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蝶や蛾の擬態模様の遺伝的基盤とその進化 - J-Stage

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はじめに

蝶や蛾の翅の模様は多様に富み,特に枯葉や樹皮など への擬態模様は多くの人々を魅了してきた(1).ダーウィ ン(Charles Robert Darwin)とウォレス(Alfred Rus- sel Wallace)により始まる進化生物学において,生物 のかたちや模様の多様性は進化による産物であると説明 される.擬態は自然選択による進化を検証するための恰 好の対象であり,その価値は現在でも変わらず重要であ る(2).擬態には,実にさまざまな戦略がある.代表的な ものとして,背景に隠れる隠蔽擬態(crypsis),枯葉や 枝などの自然物をそっくりまねる扮装擬態(masquer- ade),目立つ色や斑紋で注意を促す警告擬態(apose- matism),毒をもった別種に似せるベーツ擬態(Bates- ian mimicry),毒をもった種どうしで似せあうミュラー 擬態(Müllerian mimicry)などが挙げられる.21世紀 になり分子生物学に関連した技術が大きく進展し,また 計算機技術の大規模化により,擬態模様がどのように形 成されるのか,あるいは,どのように進化してきたのか が解明されつつある.本稿では,それぞれの擬態戦略ご とに代表的な蝶や蛾の翅の模様を題材にして,現在進ん でいる研究を紹介したい.特に,擬態していることが実 験的にどのように証明されたのか,またその遺伝子的基 盤はどのようなものなのかについて焦点をあてたい.

背景に溶け込む隠蔽擬態:オオシモフリエダシャク 背景にすっかり溶け込んでしまい,捕食者が見つけら れなくなってしまう戦略がある.隠蔽擬態と呼ばれる適 応戦略である.シャクガ科の蛾であるオオシモフリエダ シャク(大霜降り枝尺; )の翅の模様 は,隠蔽擬態の代表例として知られている(3)(図1.こ の蛾の翅は白色の下地に黒色の小さな紋が散った模様を したものが大部分であり,ごくごく一部に翅全体が黒く なった個体が見られた.ところが,イギリスが産業革命 期に入ると,工業地帯では黒色個体が多数出現し年々増 加する現象が確認され始めた.この現象は,工業暗化と して知られる.同じ個体の色が白色から黒色へと変わっ たのではなく,世代を経ながら集団内での頻度が変化し て黒色個体が多くなったことに起因している.この頻度 変化は,工業の発達により黒くすすけた樹木が増加した ために黒色個体がより隠れやすくなったからだという研 究成果が発表された.しかし,この報告への反駁も発表 されるなど,黒色個体の増加が果たして本当に隠蔽擬態 によるものか否かについて長い論争が続いた.現在で は,隠蔽擬態だけが原因であるとは言い切れないが,隠 蔽擬態も関係していることがほぼ証明されている(と いって良いだろう).

さて,この黒色模様はどのような遺伝子により作りだ されているのだろうか? イギリスの研究チームは,

日本農芸化学会

● 化学 と 生物 

セミナー室

昆虫の科学-1

蝶や蛾の擬態模様の遺伝的基盤とその進化

鈴木誉保

農業・食品産業技術総合研究機構

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ショウジョウバエやアゲハチョウといったほかの昆虫の 黒色形成遺伝子を調べた研究を手がかりとして,これら の遺伝子がオオシモフリエダシャクの翅でも利用されて いるかどうかを調べた.残念ながら,いずれの遺伝子も 利用されていないことがわかった.一方,同じ研究チー ムは黒色模様の形成に関与しているゲノム領域の同定に

成功した.興味深いことに,このゲノム領域は,ジャノ メチョウの目玉模様の形成,カイコ変異体の翅の模様異 常の形成,ドクチョウのミュラー擬態模様の形成などさ まざまな擬態模様に広くかかわりがあることがわかって きた(4).このゲノム領域は,蝶や蛾の翅の模様の色の制 御に重要な働きをしていると推察される.このゲノム領 域にひそむ遺伝子制御機構の解明は,隠蔽擬態を含めた 蝶や蛾の模様の多様性を解く重要なカギになると期待さ れる.

目玉模様で捕食者を驚かす警告模様:ジャノメ チョウ

目立つ色をまとったり,注意をひく斑紋を呈したりす ることで,捕食者からの致命的な攻撃を避ける戦略があ る.蝶の翅に広く見られる目玉模様はその典型例といっ て良いだろう(5).この目玉模様が捕食者である鳥を驚か せる役割をしていることは,実際の鳥を用いた実験によ り証明されている(※すべての目玉模様で証明されたわ けではないので注意されたい).

この目玉模様がどのような遺伝子のはたらきにより形 成されているのかは,非常によく研究が進んでいる.

1994年に,ショーン・キャロルらの研究グループは世 界にさきがけてアメリカタテハモドキ(アメリカ立羽 擬; )の目玉模様の分子生物学的な研究 に取り組んだ.次いで,1996年にはポール・ブレイク フィールドらの研究グループにより,ジャノメチョウ

(蛇の目蝶; )の目玉模様の研究が進 められた(図2.目玉模様は三重の同心円構造をして おり,そのそれぞれに対応するように遺伝子群が発現し 図1オオシモフリエダシャク

(ア)  morpha typica,(イ)

 morpha carbonaria.写真はOlaf Leillinger氏によ り撮影.wikipediaより一部改変して転載.CC-BY-SA-2.5

日本農芸化学会

● 化学 と 生物 

連載開始にあたって:昆虫の科学

化学と生物の某編集委員から,「昆虫の科学」について,

セミナー室の企画の取りまとめを依頼された.正確に数え ているわけではないが,近年農芸化学会において,昆虫関 連の発表が減っているように感じていたところなので,新 たに昆虫の研究を盛り上げるチャンスであると,引き受け させていただくことにした.

さて,「昆虫」と一言で言っても,非常に幅が広いため,

昆虫の何にフォーカスを絞って取り上げるかで思案した が,やはり昆虫の最大の特色は多様性である.そこで多様 な昆虫に関する最近のトピックスを幅広く紹介することと した.

本企画では,8回にわたり,「蝶や蛾の擬態模様の発生

と進化」,「昆虫の色素合成と色覚」,「脱皮ホルモンに関す

る最新の知見」,「カブトムシの性決定」,「バッタの体色変 化」,「オルガネラ様共生細菌」,「シュウ酸カルシウム結晶

による植物の対虫防御戦略」,「組換えカイコの利用の最前

線」まで,最近の昆虫分野の研究で特に興味深い成果を紹 介することとした.ほかにも紹介したい研究は多数あった のだが,そのうちのいくつかは某編集委員からほかの特集 のときに取り上げたいので,今回は見送って欲しいとの意 向が示されたため,またの機会にということでご容赦いた だきたい.ご多忙ななか,執筆をご快諾いただいた執筆者 の皆様には,誠に感謝に堪えない.今回の企画を通じ,多 様な昆虫研究の魅力が伝わることを期待している.

  (石橋 純,農業・食品産業技術総合研究機構)

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ていることがわかった(6).興味深いことに,これらの遺 伝子群はほかの動物の体づくりで汎用的に利用されてい る遺伝子群であり,目玉模様を形成するために特別に獲 得した遺伝子は現在のところ見つかっていない.どうや ら同じ遺伝子を使い回しても,いろいろな模様やかたち を作りだせるようだ.

蝶の目玉模様はいつごろ出現したのだろうか? 2012 年にアントニア・モンテイロらの研究チームにより複数 の蝶で目玉模様がどのような遺伝子で形成されるのかが 調べられ,その進化について興味深い結果が得られ た(7).非常に近縁の種であっても全く同じように目玉模 様が作られているわけではなく, ,  ,  , 

の4つの遺伝子のうちいずれかを使っている ものの,種によってどの遺伝子を使っているかが異なっ ていることがわかった.さらに興味深いことに,タテハ チ ョ ウ 科 以 外 の 蝶2種( , 

)のスポットパターン(目玉模様のような模様 をしている)の遺伝子発現を調べたところ,これら4つ の遺伝子のいずれも利用していないことがわかった.以 上の結果は目玉模様といっても,タテハチョウ科の蝶と それ以外の蝶のものでは由来が異なる可能性があり,少 なくともタテハチョウ科に見られる目玉模様はこの系統 において新規に獲得されたものであると,彼女らは主張 している.今後の進展が待ち望まれる.

毒をもつ種に似せるベーツ擬態:シロオビアゲハ 毒を体内にもった動物は,捕食者に不味いことを学習

されることで,食べられにくくなり生存の確率が高くな る.そこで,毒をもっていない種が毒をもっている種の かたちや模様を真似ることで,捕食者からの攻撃を避け ようとする戦略が生まれた.この現象は,発見者である ヘンリー・ウォルター・ベーツの名にちなんでベーツ擬 態と呼ばれる.ベーツ擬態をする蝶としてアゲハチョウ 科 の 蝶 で あ る シ ロ オ ビ ア ゲ ハ(白 帯 揚 羽;

)が知られる(2)(図3(ア)).シロオビアゲハの 雌は2種類の翅の模様を示し,一方には後翅に紅色の斑 紋を示す.この紅紋を作りだすことでベニモンアゲハ

(紅紋揚羽; )の模様を真似てい

ることがわかっている(図3(イ)).ベニモンアゲハは,

幼虫期にウマノスズクサ類からアルカロイドであるアリ ストロキア酸を取り込んで体内に毒をため込む.成虫期 の翅に呈示される紅色の紋は捕食者に注意を促す警戒色 である.シロオビアゲハは,幼虫期にミカン類を食草と し体内に毒をため込んでいない無毒種である.しかし,

成虫期の翅に紅紋を呈示することで,捕食者にたいして あたかも自身が毒をもっている種であるかのように誤解

図2

写真はGilles San Martin氏により撮影.wikipediaより一部改変し て転載.CC-BY-SA-3.0

図3シロオビアゲハ(♀)の擬態

(ア) , female,   form, (イ)

, male.  写 真(ア) はViren Vaz氏 に よ り 撮 影.CC-BY- SA-2.5.写 真(イ) はDidier Descouens氏 に よ り 撮 影.CC-BY- SA-3.0.両写真ともwikipediaより一部改変して転載.

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させ,自身の生存率を高めていることがわかっている.

さて,シロオビアゲハの紅紋はどのような遺伝子に よ っ て 生 み だ さ れ て い る の だ ろ う か? Kunteと Kronfrostらの研究チームは,次世代シークエンス技術 を駆使することによって,紅紋を作りだす原因遺伝子に 遺伝子が関与していることを発見した(8).し かし,彼らの研究では 遺伝子が翅でどのよう な発現パターンをしているかを示したのみであり,

遺伝子を欠損させると紅紋が消失するのか否かは 全く調べられておらず片手落ちであった.藤原晴彦先生 の研究グループは,これらに丁寧な解析を加えられ,さ らに逆位というゲノム構造がベーツ擬態の進化に重要な 役割を果たしていることを解明された(9).まず

遺伝子を欠損させると,紅紋が失われ,雄と同じ通 常型の模様になることを明確に示された.さらにシロオ ビアゲハの全ゲノム配列を解読し, 遺伝子が H遺伝子座と呼ばれるゲノム領域に存在していることと つきとめた.興味深いことに,このH遺伝子座は逆位を 起こしており,ほかのアゲハチョウのゲノムと比較して ゲノムが逆向きになっていることを見つけた.逆位をし ているゲノム領域はゲノムの複製のときに組換えが起こ りにくいことがしられており,したがって紅紋を失いに くい仕組みが備わっていると推察される.今後の進展が 楽しみである.

毒をもった種どうしが互いに似せあうミュラー 擬態:ドクチョウ

毒を体内にもった動物を真似るというベーツ擬態があ るならば,毒をもっている複数の種が互いに模様を似せ あうことで捕食者から逃れるという擬態も存在する.こ の現象は発見者であるフリッツ・ミュラーの名にちなん でミュラー擬態と呼ばれる.ミュラー擬態の代表例とし て,ドクチョウ(毒蝶; )属の蝶が挙げられ

(10, 11)(図4.ミュラー擬態はこのドクチョウで発見

された現象であるが,現在では多くの動物がこの戦略を とることがわかっている.

ドクチョウの翅の模様がミュラー擬態をしているか否 かについては,いくつかの実験により証明されている.

ドクチョウの翅は黒地に赤色を配した模様を呈してお り,とても目立つ.捕食者の鳥は以前に食べたドクチョ ウの不味さ(体内に蓄えた毒成分のため)とその目立つ 模様を結びつけて学習し,徐々にドクチョウを口にする ことが少なくなるとされる.そこで,以前にドクチョウ を食べた経験を学習して次に見ただけで食べるのを避け るかどうかが実験された.人工室内での実験でも,野外 での観察でも,実際に鳥がドクチョウを食べる率が低下 したことが確認されている.また,人工的にドクチョウ の模様に似せた模型をつくり,それをドクチョウが住ん でいる地域に設置したところ,捕食者である鳥により狙 われる率がほかの地域でのものよりも低かったことも示

図4ドクチョウの擬態

Meyer Aによる文献11より一部改変して転載.CC-BY

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された.これらの実験より,ドクチョウの模様は捕食者 から逃れるのに役立っていると推察されている.

ドクチョウの翅の模様はどのような遺伝子によって作 りだされているのだろうか? 候補遺伝子の一つとし て, 遺伝子が同定されている. 遺伝子は,赤 色の斑紋づくりに強く関与していることが示唆され た(12).なぜ 遺伝子が常に自然選択の標的となるの かは,よくわかっていない.赤色斑紋が形成される位置 は種によって異なるが,これはどのようにして決まって いるのだろうか? さらに研究が進められ,ドクチョウ の模様形成に 遺伝子が関与していることが示され た.複数の 属の蝶で調べられたところ,黒色 斑紋部分に の発現が見られた.さらに,ヘパリン によって の拡散を促進したところ黒色斑紋の領域 が拡大したことから, 遺伝子が黒色斑紋の形成に 関与していることが強く示された.また, 属 間で黒色斑紋の領域の広さの違いを生み出すために,

遺伝子の発現量の調節が利用されている可能性が 示唆された(13). 遺伝子と 遺伝子は排他的な関 係にあるように発現しており,両者には何らかの相互作 用関係があるものと推察されるがどのような分子メカニ ズムが背景にあるのかは明らかとなっていない.今後ま すます重要な発見が相次ぐと期待される.

翅の模様の基本設計図:グラウンドプラン

擬態模様も含めて蝶や蛾は実にさまざまな模様を呈し ている.この多様な模様は行き当たりばったりに進化し てきたのだろうか? あるいは,何か共通のルールに 従って進化してきたのだろうか? 20世紀の初めに形 態学者たちはこの問題に取り組み,一見すると自由自在 に進化してきたようにみえる蝶や蛾の翅の模様にも普遍 則 が 存 在 し て い る こ と を 見 い だ し た(14).1924年 に

Schwanwichにより,1927年にSüffertにより独立に発 見されたこの普遍側は,グラウンドプラン(Nymphalid  Ground Plan)と名づけられた(図5(ア)).蛾のグラ ウンドプランは,3つの対称系(Basal symmetry system

(B),Central symmetry system(C),Border symmetry  system(BO))と3つの要素(Discal spot(DS),Root

(R),Marginal and submarginal bands(M)) か ら な る.蝶のグラウンドプランは,蛾のグラウンドプランに 眼状紋(Eye spots(ESs))が加わる.どんなに複雑な模 様であっても,これらの模様要素を変形することによって 生みだされるというのだ.一例を挙げてみよう.図5

(イ)は,ヤガ科の蛾であるアカエグリバ(

)である.枯葉にそっくりな翅の模様をしており,葉 脈模様さえをも模している.筆者の研究により,この翅の 模様もグラウンドプランに従っていることが示された(15). グラウンドプランはどのような遺伝子によって形成さ れているのだろうか? その取り組みが始まりつつあ る.2010年に4種の蝶や蛾( , 

,  ,  )

について調べられ, 遺伝子と 遺伝子 が関与していることが示唆された(16).しかし,これら の実験は翅原基にて模様に似た(ように見える)パター ンで発現していることを主として調べたのみであり,そ の遺伝子のはたらきを抑制すると模様が形成されなくな ることなどを検証した実験を欠いており,確証が得られ た結果とみなしてよいかどうかの判断はなかなか難し い.2014年 に タ テ ハ チ ョ ウ 科 の 蝶4種(

,  ,  , 

)について 遺伝子が関与していることが 示唆された(17).また,  1種での 結果ではあるが,  遺伝子と  遺伝子が関与し うることも示唆された.加えて,ヘパリンにより 系 遺伝子発現を促進する実験を行い,またデキストランに より抑制する実験を行って,模様形成にWNT系遺伝子 が関与していることを強く示した.WNT系遺伝子は細 胞外に分泌される拡散性タンパク質(モルフォゲン)で あることが知られているため,パターン形成における位 置情報の生成に重要な役割を担っていることが推察され る. 遺伝子はドクチョウの翅の黒色斑紋の形成に もかかわっていることがわかっているが(上述),この 黒色斑紋がグラウンドプランの要素に相当するのかどう かはよくわかっていない.近年では,次世代シークエン ス技術といった新しい技術も大いに進展しつつあり,さ まざまな蝶や蛾の遺伝子を同定できるようになりつつあ る.いずれにしても,今後グラウンドプランの分子生物 図5蝶と蛾の翅の模様のグラウンドプラン

(ア)グラウンドプラン,(イ)アカエグリバ( とそのグラウンドプラン.文献15, 20より一部改変して転載.

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学による取り組みが期待される.

葉脈模様さえをも模した扮装擬態:コノハチョウ 枯葉や枝など自然物にそっくりに化ける擬態は古くか ら多くの人を魅了してきた.この擬態を扮装擬態とい う.さて,これまでの章で解説したように,いろいろな 擬態の研究が進んでいる一方で,扮装擬態については全 くといってよいほど研究が進んでこなかった.実際に,

2004年に出版されたレビュー本では,扮装擬態について は僅か数ページしか記述がなく「有名であるにもかかわ らずほとんど研究は進んでいない」とさえ書かれてい る(18).しかし,新しいアイデアと新たな技術とが結びつ くことにより,2010年代に入って扮装擬態の重要な問題 が解決され始め,大きな前進をみせつつある(19)

自然物にそっくりに化けることで,本当に捕食者から の攻撃を免れているのだろうか? あるいは,単純に,

黒っぽい色をしていることで,隠れやすくなっているだ けなのではなかろうか? 扮装擬態は,よく混同される のだが,隠蔽擬態とは学術的には区別される.扮装擬態 と隠蔽擬態の区別は捕食者の視覚能力の違いに基づいて いる.隠蔽擬態は,捕食者に物体としての存在すら気づ かれることがなく,捕食者の視覚の検出能力と関係があ るとされる.例えば,樹皮などに擬態して背景に溶け込 んでしまって姿かたちが見えなくなる擬態がそうだ.一 方,扮装擬態は,捕食者に物体としての存在は気づかれ ているのだが食べられない枯葉や枝として認識されるた めに生き延びられると考えられており,捕食者の視覚の 物体認識能力と関係があるとされる.自然物にそっくり な姿をしていることはぱっと見た目にはそうではある が,捕食者の物体認識によって識別されているのか否か については証明されていなかった.2010年になって Skelhornらは,枝に擬態した蛾の幼虫と実際の鳥を用 いた捕食実験を行い,物体認識能力と関連があることを 世界で初めて証明し,隠蔽擬態とは異なるメカニズムを もつ扮装擬態の存在を示した.

さて,こうした擬態模様はどのように進化してきたの だろうか? これまでの研究の多くが比較的シンプルな 模様の理解に焦点をあててきたものであり,複雑な模様 の理解は不十分であった.たとえば,枯葉の葉脈模様さ えをもそっくりに化けた扮装擬態模様がどのように進化 してきたのかについては,全く手掛かりがなかった.特 に,脊椎動物の骨の化石とは異なり,蝶の翅の模様が保 存状態の良い化石が発掘されることはなく,進化のプロ セスを追うことは不可能だと考えられてきた.計算機技

術が進展することにより,高度な計算技術を利用するこ とが可能になり,この結果,現在の状況から過去の状況 を推定する逆問題を解けるようになってきた.2014年 に筆者らの研究チームは,上記したグラウンドプランと 系統ベイズ解析法を組み合わせることによって葉っぱに そっくりな模様が,葉っぱに似ても似つかない模様から どのように進化してきたのかを明らかにした(20)

扮装擬態の最も典型的な例として,コノハチョウ(木 の葉蝶; )が広く知られている(図6

(ア)).コノハチョウの枯葉模様は葉脈模様をも再現し た,非常に複雑な模様をしている.この枯葉模様は,あ りふれた蝶の模様からどのような道筋をたどって進化し てきたのだろうか? 最初に,コノハチョウの枯葉模様 がグラウンドプランに従っているか否かを調べた.グラ ウンドプランについての知識体系は比較形態学が基礎と なっている.筆者らは比較形態学にて提案されているレ マネ規準を用いて,できうるかぎり客観的に翅の模様に ついてグラウンドプランの同定を行った.その結果,コ ノハチョウの模様がレマネ規準に基づいてもグラウンド プランに従うことを明らかにした(図6(イ)).さら に,コノハチョウの近縁種についてもグラウンドプラン で説明できるかどうかを調べた.その結果,いずれの模 様もその範疇で説明できることが明らかにされた.興味 深いことに,コノハチョウの葉っぱ模様とほかの蝶の模 図6コノハチョウとその進化プロセス

(ア)コノハチョウ,(イ)コノハチョウのグラウンドプラン,

(ウ)コノハチョウの進化.文献20より一部改変して転載.

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様は同じ模様要素を使い回して生み出されたものであ り,その違いは模様要素の並べ方や直線にするなどと いった幾何学的な性質の違いに過ぎないことがわかっ た.しかし,それではこの変化はどのような順序で変化 してきたのだろうか? 推定するために,系統樹形を考 慮した確率過程とベイズ統計モデリングという数理手法 を用いた.詳細は他誌に譲る(21, 22).結果として,コノ ハチョウの枯葉模様は,少しずつ変化を蓄積して進化し てきたことがわかった(図6(ウ)).この進化は,およ そ7,000万年程度かかったことになる.遺伝子解析技術 も大きく進展しつつあり,枯葉擬態も含めて複雑な扮装 擬態模様がどのような遺伝子による作られているのかを 明らかにする取り組みが今後期待される.扮装擬態研究 は今まさに始まったところである.

おわりに

擬態模様は多くの人を魅了しつづけている.またその 学術的価値は揺るぎない.その模様づくりについて,遺 伝子の言葉で説明される時代が到来している.さらに新 しい数理解析技術の開発は,擬態模様について複合的な 理解を可能にするだろう.一方で,これら実に多様に富 んだ模様を俯瞰できる共通の法則がありうるのだろう か? もしそうであるならば,その共通の法則はどのよ うにして生じたのだろうか? 蝶や蛾の翅の模様の多様 性について個別事例についての研究は進みつつあるもの の,多様性と複雑性を可能にしている根本的な原理の解 明は全くといってよいほど進んでいない.比較ゲノムの 時代からゲノム編集,さらにはかたちや模様の数理解析 技術の融合,フィールド調査による新たな昆虫の探索,

博物館などに集積された情報の駆使など,大規模かつ高 度な融合研究が今後強く推進されることは間違いない.

今後の研究として,原因遺伝子の探索に加えて,そうし た概念の整備と理論的な研究の萌芽を期待している.

文献

  1)  海野和男: 自然のだまし絵 昆虫の擬態:進化が生んだ 驚異の姿 ,誠文堂新光社,2015.

  2)  藤原晴彦: だましのテクニックの進化̶昆虫の擬態の不 思議̶ ,オーム社,2015.

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20)  T. K. Suzuki, S. Tomita & H. Sezutsu:  ,  14, 229 (2014).

21)  鈴木誉保:現代化学,2015年8月号,pp. 33‒37.

22)  鈴木誉保:パリティ,2015年11月号,pp. 57‒69.

プロフィール

鈴木 誉保(Takao K. SUZUKI)

<略歴>博士(工学).2000年大阪大学工 学部応用生物工学科卒業/2006年同大学 大学院工学研究科博士課程修了/同年理化 学研究所リサーチアソシエイト,2007年 同所研究員/2011年農業生物資源研究所 特別研究員/2015年同所任期付研究員/

2016年農業食品産業技術総合研究機構任 期付研究員,現在に至る<研究テーマと抱 負>蝶と蛾の翅の模様の進化と発生<趣 味>おいしいレストランめぐり

石橋 純(Jun ISHIBASHI)

<略歴>1989年東京大学農学部農芸化学 科卒業/1994年同大学大学院農学系研究 科博士課程修了,博士(農学)/1994年農 林水産省蚕糸・昆虫農業技術研究所/2001 年独立行政法人農業生物資源研究所(2002

〜2004年カンザス州立大学・2004〜2005 年内閣府総合科学技術会議)/2016年国立 研究開発法人農業・食品産業技術総合研究 機構,現在に至る<研究テーマと抱負>昆 虫機能利用,生理活性ペプチド<趣味>食 道楽,釣り

Copyright © 2016 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.54.351

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存することはもちろんであるが,2つのデータベースに おける個別の食品中の含有量を比較した場合,数値に乖 離が見られる食品も存在することから,データベースの さらなる整備が必要であると考えられる2. ポリフェノールの機能性 植物性食品に含まれるポリフェノールの機能性につい ては からコホートや介入試験に至るまで多種多

3, 2012 152 今日の話題 有機物からの発電などを総合して,90%以上の省エネと 汚泥廃棄物の削減が期待される.そこで,排水処理を目 的としたMFCの研究開発も現在盛んに行なわれてお り,総説なども発表されている(6). 筆者らのグループでは,バイオマス発電用に設計した カセット電極型MFC(7)を改良して複合高分子有機物を

はじめに 脂質はタンパク質,核酸,糖類とならび生体分子の一 つである.植物脂質研究はこれまで,生体膜での物理化 学的機能やエネルギー貯蔵物質などを中心に生化学的な 研究が展開されてきたが,シグナル伝達などにおける多 様な脂質の機能が近年明らかにされるにつれ,植物体内 における脂質分子の不均一な分布とその生長や環境変化

1, 2012 9 今日の話題 mRNA輸送体の多様化と生物学的意義 高等真核生物では機能の異なるものに多様化.生物進化の原動力か? mRNAは,DNAのもつ遺伝情報の一過性伝達手段で ある(1).これまでのmRNAのイメージは,DNAから転 写された後,プロセシングを受け,細胞質へと輸送され てタンパク質をつくるために使用される伝令役であろ

10, 2013 真菌選択的ミトコンドリア阻害薬− T-2307 − 真菌ミトコンドリアは , 抗真菌剤の標的になりえるのか? 「カビ」や「酵母」と呼ばれる微生物である真菌は自 然界に広く存在し,チーズや酒などの醗酵食品の生産 や,ペニシリンをはじめとして,その二次代謝産物が医 薬品にも利用されている.真菌の大多数は人間に対して

模擬電力システムにおける位相差測定装置の拭作:平良・宮城・山下 52

模擬 PET 装置の概略図を図 14 に示す. 実際の PET 装置では,図 3 に示すように,多数のガンマ線検出 器が 360 度取り囲むように配置されているが,模擬