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BはBeamarchaisをDuWは, - fukushima-u.ac.jp - 福島大学

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33

,,Clavigo の成立史に関する考察

半 田 恭 雄

本論中省略記号GはG㏄theを,

BはBeamarchaisをDuWは,

Dichtung uud Wahrheit をあ らわす. 一 は,作品名,書名,原 文引用に用いた.

1 1774年8月・ばじめて作者の本名を附して・「悲劇(とGは銘うつている)J ClavigoF が公刊さ れた・25才を迎えようとしていたGはまだ Werther 1の余韻のただ中にいた. Clavigo は5月に書 かれているから,この時点からふりかえれば,,Werther7 の誕生は3ケ月前である.

  Clavigo 執筆から公刊にいたる日付けは,Weimar時代以前のG,所謂der junge Gの人間的

発展をあとづける場合 象徴的な意味を持つ.ほぼ1年前に, 」G6tz von Berlichingen館が,今日の

姿に完成した.2年前にはWetzlarでCharlotte Buchと逢った.3年前が,Sesenheimでの

Friederike Brionとの交情のころにあたる.そうして, Clavigo の完成したほぼ1年後には,Lili

翫hづnemann体験を経て Stella が成り・やがてGはWeimarへ向う車中の人となる.1775年8

月を境に 彼の創作活動をわける事は・勿論慎重になされねばならぬが,ともかく詩人は故郷を去っ た・彼がイタリヤで異邦の庶民の息吹きの中に暮すまでは 彼の作品の世界はその足がかりの場を模索 し・イタリヤから帰ったのちは・Gは理念の世界に安住する事になる.牧歌的な世界,反抗と情熱の時 代 巨人伝説 英雄伝説の時代,庶民階層の言葉で,彼らの生活の現実と理想とを語る時代は終ってい

る.

2 1771年5月半ば・Sesenheimを最後に訪れたGは22才の夏を迎え,それと共に弁護士,即ち社会 の実際活動の構成員となり・女学的には彼のTitanenzeitを迎える.WetzlarのCharlotte体験の のちも 彼はPro口hetendramenに手をそめ・手をつけては放置していた.この時代をかけて,叉彼 は〃G5tz の初編を完成し・K廿nstlerdramenを書き,〃G5tzπを改作し,公刊し,気鋭の詩人とし

て・Jacobi 舗phie v、Lar㏄heらの数多い鋭敏な頭脳や誠実で進歩を目ざす魂と交っていた.しか

し・Gδtzの第2稿刊行後の1年間は・ほぼ〃Werther に捧げられた1年といってよい.Wetzlarを

去って1月たった後 一友人の自殺の報らせを聞いたGは・それまでの自分の生活態度,何人かの女性 との交渉 Herderはじめ多くの人材の感化によって自分の中に成長しつつあったさまざまの理念に,

形象を与える決心をした.実際の執筆と完成には,なお時日を要した.彼は Gδtz〃を持っていたから でもある、 G6tz の年のあけた1774年2月,彼は素材に筆を加え,筆を早めて,3月に Werther を 完成したd,Werther の与えた恐ろしいほどの感化力,特にドイツ文学にとって最初といってよい,

同一時代における国際的な影響力については 知られているので省く.この感化力はGの手を離れて独 立した作品から反転して,Gの身辺にも雲のように集まり,11月にはその内容についてモデルの夫に弁 明せざるを得ねほどだった.作中にみなぎっている反俗的,反封建的,反制度的な怒りは完全には理解 されなかった・G自身も反Werther的な体制の中に生き・つがねばならなかった事でも判るように,彼 の生きた時代の成熟の度合いは,G自身をも含めて,まだ浅かった.

3  Clavigo の中に,われわれは又べつのWertherを見出す.作者自身のいうところでは,Wer−

therは関係なく・むしろ GOtz のWeislingenなのだが(事実ClavigoとWeisli㎎enは,少

(2)

訓 福島大学学芸学部論集第17号 1%5−10

くとも理念の形象としては,すぐれた一対をなしている),clavigOは徹底的に個人的な存在である.し かも作者自身によっても個人的存在として捉えられていながら,彼を支えるものは時代精神であって他 のものではない.非人間的な策動,出世主義,冷静さを欠いた行動,制度の壁の中での無益なあがきと 敗北.作品のかもし出す雰囲気そのものが,暗く,みじめである.Weislingenを動かしていた要因が Clavigoと同じであっても,一方にはGδt7,Sickingenを頂点に,農民も兵士も一つにとけあった,胎

動する民族があった.社会的制約の中でその思想と行動を是認され,あるいは弾該される小人物は,

clavigo には意識されていない.しかもclavigoは実に社会的であり制度的である.それ故に一層 彼はBに対して明確に浮かび上り,自分を変革するところで没落するのである(その変革が敗北であり

逃避である事は後にのべる).この点でClavigoはWertherの誇張された変型といえる.Weislin9−

enとClav玉goを対比させようとしたGの試みについてはこれも後にのべる.

4 ,」Clavigor7のHandlungについて何らかの役割を持つ登場人物のうち少くとも三人はGの創造で あり,悲劇的で大時代的な結末については,粉本であるBの回想録は全く関与しない.現実のClavigo

は決闘で死ぬどころか,結局はBと(あるいはBの作品と),和解した.即ち後年Clavigoは,Madrid

で,他ならぬBの「セヴイリヤの理髪師Jの演出にあたっている.その他」,clavigo」『をめぐる人物のと

り扱いについてE.Beutlerは次のように注している{u.

  Clavigo von G㏄the ist edler,Maria ist weicher und n㏄h immer liebend,

  Beaumarchais ist unbedingter……

 この三人の人物の真実性については,勿論すでにBの潤色によって必ずしも一方的でないとはいえな い.ともかくGの作品中では,いずれもG的であると共に所詮は借りものであり・戯曲全体からいえば

そのH6hepαnktである第2幕の半分はほぼ完全な借りものである.「フランス人もスペイン人も,あ

まりにもゲルマン的である.」という不満もω,故のない事ではない.

5 Bの原作は,1774年2月の回想録第4巻である.まだ「セヴイリヤの理髪師(1775)」や「フイガ

ロの結婚(1784)」の作者としての名声を得るにいたっていない42才のBはほぼ10年前におこったある 事件をここに取り扱った.彼の妹Marieがスペイン王室のArchivariusと婚約し,捨てられ,再び(醜 聞となった為に男の方から)約を結び,叉破約された.その衝撃と絶望から妹は病気になり,Bはその 男を詰問するためスベイソに渡る.卑劣な方法で逃げようとした男は,結局スベイソ国王の断で罷免さ れ,Bは妹にかかっていた不幸な噂と屈辱を雪いで帰る.このスベイソ旅行が回想の骨子である・

 新しい気の利いた作品を発掘するのを好んだドイツの青年たちの集りに,この回想録をGがとりあげ

た.当時ドイツのDileしtant達の間に愛好されていたSturm und Drang的な言葉の散りばめられた

この作品は,青年たちを魅了し,たまたま遊びでGのパートナーになっていた娘は,真劔にかあるいは 世辞のつもりでか,その戯曲化をGに乞うた.Gは承諾し,一週間でかきあげた.この間の事情は,

DuWの中に,若い日を追憶する感傷をまじえて告白されている.

 とにかく戯曲化は成功したが,好評ではなかった.Gの貴重な批評家であるJ.H.Merckは駄作と

してはげしくきめつけた.彼らが提携して生きた文学的時代感情からすれば, G6tがから一転してフラ ンス古典劇の技法に偏向したという批評が,不満の表明だった事もうなづける.だが創作当時のGは,

かなりの満足感を持っていた.

6 この満足感はしかし,成立の直接の動機の他愛なさにもかかわらず,G自らがさまざまに解説し,

抽象的な位置づけを行うためもあって,作者の何を明確にするものかわからない.純粋に上演効果が関 心の中核なのか,創作技法の成熟度なのか,サークル内の雰囲気にあわせた創作という意味で成功した というのか,あるいは個人的な体験によせるGの反省,叉はその体験の一応の清算ということなのか.

一般には(ある時期にはG自身によっても)Friederike体験の清算,という事にされている.それを暗 示する例証は数多く,作品自体の中にも見られる.一般的にいって文学作品は,さまざまな思考の成果 のKraterであって,成立の要因は当然一つではあり得ない.純粋に観賞者の目を通せば,創作の意図

(3)

半田: clavigo の成立史に関する考察 舖

は何であっても差支えない.しかし,作者の人間研究の上では,個々の作品の成立事情を明確にし,作 品の密度と関連づけて検討することは,個々の歴史的事象の分析と同様に必要である.作品としての,

及びGの成長過程の中にしめる里程標としての Clavigo の価値を・Friederike体験の記念という点 にのみ求めてよいものかどうか,論者は疑問に思う.この疑点を多少なりとも明らかにしてみたい.

7 次に,筋の展開にそって,場面ごとに作品を検討してみよう.

 第1幕1場は,主人公と親友の対話を通してVorgeschichteとVoranmeldungが語られる・作家

として,官吏として,G自身のように昂然たる青年と,彼に自分の夢をかける同僚Carlosの描写は,

原典にわずらわされない創作の中で,日常のG達を見るようである.そして,Clavigoを決定している 人生観,価値観は,Gがそう思いこんでいるかのように生気にあふれている.王室の恩寵,学識と地位 に基いて彼の受ける尊敬,これらがすべて彼を駆りたてる.何処へか.高みへとだ.それをひきとめる ものを,彼はふり捨ててゆく.

  Hinauf!Hinauf!Und da kostet s M he md List!Man braucht seinen ganzen

  Kopf,und die Weiber die Weiber!Man vertandelt gar2u viel Zeit mit ihnen・

  (261−23f〔.)ω

  Wenn wir nicht f丘r so viele Leute arbeiteten,waren wir so viel Leuten nicht   丘ber den KoPεgewachsen. (263−11f.) ㈲

 しかし一方で彼を,はっきりと自分でも言えない荘たる不安が捉えている.それは,自分が憧れ,望 んでいるものの空しさでもあり,地位であり,女でもある.Dass man so veranderlich ist!(262−

24)という実感である.彼は官吏であるよりは詩人であり・古典期の人であるよりはSturm u・Drang 的である.「人間というものが判らない.(262−12)」 明確な意図のもとに恋人を捨てたと告白したす

ぐあとに,彼は自分の感情が判らなくなっている.

8 宮廷,スペイン人,利己的な甘え者に対して,市民,フラγス人,捨てられた(恋人から,社会か

ら,法から)人々の集団が,第2場に一斉に登場する.加えてGer㏄htigkeitが・中途でフランスか

ら駆けつけた態で登場するBを決定する.彼は妹の不幸に憤りながらもこう云う・

  Wi11 s Gott,du bist unschuldig,und dann dle,alle Rache曲er den Verr蕊ter!

  (266−37f.)

  Das GefOhl einer guten Sache soll meinen Entschluss befestigen,und glaubet   mir,wenn wir r㏄ht haben,werden wir Gerechtigkeit〔in{1en、 (267−3f.)

 Marieを決定するのは,さらにSturm und Drang的なEmpfindlichkeitである.

  Clavigos Liebe hat mir viel Freude gemacht,vielleicht mehr als ihm die

  meinige.Und nun−Was ist s nun weiter?Was ist an mir gelegen?an

  einem M互dchen gelegen,ob ihm das Herz bricht?Ob es sich verzehrt md sein   訂mes junges Leben ausqu蓋1t?.一〇b s ihm wohl einerlei ist−dass er mich

  nicht mehr liebt?Ach!warum bin ich nicht mehr liebensw廿rdig?Aber

  bedauem,bedauem sollt er mich!dass(iie Arme,der er sich so notwendig   gemacht hattel nu且ohne ihn ihr Leben hingchleichen,hinjammem soll。一   Bedauern!ich mag nicht von dem Menschen bedauert sein.(264−10ff.)

 Gはこれに,民族的な素質のちがいをとり入れた.Marieは素朴に,「spanischer Geistに捉えら

れる時,自分は男を憎むことができる(264−26f.),」と,自分の気持を解明してみせる・しかし問題 はやはり男の変化にあるのだ.Marieもこれは感じとっている.

  Wie er n㏄h Clavigo war,n㏄h nicht Ardlivariu3des K6nigs,wird er der

  Fremdli㎎.der Ank6mmli㎎,der neu ei㎎ef血te in u膿rm Hause㎜■,

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35 福島大学学芸学部論集繁17号 1%5−10

  wie liebensw菖rdig war er,wie gut!Wie schien all sein Ehrgeiz,alI sein   Aufstreben ein Kind der Liebe zu sein.Fhr mich rang er nach Namen,

  Stand,G丘ter,er hats,und idb ! 一(265−26f.)

 こうして二つの場の明らかな対比,昂ぶった快活な学生的なStimmungと,暗く,しかし熱っぽく

燃えている情熱とが巧みにあらわれる.

9 Clavigoの没落の第一歩は,第1幕に見られた彼の心の動揺が,もう一度あらわれる第2幕にはじ

まる・フラγス人の来訪をうけた彼は,忽ち不安を感じる.

  Franzαsen!Sonst war mir diese Nation willkommen,…一・Und warum nicht

  jetzt?Es ist wunderbar,ein Mensch,der sich廿ber so vieles hinaussetzt,

  wird d㏄h an einer Ecke mit Zwirnfaden angebunden,…Weh!und war ich

  Marien mehr schul{1ig,als mir,und ist s eine Pflicht,midl ungl極cklich zu   machen,weil mich ein M記chen liebt.(267−11ff.)

 彼は一刻も早く相手の正体を知らずにはおれぬ.一方少しづつClavigoの良心に触れ,その中へ事

実の鋭い錐をもみこんでゆくBの言葉は,さいごに,他人事を紹介する偽装から一瞬転じて「その兄一

それが私だuと,Archivariusを打ちのめす.身動きならぬCavigoは必死に弁明するが,結局はB

のいうままに詫び状を(一言残らずBの口写しで,かつ従僕一同を呼び集めた前で)書かされる羽目に なる.彼はBを殺す事も考えるが,世間体と消極さが(正義感ではなく)それをさせぬ.彼の抗弁は聞 き苦しい.

  Oh mein Herr!Wenn Sie w廿ssten,wie ich he verhetzt worden bin,wie ich   durch mancherlei Ratgeber und Umstande・…一(273−22f.)

  Ob ich sie gut machen kann, das hangt von dem Herzen皿1rer vortrefnichen   Schwe3ter ab,ob sie einen Elenden wie{1er ansehen mag,der nicht verdient das   T㎎eslicht zu sehen.Allein Ihre Pflicht ists,mein Herr,das zu prhfen und   darnach zu betragen,wann Ihr S¢hritt nicht einer jugendlichen unbesonnenen   Hitze曲nlich sehen so11……(275−37f.)

 彼は子供同然の自分を感じ,Wo bist du,Clavigo?Wie wilIst du das enden?(274−30f.)

と自問する.しかし少くともこの場では,屈辱は感じても,自分を責める事の方が多い青年である.B 側の人々が後にいうように,彼は生命を惜しみ,臆病なのかもしれぬし,あまりにもMann von Ehre であるために,公然たる敵にも刃を向けられぬのかもしれぬ③.しかしこの場丈に限って見れば(それ が目くらましにもなるのだが),批判に抵抗し得るだけの人間性は示している.脆弱で,たよりないとし ても,誠実で,自省的である.彼は,すでにかくある事を見通していたCarlosのすすめをふり切って

(Bを奸計に陥しいれるかわりに),自身Marieの許しを求めに出てゆく.彼の嘆きは,第1幕の予

感を実現する.

  So unerwartet aus einem Zustand in den andem.Man taumelt,man traumt1

  (279−1f.)

 第1場の途中で,既に蘭曲の基調はBをはなれてG自身のものになっている.この縫合の巧みさは認

められてよい15,.それは多分,Clavigoが悪玉を演じた原典に,相手に圧倒され畏敬の念さえ抱くClavi−

goを,はじめから附与した事によるのである.さもないと何故clavigoがかくまでBを賞讃し,罪人 となってMarieのもとへ走るのか,判らぬところである.後にのべるように,Gの筆をもってしてな お,二人のClavigoの分裂は認められるが,それはClavigo的人間そのものの替でもある.

10第3幕では,彼の来訪は周知の事になっている.人々のいぶかしんだり,疑ったり,感動したり憤

ったりする中にあって,Marieは喘ぐだけで,言葉は科白にならない.やがてMarieの許へCIavigo

が駆けこんで来る.彼の長広舌は,たしかに感動的である.身勝手で,自己陶酔的で,Marieのためよ
(5)

半田:御clavigo の成立史に関する考察 37

りはむしろ己れのための釈明である事に,不快な印象は拭い切れないにしても,それにもかかわらずそ の一途さゆえに感動的である.

  Und nun−bin ich nicht ebenderselbe?Sind Sie nicht ebendieselbe?Warum

  soll ich nicht hoffen d苞rfen?Warum nicht bitten?Wollten Sie einen   Freund,einen㏄liebten,den Sie nach einer gefahrlichen ung1並cklichen Seereise   lange f芭r verloren geachtet,nicht wieder an Ihren Busen nehmen,wenn er   unvermutet wiederk蕊me,und sein gerettetes Leben zu Ihren F亟ssen legte?

   (284−1しf.)

 彼は,Wie k6men Sie mich hassen,da ich nie aufgeh6rt habe,Sie zu lieben?(284−

21f.)と問いかけ,再出発を二人のものにしようと誘う.

  Glauben Sie,die besten Freuden der Welt sind nicht ganz rein,die hδchste   Wonne wird auch durcb unsere Leidenschaften,durch das Schicksal unterbr㏄hen。

  wollen wir uns beklagen,dass es uns gegangen ist wie alle andem,und wollen   wir uns strafbar machen.indem wir diese Gelegenheit von uns stossen,all das   Vergangene herzustellen,eine zerrhttete Familie wieder aufzurichten,die   heldenm廿tige Tat eines edlen Bruders zu belohnen,und unser eigen G1趣ck auf   ewig zu befestigen ? (284−32f)

 Marieが思わず,O Clavigo!と叫びかえした時,彼は彼女の手にはげしく接吻はするが,許された,

という事の証人を求めるように,Marieではなく居あわせた人々を抱擁する.Bは彼を愛する気は毛頭 ないが,妹ゆえに許し,詫び状を破り捨てる.clavigoは狂喜して,そそくさと退場する.詫び状が破

り捨てられた事が,ClavigoのSchuldge島h1そのものを,故のないものと化したかのような印象を与 える.B達も同じで,さすがにBは早まったと気付くけれども,この不安はそのまま,今後のHImd−

1ungの展開によせるわれわれの不安に転化される.

11第4幕.CarlosはClavigoをまちうけている.ここに一つの典型(WertherとAlbert,Gδtz とWeislingen,PyradesとOrest,AntonioとTasgo,MephistophelesとFaust,それぞれの

中にVarietat,もしくはVariabili膳tを持ちつつあらわれる典型)がある.しかもこの二人が同一人 でもあり得る事は,名誉と外聞,世間態と社会的栄誉が関心の最たるものだった主人公が,Carlosの 説得,折角の栄達の道を感傷や義理で捨てたら世間は何というだろう,とたたみかける説得に対して,

Die Leute,immer die Leute .(290−12)と応じるのでも判る.

 自分の良心と社会の姪椎,制度に順応したいという自分の憧憬と,同時に制度の外にある人からも 好かれたいという慾望の板ばさみになって苦しんでいるClavigOは,結局,CarlOSに打負かされる.

Carlosは,次のようにさえ云う.

  Tut das der S¢h6pfer in seiner Natur,{1er K6nig in seinem Staate−warum   sollten wir s nicht tm,um ihnen曲nlich zu werden?(294−15f)

 能力のある者はその力を十分,あらゆる方向に発揮して,高みに登りつかねばならぬ,というのが

carlosの説である.しかもClavigoにはその価値があり,自分は親友のclavigoにおいて,その実現

を待っているのに.

 しかし,Clavigoにとって決定的なのは,Marieの病みおとろえた配、さである.∬Mitleiden−aber Liebe! (291−34f.)と彼はいう.そうして,Carlosの言を容れる.しかし,Carlosが友人に求め

られるのは,Bへの報復でも,名誉の回復でもない.ただ,Marieとの結婚の解消(2度目の)である.

いわば,肺病やみの貧しい娘と,義理で結婚せずに済ます方法・である.

12MarieはClavigoのこの変化を,そのEmpfindlichkeitで正しくうけとめている.言葉にはあ

らわせないが,劃Faust のGretdlenのように予感し,戦慄している.第2場で彼女は姉に打明ける..
(6)

鵠 福島大学学芸学部論集第17号 1%5−10

  Ich sage dir,es ist nur halbe Freude,dass ich ihn wieder habe.lch wer(1e das   Gl芭ck wenig geniessen;vielleicht nicht,das mich in seinen Armen erw訂tet.

  (297−22t.)

 兄に届いた手紙が,Clavigoの裏切りの報せであることを察したMarieと,兄の間に,次第に激情 がたかまり,科白はs憾rmendに,w廷tendに,ragendになる.

  (Maria)Ich sehe dein Angesicht nur wenige Zeit;aber schon drhckt es mir alIe   deine Empfindungen aus,一一(298−17f.)

  (B)Deine Zunge l廿gt.Ha!Die B1益sse deiner Wangen,das Zittem deiner   Glieder,alles spricht und蟹}ugt,dass du{1as nicht abwarten kannst.(298−32f.)

  …Marie!Marie!du bist verraten!(300−11)

 Clavigoは(行動を起したのは勿論Carlos)Bを脅迫と家宅侵入のかどで訴え出,Bが国外に退去

せぬ時は,「大使にも如何ともなしがたい(300−23f.)J拘禁が待っていると知らせる.兄妹いずれ にとっても,これは思わざる事態ではない.そもそもはじめから彼等の前に立ちはだかっていたあるも の,貴族的な,官僚的な,非人間的な(たとえその中にfreidenken(1な(海lo3や,S蜷rkeに欠けた 正直な小人物の,われわれをうなづかせる人間像があるにしても),陰謀と破約による自己保全の世界

といってもよいあるもの,に打ち当って,兄妹はなげき,怒るのである.Bは,Undichstehehier!

一Wohin−was−ich sehe nichts,nichts!Keinen Weg!Keine Rettung!(300−11f.)

と叫び,Marieは事態の紛糾と恋人への複雑な感情と,兄の憤りの凄まじさに,衝撃を受けて死ぬ.

13おそらく事の吉左右を論じ,検討するために,ClavigoはCarlosに呼ばれてゆく.彼が進みたく

なかった,しかし便利な近道は,Marieの家の前である.出棺の模様で彼は一切を知り,この事態を避 けてはゆけない事,かくなる事を知っていたはずの自分たちに気付く.第5幕の雰囲気は,前幕のBの

Stimmungの連続で,Clavigoの悲嘆と怒り,自己撮悪と自省は,Sturm und Drang的な,激越

な,混乱した科白で示される.

  Nein!Nein!du gollst nicht sterben.Ich komme!Ich komme!一

  Verschwin{iet,Geister der Nacht,die ihr euch mit互ngstlichen Sehr㏄knissen   mir in den Weg stellt(Er geht aus sie los.Verschwindet!一Sie stehen!

  Ha!sie sehen sich nach mir um!Weh!Weh mir1es sind Menschen wie

  ich. (303−17f.)

 彼は恋人の棺の前に進もうとしては戻り,叉進もうとし,その間に自分の小ささを振り捨てる.(し かし,彼は,まだ, Erbarm dich meiner,Gott im Himmel,ich habe sie nicht getぐtet!

(303−25f.)と叫ぶのである.)彼は過去の自分とMarieの交渉を追憶し,狂乱する.ここいたって はじめて彼は,Bと同じく,ありのままの苦悩を,感じるままに叫び出す人間になる.もうClavigo

は,実在のスベイソ人でも,Bの描くそれでもなく,G的なclavigoである.慣習のくびきをやっと

振りもぎろうとする,しがも純粋に生きようとする,だが迷いに迷って,感情の命じる道を歩み出んと

する,より小さいWertherである.

  Sie ruft mir!Sie ruft mir!Ich komme!一Welehe Angst umgibt mich!

  Welches Beben h注It mich zur廿ck!(304−3f.)

 彼は今から自分が面をあわせる人々の事を考えて戦慄するが,ついに棺の前に立って行列をおし止め

る.

  Lasst!macht mich nicht ra§end!die Ungl廿cklichen sind gef益hrlich!Ich muss   sie sehen!(Buenco:Willst du sie erw㏄ken,um sie wieder zu t6ten?)Armer   Spδtter!Marie!(304−20ff.)

 BもIch muss sehenと叫びつつ出て来るが,実在のMarieとClavigoのこの悲劇的な出合いは

(7)

半田: Cla▼igo の成立史に関する考察.1 39

なかったのだから,Sie ist nicht tot,sagen sie.(304−27f.)というBの独白は・このIch muss sehen!をひき出すための手段と見る他はない.Bの狂態はClavigoへの怒りが第一であるはずだし,

そう仕組まれている.又,Marieの死は,n㏄h immer liebendな娘の終末であり・Clavigoの場合

も戯曲上の関心は贖罪であるはずだから,Bのこの疑惑は場にそぐわない.

 ともかく,二人ば(HamletとLaertesのように)棺の前で争い・斬り結び Clavigoが倒れる・

二人の争いのきっかけは,Clavigoの出現ではなく,むしろClavigoの次のような科白である.

  Ich f菖rchte deine gl henden Augen nicht,nicht die Spitze deines Degens!

  Sieh.hierher,{1ieses geschlossene Auge,diese gefalteten Hande! (304−39f・)

 ClavigoはListを好まぬ人間として設定されている上に,当面の事態の直接の責任は,Carlosに 転ぜられている.少くともClavigOはそう思っているので・Marieの死についてBの非を鳴らすいさ

さかの権利を,Marieの姉のSophie(6)同様,持ち得ると自分では考えている.たまたまBも自分の暫 を感じているのでClavigoの非難が的を射る事になる.彼の非難は叉Bを激昂させる事によって,自分

の贖罪の時を早める手段にもなった.死にいたるまで自己中心的なClavigoの態度が,この疑いを抱

かせるのである.なるほどClavigoは感謝しつつ倒れる. ∫Ich danke dir Bruder!Du verm曲lst uns『 .(305−6)しかしこれは信義と友情の回復というよりも,主人公の自己満足に思えてならない.

Clavigoはカ・OナつけたCarlosに,

  H6re mich,Carlos!Du siehst hier die Opfer deiner Klugheit−Und nunドー・

  rette meinen Bruder−Sie haben mir vegeben,und so vergeb ich dir.Du   begleitest ihn bis an die Grenze. (306−3ξ・)

 といい,周囲の人々に手をさしのべ,(Bueuco丈は最後の瞬間まで疑う)」 Sagt mir!vergab sie mir?Wie starb sie? (305−35〔.)と問い,Marieが自分の名を呼んだ他は誰にも別れを 告げずに死んだと聞かされ,

  Ich will ihr nach,un{i ihr den eurigen(Abs¢hied)bringen. (305−39)・

 と云って冥目する.あとは地団太ふむCarlosと,フランス人達の騒然とした逃走である.

個 いささかくどい位に読み進んで来た中で,いくつかの点について認識を得た・それらはすべて一つ の点に収斂する.この作品が,そもそも何を狙ったものであったか,という事である.

 一例をあげれば,同じClavigoが事件一つを契機にすっかり殊勝になったのはよいとしても,Bに傾 倒してしまい,B一人にだけはその敬意を貫こうとするのはどのようなものであろうか.叉,雄々しく 闘って,死によって恋人との結合を完成するのはよいとしても,最後において罪の自覚が動揺し,結局 CarlosやBに転嫁されてしまうのはどういうものか.世間態が生活信条の中核とも思えたClavi90が,

小心者である証拠とはいえCarlosに嫌悪を示すのはただCarlosが極端だからか.理論化することは

簡単でも,対象は観衆である筈で,この種の人間の行動を如実に見せ,rea1に観衆に対した場合,戯曲 の進行にブレーキをかけはしないか.それでも,これらを意識的な造型とするならば・その意識はどの ようなものなのか.一般にいわれる如く,もしこれがかつて捨てて来た娘への,G自身の贖罪だとする ならば,彼の自分の作品に対する満足は,贖罪が十分果されたという満足に見なしてよいのか.

15第1幕の思いあがりと陽気さ,不安と憂愁のかげ.第2幕の定石通りの緊張と期待,社交辞令,嘘

と現実の交錯したBの話はこびの巧みさ,緊迫した二人の男のぶつかりあい(残念ながら一方的の感が

ないでもない.一方はBその人で,他方はほぼ十二分に,Gの創造物だからである)・第3幕のSturm

und Dran9的な展開の早さと多感さ.第2幕にはじまって第4幕において頂点に達する・もう一組の

男たちの,気っぷは良く面白いが,やはり一方的な信念の戦い.第5幕における王朝悲劇のような荘重 さと感傷の混合物.これらは古典的な整合と,G6tz的な混乱の中間に立っている.同じようにかんた んに動揺する男の身勝手な,しかし悪意ではない不幸な生涯の物語劃Stella と比べると,〃ClavigoF

の焦点の定まらなさが感じられる. Stella のFemandoは,Clavigoのように中途半端な・雄々し

(8)

40 福島大学学芸学部論集第17号 1%5−10

く劔を振う小人物という矛盾した姿で,復活しては来ないのである.

 登場人物の個性的な面白さや,彼等が内蔵している変化発展への可能性については稿を改めるが,そ れぞれの未成熟さが作品に与えた影響,およびそうならざるを得なかった作品の成立事情は,考慮され るべきであろう.Clavigoについては大分多くを述べたが,彼の優柔不断さは,Weislingen(脇役と しての)のそれと同質であろうか.たんなる誇張(主役としての)であろうか.

 B兄妹はおそらくG自身の感覚主義の影響を多分に持っているし,その上叉So画ieによって,適確

に規定されている.

  Du(Maria)und der Bruder,ihr seht sie in einem allzuromantischen Lichte.

  Du hast das mit gar manchem guten Kinde gemein,dass dein Liebhaber treulos   ward,un{1dich verlies;und dass er wiederkommt,reuig sienen Fehler

  verbessern,alle alte Hoffnungen erneuern will−das ist ein G1ヒck,das eine   andere nicht leicht von sich st{)ssen wjrde. (281−19f.)

 彼らをいたわり,批評するスベイソ人Don Buencoは,誠実で直感力もあり,たのもしい男だが,

Der K6nig ist gross und gut. (283−29)と断言して,Sophieの夫Guilbertに揶揄されてい る,einmelancholischer Ung聴cksvogel(286−22)である.

 脇役として美事に結実しているのはSophieで(特に第4幕終りの兄をののしる前後の心理描写の巧

みさが印象深い),おそらく同名のSophie von Lar㏄heその他の,社会的,家庭的に地位を確立し ている女性達の記憶が働いているであろう.叉,劇中の地位や役がらは,」 G6tz のElisabethσ}と同 断で,その転用と思われる点も見逃せない.

16われわれの注意をひくのはCarlosである.(彼については,そのCharakteristikに,ほとんど一

論を草する要があるほどだが)一言するならば,彼は人間の慾望(対社会的にも対人間的にも.Mephisto に比較していわれる事だが官能的な意味でも)を正当化する,人間各個人に内在しているKlugheitで

ある.この主題だけは,Clavigodramaの作者の手にはあまる.特にClavigoの役づけの弱さのせい

もあって,劇中大まかにいって二つあるStimmungの間に橋わたしをするべき役がら(後述)を,

Carlos自身不十分にしか果せないでいる.彼はBの糾弾を,面白がってやっているのでも,ある理論の 実現のためにやるのでもない.自分をためしてみる行動は彼にはない.彼はClavigoのために存在し,

自らそう力説しながらも,clavigoのためには結局何一つ果さない.clavigoの極端な人の良い銷沈

と,Carlosの陽気で,断定的で,強引で時には無慈悲な弁論との対照は,この場丈で独立させておきた い位である.

17〃Clavigo がわずか一週間で書きあげられたこと,Kleistの,,Der zerbr㏄hene KrugF の場合の ように⑧,仲間との歓談の席から生まれた事は,もうそれだけで,いわゆるG的戯曲を考える時に奇異 の感じをわれわれに与える.作品そのものに即して,この感じは一層強まる.(勿論目下のところ Cla−

vigO を舞台の上で観賞できないのは,われわれに論及の重大な足掛りを失わせる事になる.特にこの 劇を書くにあたって,Gが多少とも大向うを狙うつもりだった,という事の明らかな証拠もあるからで ある。)(9)従来 Clavigo の中に観られて来たものは,Friederike体験のGに残した傷跡であり,その

悔恨であった.叉,Sturm und Dran9期のGと古典期のGとの間の橋渡しとしての創作技法であっ た.これらの論の支えとなっていたものは,G自身が手紙や自伝に残した告白であり,Bの回想録と Gの作品との照合であり,今日にいたってもなお生き続けている伝説,Faustの詩人は凡ゆる作品に

Faust的な,全人間的な素材を意識的にとりあげ,完全な作法によってそれを定着させている筈だと いう,伝説であった.

 勿論論者も,G自身の言葉に立ちかえらねばならぬ.DuWの中で,Gは〃Clavigo の成立事情を彼

なりに説きあかしている.作者自身の,それも40年を経た後の回想が,rea1な真実を伝えているという 事は大変考えにくい.しかしidealには真実を語っているといえないであろうか.彼は Clavigo に
(9)

半田: ,Clavigo の成立史に関する考察 41

ついて語る所少いのであるが,一ぺ一ジ以上を費した回想の場面は,戯曲の第1幕そのままのfrohe

S止i㎜ungを持って,彼の囎の一端を暗示している.

  …und nachdem man viel dar廿ber hin u且d wider gespr㏄hen ha†te,sagte mein   lieber Partner:Wenn ich deine Gebieterin und nicht deine Frau ware,so wnrde   ich ersuchen,dieses Memoire in ein S¢hauspiel zu verwandeln,es scheint mir   ganz dazu g㏄ignet zu sein.一Damit du siehst.meine Liebe,antwortete ich,

  dass Gebieterin und Frau auch in einer Pergon vereinigt s£in k6nnen,go   verspr㏄he ich,heut Uber acht Tage den Gegenstand dieses Heftes als   Theaters憎ck vofzulesen,……Man verwunderte sich廿ber ein so k茸hnes   Verspr㏄hen,und ich s互umte nicht,es zu erf田len.Denn was man in solchen   Fallen Erfindung nennt,war bei血I augenblicklich;……(71−12ff.)oo

 伝記はこの前後で既に,サークルの快適さとパートナーの素晴しさ(「もし牧師がそこに居あわせたら すぐ式をあげたかもしれぬ」(71−4f))に再び酔い,創作の苦心談さえも,

  Meine gebietende Gattin erffeute sich nicht wenig daran,und es war.als wenn

  unser Verhaltnis,wie4urch eine geistige Nachkommenschaft,durch diese

  Produktion sich enger zusa㎜enzδge und befestigte. (72−14 f.)

 という回想でしめくくられ, Durch solche und mdere geistreiche S¢herze・・」(n−32)には,

じまる断章で,舞台から姿を消す. ρ1avigo2 の成立事情も,geistreiche Scherzeの中に含めている 事が注目される.

 創作の過程についてGのいう所は,要約すると次の如くである.先ず腹案はその夜のうちに出来た.

彼はその理由をあげていう.

  …dass schon beim ersfen und zweiten Lesen der Gegβnstand mir dra瑚tisch,

  ja thea奪rali瓠h vorgeko㎜en, ・一(71−36 f.)

 彼に必要なのは,Anfegung丈だった.次に主要な場面やそもそも演劇的な表現は,紺ber㏄htigt durch unseren Altvater Shakespeare,wδrtlich に訳出され(Bの原作に対するGの態度をいって いるのではあるが,同時に人間心理の言語による飜訳の態度をも暗示している. G6tz 的な作劇の技法 が,構成のみか科白までShakespeareの影響下にある事は周知である。), umzuletztabzuschliess−

en, 最後に.は英国のあるBalladeの終未を借用したという.

  Der B6sewichter mn{1e,die aus Rache,Hass oder kIeinlichen Absichten sich   einer edlen Natur entgegnsetzen und sie zu Grunde richten,wollt ich in CarIos   den reine且Wel奪verstand mit wahrer Freundschaft gegen Leidenschaff,Neigung   und aussere Bedr互ngnis wirken lassen,um auch einmal auf diese Weise eine   Trag6die zu motivieren.(72−1 .)

 実際に創作の直後に残されたGの告白はこれとはニュアンスがちがっている.年月の距りはあったと しても,満足感を持って書きあげ,G特有の措辞や人物の設定の上での改修が行われていないままに,

残っている戯曲の場合・ともかく作者自身納得のゆく正当化が,異った局面からなされている筈であ る.おおよそ推測される完成日(5月20日?)から10日だって詩人自身にも Clavigo の焦点が明確に なって来る.彼は友人に告白して云う.OO

  Mein Held,ein undestimmter.halb gross,halb kleiner Mensch,der Pendant   zum Weislingen im G6tz 7,vielmehr Weislingen selbst in der ganzen Rundheit   einer Hauptperson;auch finden sich hier Szenen,die ich im Gδtz艀,um das   Hauptinteresse n icht zu schwachen,nur andeuten konnte.

  G6tz の中の点景を拡大し,焦点をあわせたといってよかろう.

(10)

42 福島大学学芸学部論集第17号 1%5−10

18D亘Wの中にわれわれが見出だしたのは,Gが問わず語りに,,,Clavigo 脚色の手柄を誇っている 箇所であった.40年を経た時点にあってGの中に満足感を残しているのは,友人にあてた場合のように

Clavigoでもなければ,別に言及しているMarieでもなく(いいかえればWeislingenでも,捨てら

れた娘でもない.さらにGの現実生活の中に観訳すれば,G自身でもFriederikeでもないのである),

Carlosであり,しかもCarlosを用いて行う,「悲劇の動機づけ」であった.論者の結論にかかわるが・

次のような多少の弁明と,恥じらいと媚びを含んだ告白に,われわれはより大ぎな真実性を感じる.

  …es ist auch gut,wenn manches sich an den gewδhnlichen Sinn anschliesst.

  Hatte ich damals ein Dutzend St丘cke der Art geschrieben,welches mir bei einiger   Auεmunterung ein leiclltes gewesen ware,so h乞tten sich vielleicht drei{)der vier   davon auf dem Theater efhalten.Jede Direktion,die ihr Repertorium zu schatzen   weiss,Kann sagen,was das[hr ein Vorteil ware. (72−25ε.)

 後年Eckermannに語ったところも,ほぼ同じ内容である.

  In der Zeit meines Clavigo w溢re es mir ein Leichtes gewesn,ein Dutzend   Theaterstncke zu schreiben;an Gegenstanden fehlte es nicht und die Production

  曜dmirleicht;ichh甜ei㎜erin㏄h†丁嬉eneinStnck㎜chenk6nnen,und

  es algef止mich noch,dass ich es nich†gerhan habe.

1g Friederikeに対する自分の行為への反省が,」G6tz と Clavigo の中の二人のMarieに実った

事自体は,十分認めてよい.DuWの叉別の箇所において,Gは二人のMarieおよび二人のschl㏄hte Figureに言及し,これを自分のreui9な観照の結果だとしている鵬.しかしそれは,作品のHauPt−

interesseに直結する問題であろうか.Clavigoが恋人に不実だった,ただそれ丈の理由で,Gが戯曲

化したとするのは早計にすぎよう.自伝の証する所を無視したとしても,陽気な友人達の集りで,過去 の自分を彷仏とさせる男の受難記を楽しい気分のうちに朗読するという事は,(Gが自作に踏襲した部 分に充澄する感情の大半が,ロマン的なBにあるとはいえ)多分に考えにくい事である.かつ,「halb

klein,halb grossな,Weislingenと対をなす人物」というGの報告も,そういう人間を描く宿命劇

を意図していた,と読みとるよりは,自分の作品はいかに読まれ,眺められるべきか,その示唆と見る

方が,明快な受け取り方であろう.事実Gをめぐる文学愛好者達はB的気分の横溢の中にあった.

Jacobiが」,teutscher Merkur『 誌に,同じBの回想録の,まさに第4巻を独訳して掲載したのは,

」 Clavigo の公刊された8月であった.それ故に,GがBをいかに自家薬籠中のものにしたか,いかに BをGにかえたか,という事は,当然女学界,サークル,・G自身にいたるまで,関心事だった筈である.

 CarlOSについても,その鮮明な人間像は,たしかにすぐれているし,G自身の誇るところもかなりな

程度までうなづける.しかし同時にH著mdlun9に弛緩を来たし,その縫合が巧みとはいえまだ不完全 なのは,このCarlosの暫でもある.彼はGのFriederikeへの贖罪とは別の契機の産物であるばかり

か,陽気なサークルの気分とも,別箇の産物だったからである.それ故に彼は,多かれ少なかれ当時の

風潮の中に生まれたClavigoの悲劇的な最後にいたると,何をする事もできない.彼はM6rder!と

叫び,医者を迎えにやらせ,友の名を呼びながらmit dem Fusse s†ampfenする丈である.それは後 年の,,Iphigenie auf Tauris の中で,不安定な友人が自分の意志で行動を開始すると,何もする事が

できなくなるPyradesに似ている.

 しかし同様な事はClavigoについてもいえるのであって,そのためには,,Stella のFemandoを

これと対比させて見ればよい.GがFriederike体験を,より目的意識的な,現実の社会体制に密着した 次元でくり返すにいたった,Lili Schδnemann体験は,明らかに Stella の基調であるが,その主

人公Femandoは,前にのべたようにGにとってClavigoなどより,はるかに身近かな存在であった.

ここにStaigerは新しい問題を見出し, Clavigol と,,Stella の特質をそれぞれ,Sごhriftstellerの 悲劇と市民の悲劇に求めている.例えば,彼は次のようにいっている.

(11)

半田:〃clavigo の成立史に関する考察 紹

  …seinc(G)Treulosigkeit hangt aufs engste mit seiner S¢hriftstellerei zusammen.

  ・一・Der K亜nstler wachst als Liebender und wachst hber die Geliebte hinaus…

 」,Stella」 の集中度の高さは,それが市民劇であり,der kleinere MenschのReueが基調になっ

ている事と,無関係ではない.Clavigoをいきなり翫hriftstellerの理念のタイプとしてとりあげる

事は,論者はなお躊躇を感じるが,少くとも Clavigo『 におけるGの課題を,主人公そのものにおい

て探るこの見方は,不実なClavigoを同様に不実(?)だった現実のGと密着させる見方よりは,示

唆に富み,われわれを納得させる,又,こう眺めてこそ,終幕の異常さに理解が届く.

 この大げさで,明らかに一般受けを狙った終局,現実のClavigoたちとは,まるきり違った具合に

登場人物たちを襲った終末は,こういう場面にClavigoを追いこまねば気のすまなかっ.た当時のGを 十分理解するにしても,叉典拠としたBalladeを大きく改変できなかったかもしれぬGの美的な,又は 個人的な考慮を是認するとしても,結局は作り物の小人物(雑多な理念と感情とを背負いこまされ,そ のために身動きならなくなったPerson)の解決のために用意された,Deus ex machinaである.

⑳ Gは概して,あまりに悲惨な結末は避ける.しかしここでは,その悲惨ぶった最後が,もっと恐ろ しい,Gにとって耐え切れそうに思えなかった事態を避けて表面的に和解をとげている.これも叉注目 すべき事である.排除されたのは敵意や憎しみと,策i謀や狡智だけであって,その何れとも,Clavigo ははじめから無縁の存在として設定されているからである.しかもこの戯曲で賦罪すべき人がClavigo

であったとすれば,それは恋人を裏切った,という事だけであろうか.Stimmungの混乱,道徳的に

も文学的にも不安の多い主人公の性格,Cゑrlosを挿入した事や,ClavigoをBのそれから完全に遊離

させて創造できなかった事による,主題の分散,何よりもG自身の告白を作品に照らした場合に明らか になる,いくつかの矛盾,これらはみな詩人の意図が(卒直に受けとられるべき意味あいで),次の点

にあった事を示している、即ち,Bの回想録(従ってprosaischなLeidenschaften)を戯曲(従って drama奪isch,出eatralischなLeidenschaften)に変えるという点,ただこれだけであってその他に

はない.作中人物の設定やHandlungの扱いは,すべて実際の製作中にふくれあがり,まとまっていっ

たものである.いくつかの矛盾は,すべてGの告白にもかかわらず,Friederike体験の清算や,心理 劇や運命劇を,目論んではいなかった事による.意識下ではどうあれ(たとえばClavigoが自分と同 様のSdhriftstellerであったこと,自分がFriederikeに対して罪の意識を持つように,Clavigo

も持って然るべきである事,Clavigoの保身は自分とは違うけれども,自分も又保身の慾望を感じてい ること,Clavigoの破約にもわが身にひき比べて一分の理を与えてやりたい慾望,Bのleidenschaf−

tlichな行動力に対する羨望,原典のMarieを自分の望ましい姿に変貌させてやりたい衝動,さらに自 分が Gδtz「 の中に残した女と同名の,不幸なeine Verlasseneを,ここにも発見した驚き,これら

は当然,Gの訓作に一つの方向を与える要素になり得たはずで,それさえも論者は否定するのではな

い),Clavigoをhalb klein,halle grossと規定した事は,この戯曲に限らずGの終生追うたテーマ が,ここでも彼の努力の方向を明白に説明できる言葉であったにすぎぬ.総括と反省の時代に入ると,

Clavigoの名さえGの口を洩れないのである.,,Die Laune des Verliebten fにはじまって,,,Torquato Tasso や,,Faust ,小説では,,Die Wahlverwandtschaften1 にいたるまで,変貌し成長しつつ も,このテーマは消えなかった.それだけに,,,Clavigo の価値が, 古典期のいくつかの作品を完成し てからのGの目には,実際以下に低く見えた事も十分あり得るだろう.しかし,一気に書きあげたあの

活力,若々しい友情の中に朗読したあの気分,Clavigoの中に自分を反映させ,比喩によって贖罪を

果すつもりでいた若い自分,それらを忘れ去る事はできなかった.Scherzではあったが,やはりgei−

s†reichであった.特にGeistはCarlosを創造する事に力を及ぼしていた.この記憶が,DuWの告

白を書かせ,思わざる所に∬clavigo fを価値づけたのではあるまいか.

21しかし,Gのこの価値づけは,製作した時点にもどっても同じ事である.これまで考察したところ

を整理すると,刻Clavigo はBの戯曲化に他ならず,作品に内蔵された可能性を個別に拾うのであれば
(12)

44 福島大学学芸学部論集第17号 1%5−10

兎も角,作品としてはDilettantのサークルの自己満足的創作である.はじめから多分に戯曲的な回想

録を,いかに巧みに戯曲化するか,その成功をGは志していた.彼にとっては友人の促しと讃辞が最

も喜ばしかったし,「この程度のものも書けば書けたし,又あってもよかった」のである.Merck

(Mephistopheles MerckとGは呼んでいる。)がこの作を突っ返して,

  Solch einen Quark musst du mir k亘nftig nich奪mehr schreiben;das k6nnen die

  anaema㏄h(72−21f.)

 と怒ったというのは,故のない事ではない.Gもこの批判に(Merckへの感慨深い追憶のせいもある が)真向から反対せず,「何もかもが,一たん把握されたあらゆる概念を越えねばならぬものでもない.J

と書いている. 「お願いだからこんな駄作は書かんでくれ.」というのは,作品そのものに即すれば,

(Merckの言葉は酷にすぎるけれども)「もっと新しいものを書け.」という批判ではない筈である.

 作者に好意的でなかった批判に応えて,Gは上演効果を問題にしていた.それはたしかにすぐれてい るらしい,α9が, 観衆は誰に憐情の涙を注ぎ,どこに和解の満足を見出すのか,あるいは何によって Ka塩arsisを体験し,誰に共鳴の拍手を送るのか,Clavigoその人は,どのように観衆の目に映じるの か,これだけを考えても,贖罪のドラマとしてのみ謁1avigo を扱うことは不可能であろう.

  clavigo館はゆたかな識曲である.興をそそる数々の典型や心理描写などについてはこれ迄述べて来

た.しかし4clavigo の成立史はあくまでBの作品の翻案の成立史である.成立史は∬clavigo の Han己lun9とCharakteristikを混乱させ,作品の主張を弱めた.作者の意識下のものとして,成立

史の中では顧みられる事の少い諸理念を,Gの手をもってしても成熟に高める事のできぬ,不完全な形 で放置させた.特に注目すべき事は,作者の分身(この言葉が,μclavigo の場合に持つ意味について

も,これ迄考察して来た.一言すればこの主人公には,浮調子で自負心が強く,論理性に乏しい感情の

人間であり,身勝手でしかもそれをどうにもできぬ弱さを持った翫hriftstellerである自分に対す

る,Gの自己壕悪が反映している)を一たんは歪め,汚しても,やはり最後には美しい感傷で飾ること が,作者に許されていた,という点である.徹底的な事はただ言葉の強烈さや,感情の激しい起伏や,

決闘の場面などにとどめておかれた,という点である.それは,この作品が,Pergonenの華麗な交錯

や,Carlosの個性や,Stimmun9の変化のゆえにさまざまに評価されながら,結局晩年の詩人の,歯

切れの悪い告白の中に評価されているような,決して一流ではない小品に終るべき事,を暗示している.

 Gの気負いのために,又彼の生活史の反映を(彼がGであるゆえに)重視するあまりに,薄明の中に ある創clavigo『「の成立史も,実は早くからそれを暗示しているはずであった.

Text ωGoethes Werke,Hamburger Ausgabc,Bd.4,Ch.Wagner,1955

    ③Goethe,Gedenkausgabe der Werke,Briefe皿d Gespr且che,Bd.4,(betitelt)Der

     juPgeGocthe.Artemis,194,

   註

(1〕前掲Text③のEinf6hrungから.同巻S.107,

③ G.Brandes,Goethe,6.Auf1.E.Reiss,1922,S.12,

βウ Don Bueucoは:,」Er wag s nicht, er f髄rchtet f廿r sein Lcben ;sonst h邑tt er gar nicht   geschriebeロ,sonst b5t er Marien seine Hand皿icht an. (283−21f.)  といい, Guilbert ま,

  」,…er ist ein Mam von Ehre,so geht er deinem Bruder entgegen,一(283−12f.) とMaric   にいっている.

㈲ 本論中の,,CIavigo 本文の引刷土,上掲のText〔1〕による.文末の()は,員数一行数を示す.

⑤ E.Staiger,Goethe,Atlantis,1952,Bd.1,S.175  ,,Die Aufgabe G㏄thes bestand darin,

  di6Szene geb田hrend vorzubereiten,und ihreK onsequenz zu ziehen,so,dass die N互hte   auch von scha㎡en Augen nicht bemerkt werden kOロnten.

(13)

半田:,,Clavigo の成立史に関する考察 45・

(6)第4幕第2場のMaτieの死後,行われるBとSoPhieの間の次のようなやりとり.

  Sophie:F田1r ihn weg,er bringt seine Schwester脚【n.

   一(B.f且11tv・rMariennieder皿driサf:Dichverla鈴en!)S・bleib・皿dverderb皿s

   alle,wie d廷Marien get6tet hast1Da bist hin,O meine Schwester1durch die Unbesoコー    nenheit deines Bru(iers.・一… (zu B.,spottend)Retter1 R且cher1 Hilf dir selber!.一…

   (B.:Verdien ich das?)Gib mir sie wieder!Und dannlgeh in Kerker,geh aロfs    Matterger丘st。geh,vergiesse dein Blut,und gib mir sie wieder!・一・ Ha!und ist sie    hin,ist sie tot.一so erhalte dich uns!(Ihm um den Hals fallend.)Mein Bruder・erhalte    dich uns!unserm Vater!Eile,eile!Das war ihr Schicksal!・一・・

ω Elisabeth.Gδtzの妻.ここで注目レたいのはHauptpcrsonの妻としてではなく・Marieの疵護者とし   てである.Hausfrauとしての処世智,Marie(GδtzではMaria)の姉としての勧りなど共通点があるが・

  勿論Sturm und Drang的な思想や感情との距離においては,相反するところもある.

{8}Der zerbrocheロe Krug(1802)は,寓詩的な内容の銅版画を友人の家で見て,その内容をどのように理解、

  するかで論争し,Kleistは喜劇に,他の友人はそれぞれ鼠劇文学と小説に見たてたので自然に競作となヶ   た.もっとも,Kleistの完成は4年後のことだった.

⑨ 本論18の引用参照.

⑩以下Dichtlmg und Wahrheitの引刷ま,Hamburg版(テキスト(11)第10巻による・文末の()は・

  本文引用の場合と同じ.

⑳1774年6月1日の励tt1・bF.E.Sch6nb。mあての手低価ethesBriefe(Hamb肛9版)1%みBd・

  1,S.162

働 1826年7月26日Eckerma皿とのTheaterに関する対話の中で.彼はそこで,読んで感動的な脚本は上演   しても感動的であり得るという俗信を,自分のGδtzを例にひいていましめたり,theatralischという事   を, jede Ha且dlung muss an sich bedeute且d seio und auf eine noch wichtigeτe hinzielen!

  と規定したり,もうTheateτ一Interesseの時代はすぎたが,Schillerによびさまされ・彼のために劇場   に関与したのだ,とのべたりしたあとで,引用文のように述べる.Eckermann,GesPr互che mit Goethc・

  Br㏄khaus,1949,S.144

㈹ DuW.Buch12の中で,

   . zu der Zeit als der Schmerz鼓ber Friederikens Lage mich be且ngstigte,suchte ich,

   nach meiner alten Aτt,abermals mlfe bei der Dichtkmst.Ich setzte die hergebrachtc    Poetische Beichte wieder fort,um durch diese selbstqu且1er量sche B{issロng einer innern    Absolution whrdig zu werdcn.Die beiden Marien in G6tz und Clavigo皿d=die beideロ    schlechtenFig肛en,dieihreLiebhabers・ielen,m6chtenw・h1Resultates・1chヒrreuigen    BetraChUngen geWeSen Sein.

㈹ Staiger上掲書S.177,1ff.

陶 金上S.176.9f.一 auf der BOhne ist alles in bester Ordnung.Das Tempo des Schaffens   bestimmt das Tempo des Spiels.Wir sind am E且dc.bevor wir Atem geschδpft u且d u朋   beson旦en hGbeコ.

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