南原繁における秩序の構想 価値並行論と日本的キリスト教を中心に
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(2) す。前半は南原が正面から論じたことを基に彼の秩序像を解釈するのに対し、後半は南原が正面からは論じることはなかっ. たが、彼の思考を導いた問いかけの基となったものの解明を目指す。第三節では、二元的秩序の構想の背景にある彼の歴史. 観を、第四節では、彼の理論の前論理的な前提として存在した民族観と信仰を取り上げ、秩序の構想の背景にあった思想の 動機を明らかにする。. 一 秩序構想の原型. 政治哲学者南原は晩学の人である。一九一四(大正三)年に東京大学を卒業し、文官高等試験に合格すると、内務省に奉. ). ). 4. する。「 「人間」の観念は個人において終始するものではなく、必然に社会における個人相互の結合関係を予想する」のであ. り、 「人と人との結合関係において最も重要なのは公的共同体としての政治的社会体」だからである。カントにおいても、そ. の国家・法律論はカントの全哲学体系の発展と必然的関連を有しており、 「国家・法律論の究極目的である世界秩序論が全. ― 64 ―. 職する。足掛け七年にわたる内務省時代は、第1次世界大戦が始まり、ソビエト政権が成立した時代であった。南原は「労. 働組合法」草案の作成に携わり、社会主義・共産主義を課題と意識する。そしてマルクスが出てきた知的基盤を見極めたい. (. と考え、一九二一(大正一○)年、東京大学に戻る。南原の意図は「政治の理論的な基礎、プラトンにはじまる政治学史、. 政治学の哲学的な意味における基礎をやる研究」であった。法学部助教授に任ぜられた南原はただちに在外研究のためヨー. ). る国際政治の理念」 (一九二七)である。. (. つつも、方法論に集中するのではなく、 「政治の理念、政治の目的」の追究を課題とした。その最初の成果が「カントに於け. (. ロッパに旅立つ。在外研究中はカントに集中的に取り組み、一九二四(大正一三)年に帰国する。新カント派の影響を受け. 3. 南原は、カント哲学は真善美に関わる三批判書をもって完結するものではなく、政治哲学こそがその思惟の終局をなすと. 5.
(3) 南原繁における秩序の構想. 哲学思惟の終局を形づくる」 (. )とみなされる。こうして南原は、カントの批判哲学に基づいて自律的な領域としての I , 131. 政治の基礎づけを試みるのである。. 南原と同世代の和辻哲郎は「間柄的存在」としての「人間」を打ち出し、倫理的共同体を基礎づけるが、南原はそれとは. 異なって、自律的な政治領域としての政治的社会体を探求する。そして、政治領域の自律的な原理として「正義」を打ち出. し( I , 150 )、それを道徳における義務と並行に位置づける。すなわち、アプリオリな義務の客観的道徳法則は主観的幸福と. 対立するが、最高善の概念において二者は総合される。これと同様に、政治における理性のアプリオリな原理としての正義. は福祉と対立するが、この二律背反は政治における人類の最高善としての「永久平和」の観念において総合されるとする(. (. ). ). ) 。 I , 153. ). の抱合の「規制的原理」 ( I , 189 )つまり統制的原理であるとされる。それは、中世キリスト教会のように具体的な一組織と. え」るものなのである( I , 193 )。以上の、政治的価値としての正義、民族的国家、統制原理としての世界秩序、これが南原. の秩序の原型を構成するものであった。南原はこれをもって、当時の政治的課題である自由主義に批判的に立ち向かう。. 「自由主義の批判的考察」 (一九二八)と「個人主義と超個人主義」 (一九二九)は、南原の政治的価値の基礎づけが何を目. 指したものかを明瞭に示す。南原は、近代における自由主義ならびに個人主義の歴史的意義を高く評価しながら、 「その欠け. I ,. ― 65 ―. )。さらに、道徳において、最高善の理念は「倫理的共同体」としての「神の国」を指し示すのに対して、政治において、 152 (. 永久平和の理念は「法的共同体」としての「普遍的世界秩序」を指し示すという(. (. )を構想 I , 168. 9. 7. )、第三に、この民族的国家を基として「世界の普遍的秩序」( を文化的共同体として位置づけること( I , 166. ( ). 並ぶところに政治的価値、すなわち「正義」を位置づけること( I , 150 )、第二に、個人と世界の間の中間に「民族的国家」. ( ). ここに、南原がカントから引き出す秩序像の原型がたち現れる。その特徴は、第一に、倫理や道徳から区別されつつそれと 6. することである。この「世界の普遍的秩序」は、それをもとに具体的に秩序をつくる「構成的原理」ではなく、民族的国家. 8. してこの世に可視化されることはないが、 「諸国家の結合に基づく世界の普遍的秩序を要請し、それに歴史の理念的意義を与. 10.
(4) た点は他者に対する関係、社会との関係の原理」 (. III , ) 29であるとみなす。個人主義に基づく自由主義では、人生の目標は. 個人の完成にとどまるため、国家社会形成の自律的理由を基礎づけられず、それは「ついに無政府主義の理論に堕し、或い. 。そして新たに台頭しているマルクス主義については、 「なお個 III , ) 54. III , ) 45と断じる。. は一箇のニヒリズムの世界観に帰結するであろう」 ( 人主義的世界観の変形にほかならない」 (. III , ) 45のであり、「いまや超個人主義への転回がな. かくて南原は自由主義、個人主義からの「転換」を要求する。 「現代は意識的であると否とを問わず、何等かの形において. 。 III , ) 60. III , ) 59である。ただし、南原が追求するのは、個人を捨てての超個人主義ではなく、個人と超個人主義の「綜. 個人を超越するところの「社会」或いは「共同体」を求めつつある」 ( さるべき」 ( 合」であった(. (. ). ― 66 ―. ところで、このような個人主義批判、自由主義批判は当時において珍しいものではなく、むしろ世界的な潮流であった。. バーシェイが述べているように、ここには南原独自の考察といえるものがほとんどみられない。だが、注目しなければならな. 迫ってみたい。. 二 価値並行論と文化国家. 世界が戦乱の渦に巻き込まれていく時代、南原は超個人主義への道は「カントによって開かれてあると思う」 (. III , ) 56と. してあのように一貫した生を生きることができたのか。次節ではそれを可能にした条件の一つである、彼の思考の枠組みに. の自由主義者や社会主義者が政治的試練を経験し、立場の変更を余儀なくされた者も少なくなかった。南原はその中でどう. して戦後には文字通りの公共的知識人として一貫して生きることができたという点である。三○年代の危機の時代には多く. いことは、いわば「凡庸」な議論をしていた南原が、やがて自己の立場を確立し、戦前には隠れた公共的知識人として、そ. 11.
(5) (. ). しながら、カントの哲学では理論と実践との綜合が充分に果たされていないとし、この限界を乗り越えるためにフィヒテに 取り組んだ。. であ Tathandlung). 南原によれば、 『知識学』 (一七九四)においてカントの意識一般を問題としたフィヒテは、それに替えて「自我」を立て. る。自我は自己自身を立てる活動であると同時に、その活動によって生まれる所産、すなわち「事行」 (. II , ) 14として、フィヒテ哲学の統一原理となる。. る。これが、 「カントの意識一般のように純粋に形式的でなく、むしろ実在の内容的要素を持ち、表象の全世界の形式ならび に内容がともにそれから導き出されるごときもの」 (. 純粋に形式的な意識一般とは異なる、実在の内容的要素をもつ「自我」は『自然法の基礎』 (一七九六)において、他者と. 出会う。 「自我は、自己のほかにある他の自我、すなわち「他者」の存在を必然に前提することによって、われわれすべての. 意識の行動の根本形式である自意識が可能となる」 ( II , ) 。自我は他の自我との関係の中で自意識をもつ。こうして自他の 47. 対立と「交互作用」が生じ、理性的存在者を結びつける道徳と法の形式が導かれる。初期フィヒテでは「道徳と政治の二元の. 対立」 ( II , ) 59のために国家は道徳的自由のための手段として捉えられていたが、南原はフィヒテの他者概念に道徳から独立. した法と共同体への関心が芽生えているとして、それを「個人主義を超える社会的価値と原理の樹立に導く契機」と評価する. (ママ). と同様な他の理性的者の協働によって初めて実現される」こととなり、 「この一者の他者に対する関係は無限の系列において. 連なり、ついには絶対他者、無始な絶対的精神としての神の観念にさえ導かれる」こととなる( II , ) 。フィヒテによる社会 62. 共同体の基礎づけは、個人と他者との交互作用の無限の連続に基づき、さらにそこから宗教的な絶対者が予示される。. II , ) 70. 『道徳論の体系』 (一七九八)では、 「個人を超する「純粋精神の国」 、形而上学的な「理性の統体」の表象」が想定され、. 理性的存在者の自由な行為は「交互作用のうちに理性によって永遠に予定されている」という「予定調和の理論」(. が導かれる。ここでは「すべての自由の存在者は必然に同一目的を有し、一人の合目的的行動は同時に他のすべての者に. ― 67 ―. 12. ( II , ) 。こうして実践理性が他者との「交互作用」から眺められるようになると、 「人間の理性的性格と精神的創造が常に彼 61. 南原繁における秩序の構想.
(6) II , ) 70が現れる。ここでは、超個人的な共同体が、万人の理性の一致によって基礎づけられた。. とって同様であり、一者の自由は他者の自由と結合せられる」とみなされ、 「自我と他者とを統合する共同体」 、要するに「人 類種属全体」の理念」 (. ところが後期フィヒテに至ると、理論理性と実践理性の統一の基礎は先に予示された「神的絶対」に置かれ、社会共同体. の基礎もそこに求められる。自我は「他者」を見出し、そこから自我相互の共同体の概念が立てられる中で「絶対他者」が. 予想されたが、いまや逆に「個人はそれ自身理性の統体でなくして、無限に発展する神的生命の統一のなかにある」 ( II , ) 84. とされる。こうして自我と共同体は「明瞭に宗教的生命の最深の根元である「神」の絶対存在におかれ、かようにして精神. の本源的統体が基礎づけられる」 ( II , ) 。この宗教的な根元から自我と共同体が結び付けられることから、 「世界における 85. 一切の新しいもの・美なるもの・偉大なものは、神的理念の表現、それ自体不可分な理念の諸相にほかならない」と捉えら. れ、生活のあらゆる領域における発展は神的絶対の現れとなる。 「個人人格」も「芸術・学問・宗教などの超個人的文化」も. 神の諸相として現われ、 「政治も立法も神的理念との結合によって、宗教の側から新たな光と意義を受ける」 ( II , ) 86ことに なる。. このようなフィヒテの議論に南原は両義性を認める。一方でそれは、個人を共同体に融和せしめる。 「すべての個人の力を. 。個人は「絶対国家」と結びつくことによって、その理念を実現する諸文化を享受できるように II , ) 86. 種属の生に向わしめ、そのなかに融合せしめ、かくして一般に理念の形式を外的に各個人に対して実現することに、絶対国 家の本質が存する」 (. なるのである。他方でそれは、文化国家を神政政治的な文化綜合によって統合するものであることを南原は批判する。しか. し、この批判にもかかわらず、南原は後期フィヒテにおいて「文化国家」の理念が立てられたことを評価する。なぜならこ. II , ) 95からであ. の国家は「理念によって滲透せられて内的に全く自由な人びとに対しても、なお且つ全体を達観し、種属のその時々の目的. が何であるかを宣明し、おのおのの人の自由の力を全体のうちのそれぞれの処に配するものとして残る」 (. る。「内的に全く自由な人」に対して道徳は提供するものをもたないが、国家はそのような人にも提供しうる独自の価値を有. ― 68 ―.
(7) するというのである。. II , ) 99として立てられ、国家は「民族国家」として「国民共同体」. 以上に成立をみた「文化国家」概念について南原は、その具体的な展開として『ドイツ国民に告ぐ』 (一八〇八)を取り上 げる。この講演では「種属」は「国民」または「民族」 (. を教育によって形成する「教育国家」 ( II , 101 )となって現れる。「国民共同体」とは、倫理的共同体の現実的形態であり、. 教会にかわる道徳秩序である。国家は教会から分離されるが、教育を通じた「国民共同体」の形成によって宗教と内的に架. )と呼んでいる。 II , 116. 橋される。こうして「政治的国家は宗教的「天の国土」へ導く段階であるばかりでなく、国家共同体の理念はそれ自ら神の 国、「地上における神の国」 」 ( II , 115 )となる。南原はこれを「悟性の神政政治」 (. さて、以上のようにフィヒテ政治哲学を分析した南原は、現代哲学の課題の観点からそれを批判的に検討する。南原は後. )を問題とした。南原にとって、宗教の純粋性はその内面性にある。その内面性を組織 II , 139. ― 69 ―. 期フィヒテの宗教と国家の総合の試みにおいて、宗教的な「神の国」が合理的な政治国家に変形され、 「宗教の純粋の非合理 的特質が失われてゆくこと」 (. 的に形態化することは、イエスの「神の国」を「地の国」にしてしまうことであった。したがって「われわれのつとむべき. )。この視点から、フィヒテの後期の試みは批判されると同時に、南原の「価値並行論」が打ち出され II , 139. ことは、宗教の非合理的特質をできるだけ、その純粋性において回復し、同時に政治それみずからの価値的基礎を闡明する ことである」 ( るのである。. 価値並行論とはカントの三批判書による真善美の基礎付けを基に、南原が独自に展開した価値論である。「従来、絶対価値. として認容せられて来たものに真・善・美があり、これらはおのおの論理的価値・道徳的価値・審美的価値を表わす。おの. おの本原的な価値であって、それ自身目的である固有の価値である。この考え方は、古くはプラトンに淵源するのであるが、. )。南原は、真善美をアプリオリな価値原理と位置づけた上で、プラトン・カントにおいては明確にされなかった政 II , 140. 近世においてそれらの領域を批判的に明別し、それぞれについて固有の先天的価値原理をうち立てたのはカントである」. (. 南原繁における秩序の構想.
(8) 治的価値の場所を付け加えて、次のように述べる。 「政治社会価値をその自律固有性において承認しようとする主張は、とり. も直さず、これら文化の諸価値を相互に並列の関係に置こうとするものである。かの絶対価値として挙げられるものは、真・. 善・美の三者をもって尽きるとなすことができず、あたかもこれら三者相互の間と同様、新たに得た政治的社会価値の正義. 」説とは異なって、 「価値 Hierarchie). を、ともに並列の関係におくことが要求されなければならない。それは、これまで文化の諸価値のうちの一つを頂点にして、 他の諸価値を段階的次序に従ってそれに下属せしめるごとき、いわゆる価値の「段階( 並行」論の新たな体系の要求である」 ( II , 147 ) 。. さらに、フィヒテにおいて国家や他の文化価値と結び付けられた宗教については、それ自体としては文化的領域をもたな. ). )ためであった。フィヒテの文化国家は II , 139. ― 70 ―. いものとしつつ、文化との関わりにおいて、文化の超越、文化の受容、文化の更新という役割を与える。すなわち、宗教は. )のであり、さらに「他のもろもろの文化の価 II , 157. 「一切の文化の価値を超越し、それ自体、超価値の世界にその境地を有する」 ( II , 156 )が、それゆえにかえってまた、 「価値 と反価値との対立にも耐え、一切の文化生活を受容し、承認し得る」 (. 値生活の内容に生命を与える」ことができるのである( II , 157 )。各々の文化的領域は宗教と内的な関係を有するが、しかし. それによって各々の文化価値の固有の原理が損なわれることはない。なぜなら南原の考える宗教は「文化価値の究極におけ. る形而上学的本質の確信」に関わるものだからである。例えばあるキリスト者が、神の立てた権威に従うという信仰によっ. て政治的価値に関わる場合、その確信がなくとも政治的価値は揺らがないのであり、ただその確信があることによって政治 的価値に対する生き生きとした関与が生まれるというのである。. (. 以上のように、価値並行論では、真善美という個人的な価値と政治共同体価値である正義が並列・相関の関係で存在し、. 各文化領域を超えてそれらに内的生命を与えるものとして宗教が位置づけられている。先にふれたように、南原がこの価値. 純粋性において回復し、同時に政治それみずからの価値的基礎を闡明する」 (. 並行論を論じた理由は、フィヒテにおける政治と宗教の結合の問題に取り組んで、 「宗教の非合理的特質をできるだけ、その. 13.
(9) 南原繁における秩序の構想. 政治的価値を実現する具体的な場となる共同体であるが、そこで様々な価値が融合することで価値の階層秩序が作り出さ. れ、人格や諸価値の十全な発達が阻害されうるのである。価値並行論は、文化国家における文化創造がそのように阻害され. ないために、諸個人や政治共同体が行う個別的な悟性使用を認め、それが文化国家において全体的に統一されるための統制 原理とみなすことができる。. この価値並行論と文化国家論を、前節で確認した秩序像の原型と比較してみよう。すると、自律的価値としての正義と統. 制原理としての世界秩序は価値並行論へ、民族的国家は文化国家論へと展開したことに気がつく。南原の秩序像の原型は、. フィヒテとの対話を通して、価値並行論という秩序の理念と、文化国家という秩序の担い手からなる、二元的秩序像へと発 展したと解釈できるように思われる。. このような秩序の構造のためか、秩序像の一方の価値並行論だけを取り上げてみると、議論としてなにか歯がゆさのよう. )と問いかけ、 「哲学が世界の全体の統一的考察である以上、もろもろの価値の間にふたたび何らかの II , 161. なものを感じないではない。南原自身「哲学は果たしてもろもろの価値の独立と相互の並行の関係をもって永久に満足すべ きであるか」 (. )の主張にあるとする。だがこれは、南 II , 162. 方法で全体の統一的観点が考えられねばならぬのではないか」と問う。南原はこの難問の存在を認めながら、深入りはせず、 価値並行論の意図は「文化価値の豊かな多様性とおのおのの価値の自律性」 (. 原が文化綜合を企図しなかったということを意味するのではないと解したい。南原は、価値並行論を一つの理念として提示. しつつ、それを実現する場である文化国家において諸個人と政治共同体の自律的な悟性使用が、究極的には全体的な統一・. 綜合に至ると考えていたのだと思われる。こうして、南原の課題である、個人と超個人主義の両立が可能となる。. 秩序の原型から二元的秩序の構想へと進んだことで、南原が現実に挑む考え方の基本は固まった。ところでなぜ南原はこの. ような考え方を発展させることになったのだろうか。むしろ当時の思想の趨勢は、国家や精神、存在など根源的なものへの志. 向にあった。南原の反時代的な態度は何によるのだろうか。それには彼独自の歴史に対する視点が関わっていたと思われる。. ― 71 ―.
(10) 三 西洋思想史における諸価値の分化と綜合. V , ) 36と「政治哲学のアトリエとしての政. 「すなわち、宗 V , ) 51からなっていた。前者の理論研究は、政治価値がいかに定立されるか、. 南原繁の学問体系は「政治価値に着目して政治の意味を闡明する政治哲学」 ( 治思想史ないし政治哲学史」 (. 教・道徳・学問・芸術等の他の文化諸価値といかなる関連において考えられるか」 ( IV , ) 12という問いに対するものであ. り、価値並行論で整理された諸文化領域の関係を批判的に問題化する。後者の歴史研究は、政治的価値を中心に積み重ねら. れた歴史上の思想を批判的に探究する。過去(政治理論史)と現代(政治哲学)における真善美正義の秩序の構想への批判. ). ― 72 ―. がその学問の中心課題であったといえよう。. ところで、このような研究には、西洋政治思想史において展開された政治理論の有する普遍性に関する信念が前提されてい. る。西洋政治思想史はたんに一地域の思想史なのではなく、普遍的なロゴスの展開する「普遍史」 ( IV , ) 18とみなされてい. たのである。そして彼はその歴史の基本的方向性― 以下では基本構図と呼ぶ― を、政治的価値とその他の諸価値との未分. (. 化状態から諸価値の自律・分化へと至る過程として理解していたと思われる。価値並行論と文化国家論の二元的秩序像は、こ. の歴史の基本的方向性という見通しと共に立てられたのではないか。ここでは段階別に整理してそれを提示してみたい。. 自覚はなく、したがって国家と個人との対立は生じない。法と道徳と宗教の間にも未だ分化なく、あらゆる価値生活の根源. リシアにおいて政治的価値はどのような形で存在していたのか。古代ギリシアのポリスは「いまだ個人が個人人格としての. 基礎づけを政治哲学の課題とした南原にとって、政治思想史は政治的価値が現れた時代から始まるのである。では、古代ギ. クラテス・プラトンである。興味深いことに、南原はソクラテス以前のピュシスの哲学には関心を示さない。政治的価値の. 南原が西洋政治思想史の第一段階に置くのは古代ギリシアのポリス世界であり、その政治生活をロゴスにおいて捉えるソ. 14.
(11) 南原繁における秩序の構想. 的統一が保有されていた生の共同体の時代」 (. IV , ) 26と特徴づけられる。つまり、古代ギリシアにおいて政治的価値は他の. 諸価値と未分化の状態にあったと南原は捉えるのである。プラトンの理想国家は「イデアの世界を通じて、一つの高遠な倫. 理的共同体、同時に神聖な宗教的共同体」 ( I , ) 61であるが、正義という政治的価値から他の諸価値は分化しておらず、国. 家が宗教や科学や芸術を統制する「神政政治」 ( I , ) 81であった。政治的価値は存在するが、他の諸価値と未分化であった のである。南原の西洋政治思想史は、これらの価値が自律的に分化していく過程に注目する。. (. ). 政治的価値の自律を促す最初の衝撃は、西洋政治思想史の第二段階を告げるキリスト教によってもたらされた。南原は、. プラトンの理想国家がキリスト教の「神の国」に受け継がれたと考えるが、そこで政治的価値に対して大きな衝撃が加えられ. た。すなわち、プラトンの理想国家が「国民的政治的限界」を有するのに対し、イエスの説いた「神の国」は「愛の共同体」. I , ) 84であり、ポリスの政治性に対する、非政治性の登場というこ. であり「すべての民族・全人類にまで及び得る絶対の「普遍主義」の理想」であった( I , ) 。それは「政治的社会的の綱 72 領」( I , ) 「政治的社会価値からの超越」 ( 83ではなく、. ともできる。そしてこの非政治性は、 「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに」という言葉が示すように、自律的な. 政治的価値の発見の可能性を開いた。第二段階はこの非政治的な「神の国」を軸に進展する。イエスの「神の国」は、終末. において十全に実現するものだが、同時にこの此岸において実現しつつあるものである。神の国は、地上の諸価値を否定す. る衝撃を有するが、しかし人間がこの地上に生き続けなければならないからには、何らかの仕方で文化の諸価値は認められ なければならない。. アウグスティヌスは「神の国」を終末に成就するとみる一方、そこにいたる歴史の過程を「神の国」と「地の国」の闘争. と捉え、地上における「神の国」の担い手として国家と教会を位置づけた。南原はこれによって、プラトンにおける古代国. 家的理念すなわち諸価値の統体が、国家と教会に引き継がれたと考える。それを受けて中世キリスト教では、本来不可視の. 神の国が可視的な教会において現実化されると考えられ、ローマ法王を頂点とする「普遍的キリスト教社会」の秩序が、国. ― 73 ―. 15.
(12) 家が教会に従属する「中世的神聖政治思想」 (. I , ) 93として形成された。南原は、トマスの国家論を「新しいキリスト教の. 理念と古いギリシア哲学の妥協」 、 「宗教的価値のもとに、学問・倫理・政治等文化諸価値の一大綜合を図る試み」( IV ,154 ). と特徴づける。このように、諸価値の分化への衝撃からはじまった西洋政治思想の第二段階も、その終局において、神政政 治的な文化綜合に至ったのである。. 西洋政治思想史の第三段階は、ルネサンスと宗教改革から始まる。ルネサンスでは、国家が宗教的・神的起源から切り離さ. れ、共同体の道徳からも分化した。ただしこの動きは技術的な権力機構としての国家の登場にとどまり、自律的な政治的価値. の発見までには至らなかった。他方、宗教改革では「信仰のみ」の原理によって教会の権威が崩れ、 「一般に人間文化価値自. 律への道が開かれた」と評される( IV , 223 ) 。ただし宗教改革も、原始キリスト教が切り開いた「愛の共同体」へ復帰しよう. とする試みに失敗し、神政政治的な国教会制度に戻ってしまう。だが、ルネサンス、宗教改革を経て誕生した人格の自律した. 活動により、十七世紀は「哲学・科学・道徳・政治等の自律の時代と称していい」 ( IV , 244 )時代となるのである。. しかしながら、ここで支配的となったのは原子的個人主義であった。国家は個人のための手段に位置づけられ、独自の政. 治価値を基礎づけるにはいたっていない。南原によれば、この個人主義を克服し政治的価値の基礎づけを成し遂げようとし. たのが、ドイツ観念論であった。南原は「真善美の各文化価値のまだ批判的分析を経ない形而上学的構想」であったプラト. ン哲学に対して、カント哲学は「各領域に固有の価値原理を定立した批判的方法」に基づいて、 「宗教・道徳および政治の各. 領域における文化の価値の自律とその相関関係の思想」 ( I , 142 )を確立したと特徴づける。このように、「遠くプラトンの. 偉大な理想国家の構想がカントによって初めて批判的構成を得た」 ( I , 142 )のであるが、カント哲学において自律した諸文. 化領域は、ヘーゲルの国家思想によって綜合されてしまう。南原はヘーゲルの国家論をキリスト教の「神の国」の近代的展. 開とみなし、そこで政治と宗教は完全に綜合されており、 「中世の神聖政治思想に対して、まさに近世的神聖国家の理念と称. することができる」 ( I , ) 97と評する。第三段階も、神聖政治的綜合へと行き着いてしまったのである。. ― 74 ―.
(13) 南原自身の時代は、ヘーゲル的綜合が解体し新たな文化綜合が求められている第四段階である。ヘーゲル的綜合の解体に. おいて中心的役割を果たしたのは実証主義と功利主義であったが、南原は、それらが諸文化の価値そのものを根拠づけるこ. とはできないと考えた。南原の歴史的課題は、実証主義と功利主義によって解体された文化的価値をカント哲学によって基. 礎づけると共に、それらを神政政治的な綜合ではない「超個人主義」へと統合することであった。過去の「超個人主義」は、. 神政政治的綜合に陥り、諸文化の自律性を押し留め、また次節で論じるように、文化を超越する宗教を地上的な価値に貶め. III , ) 64を求めるが、それは個人人格の価値を認めない、新しい神政政治の構想にほかならないのである。諸. た。そしてこの段階の「超個人主義」は、 「近代個人主義とその上に立てられた諸制度を廃棄して、真の「共同体」思想に復 帰すること」 (. 文化領域の自律化はいまだ達成されていない。近代はいわば「未完」なのである。この歴史の基本構図こそが、南原に同時. ― 75 ―. 代 の 神 政 政 治 論 の 危 険 を 悟 ら せ、 「 プ ラ ト ン 復 興 と 現 代 国 家 哲 学 の 問 題 」( 一 九 三 六 ) や「 ナ チ ス 世 界 観 と 宗 教 の 問 題 」 (一九四一)の批判的考察に結晶したのである。. 以上、価値並行論と文化国家論という二元的秩序論の構想の裏にある、南原の歴史の基本構図を描いてみた。価値並行論. という統制的理念を維持する必要性を彼に教えたのは、この歴史の基本構図ではなかったかという仮説を提示したが、この. ような検討を行ったのは、南原の表明された思想の背後にあって、その現実の受け止め方を規定した思考、あるいは出来事. を解釈し判断する際に働く志向性を解明したいからであった。価値並行論が掲げられるべきなのは、それが歴史の基本構図 に適っているからである。. ところで、これまでふれてきた南原の議論は、政治的なものをロゴスの側面においてのみ捉え、それ自体が生み出す解決. 困難な問題や、ロゴスの底にある生そのものに十分に目を向けていないように見える。真善美の自律化は文化闘争をもたら. し、解決困難な「神々の闘争」を招き寄せはしないか( .ウェーバー) 。カール・シュミットは、そのようなおそれから M. 『政治神学』 (一九三四)において「友敵」を宣言する政治に主導的な地位を与え、国家的な統合を守ろうとした。危機の時. 南原繁における秩序の構想.
(14) 代には非常大権にすがりたくなるものである。しかしそれにしても、価値並行論という統制的原理だけで平和的な文化綜合. を期待するのは非現実的ではなかっただろうか。最後に、南原の理論の基底にあって彼の価値志向を導いた前理論的なもの に光を当てたい。. 四 民族と日本的キリスト教. 南原を読んでいて戸惑いを感じるのは、ナチズムや田辺元の「日本哲学」を批判する彼が、東京大学総長として一九四六. 年二月一一日(紀元節)をあえて選んで、次のように講演するのを聞くときである。「わが建国の神話と歴史に盛られた意味. われらの遠き祖先の懐抱した理想を思い、ことに身みずから衆に先んじて昭和維新の精神的革命の範となり給うた皇室. ). ― 76 ―. ―. 。南原 VII, ) 32. を戴き、古き伝統に新しき精神を接ぎ木して、わが民族の真の永遠性と世界における神的使命を見出し、一致団結して新た. な「国生み」― 新日本の建設と新日本文化の創造に向かって、堅き決心をもって邁進しようではないか」 (. の民族主義、天皇制支持は、戦後に表舞台に登場するオールド・リベラルと、それに批判的な後継の世代との対立の焦点と. もなる。民族を「神的秩序」と呼び、 「日本の神話」の象徴的意味を汲み取り、日本民族の「天的使命」を見出すことを主張. (. する南原に対して、丸山眞男は「使命を考えるのは結構ですが、神話に普遍的意味を与えるのは非常に難しいところだと思 うのです」と反発する。. )とする。真善美の個人的価値は合理的なものとして扱うことができるが、正義という価値の場となる「社会共同体」は 144. 自己保存が必要とされるか、一般に政治的権力が維持されねばならぬかは、それ自体理論的思惟を超越する問題である」 ( II ,. 容」を内包することが指摘されていたことに注意しなければならない。南原は「何が故に国家的政治生活が形成され、その. このような南原の思想を理解するためには、価値並行論を論じるにあたって、政治特有の価値領域は「非理論的な文化質. 16.
(15) 「合理化が始まる前の非理論的な政治生活」 (. )においてすでに与えられているのである。先にふれたように、秩序構 II , 145. 想の原型において「民族的国家」は柱の一つとして数えられていたが、この見方は晩年に至っても変わらず、『政治哲学』. (一九七一)では次のように述べられている。 「人間は民族を通じて人類概念に連なり、われわれは人類であるためにも先ず. 民族として生きなければならない。かようにして、民族は個人と人類との間の紐帯であって、人類歴史の過程において、や. がて克服さるべき過程ではない。それはいわば事物の永遠の秩序に属するものと称していいであろう」 ( V , 328 )。. はじめに与えられている「非理論的な文化質容」としての政治共同体、民族は、血統ではなく文化を紐帯としている。民. 族は、文化創造の自由と秩序を守るために、政治共同体とならねばならない。政治的統一を欠く文化共同体は衰滅せざるを. えず、それゆえ民族という文化共同体は政治共同体とならなければならないからである( V , 329 ) 。こうして政治共同体は、. (. ). )と述べる。この日本的キリスト教の構想に、南原の主体的な行動や判断を導いたものを理解する鍵があるが、それ I , 275. 17. ― 77 ―. 文化共同体として文化を実現しながら、その活動において文化の統制原理の制約をうける。こうして文化国家の理念は、国 家や民族が神話化や宗教支配を通じて神政政治に陥いることのないよう防波堤の役割を果たす。. 以上のように、南原は「非理論的政治生活」の所与として「民族」を前提し、そのうえで、民族を文化によってロゴスの. 支配のもとに置くのである。そのために立てられたのが、価値並行論と文化国家論であった。このような枠組みのもとで、. 民族が生み出した神話や天皇制は、価値並行論の統制原理に従いながら文化発展に貢献する限り、認められることとなる。. 民族が生み出した伝統は、このような形において、彼の主体的な態度や判断を支える基底に置かれていたと思われる。. 民族と並んで、南原が前提に置いていたもう一つのものが宗教であった。この宗教は、民族の伝統とは異なり、彼の無教. 会キリスト教の信仰によって理解された宗教であった。南原は『宗教と国家』の末尾で、ヨーロッパ文化の危機とそれを克. 服しようとする神政政治的構想を批判しながら「わが国将来の重要問題の一つは真の意味における「日本的キリスト教」 ―. それは最近教会の合同統一運動において呼ばれるごときものとは異なる― の育成と新日本文化の展開にあると思われる」. (. 南原繁における秩序の構想.
(16) を読み解く手がかりとして、カトリック法学者田中耕太郎による南原批評をみておきたい。. 田中は、南原の理解した「神の国」と現世的な文化の世界との相互関係を問いかける。南原の宗教は原始キリスト教を模. 範とする、純粋内面的な信仰であったが、これに対して田中は、キリスト教の内容は理性による内容を超越するものばかり. 」 (信仰のみ)は、聖典解釈が主観的になるため、 「一般に文化的生活を宗教より解放し、之れより独立し sola fide. ではなく、理性をもつ人間にとって自明な「自然法的なもの」であると述べる。そして、教会の権威を否定したプロテスタ ン ト の「. (. ). て世俗的な発展を遂げしめる危険を多分に包蔵」し、また「人類相互を結合接近せしむることは困難」であると、プロテス. (. ). タントの抱える難問を指摘する。これら問題点を指摘した上で田中は、 「著者の信仰と政治文化の連結の様態を明示せられな. ければならない」と問う。そして、前述の「日本的キリスト教」について「著者に依る基督教の本質が上述の如く観られる限. 18. (. ). りに於て、伝統的基督教の信条において不変的又普遍的なものも、民族的のものと観念せられ得、基督教の日本化が一層広. い範囲で考えられることになる」と述べ、普遍的キリスト教が民族主義の虜となる恐れがないかと問うのである。. )。ルターの教会観は、歴史的には領邦教会 I , 309. )、ここに信仰と政治文化の連結が確保される。これが「信仰と政治文化の I , 321. 連結の様態」に関わる南原の解答であった。. る」ことによって独自に文化創造に働き(. 教からまったく切り離されたわけではない。むしろ文化の担い手である個人は「心情・良心において神的生命と直接結合す. 機となった。教会を中心とする文化綜合に代わって自律した諸文化領域が現れたのである。しかしながら、そこで文化は宗. の国教会主義に堕したとはいえ、教会を純粋内面化することで、教会のヒエラルヒーを解体し、近代の価値体系の自律の契. 者相まって同じく、不可視の教会である神の国の理念に連な」るとする(. 態」について南原は、ルターの所説を引用して、教会は純粋福音の自由の場、国家は自然法的道徳法則の基礎に置かれ、 「二. この批評に対して南原は「カトリシズムとプロテスタンティズム」 (一九四三)で回答する。 「信仰と政治文化の連結の様. 20. 続いて南原はこの宗教と文化の関係理解を基に「日本的キリスト教」を説明する。南原によれば、プロテスタンティズム. ― 78 ―. 19.
(17) 南原繁における秩序の構想. に内在する根本問題は「教会」 (. )である。彼が問題とする点は、ルターが教会を内面化し「見えざる教会」の理想を I , 331. 強調したのに対して、現実には「見える教会」が承認され、 「国教会」制度に堕してしまったことであった。最初の宗教改革. は未完に終わったのである。重要なことは「ひたすらキリスト・イエスの人格において象徴せられるごとき神的絶対理念と. の結びによって、内面的に構成された新たな人格的関係」 ( I , 333 )を築くことである。この見えざる教会の立ち上げという. 課題にとって、日本は不都合な土地ではない。 「長い歴史を通じ君臣・父子のあいだの絶対的忠信と信従の関係を実践し来. たったわが国には、ただに絶対主義的・封建的道徳という以上に、それを超えた、固有の高い道徳的基礎を欠きはしない。. かようにして、国民の各個がこの聖なる深き結合関係に入り込み、ついには全体のわが国民的共同体が真の神的生命によっ. ) 。 I , 333-4. て充たされるにいたるまで、神の国の形成は已まないであろう。しかるとき、日本国家の内的基礎は最も鞏固な永遠の精神. と地盤の上に据えられたものとなるであろう。 「日本的キリスト教」とは、これ以外のものではないのである」(. 日本的キリスト教とその文化との関係を確認しておこう。まず日本的キリスト教とは、日本文化に独自なキリスト教、日. 本の伝統と融和したキリスト教というものではない。ここでいうキリスト教は、原始キリスト教を典型とする「神的絶対理. 念との結びによって、内面的に構成された新たな人格的関係」であり、制度的実定宗教の殻を脱いだ純粋信仰というべきも. のである。このような宗教は文化を超越しているが、その超越したあり方を通じて、この地上の文化創造に生き生きと作用. する。そして、ここに「日本的」という形容詞が付されるのは、人間存在の非論理的前提としての共同体性に基づいている。. つまり、この純粋福音が伝えられる具体的な場が日本であるがために「日本的」と付けられているのである。南原の「日本. 的キリスト教」とは、日本という民族共同体の場において、価値並行論における宗教として各々の文化的領域を超越しつつ、 そこに生命を与える宗教のことであるといえる。. )にほかならない。そしてそれ故に、南原の政治理論は、内村鑑三研究や無教 Japan. 以上のように、南原の主体的な態度や判断の基底にあったものは、民族と信仰であった。それは、彼の無教会信仰の師で ある内村鑑三の「二つの 」 ( と J Jesus. ― 79 ―.
(18) (. ). 会キリスト教研究において指摘される特徴や限界を抱え込むことになるだろう。そのことを忘れてはならないが、しかし、南. 原の思想の独自性とその意義を確認しておくことはやはり重要なことだと思われる。南原は、非論理的政治生活の前提とな. る民族を起点にしながら、日本主義の辺境性には陥らなかった。イエスとの人格的関係によって生命を得ながら、政治的な. ものの過酷さを弁えていた。そして、諸文化領域の自律する文化国家の創造という「未完の近代」を遂行する中に、日本が. 世界秩序に貢献できる道筋があることを見通していた。その思想的課題は今なお色あせてはいないと思われる。. 五 むすびにかえて. 本稿は、南原の政治的思考を、価値並行論と文化国家論の二元的秩序構想、および諸文化領域の自律化としての歴史とい. (. ). う二つの軸において捉え、さらにその態度や行為を導いた南原の志向性の基底を、民族共同体と無教会信仰のうちに探った。. 南原の政治哲学に含まれる、ロゴスで割り切れない共同体の論理に対して、そのナショナリズムを批判する声は絶えない。. ). が、近年、無教会主義に関する研究が進み、その信仰を批判的に考察するものも現れてきている。だが、筆者の問いかけは素. (. 筆者はしかし、民族ではなく、もう一つの所与であった信仰を問いたい。無教会キリスト教の遺産は高く評価されてきた. ある。. れたとしても所与は歴史的な限定を被っており、その限りにおいて、批判を免れることはできない。南原の民族もその例で. 思想家は何らかの所与を抱え込んでいるものだが、それにロゴスを与えることで人々を説得する。しかしいかにロゴス化さ. 22. 南原の秩序像において、宗教には重要な役割が与えられていた。それは純粋福音の信仰がモデルであり、歴史において国. 改革によって非制度化された宗教はその役割を果たし得るのか。. 朴なものでしかない。今日、南原が想定した超文化的な宗教、愛の非政治的な共同体はどこに存在し得るのか、第二の宗教. 23. ― 80 ―. 21.
(19) 南原繁における秩序の構想. (. ). 家と結びついた宗教のあり方の克服が求められたのである。だが、そのような信仰が維持され続けるには、宗教共同体つま り教会が必要なのではないか。. 南原のナショナリズムに対する批判と信仰に対する批判の交叉点に、南原が生きた時代とは異なる現代の課題が現れるよ. うに思う。われわれの生を支える基盤となる共同体を、国家共同体や民族共同体に直結させることなく、いかに打ち立てるの. か。南原が前理論的なものとして置くことのできた民族や信仰を自明のものとせず、新しく生を支える基盤となる秩序をつ. くっていかなくてはならない。 「現代の真善美の配置」というテーマは、そういう問題をも視野に入れる必要があるだろう。. ( ). そのように課題を意識したときに、南原の信仰を伝える次の言葉は、励ましの言葉となって響く。. (. 註. 入し、綺麗に」することによってしか、その答えを見つけることはできないだろう。. 南原は自らの「預かり居る処」に対して誠実に見事につとめあげた。南原に問いかける者も、その「預かり居る処」を「手. 「主が再臨為さる迄に、自分の預かり居る処を充分に手入し、綺麗にして、主に御返へし申さん」. 25. )佐 々 木毅は、南原繁の生き方を導いたのはその「思考の枠組み」とともに、「世の中の基本的な現実に対する感覚や捉え方の内実 というもの、そしてそれを人間としてどう受け止めるかということについての真摯な問いかけというもの」があったのではないか. と述べている(佐々木毅「政治学者・南原繁」、立花隆編『南原繁の言葉』東京大学出版会、二○○七年、一八七頁)。本稿が解明 を目指したのはこの二点である。. ― 81 ―. 24. )本 稿 は二○一九年度西日本哲学会シンポジウム「真善美の現代的配置」における発表「真善美・国家・宗教― 南原繁による政治 哲学の構想」を改題し全面的に書き改めたものである。構成の変更に伴いタイトルを変更した。当日の拙い発表に対してコメント. 1. をくださった参加者にこの場を借りて御礼を申し上げる。 ( 2.
(20) ( )丸 山真男・福田歓一(編)『聞き書 南原繁回顧録』東京大学出版会、一九八九年、九六頁。 )前 掲書、一三六頁。. (. (. (. (. ( (. (. (. )こ の論文の初出は、吉野作造編『小野塚教授在職二十五年記念・政治学研究』第一巻、一九二七年(以下、初出版と表記)であ る。その後、改題され、文言が修正されて、『国家と宗教』第三章「カントにおける世界秩序の理念」に収録された(一九四三)。. (. 5. )初 出版、五五八頁。 )バ ーシェイ『南原繁と長谷川如是閑』宮本盛太郎監訳、ミネルヴァ書房、一九九五年、一〇〇頁。. )初 出版、五三五頁。 )初 出版、五三八頁。. )初 出版、五二〇頁。. )本 稿 では南原の資料として基本的に『南原繁著作集』(岩波書店)を用いる。出典箇所は、巻数をローマ数字、ページ数を算用数 字で表記する。. 「秩序の原型」という議論の性質上、初出版の出典箇所を注に示すこととする。. さらに『国家と宗教』の改版にあたっても修正されている(一九五八)。ここでは初出に出てこない用語はできるだけ避けつつ、. (. 6. (. 7. (. )南 原繁「フィヒテ政治理論の哲学基礎」(一)(二)(三)(四)、『国家学会雑誌』四四巻一一号、一二号、一九三〇年、四五巻五 号、九号、一九三一年。これはのちに、『フィヒテの政治哲学』(一九五八)の第一部に、趣旨の変更はないが、文言が修正され. て、収められている。. )価 値 並行論の立場は南原の生涯において保持されるが、戦後になると「経済」が加えられる。真善美正義の文化価値は並列・相関 しながら、上限に宗教、下限に経済が位置付けられるのである。経済はそれ自体価値を有するものではなく、諸文化領域の価値を. 下から支える役割を果たすものとされる。( III, 3-4 ) )南 原 はこれを主題的には論じておらず、折々の行論の中でふれるだけである。ここでは二元的秩序像の成立からそれほど時期が隔 たっていない論考を中心としながら、晩年の『政治理論史』(一九六二)も用いて南原の基本構図を描くことにする。. )プ ラ トン『ポリテイア』第九巻には理想の国家は「天上にモデルとして掲げられている」との一節があり、それは「神の国」を暗. ― 82 ―. 3. 8. 4. 9 12 11 10 13 14 15.
(21) 南原繁における秩序の構想. (. (. ( ( ( (. (. (. ( (. 示すると西洋では長く解釈されてきた。南原はその伝統的な解釈に従っている。南原のプラトン解釈の特徴とその問題について. は、納富信留『プラトン 理想国の現在』慶應義塾大学出版会、二〇一二年、第六章五節、および第九章を参照。. )南原繁他『南原繁対話 民族と教育』東京大学出版会、一九六六年、二四〜二五頁。なおこのエピソードの紹介を含む、苅部直「平. 和への目覚め」 ( 『歴史という皮膚』岩波書店、二〇一一年)は、日本思想史の背景から南原の思想的軌跡を鮮やかに描き出している。. )南 原 がふれているように、当時、政府の宗教政策によってプロテスタント諸教派が合同して日本基督教団が成立した。そこに関わ る人々が唱えた「日本的キリスト教」の多くは日本の伝統思想や国家主義とキリスト教との接合をはかるキリスト教であった(笠. 原芳光「「日本的キリスト教」批判」 『キリスト教社会問題研究』二二巻、一九七四年を参照)。本文でもふれるように、南原の「日 本的キリスト教」はこれと異なることに注意されたい。. )田 中耕太郎「紹介 南原繁教授著『国家と宗教』」『国家学会雑誌』第五七巻第五号、一九四三年、一一二頁。 )田 中、前掲論文、一一三頁。. ―. 無教会キリスト教の歴史社会学』岩波書店、二〇一三年。. )前 掲論文、一一三頁。 )半 澤孝麿「政治思想家内村鑑三」『近代日本のカトリシズム』みすず書房、一九九三年、赤江達也『「紙上の教会」と日本近代』. )加 藤 、南原繁研究会編『平和か戦争か』 to be 出 節『南原繁』岩波新書、一九九七年、坂本義和「平和をめぐって― 南原繁とその後」 版、二〇〇八年など。またその文化国家と民族国家を同一視する見方には、アイヌなどの少数民族に対する認識の欠如が問われるだ. ろう。. )前 注 に挙げたものの他、役重義洋『近代日本の植民地主義とジェンタイル・シオニズム― 内村鑑三・矢内原忠雄・中田重治に おけるナショナリズムと世界認識』インパクト出版会、二〇一八年も参照。. )近 藤勝彦『キリスト教の世界政策』教文館、二〇〇七年、第八章を参照。. 21. )石 原兵永「私の接した南原先生」、丸山真男・福田歓一編『回想の南原繁』東京大学出版会、一九八九年、一一五頁。. (かぶらぎ・まさひこ 九州大学大学院比較社会文化研究院 教授). ― 83 ―. 16 17 21 20 19 18 22 23 24 25.
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