助字と古文辞学⁚荻生祖棟政治論序説
︑ 相 原 耕 作
目次 ︽序︾
︽本論一︾荻生祖裸の言語研究
一︑古文辞学以前
二︑古文辞学以後 ︑
三︑助字研究の位置づけシ ︑
︽本論二︾助字研究と︿言語の学﹀
一︑﹃助語辞﹄の導入・消化b吸収
︵一︶﹃助語辞﹄の導入 . ・
︵二︶﹃助語辞﹄の注釈と増補
︵三︶﹃助語辞﹄の和訳 ︑
助字ど古文辞学⁚荻生狙裸政治論序説 ︵都法四十四ー二︶ 三五一
三五二
二︑ ︿言語の学﹀の成立
︵一︶言語的隔たりの意識⁚伊藤東涯の場合
︵二︶言語的隔たりの意識⁚太宰春台の場合
︵三︶﹁法﹂の追究⁚伊藤東涯の場合
︵四︶﹁法﹂の追究⁚太宰春台の場合
三︑小括
︽本論三︾ ﹁読書不如看書﹂論と助字
一︑太宰春台の﹁看書﹂論
二︑日尾荊山の﹁看書﹂論
三︑小括
︽結び︾
︽序︾
本稿は︑荻生祖裸の初期の言語研究と古文辞学との関係を考察することを通じて︑所謂﹁狙裸学﹂を分析するため ︵1︶ の新しい視角を提出することを目的とする︒そのたあに︑荻生祖裸の﹁助字﹂についての議論の変化の思想的意義を︑
当時の助字研究の歴史的文脈を考慮しながら明らかにすることが︑主要な課題となる︒
荻生狙練は自らと古代中国との言語的隔たりを強烈に意識し︑それに無自覚な同時代の風潮を批判した人物である
/
という理解は︑ごく一般的なものであろう︒しかし︑江戸時代には言語に関する研究が盛んに行われており︑儒学者 による中国語の研究も数多くなされている︒彼らがそろって言語的隔たりに無自覚だったわけではなかろう︒そこで
まず︑江戸時代における中国語研究を考察するうえで注意すべき点を︑簡単に整理しておこう︒ ヨ 中国には﹁之乎者也 焉哉用得来的好秀才﹂という言い回しがある︒﹁存分に助字を操る大秀才﹂とでも訳せるこ
の言い回しは︑助字が重要で︑かつ︑その用法に習熟することが容易ではないということを含意している︒つまり︑
語形変化のない中国語では︑語順と助字の用法とが文法研究の大きな位置を占めるうえ︑助字の用法は語順の面でも
重要なので︑﹁助字﹂研究が中国語文法研究の中心的な課題となる︒また︑助字は漢字の本来的な意味から離れて使
われる場合が多いために意味がしばしば把捉しがたい︒さらに︑助字は︑言葉を整え︑リズムを生み出すなど︑修辞
上も重要な役割を果たしている︒こうした事情から︑江戸時代の中国語研究の中でも︑助字研究は一大分野をなして
いる︒ しかし︑中国語という言語で何よりも顕著なのは文字である︒漢字の形・音・義を研究する文字学こそ中国におけ
る中国語研究の本道であり︑﹃説文解字﹄を始め多くの字書が作られてきた︒漢字の多様な意味は︑字形に基づく本
義の探求と本義からの派生という形で説明される︒また︑陳淳の﹃性理字義﹄や伊藤仁斎の﹃語孟字義﹄は儒学の重
要な概念を論じており︑﹁字義﹂という問題設定が思想的課題としても成り立つことがわかる︒
このように︑中国語の言語現象を扱う際の焦点は﹁字﹂であった︒日本における中国語研究でも﹁字義﹂の理解が
重要であったが︑既に中国で様々な字書が作られているため︑それら中国製字書を利用して日本人向けに﹁字義﹂を
分かりやすく説明することが主要な関心事となり︑言語そのものが研究対象になっているとは言い難い面があった︒
では﹁助字﹂の研究はどうであろうか︒漢字はしばしばその文法的機能によって﹁実字﹂﹁虚字﹂﹁助字﹂に三分さ
助字と古文辞学⁚荻生狙裸政治論序説 ︵都法四十四ー二︶ 三五三
三五四 ︵4︶ れた︒大雑把にはそれぞれ体言・用言・その他である︒﹁実字﹂は﹁字義﹂が重要であるし︑﹁虚字﹂の場合は﹁実字﹂
からの︿本義ー派生﹀関係が重要で︑やはりこれも﹁字義﹂の問題である︒もちろん﹁助字﹂にも﹁字義﹂研究は必
要で︑この面では中国の先行研究の枠を越えるものではなかった︒しかし︑﹁助字﹂は文中での機能も重要なので︑
﹁用法﹂という観点の必要性が高い︒そして︑﹁字義﹂から﹁用法﹂は導けないので︑﹁用法﹂を研究するには実例に
よるしかない︒ここに︑用例から用法を導く﹁実証﹂的研究︑言語現象そのものを対象化する言語研究の成立への突
破口が開けるのである︒実際︑江戸時代には︑中国製字書にならって専ら﹁助字﹂の﹁字義﹂を研究する段階から︑
﹁助字﹂を中心とした構文や個別の﹁助字﹂の用い方など︑﹁助字﹂の﹁用法﹂研究へと進んだのである︒
このように︑江戸時代の言語研究︑とりわけ助字研究は︑学問のあり方として極めて興味深い︒しかし︑まさに
﹁学問﹂的であるがゆえに︑かつ︑国学言語論ほど強烈なイデオロギーにも彩られていないため︑儒学者の言語研究
が思想史研究の姐上に上ることは殆どなかった︒その例外が荻生狙棟である︒むしろ︑狙裸については言語論が一つ
の要とさえなっている︒つまり︑狙裸は日中の言語的隔たりを自覚し︑漢文訓読は日本語訳に過ぎず︑従来の日本の
儒学者は中国語原典ではなく日本語テキストに基づいて議論をしていると考えた︒彼は︑この言語的隔たりを克服す
るために︑口語中国語の学習︵﹁唐話﹂学習・﹁崎陽の学﹂︶に基づいた直読方式によって︑中国語による中国語理解 ︵5︶ を目指したとされる︒この点が近代日本の中国語学者に高く評価された︒さらに︑彼は言語的隔たりの意識から認識
論的考察を発展させ︑言語的隔たりを越えて古代中国語を理解できる根拠は何か︑なぜ﹁聖人の道﹂が認識できるの
か︑といった考察を行い︑ついに道を制作した聖人による命名行為を想定するに至る︒ここに言語論的な関心が払わ
れることになる︒さらに︑聖人の命名行為を何らかの秩序の構築と捉えると︑政治思想としても十分に考察の対象と ・
なる︒
本来はこれらの先行研究を逐一検討すべきかもしれないが︑ここでは次の疑問を提出してそれに代えたい︒ ︿初期 ㌔
、の言語研究は狙裸の思想にとってどのような意義をもつのか﹀特に︑ ︿初期の言語研究と古文辞学とはどのような関
係にあるのか﹀︒言語について華々しく論じられる反面︑このような基本的な問題は極めて曖昧なまま放置されてき
たように思われるの゜である︒
祖裸の思想形成過程は︑﹃訳文笙蹄﹄本文や﹃訓訳示蒙﹄に見られるような初期の言語研究から︑﹃訳文答蹄﹄﹁題
言十則﹂に見られる﹁古文辞学﹂を経て︑﹃弁道﹄﹃弁名﹄の所謂﹃二弁﹄に結実する﹁狙裸学﹂へと展開したと理解
されている︒この三段階はそれぞれ画期をなしているはずであるが︑言語研究には大きな変化があったとは捉えられ
ていない︒全体が︑狙裸学に向けた進化・深化︑連続的成長︑せいぜい飛躍的発展の過程であって︑非連続面は看過
されている︒特に︑古文辞学の言語研究的側面は初期の言語研究と同質視されているように思われる節がある︒
たしかに相違も指摘されている︒もともと﹃訳文答蹄﹄の一部を成していた助字研究書﹃訓訳示蒙﹄ぐを︑祖裸自身
ピは刊行しなかった︒これについて︑吉川幸次郎氏は︑後世の文に比べて助字の少ない古文を学問の手本とする古文辞 イ 学が確立すると︑助字の研究は無用になったとする︒また︑古義堂グループへの対抗意識がしばしば指摘される︒伊
藤東涯が︑助字を中心として語順を研究した﹃用字格﹄を出版すると︑狙裸は︑寝言でも語順など間違えないと豪語
ロ したというのである︒こうした議論では︑狙裸の中国語能力の︵飛躍的な︶発展が暗黙の前提とされていて︑非連続
性があるとは見なされていない︒しかし︑助字研究は軽く棄てることができるようなものだったのだろうか︒
まだ︑口語中国語の学習は古代中国語を範とする古文辞学と何の関係があるのだろうか︒古代中国語を勉強するの
に現代中国語の勉強が必要なのは当然だ︑それこそ訓読を批判して直読を主張した祖裸の方法論だ×ということにな
るのかもしれないσしかし︑後述するように︑﹃訳文答蹄﹄﹁題言十則﹂は︑第五則で﹁崎陽の学﹂の必要性を説くも
︑ 助字と古文辞学⁚荻生祖裸政治論序説 ︑ ︵都法四十四ー二︶ 三五五
三五六
のの︵全集二ー九︶︑第六則で﹁耳口﹂による﹁読書﹂ではなく﹁目﹂による﹁看書﹂を主張するのである︵全集二ー
︵8︶
一一︶︒
さらに問題なのは﹁題言十則﹂第十則である︒これも後述するが︑ここで﹁古言﹂と﹁今言﹂との文体上の差異が
助字の多寡に求められる︒これを根拠に吉川氏は助字無用論を唱えるわけだが︑この相違はあらゆる種類の文体の差
に類推されており︑そこには﹁雅言﹂と﹁俗語﹂との対比も含まれている︵全集二ー一四︶︒吉川氏は﹁今言﹂の典型 ︵9︶ として宋代の文章を想定しているが︑﹁唐話﹂はそれ以上に﹁今言﹂であり﹁俗語﹂であろう︒宋代の文章が古文と
断絶しているなら﹁唐話﹂はそれ以上に断絶しているはずだし︑助字が無用となるなら﹁唐話﹂も無用とされてもお
かしくないのではないだろうか︒
このように︑初期の言語研究と古文辞学との関係については検討の余地が大きい︒この関係如何によっては︑これ
までの古文辞学理解︑ひいては祖裸学理解に見直しが必要となると考える︒問題は﹁助字﹂と﹁唐話﹂であるが︑
﹁題言十則﹂第十則に見られるように︑助字の問題が唐話にも関係してくるため︑本稿では助字問題に焦点を当てて
議論したい︒
本論に入る前に︑助字無用論が実際には成立しないことを確認しておきたい︒祖裸は確かに﹁古言﹂は助字が少な
いと言っているが︑無いとは言っていない︒例えば﹃論語﹄冒頭﹁子日︑學而時習之︑不亦説乎︑有朋自遠方來︑不
亦樂乎︑人不知而不橿︑不亦君子乎︑﹂︵﹁学而﹂︶三二字のうち︑日・而・之・不・亦・乎・有・自の八種︑延べ一七
字が﹃訓訳示蒙﹄で助字として取り上げられている︒これは少ないと言えるだろうか︒相対的には少ないとしても︑
無視できる数ではない︒また︑古文辞の典型である﹁六経﹂の中でも﹃詩経﹄は変わった助字が多い︒狙裸はしばし ︵10︶ ば後代の人は詩を知らないといい︑現代の研究者も狙裸の詩的言語論の重要性を指摘するが︑詩的言語において助字
が修辞的に果たす役割は大きい︒さらに︑後述のように︑﹁題言十則﹂第十則は︑﹁古言﹂は﹁多少の言語助字を加﹂
えて﹁義始めて通﹂じるとする︵全集二ー一三︶︒このような存在しない助字の操作まで必要だとすれば︑助字が無用
などとは到底言えないであろう︒ ︑ ︑
以上から︑祖裸が初期の言語研究において懸命に取り組み︑かつ︑古文辞学以降も重要性を失わなかったはずの助
字研究を︑なぜ古文辞学の成立に伴って恰も無用なもののように扱うようになったのか︑検討する必要があることが
理解されたことと思う︒以下︑祖裸の助字研究と同時代の助字研究とを照らし合わせながら︑この変化について検討
してゆく︒︑この変化の背後にある︑言語に対するアプローチの大転換が明らかになるであろう︒
︽本論一︾荻生祖篠の言語研究
まず荻生狙裸の言語研究を︑古文辞学以前の初期の言語研究と︑古文辞学以後の言語研究とに分けて概観する︒な
お︑ここで扱う著作の成立順序は︑﹁文理三昧﹂←﹃訓訳示蒙﹄﹁総論﹂︵巻一を仮にこう呼ぶ︶﹁文理例﹂←﹃訳文笙 ︵1︶ 蹄﹄﹁題言十則﹂・﹁文戒﹂←﹃学則﹄と考えられる︒ ︑ ︑
一、
テ文辞学以前
ここでは古文辞学以前の初期の言語研究を︑﹁文理三昧﹂と﹃訓訳示蒙﹄﹁総論﹂﹁文理例﹂とによって概観する︒
両者にはかなり明瞭なつながりが認められるので︑主に後者によって説明する︒
助字と古文辞学一荻生祖裸政治論序説 ︵都法四十四ー二︶ 三五七
三五八
まず中国語と日本語との相違が指摘される︒﹁唐土ノ詞ハ字﹂﹁日本ノ詞ハ假名﹂である︒日本に限らず野蛮人
(「
ホ﹂︶の詞はみな﹁假名﹂である︒﹁字﹂と﹁假名﹂との相違は︑﹁字ハ音アリ意アリ﹂﹁假名ハ音バカリニテ意ナシ﹂
であり︑﹁文﹂と﹁質﹂︑﹁密﹂と﹁疎﹂という対照的なものとして示される︵﹁総論2﹂全集二ー四三八︶︒
ついで﹁和訓ト云フモノト字ノ反リト云モノトヲ破除スヘシ﹂と︑和訓と返り読みとが排斥される︒和訓は日本語
として古く︑また﹁アラキモノ﹂だからであり︑和訓によって字義を知ろうとするのは﹁一重ノ皮膜ヲ隔﹂てるもの
なのである︒返り読みは︑和訓に原因があるという︵﹁総論3﹂全集二ー四三九︶︒そして﹁課文﹂を学ぶべきである︒
これには﹁字義﹂﹁文理﹂﹁句法﹂﹁文勢﹂があり︑まずは二字一字ノ意﹂である﹁字義﹂と﹁字ノ上下ノ置様﹂で
ある﹁文理﹂とを学ばなければならない︒ここまで出来れば﹁唐人詞﹂になる︒﹁句法﹂﹁文勢﹂はその上での上手下 ︵2︶ 手の問題なので︑﹁字義﹂﹁文理﹂優先である︵﹁総論7﹂全集二ー四四一︶︒このことは﹁文理三昧﹂でも指摘されてい
︵3︶
るが︑いずれの場合も︑﹁唐人詞﹂として上手になるにはどうしたらいいかという議論は展開されず︑﹁唐人詞﹂にな
るための﹁字義﹂と﹁文理﹂の議論が展開される︒ .
﹁字義﹂については品詞論が展開される︒﹃訳文答蹄﹄﹁題言十則﹂にも受け継がれる興味深い議論だが︑ここでは︑
ナカン シ マ リ ﹁文理﹂を知るうえでの品詞論の必要性が説かれ︑﹁就レ中助語ヲ知ラザレハナラヌコトナリ︒助語ハ文ノ關鍵ナリ︒ ︵4︶ 實語ヲ引マハスモノナリ︒﹂とされていることに注意したい︵﹁総論12﹂全集二ー四四三︶︒狙裸が助字の﹁文理﹂上の役
割を極めて重視していたことがわかる︒
﹁文理﹂については︑﹁語ノ断績﹂つまり﹁ツヅク字キルル字﹂についてと﹁雑合ノ法﹂について論じている︒語
の切れ続きを判断し︑語順を入れ替えて意味の相違を研究するというものである︵﹁総論13﹂全集ニー四四三︶︒﹁文理 ︵5︶ 三昧﹂の﹁文理﹂の﹁研究之法﹂をより分かり易くしたものと言える︒
︵6︶ ﹁文理例﹂の前半では︑朱烹の﹁大学章句序﹂を使って字を置き換えた場合の意味の相違を説明している︒重要な
のは︑語順に従って理解する方法を貫いていることである︒語順にしたがって切れ続きを指摘し︑修飾・被修飾の関
係を示し︑これによって訓読や和訳では分かりにくい違いを説明することに成功している︒後述する伊藤東涯﹃用字
格﹄も︑語順を入れ替えて意味の相違を明らかにしようとする点で同様の試みであるが︑語順に従ρて理解すること
よりも相違を日本語で表現することにこだわるため︑無理もあった︒狙裸の場合も訳文はピンと来ないが︑詞の切れ
目︵﹁断﹂︶の発見11詞のまとまり︵﹁績﹂︶の発見に基づき︑まとまりごとに上から順に意味をとってゆくとそれでよ
く分かるようになっている︒訳文はおまけみたいなものである︒言い換えると︑祖裸は訳ではなく構文の分析を説明
の中心に置くのに対し︑東涯は構文の説明が不十分なまま︑訳し分けようとするのである︒祖裸の言語研究は︑説明
.の巧みさ︑分かりやすさが一つの特徴であるが︑ここは︑語順に従って理解する方法の有効性までわかり︑特に優れ
たところである︒ ︵7︶ ﹁文理例﹂後半では﹁字義﹂﹁文理﹂の議論が繰り返され︑﹁文理﹂まで出来れば﹁唐人コトバ﹂︑それ以上は﹁唐
人コトバノ上手﹂という話も再び出る︵全集二ー四六一ー四六二︶︒そして﹁粉骨砕身シテナリトモ知ルヘキモノハ助
語ナリ︒助語ガスマヒデハ意味モ文勢モ文法モトクト合鮎ユカヌナリ︒﹂︵全集二ー四六四︶と︑助字の重要性を強調
して締めくくる︒
この他︑﹁主人﹂と﹁道具﹂︵﹁総論14﹂全集二ー四四四︑﹁文理例﹂全集二ー四五三︶﹁與へ手﹂﹁與ヘラレ手﹂﹁與へ物﹂
(「
カ理例﹂全集二ー四五六︶﹁主賓具時処﹂︵﹁文理例﹂二ー四⊥ハ四︶などの用語の工夫を通じ︑様々な文法関係を提示して
いる︒﹃訓訳示蒙﹄本文でも︑助字の字義だけでなく︑個々の助字の用法について︑原則的な用法の指摘に重点を置
きながら論じている︒このように︑狙裸の初期の言語研究は総じて文法的関心が強く︑特に﹁助字﹂を中心とした
︑ 助字と古文辞学⁚荻生狙裸政治論序説 . ︵都法四十四ー二︶︑三五九
三六〇
﹁文理﹂の説明に力を入れていたのである︒そして︑﹁字義﹂と﹁文理﹂とを学習することで﹁唐人﹂並みの中国語能
力を身につけることが目標とされたのであった︒
二︑古文辞学以後
次に︑古文辞学を確立した﹃訳文答蹄﹄﹁題言十則﹂を概観する︒
第二則では和訓批判が行われる︒﹁從頭直下﹂の読み方と﹁順逆廻環﹂する和訓とが比較され︑前者は意味が分か
らなくても繰り返し何度でも読めるが︑後者は分かるから読めるのであり︑分からなければ読めないということが指
摘される︵全集二ー四︶︒また︑日中言語の﹁膿質本殊﹂なるので︑和訓による﹁廻環之讃﹂は﹁隔靴掻痒﹂である︑
よって︑﹁唯だ其の華人の言語に就て其の本來の面目を識らんことを要﹂︵唯要其就華人言語識其本來面目︶し︑そのポ ︵8︶ ︵9︶ イントは﹁上下位置膿段脈勢﹂であるという︵全集二ー四ー五︶︒語順の相違については﹁文罫﹂を見るよう指示する︒
﹁文理﹂には天与の素すことのできない秩序が厳然としてあるので︑﹁文罫﹂をよく読んで自得すれば迷うことはない ︵10︶ という︵﹁其天秩森然不可得而素焉︒能讃者玩索有得︒則一悟瞭晰︒左右逢原 ︒﹂︶︵全集二ー五︶︒これに対して︑﹁字義﹂は
﹁極めて零細︑畢世の力を端すと錐も︑未だ窮究し易からず︒﹂︵極零細︒雛端畢世之力︒未易窮究︒︶︑よって同訓異義の
新訳を付したが︑これは﹁答蹄﹂︑手段として使い終わったら捨てるべきものであり︑目指すのは﹁和訓廻環讃﹂の
外に出ることであるとする︵同所︶︒次に︑第三則では︑中華と日本とは﹁情態全同﹂であるから﹁此方平常語言﹂
の如く﹁課﹂せればよいこと︵全集二⊥ハ︶︑第四則では︑﹁和訓﹂と﹁澤﹂とで甚だしい違いはないが︑﹁和訓﹂は
﹁古撲﹂で﹁人情﹂から遠いので今の平易な言葉で訳すのがよいことが指摘される︵全集二ー六ー七︶︒ここまでは古
文辞学以前と同じように見えるが︑﹁文理﹂の比重が低下するとともに直読が強調されていることに注意すべきであ
る︒即ち︑﹃訓訳示蒙﹄では上から下に分析的に読むことが提唱されていた︒そうすれば意味が分かるので訓読の否
定は明確であった︒しかし︑ζこでは分析抜きで繰り返し直読することが強調される一方︑次の第五則で訓読が容認
されている︒訓読の否定から直読の主張に重点が移動し︑それと相即的に文理が後退して繰り返しの習熟が前面に出
てくるのである︒ − ︑
第五則では︑﹁講︵説︶﹂を批判したうえで︵全集二ー七ー九︶︑﹁學問之法﹂が提示される︒まず示されるのは﹁崎
陽之學﹂である︒﹁崎陽﹂とは長崎のことで︑長崎の唐通事が話す﹁唐話﹂を学ぶことが必要とされる︒﹁俗語﹂で教
え︑﹁華音﹂で諦え︑﹁便語﹂で訳し︑﹁和訓廻環之讃﹂を決してしない︒二字三字から始めて次第に長い文を読める
ようにし︑﹁崎陽の學既に成て︑乃ち始て中華人たることを得﹂︵崎陽之學既成︒乃始得爲中華人︒︶る︒そうなったら次々
と文献を読んでいく︒これが﹁最上乗﹂である︵全集二ー九︶︒しかし︑この方法は誰でも実行できる環境にはないの
で︑﹁此方讃法﹂﹁和訓﹂も便宜的に利用する﹁第二等法﹂が示される︒︵全集二ー九ー一〇︶︒ここでは講説の否定に
多くの議論が割かれていることに注意しなければならない︒崎陽の学はべ注釈抜きで直読できる方法として提唱され
ているのだと考えられる︒
第六則では︑﹁書を讃むは書を看るに如かず﹂︵讃書不如看書︶という議論が展開される︒﹁読書﹂は声を出して読む
こと︑﹁看書﹂は声を出さずに目で看ることである︒中華と日本とでは﹁語音﹂が違うので﹁耳口﹂は役立たないか
ら﹁読書﹂はだめだという︒ここで重要なのは︑返り読みだけでなく直読の﹁読書﹂も否定される点である︒︑﹁一た
び讃諦に渉れば︑便ち和訓と廻環顛倒と有り︒若し或は從頭直下︑浮屠の経を念ずるが如きも︑亦た此の方生來の語
音に非ざれば︑必ず思惟を煩はす︒思惟纏に生ずれば︑何に縁て自然に中心に感襲せんや︒﹂︵一渉讃調︒便有和訓廻環
助字と古文辞学⁚荻生祖裸政治論序説 ︵都法四十四⊥一︶ 三⊥二
三六二
顛倒︒若或從頭直下︒如浮屠念経︒亦非此方生來語音︒必煩思惟︒思惟纏生︒縁何自然感登於中心乎︒︶︒直読式でお経を読むよ
うに中華の音で読む場合︑日本語の生来の音とは違うため︑音読すること自体に意識を煩わしてしまうからいけない
のである︒しかし︑目は中華と日本とで異なることはない︒﹁唯だ一隻の眼のみ︑三千世界の人を合して︑線て殊な
ること有ること莫し︒﹂︵唯一讐眼︒倉二千世界人︒総莫有殊︒︶︒文の深い味わいのようなものは︑﹁如し目文字に熟する
ことの久しき︑義趣の外︑別に一種の氣象︑來たって吾が心に接する者有ることを畳ふるに非ずんば﹂︵如非目熟文字
之久︒義趣之外︒別費有一種氣象︒來接吾心者︒︶どうやって識別できようか︒ 作文の際も︑﹁義﹂﹁意味﹂﹁氣象﹂の細
やかな違いの弁別は﹁耳根口業﹂ではできない︒﹁唯だ心と目と隻つながら照らして︑始めて其の境界を窺ふことを
得︒﹂︵唯心目隻照︒始得窺其境界︒︶︵全集二ー=︶︒ここで︑耳と口ではなく目と心︑﹁読書﹂よりも﹁看書﹂によって
習熟するという新しい議論が提出されていることが重要である︒これは﹁唐話﹂﹁崎陽の学﹂によらない﹁直読﹂法
を示したものと考えられ︑異言語理解の方法として興味深い︒この問題は後に詳しく検討する︒ ︵11︶ 次に︑第七則では品詞論が展開される︒−﹃訓訳示蒙﹄の品詞論から品詞の名称が変化していて︑研究が進展してい
るようにも思えるが︑品詞分類に伴う実質的な文法論はむしろ﹃訓訳示蒙﹄の方が詳しい︒
第八則はジャンルによる語彙の相違に注意を喚起し︵全集二ー一二︶︑第九則は﹁詩家語﹂と﹁経生語﹂とを峻別す
る︒前者では﹁意味﹂ではなく﹁語言﹂が大切で︑ここを弁えるか否かに唐宋の分岐があるとし︑典型となる詩の語
のみを使って﹁日久しくして︑自然相ひ似る﹂︵日久︒自然相似︒︶ことを要請する︒また︑唐詩は少ないので李撃龍・
王世貞ら古文辞派の詩で補うことを求める︵全集二ー一二ー一三︶︒古文辞派の主張である典型の模倣が提唱されてい
るのである︒
そして︑第十則で﹁古文辞学﹂の立場が閨明される︒まず︑古今の文は﹁簡短﹂と﹁冗長﹂との違いがある︒前者
は﹁多少の言語助字を加﹂えて﹁義始めて通﹂じ︑後者は﹁多少の言語助字を蔓去﹂すると﹁古鮮と成る﹂︵﹁簡短者︒
當加多少言語助字︒義始通︒冗長者蔓去其多少言語助字︒乃成古僻︒﹂︶︒︐﹁故に古書の鮮︑含蓄多く鯨味有り︒後世の文辮︑
義趣皆露れて︑隻永有る莫屯︒﹂︵故古書僻多含蓄有鯨味ゆ後世文辞︒義趣皆露︒莫有楕永︒︶.︵全集ニー一三︶︒﹁簡短﹂﹁冗長﹂
の違いのポイントは﹁助字﹂の多寡であり︑それによって﹁含蓄﹂の有無が分かれる︒そして︑このような文体の相
違と価値序列とは類比的に拡大されていく︒まず﹁古緋簡而文﹂﹁今文冗而僅﹂次いで﹁雅言亦簡而文﹂﹁俗語亦冗而
僅﹂さらに﹁中國語又簡而文﹂﹁此方語又冗而僅﹂︒そして︑このような古今和漢の違いを越えるのが祖裸の学問であ゜
る︒﹁故に華和を合して之を︑一にするは︑是れ吾が課學︒古今を合しで之を﹇にするは︑是れ吾が古文餅の學︒﹂︵故
合華和而一之︒是吾課學︒合古今而一之︒是吾古文鮮學︒︶︵全集二ー一四ー一五︶︒こうして︑﹁助字﹂の少ない古文辞の模倣
とそれへの習熟が求められる一方︑﹁助字﹂を中心とする﹁文理﹂研究の価値が大幅に下落したかに見えることとなる︒
次に︑﹁題言十則﹂と近い時期に書かれたと思われる﹁文戒﹂︵﹃藷園随筆﹄巻五︶を見てみよう︒これは︑文を書
く上での三つの戒めを掲げ︑伊藤仁斎や山崎闇斎の失敗例を具体的に指摘するものである︒三つの戒めとは︑﹁第一
戒和字﹂﹁和訓を以て字義を誤る者﹂︵以和訓誤字義者︶︵全集一七−一七八︶︑﹁第二戒和句﹂﹁語理錯縦して位置上下の
則を失ふ者﹂︵語理錯縦失位置上下之則者︶で︑﹁此の方顛倒廻環の讃に縁て誤る﹂︵縁此方顛倒廻環之讃而誤︶︵全集一七−
一九一︶︑﹁第三戒和習﹂和字・和句はクリアーしているものの﹁其の語氣・聲勢︑中華に純ならざる者﹂︵其語氣聲勢
不純乎中華者︶で︑﹁和訓顛倒﹂の読みに習熟してしまったがゆえに﹁精微の間自ら其の非を費らざるのみ﹂︵精微之間 ︵12︶. 不自畳其非已︶︵全集一七⊥6一︶︒これは文字や文法のレベルで伊藤仁斎らが中国人のような中国語を書けないこと
を椰楡しており︑自らはそのようなレベルにはもはやないことを主張しているものと考えることもできる︒既に触れ ︵13︶ た﹁与江若水第五書﹂も一七一二︵正徳二︶年に書かれたとされており︑﹁題言十則﹂や﹁文戒﹂と同じ時期にあた
助字と古文辞学⁚荻生祖裸政治論序説 . ︵都法四十四ー二︶ 三六三
三六四
る︒やはり古文辞学成立とともに︑﹁助字﹂を中心とする中国語の文法的理解をめぐって︑狙裸の考え方に大きな変
化があったことが想定できる︒
さらに後の﹃学則﹄も簡単に見ておこう︒第一則では︑﹁和訓﹂﹁顛倒﹂することは中国の詩書礼楽を日本の詩書礼
楽のようにしてしまうことだと言う︒ではどうすればいいか︒﹁口耳用ひず︑心と目と謀り︑之を思ひ又た思はば︑
神其れ之を通ぜん︒﹂︵口耳不用︒心與目謀︒思之又思︒神其通之︒︶﹁詩書禮樂︑中國の言は︑吾將に之を聴くに目を以て
せんとす︒﹂︵詩書禮樂︒中國之言︒吾將聴之以目︒︶︵全集一ー六︶︒﹁題言十則﹂第六則の﹁看書﹂論とほぼ同じ議論であ
る︒第二則では﹁今言﹂と﹁古言﹂との隔絶が強調される︒﹁世は言を載せて以て遷り︑言は道を載せて以て遷る︒﹂
︵世載言以遷︒言載道以遷︒︶︵全集一ー七︶︒だから聖人の道を明らかにするためには今言ではなく古言によらなければな
らない︒古言を学び道を明らかにする方法は︑古文辞を模倣しこれに習熟して古人同然となることである︒﹁古を豚
て緋を修め︑之を習ひ之を習ひ︑久しうして之と化し︑而して僻氣・神志皆肖たり︒﹂︵昧古修僻︒習之習之︒久與之化︒
而鮮氣神志皆肖︒︶︵全集一ー七ー八︶︒
このように︑古文辞学成立後の狙裸の課題は︑恰も古代中国人であるかのように古文辞を読み書きし︑﹁六経﹂の
﹁残欠﹂によって﹁道﹂を学ぶことである︒そして︑そのために強調される方法は︑﹁助字﹂や﹁文理﹂といった理屈
ではなく︑古文辞を模倣し︑習熟に習熟を重ねて古代中国語のネイティヴのようになることなのである︒但し︑狙裸 け の学習法には模倣と習熟の他に﹁思慮﹂があるとされることにも注意が必要である︒﹁題言十則﹂の﹁看書﹂は﹁心 め と目と隻つながら照らして﹂行われ︑﹁心の官は則ち思ふ﹂︵﹃弁名﹄思謀慮1︶であり︑﹁心と目と謀り︑之を思ひ又た
思﹂ふ︵﹃学則﹄第一則︶のである︒
ノ
三︑助字研究の位置づけ
以上を踏まえ︑祖裸の言語研究における助字研究の位置︒つけがどのように変わったのかに︑ついて︑考察しておきた
い︒
初期の言語研究では︑助字を中心とする﹁文理﹂の占める比重が高い︒中国語における助字の機能が重視され︑こ
れを研究することも重要とされた︒そして︑文法的理解に基づき︑分析的に中国語に接近しょうとする姿勢が強い︒
これに対し︑古文辞学では助字の位置づけが格段に下がる︒それは︑古文辞には助字の数が少ないことと︑理屈より
も模倣と習熟とを重視することとによるかに見える︒しかし︑少ないとは言っても助字はあるし︑古文辞の理解には
助字を補う必要があるとすれば︑助字研究が無用になるどは思えない︒にもかかわらず︑文法的・分析的アプローチ
は後景に退き︑専ら模倣と習熟とによってネイティヴと化すことが目指されているように見える︒だが︑古代中国語
のネイティヴが存在しないことを考えると︑ネイティヴ化戦略はいささか無謀ではないかと思われる︒
そこで常識的に考えられるのは︑二つのアプローチの融合である︒第二言語習得においてはある程度の文法学習が
不可欠である︒ごく低年齢から言葉のシャワーを浴び続けるネイティヴとは異なり︑ある程度の年齢に達していて︑
︐書物を介してしか学習する術のない場合︑︑一定の理屈に従って学習するとともに︑繰り返し習熟するというのが︑成
功の早道であろう︒また逆に︑文法が言語の全てを尽くせるわけでもなかろう︒文法だけでいくという訳にはいかな
いということも︑また常識的な考え方である︒
ここで︑﹃訓訳示蒙﹄の﹁唐人コトバ﹂と﹁唐人コトバノ上手﹂との区別が考察の手がかりとなるかもしれない︒
﹁唐人コトバ﹂になるための優先事項は﹁字義﹂亡﹁文理﹂だった︒そして︑﹃訓訳示蒙﹄では﹁唐人コトバ﹂になる
助字と古文辞学⁚荻生祖裸政治論序説 ︵都法四十四ー二︶ 三六五 −
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ための方法は縷説されていたが︑﹁唐人コトバノ上手﹂になるための議論はなかった︒その議論が古文辞学に至って
展開されているのかもしれない︒つまり︑初期言語研究によって助字を中心とする文法を極め︑﹁唐人コトバ﹂レベ
ルはクリアしたので︑文法では尽くせない﹁唐人コトバノ上手﹂のレベルに移行し︑古代中国人と化すことを目指す
のが︑古文辞学であると考えるのである︒
このように理解できるとわかりやすいのだが︑これにはいくつか問題がある︒まず︑中国語学習の﹁最上乗﹂の法
と﹁第二等の法﹂とを述べた﹁題言十則﹂第五則は︑﹁唐人コトバノ上手﹂を目指す上級者の学習法ではなく︑﹁唐人
コトバ﹂を目指す初心者の学習法である︒しかも︑﹁崎陽の学﹂も﹁看書﹂も意味理解を伴わないまま反復可能な
﹁直読﹂の工夫であることからわかるように︑このレベルでも文法より習熟が強調されている︒
また︑狙裸は助字を極めたのだろうか︒祖裸は元来の﹃訳文答蹄﹄のうち︑助字部分は刊行しなかった︒助字は
﹁答蹄﹂すら必要のないほど易しいものだったのだろうか︒
さらに︑﹁思慮﹂とは何をどのように思うのだろうか︒言語理解における路線変更の中で︑﹁思慮﹂はどこに位置づ
けられるのだろう︒文理の分析という理屈とも︑理屈を越えた模倣と習熟とも︑異なる局面が想定されているのだろ
うか︒ そしてもう一点︑古文辞の﹁含蓄﹂とは何だろうか︒狙裸によれば︑後世の文を読み慣れた者はコ條の路径﹂を
見るだけだが︑含蓄ある古文辞はそのような態度では読めない︒
古文鮮を熟讃する者は︑毎に敷十の路径有りて︑心目の間に瞭然として︑條理素れず︒讃みて下方に到るに及ん
で︑敷十の義趣︑漸次に用ひず︑篇を終ふるに至って︑一路に蹄宿す︒故に胸襟闊大にして︑能く幾多の義理を
含容し︑眼力精明︑能く幾多の義理をして︑隠匿を致さざらしめ︑能く幾多の義理をして素齪を致さず︑忽忘を
致さざらしむる者に非ざれば︑決して讃む能はず︒︵熟讃古文辞者︒毎有敷十路径︒瞭然乎心目間︒條理不素︒及讃到
下方︒敷十義趣︒漸次不用︒至於終篇︒闘宿一路︒故非胸襟闊大︒能含容幾多義理︒眼力精明︒能使幾多義理︒不致隠匿︒能
使幾多義理不致素齪︒不致忽忘者︒決不能讃︒︶︵﹁題言十則﹂第十則︑全集二ー=二︶
°古文辞の含みうる多様な意味合いを全て見通しながら︑最終的には一つの道筋をつける︒このような読み方ができる
ためには︑あらゆる可能性を明らかにし︑それを常に心に保持し︑乱れないようにしなければならないのである︒そ
して︑助字が少ないことが﹁含蓄﹂を産むのだとすれば︑尽きることのない﹁含蓄﹂から最終的に正しい読みに到達
するためには︑適切な助字を補えなければならないはずである︒﹁當に多少の言語助字を加ふべくして︑義始めて通﹂ め ︵當加多少言語助字︒義始通︒︶じるからである︵同所︶︒とすれば︑助字は無用どころか古文辞読解の要諦かもしれない
のだ︒その助字を論じようとしない祖棟の古文辞学には︑どのような意図が隠されているのだろう︒江戸時代の儒学 ロ 者の助字研究を参照して︑このような問題を考える手がかりを得ることにしよう︒
︽本論二︾助字研究と︿言語の学﹀
祖裸は中国語を中国語として直読することを提唱し︑漢文訓読を無自覚な中国語の日本語化として排斥した︒祖裸 ︑︐
・ の主張は恰も当然であるかのように受け取られている︒しかし︑︑狙裸の主張はそれほど当然のことなのだろうか︒江
戸時代の儒学者の中国語との格闘ぶりを見ると︑速断することはできない︒訓読の批判と直読の主張とは再検討を要
する︒ ・
訓読は︑確かに一面では中国語を日本語化する営みである︒祖裸は﹁此の方の學者︑方言を以て書を讃み︑號して
助字と古文辞学⁚荻生祖裸政治論序説 ︵都法四十四ー二︶ 三六七
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和訓と日ふ︒諸を訓詰の義に取れり︒其の實は謹なり︒而も人其の課たることを知らず︒﹂︵此方學者︒以方言讃書︒號
日和訓︒取諸訓詰之義︒其實課也而人不知其爲課 ︒︶と言う︵﹁題言十則﹂第二則︑全集二ー四︶︒しかし︑訓点付きの本を
読むことと︑白文に訓点をつける作業とは異なるであろう︒この点︑狙裸が﹃訓訳示蒙﹄や﹁題言十則﹂で訓読を批
判するのは︑第一義的には初学者のためであり︑訓点本で勉強するな︑せいぜい﹁答蹄﹂に止めよ︑という趣旨なの
かもしれない︒
しかし︑﹁文戒﹂に見られるように︑一流の儒学者にも批判は向けられている︒それは︑訓点をつけることも含め︑
より広く︑中国語を日本語で考えることへの批判と考えるべきなのであろう︒先述の古義堂グループへの批判でも
﹁其の根本の分岐する虜︑和語を以て漢語を推すと︑漢語を以て漢語を會するとに在るなり︒﹂︵其根本分岐庭︒在以和
語推漢語︒與以漢語會漢語也︒︶と述べている︵﹃祖裸集︵巻之二十六︶﹄﹁与江若水第五書﹂二七六頁︶︒
だが︑果たして漢文訓読は︑もう少し広く︑中国語を日本語によって考えることは︑それほど無自覚な営みなのだ
ろうか︒祖裸と同時代の助字研究を手がかりに検討したい︒
一、
w助語辞﹄の導入・消化・吸収
(一
j﹃助語辞﹄の導入 ︵1︶ 中国現存最古の助字研究の専著とされる﹃助語辞﹄が寛永年間に日本に導入された︒それを契機に︑﹃助語辞﹄の ︵2︶ 注釈・増補・和訳という形で江戸時代の助字研究が始まり︑江戸時代の助字研究はこの書物の影響を受け続けること ︵3︶ になる︒しかし︑この書物の受け売りに終始していたわけではない︒そもそも﹃助語辞﹄には︑単なる受け売りでは
すまない︑その意味で独自の研究を促す余地があった︒というのは︑扱う助字が僅か六〇項目・=六語︑︐序一丁;
本文一四丁︑計一五丁の小冊子に過ぎなかったからである︒内容も︑説明はごく短く︑用例も僅かで︑典拠も殆ど示
4 されていない︒江戸時代の儒学者は︑このような質量ともに不足する書物をどのように消化・吸収したのだろうか︒
︵二︶﹃助語辞﹄の注釈と増補
まずハこの本の質的量的な不備を補うための作業が行われた︒毛利貞斎の﹃竃頭助語辞﹄は︑和刻本に訓点が施さ
れているのを別とすれば︑知られる限りでは﹃助語辞﹄の最初の注釈書である︒毛利貞斎は︑助字を中心に字や語句
に注を付け︑用例には典拠を付し︑用例を補っている︒また︑三好似山の﹃広益助語辞集例﹄は︑膨大な増補︵﹁広
益﹂︶と用例集め︵﹁集例﹂︶を行っている︒取り上げた助字の数は一二一六語︑説明もはるかに増え︑用例も多く︑
﹃助語辞﹄の増補の域を超えた︑助字とその用例の集大成として高く評価されている︒ただ︑これだけ量が増えると
かえって扱いに困るおそれがあるが︑三好似山はこれらの助字を分類し︑五六分類の﹁語辞例﹂を作成している︒こ
の点もまた︑中国における助字分類の初の試みとして評価の高い劉漠の﹃助字辮略﹄に先立ち︑かつ︑﹃助字辮略﹄ の三〇分類を凌ぐ﹁精密﹂.﹁適確﹂な五六分類を行ったとして︑高く評価されている︒これらの作業によって︑用例
が豊富になり︑字の説明も詳しくなり︑助字の体系的な理解への道も開かれて︑助字研究のための基礎が築かれたと
評価することもできる︒
︑しかし問題もある︒﹃韻頭助語辞﹄の注釈は少数の字書からの引用の集積である︒﹃広益助語辞集例﹄も中国文献へ
の依存度は高い︒しかも︑独自の見解は殆ど示されない︒漢字を理解するために中国製字書を引用するのは適切と言
えば適切だが︑字書を引用するだけで異言語の理解がどこまで進むのか疑問もある︒三好似山の﹁語辞例﹂にしても︑
助字と古文辞学一︑荻生但裸政治論序説 ︑ ︵都法四十四ー二︶ 三六九
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﹃助語辞﹄や字書・注釈書で使用されている﹁○○辞﹂という名称を収集・整理すればほぼできあがるという類のも
のであり︑実際︑五六分類の多くが︑﹃広益助語辞集例﹄本文所引の中国書籍で使われている名称である︒因多辞︒
比類辞・進益辞・再読辞など︑−本文中に見えない名称もあるが︑﹁再読辞﹂が中国に存在しないのは確実としても︑
他の名称には典拠があるかもしれない︒ この分類には他にも問題が多く︑﹁精密﹂﹁適確﹂という評価には到底賛同できない︒しかし︑これを分類と見る必
要は必ずしもない︒むしろ︑日本語話者には理解しにくい漢字の意味の微細な違いを追究する試みと見る方が適切な
のではないか︒なぜならば︑三好似山自身は﹁語辞例﹂作成の意図を次のように述べているからである︒
凡そ字を異にして意を同じくする者︑意異にして字同じき者有り︒今其の類を集めて之を分け以て巻首に載す︒
將に見る者をして一覧にして曉すこと有らしめんとす︒︵凡有異字而同意者意異而字同者今集其類分之以載巻首將令見
者一覧而有曉也︶︵﹁凡例﹂文典六ー四︶
つまり︑﹁語辞例﹂は︑中国語によって中国語の微細な差異を理解しようとする試みと考えられるのである︒そして︑
このような試みの限界をも示しているように思われる︒ ︶
︵三︶﹃助語辞﹄の和訳
以上のように︑﹃助語辞﹄の内容を増加し︑説明を詳細にするのが︑初期の助字研究の特徴の一つである︒助字そ
のものを研究対象とするというより︑中国製字書を使って助字を理解しようとする試みであった︒これに対し︑松井
可楽の﹃語助訳辞﹄は︑﹃助語辞﹄の和訳を中心とした日本語による助字解説書である︒訓点つきとはいえ漢文を漢
文のまま引用する﹃竈頭助語辞﹄や﹃広益助語辞集例﹄とは︑助字に向かう態度が異なってくる︒﹃助語辞﹄の最初
゜の項︑﹁也・ ・焉﹂を例として見てみよう︒ ︑
﹃助語辞﹄は﹁是れ句意結絶の庭︒也は意平︒ は意直︒焉は意揚︒登聲同じからず︒意も亦た自ら別なり︒﹂︵是 ︵7︶ 句意結絶虜也意平 意直焉意揚登聲不同意亦自別︶と解説する︵文典六ー五六三︶︒同類の助字が発声の違いによって平・
直.揚と区別されているが︑このままでは理解しがたい︒﹃竈頭助語辞﹄﹃広益助語辞集例﹄には字音の注記がつぐ︒ 例えば︑﹁也﹂は﹁上聲馬韻﹂︵﹃韻頭助語辞﹄一オ︶︑﹁ ﹂は﹁紙清濁︑養里切︑音以﹂︵﹃広益助語辞集例﹄文典六ー=︶
といった注記である︒しかしこれでは音と意味との結びつきはピンとこない︒﹃竈頭助語辞﹄には︑﹁也﹂に︑﹁語の
除なり︒凡そ也と言へば則ち氣口下より出て尽くるなり︒﹂︵語之鹸也凡言也則氣出口下而蓋︶︵一オ︶︑﹁ ﹂に︑﹁ は直
︐ 疾︒今試に と日へば則ち出る氣直にして疾し︒﹂︵ 者直疾今試日 則出氣直而疾︶︵一オ寸ウ︶といヶ注がつく︒﹁焉﹂
にはこの類の注はない︵﹃広益助語辞集例﹄もほぼ同様︶︒これに対し︑﹃語助訳辞﹄は次のように説明する︒﹁也﹂
タイラカ タイラ ヘ イダ トシ ノ ﹁聲ヲ出ス事ガ平ナレバ意モ平カナリ︒﹂︑﹁ ﹂﹁聲ヲ出ス事値ニシテ疾︒ソレユへ意モ直ナリ︒此直ト云フハ曲直ノ
タイ ユウユウ ︐ 直ニハ非ズ︒平ノ字二封スル直ナリ︒平ハ何ノ事モナクテ優々トシタル字ナリ︒直ハ氣勢ノアル字ユへ人ニモシカト
氣ヲ付ル字ナリ︒﹂︑﹁焉﹂﹁字ノ音聲モ鶴リ据ルユへ字ノ意モ登リ揚ルナリ︒ ノ字ノ直ト云ヨリハ又︐一︐際氣勢ノアル
ヒトシホ シカ ンク 字ニテ却テ悠々タル氣味アリテ一入人二然ト氣ヲ付ル字ナリ︒﹂︵文典六ー九一︶︒はるかに分かりやすい︒それは︑和
訳だからというだけではなく︑発声の仕方と意味との関連を明確に示し︑かつ平・直・揚の違いも説明しているから
である︒﹃竈頭助語辞﹄﹃広益助語辞集例﹄が字書の枠内から出ないのと比べ︑﹃語助訳辞﹄はその枠をはみ出し︑そ ・
れによって﹃助語辞﹄のわかりにくさによく対処しているのである︒
しかし︑安直と言えば安直な説明でもある︒自説の根拠は示されておらず︑きちんと理解せずに﹃助語辞﹄の説に
合わせて理屈をこねただけにも見える︒訓読と殆ど変わりない説明も多い︒これは︑﹃助語辞﹄を手がかりに助字そ
助字と古文辞学⁚荻生祖裸政治論序説 ・ ︑ ︵都法四十四−二︶ 三七一
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のものを対象として研究する試みではなく︑﹃助語辞﹄を理解し説明する試みと言った方が適切であろう︒
なお︑ここで﹁助字﹂と﹁てにをは﹂との関係にも注意を向けておきたい︒母語からの類推によって異言語を理解
するのは有効な方法であろうが︑行き過ぎると言語的隔たりの感覚が失われてしまうことにもなるからである︒﹃竈
頭助語辞﹄や﹃広益助語辞集例﹄は全て漢文で書かれているので﹁てにをは﹂は問題にならないが︑﹃語助訳辞﹄で
は﹁助字﹂と﹁てにをは﹂とが同類のものであるという理解が明確に示されている︒
一つのパターンは︑﹁然則﹂は﹁シカラバトヨムテニハナリ﹂︵文典六ー一〇三︶﹁テニハノ庸ノ字﹂﹁テニハノ顧﹂
︵文典六ー=二︶のように︑端的に助字と﹁てにをは﹂とを置き換えるものである︒警えるパターンも多く︑その際︑
﹁字意重カラズ︒イヅレモテニハ詞ノ類ナリ︒﹂﹁テニハノ庸ノ字ノ如ク意重カラズ﹂︵文典六ー=二︶﹁︵﹁語助﹂に用い シ られた︶來ノ字二意ハナキナリ︒前二云フタル和語ノナリケリノケリト同﹂︵文典六ー=八︶のように︑意味が軽い・
意味がないとされる例が多い︒助字が意味無しとされることはしばしばあるのだが︑これは文字通り意味がないとい
うことではない︒例えば今引いた﹁前二云フタル和語ノナリケリノケリ﹂の﹁前﹂のところを見ると︑﹁乎・歎・邪﹂
タトヘ カ の項に︑﹁句絶ノ鯨聲トハ讐バ和歌二﹃プリユクモノハ我身ナリケリ﹄ナドト云フケリノ詞ト同ジ︒我身ナリト云フ カギ ニテスミタル事ナレドモ自然ト鯨韻ノアル詞コレニ限ラズカズカズアリ︒﹂︵文典六ー九二︶とある︒修辞以上の意味
はないということだろう︒このように︑﹁てにをは﹂からの類推が助字理解の助けとなっているのである︒但し︑問
題もある︒例えばこの﹁ケリ﹂の理解は必ずしも間違いではないが︑単に﹁余声﹂としてよいかは疑問もある︒ここ
では︑助字との類推で﹁てにをは﹂が曖昧になり︑その曖昧な﹁てにをは﹂からの類推で助字が理解されている︒こ
のような微妙な形でしか理解しようがないとも言えるのだが︑曖昧なままに言語的隔たりの意識が稀薄になる恐れが
ある︒
ただ︑このような﹁助字﹂と﹁てにをは﹂とのアナロジーは江戸時代にはごく一般的である︒例えば︑﹁虚實正助﹂
の﹁字品﹂を説明する中で︑﹁助ハ助語ナリ︒之乎者也 焉哉ノ類ナリ︒⁝助ハ倭歌ノテニヲハ也︒﹂とするのは︑他
ならぬ狙裸である︵﹃訓訳示蒙﹄﹁総論9﹂全集二ー四四二︶︒﹁的當トハ云カタケレトモカクモアランカ︒﹂と微妙な留保を ナヲ つけつつも︑﹁倭歌ノテニヲハニ直シテ云ババ︑也ハナリ︑ ハケル︑焉ハケレ︒﹂という︑いかにもありがちな説明
をするのも狙裸なのである︵﹃訓訳示蒙﹄全集二ー四七六︶︒しかし逆に言えば︑このように︑非常に微妙で捉えがたいの
が助字なのであり︑その捉え難さを乗り越えようとして必死の苦闘を続けたのが︑当時の助字研究だったのである︒
以上のように︑﹃助語辞﹄の導入を契機として始まった江戸時代の助字研究は︑その消化・吸収の過程で︑中国製
字書を大いに利用し︑母語である日本語の知識も生かして︑助字の理解を進めた︒これは︑﹃助語辞﹄の内容をより
豊かにし︑日本語話者にとってより利用しやすいものにする︑優れた方法であったと思われる︒しかし同時に︑﹃助
語辞﹄を中心とする中国書籍の枠組に縛られ︑助字そのものを対象化することにおいては不十分であったことも否定
できない︒言語を対象とする研究ではなく︑中国の先行研究を対象とし︑便利な参考書を編集する作業といった方が
いいだろう︒言語そのものに即いて研究をするには︑中国製字書をそのまま引き写したり︑日本語との類推に頼るだ
けでは不十分なのだと思われる︒そこで︑このような﹃助語辞﹄を始めとする中国書籍を直接の対象とするのではな
く︑より自覚的に言語を対象化しようとした研究を︑次に見てみよう︒一人は狙裸のライバル︑伊藤東涯︑もう一人
は狙裸の弟子︑太宰春台である︒
二︑ ︿言語の学﹀の成立
助字と古文辞学⁚荻生狙裸政治論序説 ︐ ︵都法四十四ー二︶ 三七三
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