の経済主体の立場から考察する︒営利経済を対象とす
る個別経済学は︑その最終的な目標からみてこれをこの経済単位に関する収益性論︵勾︒暮暮三岳巨︒ぼ︒︶と捉える
︵27︶ことができる︒﹂この結果︑彼の研究対象は︑収益性を指導原理とする私企業であることがわかる︒そして︑このよ ︵28︶うな立場を︑ライトナーは私経済的立場であると名づける︒
この私経済的な立場から貸借対照表を考察すると︑貸借対照表上の財産は︑所有と関係し︑企業家にその処分権が ︵29︶委ねられている有形無形すべての財貨を指す︒また︑貸借対照表上の資本は︑私経済的な立場によると︑企業の総財産
ハリロのうちで負債によって負担されない企業家の自由な︵拘束のない︶持分︵匪旨亀︶である︒それ故︑この私経済的な
立場では負債は財産のマイナス項目と捉えられていることがわかる︒そして︑この私経済的な立場から貸借対照表を
考察したものが︑彼が例示する次の貸借対照表であると推察される︒これについて彼は次のように述べる︒ ﹁二つの
表示形式は︑資本的会社の自己資本に対する二つの計算の可能性を示す︒左側では純財産は財産から負債を控除する ア﹂ ︵31︶
貸借対照表
90百万 15〃
5〃
資本金
プラス積立金 プラス純利益 翁
マイナス純損失
111百万 285百万
17〃
268百万 157〃
111百万 財 産…
マイナス 価値修正項目・
(261条3項)
財産の価値・…
負債を控除一
純財産
というのである︒しかも彼は︑
1﹁静態論研究序説﹂− ことによって間接的に計算され︑右側では純財産の構成部分を加算していくこと一よって直接的に計算され舳ポ﹂つまり︑ライトナーは︑貸借対照表は純財産︵自己資本︶を二つの側面から計算しているというのであり︑彼の企業観︑即ち私経済的な立場によれば︑貸借対照表は純財産の二重計算として性格づけられているのである︒このような貸借対照表の性格づけは︑既述の如く︑利益計算の観点から財産評価を問題にし︑それとの関連で貸借対照表数値を説明しようとする考え方とは全く対照的である︒貸借対照表を純財産の二重計算とみなす考え方は︑利益計算とは明らかに異なる状態表示的な︵静的な︶側面に立脚した貸借対照表の説明であると考えられるからである︒ 貸借対照表を純財産の二重計算とみなす貸借対照表の性格づけと並んで︑彼は︑貸借対照表の貸方側を資本の源泉についての種類あるいは資本調達と解し︑他方で借方 パむロ側を資本運用とみる︒つまり︑貸借対照表は資本の調達源泉及びその運用形態を示すこの貸借対照表についての考え方が経済的な見地︵αぎ8ヨ一ω90宙屋8算︶に基づ 二五
一論 文− 二六
あレくとする︒この場合︑貸借対照表を資本の調達源泉及びその運用形態の表示とみる貸借対照表観における﹁資本﹂と
は︑言うまでもなく企業に投下された貨幣額を意味し︑より正確にいえば︑総資本概念を前提としている︒そして︑ パれロこの総資本概念は︑彼においては社会経済的概念であるとされる︒
かくして︑ライトナーは︑貸借対照表を︑一方において自己資本の二重計算として捉え︑他方において資本の調達
源泉及びフての運用形態の表示とみていることがわかる︒貸借対照表についてのこのような内容を異にする二つの性格
づけは︑いずれも利益計算とは明確に区別されるべき考え方であり︑貸借対照表の状態表示的側面を積極的に見い出
そうとする点で共通している︒そして︑このような二つの性格づけのうちで︑彼は相対的について︑貸借対照表を資
本の調達源泉及びその運用形態の表示とみる考え方のほうを重視しているようである︒それは︑この考え方に立脚し パのロたビランツシェーマを彼が敢えて例示するとともに︑ヴェッカーリン︵円≦跨ぎ旨コ︶もまた︑ライトナーの貸借 ︵38︶対照表の考え方をそのように捉えていることから推察されうる︒この結果︑彼が重視すると思われる貸借対照表の性
格づけ︑即ち︑貸借対照表を資本の調達源泉及びその運用形態の表︑小とみる貸借対照表の見方は︑私経済的な立場に
立つ彼の企業観と論理的に結びついていないといわざるをえない︒なぜなら︑前者は総資本概念を前提とした貸借対
照表の考え方であるのに対し︑後者は明らかに自己資本概念を前提とした貸借対照表の考え方であると解せられるか
らである︒従って︑ライトナーは︑自己の企業観から切り離された貸借対照表の性格規定を行なっているということ
ができる︒
このように︑利益計算とは離れて︑貸借対照表を全体として状態表示的側面から捉えようとする点に︑ライトナー
学説がスタディーカーといわれる所以が存するように思われる︒
㈲ まとめ
これまでライトナー学説について検討してきたが︑最後に彼の学説を全体として考察してみよう︒この場合︑これ
まで検討してきた諸点を念頭に置きながら︑とりわけ彼が動態論及び静態論について述べているところを手掛りとし
てみていくことにする︒
まず動態説に関してである︒その代表者として彼はシュマーレンバッハを挙げ︑その学説を︑収入支出計算と給付費 パ ロ消計算とのズレから生じる未解決項目の集合表として貸借対照表を捉える考え方であると特徴づけている︒そして︑
このシュマーレンバッハ学説についてライトナーは次のようにいう︒ ﹁理論的に十分熟考され︑しかも筋道立てて構
成されたシュマ←ンづハの動的貸借対照表論は︑伝統的な見方︑つまり民法や税法的覧方か皇く離れた貸借
対照表及び利益計算の内容を構成するに至っている︒貸借対照表数値は給付及び費消評価から生じる残余数値であ
る︒経済性の測定︑利益計算の比較可能性や確実性といった目的を達成するために︑そこでは簿記の発展史や経済法
との結びつきはすべて断たれてしまう︒︵シュマーレンバッハの動的貸借対照表論は︑︶事物をより鋭く観察すること パのロを教えるが︑しかし貸借対照表分析にとっては無用の理論である︒﹂ライトナーは︑シュマーレンバッハ学説を︑そ
の論理的な側面においては︑ある程度評価しながらも︑シュマーレンバッハ学説が民法や税法の如き制度上の配慮を
欠いているために︑分析論の観点からは同意できないとして︑これを批判するのである︒
次は静態論に関してである︑ライトナーはいう︒ ﹁静的貸借対照表は︑貸借対照表日において財産と企業資本との
状態を難ずる任蓼もつ.ところがシュマ←ンバッハは次のよう暑える.即ち︑財産は抽象概念であり︑純財
産の意味での財産は︑ある所有者に帰属する積極及び消極の財産の全体価値である︒財産は差引計算して得られる価
二七 !﹁静態論研究序説﹂ー
一論 文− 二八
値であり︑﹃企業の能力を形成する企業の価値﹄﹃であると︒このシュマーレンバッハの見解は不適切である︒財産とい
う概念は民法及び税法上確定されている︒静的な年次貸借対照表は︑ ﹃企業の価値﹄や﹃営業の価値﹄を確定する任
ハねレ務をもっているのではなくて︑決算日における財産と負債の状態を確定する任務をもつものである︒﹂この点から︑
財産を企業価値と解し︑この意味における財産を貸借対照表が示しえないことによって︑静態論の考え方そのものを
否定するシュマーレンバッハの見解に︑ライトナーが与していないことがわかる︒
動態論及び静態論について以上のように述べた後で︑最後に︑ライトナーは自己の見解について次のように述べる︒
﹁われわれは︑年次貸借対照表が自己目的ではなくて利益計算目的の手段であるという見解を常に主張してきた︒
それ故︑われわれは以前より利益算定貸借対照表︵財産算定貸借対照表と対照的なもの︶と呼ばれた一般的な動的貸
借対照表観に賛成してきているのである︒われわれの見解によれば︑年次貸借対照表は︑一期間中にわたって経営の
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヘ ヤ ヤ ゐ ヤ ヤ内的に︑また経営の外的に作用した動的な力の決算日における静的な結果N︵ω富蔚9窃国彊魯巳ω留ωω二〇算囲窃
︵42︶αR身轟目す昌R内感団8︶である︒﹂つまり︑彼は︑貸借対照表について動的観を認め︑しかもこの動的観を前提と
した貸借対照表数値の説明を行なっているということができる︒そして︑彼自身が表明するこの見解は︑既にわれわ
れが考察してきた彼の学説の内容と軌を一にするものである︒というのは︑彼は︑一方において利益計算の見地から
財産評価論の形で貸借対照表数値を説明するとともに︑他方においてそのように説明される貸借対照表数値を全体と
して︑資本の調達源泉及びその運用形態を示すというように解するからである︒先に指摘した引用文のなかで出てく
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ う ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ やる﹁動的な力の決算日における静的な結果﹂という表現は︑まさに︑貸借対照表が資本の調達源泉及びその運用形態
といった状態表示的側面をも示しうる点を︑明示したものと考えられる︒
従って︑以上の考察から最終的に︑ライトナー学説を︑貸借対照表それ自体による利益計算体系を前提とした静的
な貸借対照表解釈であると結論づけることができよう︒
︵−︶男舅§浮翼︒︒琶ゴ・葛山一§窪爵︒§喜乙︒ら虞含凶犀但ロ頒仁昌昌出山⇔国﹃ニコα︒露二巻︑第四版︑
ω段一ぎ\い且鵠蒔一九二〇年︑三−四頁︵以下国富養8号急ぎ第四版と略す︶︒
︵2︶司・鼻聾宰§旦什︒喜鼠ヨ彗&§富一§磯る一団﹃一ωのユ︒弓切仁︒耳印犀口口讐コα望節目国犀仁p住︒・第暮︑
第六・七版︑切R一首\ピ︒首N凝一九二三年︑一七頁︵以下︑切︒げげ餌一け口口にと略す︶︒
︵3︶ 劉ピ巴ヨ05ゆ目げげ巴言p単一九頁︒
︵4Y︵5︶男ピ巴ヨR︑田鼠旨︒号旨F第四版︑四頁︒
︵6︶ 労い無目さ田宣旨83p一ぎ第四版︑五頁︒
︵7︶ 7い色ヨ︒ンω¢9冨一9口単七頁︒
︵8Y︵9︶ 司■い巴9R讐ωロ9訂一ε口叩一〇頁︒
︵10︶ 劉一息言05ω¢9﹃巴言口堕五一頁︒
︵11︶コ冨一99国鼠昌89急ぎ第四版︑四五頁︒
︵E︶男・舅§旨ω︒一げωけ姦︒&︒藝⁝管α雲蕃&含量第八版︑問一山ロζ二目二九三一一年︑壬二六頁︵以下︑
ω〇一富民︒ω3早ωRRゴ口口﹂磯と略す︶︒
︵13︶ ﹁■虫ヨR︸頭﹃939三ぎ第四版︑七頁︒
︵14︶男訂一言︒さ田﹃昌89巳ぎ第四版︑四七頁︒
︵15︶ 劉ピ9305国一き暮9げロ幽F第四版︑五〇頁︒
︵16︶ 7■虫ヨ︒きω色盲鼻︒緯8邑Rooげ昌βコ幹二二七頁︒
二九 −﹁静態論研究序説﹂1